「G」の呪い




「おい、刑事がウマルっていう盗賊を参考人として捕まえたらしいぜ?」

 事件現場の部屋に呼ばれたリックが、呼び出した張本人、森羅に言った。マウはリックを部屋に入れると、ドアの横に寄りかかった。

「大丈夫、彼はすぐに釈放されるから。なぜなら、彼は犯人ではないから」
「あん? 榊君だって、血文字の犯人がわかっているって言ってたろ?」
「確かに言いました。それに、その犯人はウマルさんの息子であるムハンマド君に間違いありません。でも、彼は今回の事件の犯人ではありません。事件の犯人は、リック。あなただ」
「おい、本気で言ってるのか?」

 リックは苦笑混じりに森羅に言った。森羅は黙って頷いた。

「本気だ。リック、あなたはムハンマド君が書いた血文字を見て、呪いを見立てた事件を閃いた。そして、すぐさまそれを実行に移した」
「なるほど。面白い想像だ。だが、俺はどうやってウィルソン博士を殺した?」
「当然、彼に精神的なショックを与えて心臓麻痺を誘発させたんだ」
「確かに、これだけ儀式めいた様相の部屋にいたんだ。心臓麻痺も起こすかもな? だが、俺の受けた電話はなんだ? あれはただの博士の世迷言か?」

 リックは部屋の中に広がった不気味な様子を見回して言った。

「いいや、彼の心臓麻痺の直接の原因は、目の前で自分の手が切断されたことだ」
「おいおい、彼は手なんて切られてないぞ?」
「それが、切られたんです。……マウ!」

 森羅に呼ばれて、マウは黙ってドアを開けた。廊下に待機していたのは、ボーイであった。彼はまた裸のマネキンを抱えている。

「切られた手は、勿論ウィルソンさんの手ではない。このマネキンの手です」
「!」
「別にこのボーイさんはマネキンを抱きたくて持ち歩いているんではないんです。ただ、彼は明日行われる洋服の展示会の準備の為にマネキンを運んでいるだけです。展示会のあることはこのホテルに泊まっている人間なら当然知っています。そして、血文字騒動が起きた後、準備の為に用意したマネキンの一つにある問題が起きました」

 森羅がマネキンの腕を指差した。片手がなくなっていた。

「手が紛失したそうです。しばらく彼もこのトラブルで大変だったそうですが、幸い手がなくても問題のない袖のない長いローブとマントを羽織らせることで解決したそうです。そして、消えた手は先ほどダストシュートから見つかったそうです。しかも、何者かのイタズラで半分に切断された状態だったそうです」
「………おいおい、確かに珍しい偶然だが、いくらなんでも自分の手とマネキンの手を見間違えるなんてことはないだろう?」
「それが見間違えたんです。……テーブルと、黒い箱があれば」
「!」
「当然犯人は彼が暴れないように、両手両足と腰、そして首を椅子に固定した。タオルなどを挟んで縛って一見して痕がなくても、ちゃんと調べればわかります。そして、この固定にもう一工夫を加えた。両手をテーブルの上に置かせ、上から黒い箱を乗せた」
「………」

 マウが、隣の部屋からテーブルと靴箱を持ってきた。

「ダストシュートからこの靴箱が見つかりました。聞いた所、靴箱もマネキンと一緒においていたそうです。実際、箱がなくて、中身だけの靴が展示会用の荷物の中から見つかりました。靴箱は腕が通せるように穴が開けられています。そして、片方の靴箱からは本物の手を出させ、もう片方からはマネキンの手を出させた。部分的な麻酔が効いていて指を動かすことが出来ず、感覚も麻痺していた為、ウィルソンさんは視覚から得られる情報でしか手の状況を伺うことが出来なかった。そして、マネキンの手が、目の前で切断された。……心臓の弱いウィルソンさんを死に至らしめるには十分なショックだ。これが、殺人のトリックです」
「………」
「実は、このテーブルには刃物が突き刺さった跡があるんです。その刃物の跡は、部屋に備え付けられているナイフと……ほら、一致すると思いませんか?」

 森羅は棚の上に置かれたナイフを手に取ると、テーブルの跡と照らし合わせてみせる。

「んなの、みんな同じだろう?」
「いいえ、こういう装飾のナイフは確りと調べれれば同じものか違うものかくらいの判断はできます」
「ふん。だが、俺が殺した証拠なんてないぞ?」
「………ダストシュートの中からマネキンの手や靴箱が見つかったと言ったんですから、当然わかっているはずですよね?」
「………」
「このトリックは呪いの演出をするには十分だけど、薄暗い室内で、しかも他の人間に見られると成立しない。流石に、違う視点から見たら、マネキンの腕だとばれるから。だから、あなたは何としても、ウィルソンさんの死の瞬間を保存しなければならなかった。そこで思いついたのが、携帯電話の録音だった。方法さえ、思いつけば簡単です。あなたは簡易の時限装置を作り、携帯電話の短縮ダイヤルを使い自分に電話をかけさせた。後は、時間になる時に電話の会話を録音すればいい」
「………」
「当然、ナイフを落とすのに使った紐もダストシュートから見つかっています。時限装置代わりになる蝋燭の火によって燃えた焦げ跡付き。さて、あなたが犯人ではないと、いくつか疑問が生まれてしまいます。なぜ犯人はわざわざこれほどまでの演出をして、現場を離れたのか?」
「そんなの、逃走時間を稼ぐ……違う! 犯人は犯行後に証拠を処分しているわ」

 マウが言いかけて、そのミスに気がついた。森羅は頷く。

「そう。仮に演出の観客にあなたを犯人が選んだとしても、それは犯人が現場を離れた理由にはつながらない。そして、犯人は証拠を処分する時間を手に入れられたのはなぜか? 当然、あなたが部屋の前で騒がずに、ロビーまで降りてスペアキーを借りたりと時間をかけたからだ。もしあなたがドアを蹴破ったら、犯人は一体どうするつもりだったんでしょうか? わざわざ呪いに見せかけようとするような手間をかけて殺しているにも関わらず、逃走方法を考えていないなんて、この犯人は相当の間抜けです。しかし、この間抜けな犯人は見事に成功させた。その理由は、あなたが部屋に入るまでにモタモタとしていたからだ」
「……そ、そうか。じゃあ、俺がパニックになっていなかったら、犯人は捕まっていた訳か」
「そうだね。でも、犯人はどこから脱出したんだろう?」
「! そ、そうか……部屋は密室だった! これは困ったな、一体犯人はどこから……ん? どうした?」

 マウもボーイの顔も不思議な顔をしていた。リック一人が理解できないという顔をする。

「やっぱり……気がついてないんですね」
「?」
「あの部屋、密室でもなんでも無いんです」
「なっ! バカな! だって、鍵が閉まっていたんだぞ? それに、鍵は枕もとにあった!」
「確かに鍵は確かに閉まっていましたよ。それに、マスターキーはあなたの言う通り枕もとにありました。勿論、指紋は見つからなかったそうです。でも、問題はそこじゃないんですよ。そもそも、部屋が密室だと誰一人言っていませんよ? 電話に残された手の件を除いて、不可能犯罪を表現する様な台詞を言ったのは、あなたの言った呪いという一言だけです」
「?」
「アンタ、本当にバカね。……一体、ムハンマドはどうやって部屋に入ったの?」
「! まさか……! いや、しかし………」

 リックは驚きつつ自問する。しかし、その推測は事実を捉えていた。
 それを裏付ける様に、森羅は部屋の窓の鍵を閉めた。

「ムハンマド君」
「! バ、バカな!」
「こういうことです」

 愕然とするリックの目の前で森羅が言った。窓の外に立つムハンマドは、慣れた手つきで針金を使い、窓の鍵を開けたのだ。

「リック、あなたも現場で見ていたはずですよ? 扉が開いて蝋燭の火が揺れることがあっても、カーテンが揺れる事は窓が開いている以外に普通起こらないことです。しかし、あなたは窓が閉まっていると思い込んでいた。さて、なぜでしょうか?」
「………違う! 俺が犯人じゃない! だって、考えてみろ! このガキは窓を開けられる! コイツが犯人と考える方が……」
「ダストシュートって、ホテルの内側にあるものじゃない? 第一、密室だって思った理由を聞かせてもらってないわよ?」
「そ、それは……俺が鍵を閉めたからだ。部屋を訪ねた時に。それで、勘違いをしたんだ!」
「アンタも往生際が悪いわね。ムハンマドが部屋に入ったのは、いつだと思うの?」
「………! まさかぁああああ!」

 悲鳴にも取れる声をリックは上げた。そんな彼に、森羅は追い討ちをかける。

「あなたが電話を受けたのは、自分の部屋と言っていましたね? あなたの部屋はここから反対側にある。僕達の隣の部屋です。なのに、何故か声が入っているんですよ、多分ウィルソンさんの声が入らないようには気を使ったのでしょうが、窓の外からの声は注意を怠った。あなたの携帯側に、ムハンマド君の声が入っているんです。そして、その声を上げたムハンマド君がいたのは……」
「今と同じ場所だ」
「そういうことです。この事件は、あなたが予想していなかったところで解決してしまうんです。ムハンマド君という目撃者の存在によって」
「この兄さんだぜ。ジジイがマネキンの手が切れるのを見て死んで、その後に入ってきてテーブルを動かしたりしていた人間は」

 ムハンマドの言葉がトドメとなり、リックはその場に崩れた。

「お陰で俺の親父も警察に事情聴取だ。……魔都の秘密を守ることが俺の一族の仕事なんだ。面倒なことをしてくれるぜ?」
「俺もだよ」
「え?」

 ムハンマドが言うと、リックはポツリと言った。

「榊君、いつから俺を疑っていた?」
「マウを呼んだ時から」
「!」
「マウに渡す約束をしたパピルスの条件。確かに、自分達で宝を独り占めということも考えられる。でも、そうじゃない。あなたの行動は一つの可能性で全て説明がつく。あなたは、魔都をこれ以上人目につけさせたくなかった。理由は、あなた達が見たという大コンドルですね?」
「………あぁ。俺達は、あの時。ピストルを持っていた。それを構えたんだ。………だが、引き金を引けなかった。そして、俺と博士以外の人間は死んだ。俺は理解した。この世には人間の理解っていうものを超えた得体の知れない存在ってのがあるってことを。そして、俺はそれに恐怖した。……わかるか? パンドラの箱の中身がどれほど恐ろしいものだとわかって、それを手にする恐怖を! 手放すことすら、恐怖するこの気持ちを! ………だから、俺はパンドラの箱を二度と人が開かない様にしたかったんだ! 俺は、博士を止めて、二度とこれに近付かないように……、死という呪いをかけようと決めたんだ」
「呪いにかかっていたのはあなたです」
「……! そう、かもな……」

 リックは苦笑した。それは自分への嘲笑も混じっている様であった。

「なぁ榊君、君の力でパピルスを誰の目にも止まらないようにできるか? 勿論、GPS情報も」
「パピルスはそうするつもり」
「GPSか? あんなの、このエジプトの中でなら俺の一族が本気を出せばどうにでもなる。既に警察が問題のデータを証拠品の紛失としてうまくうやむやにしている」
「………つまり、お前の親父が捕まったってのも、全て罠か」
「ふん。口を開けば、バケモノ女二人組伝説の話くらいしかしない父には、丁度いい気分転換だ」

 ムハンマドが不敵に笑って、リックに言った。彼は気の抜けた笑みを浮かべると、森羅に言った。

「……さて、一人で行くのは少し気がめいる。付き添ってもらえないか?」

 森羅は返事の代わりに頷いた。
 そして、森羅に促されてリックは部屋から出て行った。マウとムハンマドもその後に付いていき、部屋を出る。最後にボーイが電気を消し、部屋のドアを閉めた。






 

「マウ、まだ買うの?」
「当たり前でしょ! 結局、事件はアンタの推理なしでも目撃者で解決。しかも、魔都の場所も墓守達の永遠の秘密。そして、パピルスはご丁寧に森羅が溶かしちゃうし!」

 溜め息混じりに聞いた森羅に、ホテルの展示会で服を物色するマウが言った。その片手には黒い服がある。勿論、森羅が両手いっぱいに抱える紙袋には全てマウの買い物が入っている。

「いいんだよ、アレは入場料として一度僕が貰ったものなんだから。それに、あれはまだ人類の歴史には与えちゃいけないものなんだと思う」
「それってあの犯罪者に対する同情? いいのよ、そんなものは。どうせ、アイツは心臓麻痺だの呪いだの如何にもアレな事を言っていたから、結局大して重い刑にはできないわよ。精々10年ちょっとね。……ほら、森羅ぼさっとしない! 私の買い物に付き合うのが私の課した条件なんだから、確りと付き合ってもらうわよ!」
「うぅ………」

 森羅は気が重そうに呻き声を上げた。そうしている内に、マウは新しいコートを買い、袋につめてもらう。

「はい。持ってね、森羅。………あ、これはどう?」

 マウはウキウキとした様子で黒と白を基調としたスカートを手に取り、合わせてみると、クルッと回って森羅に見せる。

「違いがわからない」
「何よ! ここのレースが可愛いのよ!」
「結局同じ色だ!」
「だったら、あんたはコスタリカの石球がみんな同じだっていうの?」
「全然違う! 大きさや作った時期が違うんだ!」
「それと同じよ。だ・か・ら、ほら森羅。どっちのスカートの方が似合う?」
「うぅーん……、右かな?」
「よし、じゃぁコレ下さい……あ、これは今着ていきます!」

 マウは森羅の選んだスカートをスタッフに渡すと告げた。

「森羅、次は上よ! このリボン付きも可愛いんだけど、このレース付きも捨てがたいのよ」
「……左!」
「よし、コレも着ていきます。じゃ、ちょっと待っててね」
「ん?」
「何、キョトンとしてるのよ。まだ骨董市巡りがあるんだから! 森羅の選んだ服を来てあげるんだから、感謝しなさい♪」

 試着室へ向かいながら、マウは森羅に言った。
 しばらく日本に帰国できそうもないと、森羅はそんな少女の背中を見て思った。




 

 

「……組織に折角お金の出資をして頂いたのに、この様な結果となってしまい申し訳ありません」

 地中海を望む海辺の街、その一角にある喫茶店の屋外席でミラは言った。向かいに座る大柄な男は首を振った。

「いや、君の報告は実に興味深かった。特に、真実の人類殲滅の書の内容と、君の仲間が見たという魔都と大コンドル。今すぐに役に立つことはなくても、この情報はいつか役に立つ日がくるだろう」
「いいえ。全てはイエスズのお導きのままです」
「あぁ、君のような厳格なカトリック教徒には、科学者である私も頭が下がる」
「いいえ。今は組織の力も衰えていますが……。これも神が導いた試練です。いつか、人が「神」となれる日もくるでしょう。そして、それを成すのは組織です」
「あぁ。これが、君の明日からの仕事だ。おめでとう、これで君は栄誉ある考古学会の永久会員だ。これからも存分にその才能を発揮してくれ、ミラ・ワイズ君」
「はい、ナカムラさん」

 ミラは書類を受け取り、微笑んだ。男、マリオ・カルロス・ナカムラは頷いた。
 この時、2009年初夏。その数ヵ月後、年が明けた2010年、人類は「G」と呼称する事となる常識では有り得ない存在を知ることになる。
 しかし、それはまた別のお話。




 


【FIN】
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