後編
「綾瀬夏美? ……どこかで聞いた名前だな」
「帝技術開発研究所の開発員をしている女性だ」
「ってことは結城甲児の恋人か?」
コンクリート張りの個室に置かれたスチール製の机を挟んで江戸川が言うと、向かいに座る男は口元を上げて頷いた。
「流石だ。事前調査は完璧と言ったところかな?」
「ただの偶然だ。それより、その女がバイラスと関係するのか?」
「まぁ焦ることはない」
男は黒縁の眼鏡を指で上げなおして言った。彼は黒縁眼鏡に黒の背広姿、日本人の典型的な中年男を絵に描いた様な風貌だ。
「焦りもするさ、国会図書館で突然声をかけられて公安と言われて、そのまま連れてこられて三週間も拘留状態だ。その上、何をされるかと思えば、毎日世界各地の未解決事件と言語の勉強に、ありとあらゆる能力テスト……。しかも、書類関連には警察庁長官や刑事局長、公安局長の直筆の署名に、警視総監からここで今日までの研修という名の拘留を受けろという辞令が下っているときている。やっと話が本題になったと思えば、ホシのバイラスとやらに関しての話は有耶無耶にして、この女の話を始めた。イライラも流石に限界だぜ?」
「事態は非常に複雑なんだ」
「そりゃこの状況から十分すぎる程に理解できる。それにアンタ、公安じゃねぇだろ?」
「なぜそう考えた?」
「一つは幾らなんでも行使できる権力が大きすぎることだな。この三週間で、とりあえずアンタ達は警察力と表現できる全ての権力を公式か非公式かは知らないが行使できている」
「確かに、表に出ている公安の範疇を超えていることは認めよう。しかし、どうも君の発言は元来のものもあるであろうが、確信を得て言っているように見える。それはなぜかな?」
「ふん、直感だよ。刑事として養ったな。……ただそれだけだ。アンタらに言ってもわからないだろ?」
江戸川は腕を組んで椅子の背もたれに体を倒して言った。
彼の目には視えていた、目の前にいる男を囲う様に複数の霊が恨めしそうな目線を男に向けて立っているのが。その霊達は日本人もいれば、明らかに外国籍と考えられる外見の霊も何人かいた。
そして、江戸川は不意に部屋の隅に視線を移した。他の霊が壁になっており見難くなっているが、見覚えのある特殊な霊の姿を見つけた。
「あのイカ……、前にも見たな」
「ん? ……おい」
「?」
江戸川の独り言を聞くと突然、男は口調を変えた。ドスの効いた声である。その声には特に動じなかったが、江戸川は男の変化の理由がわからず、片眉を上げた。江戸川に構わず、男は立ち上がり、両手を机に音を立てて叩いた。
「何故貴様がバイラスを知っている! 言え、何を隠している!」
「おいおい。どうしたんだ?」
「誤魔化すな! 貴様……、まさかバイラスの仲間か?」
男は目を血走らせて江戸川の襟を掴んだ。それに引き寄せられて江戸川も立ち上がった。
睨み合う二人。先に諦めたのは男の方であった。江戸川の襟から突き飛ばずように手を放すと、彼は眼鏡を外してハンカチでレンズを拭く。
「ふん、成程な。アンタも焦っているんだろ? このヤマが相当デカい事は俺も十分にわかっている。アンタの話で、俺の追っていた河嶋博士を殺したホシもアンタらが追っているバイラスって奴だってのもわかった。……だけど、いまだにわからない。なんだって、アンタらは俺に肝心な情報を話したがらない」
「………本当に、バイラスを知らないのか?」
「あぁ。俺の追っていたのは、河嶋博士を殺したホシとその動機だ。そして、動機が鉄人計画の幻の28号の設計図と考え、俺はその発端となっている国家水準向上委員会に辿り着き、アンタと出会った。……悪いが、俺は刑事だ。取調べなら俺の方がお前らよりも上だって自信はあるぜ?」
「……ふぅ、合格としよう」
「は?」
「既にキミの辞令は用意されている。しかし、それを通すか否かは私の手に委ねられていた」
レンズを拭き終えた黒縁眼鏡をかけると、男は背広の胸ポケットから封筒を取り出した。
封筒の中から紙を一枚取り出すと、机の上に放った。
江戸川は無言でそれを手に取り、広げると文面に目を通した。
「……おい。この警察庁刑事局直属という意味はわかる。出向もいい。だが、この出向先の国際刑事警察機構国際捜査官ってのはなんだ?」
「そのままだ。国境を越えて国際法の下に捜査をする事が認められた世界で最も管轄の広い捜査官だ」
「そうかい。だけどなぁ、俺だって知っているんだぞ? I.C.P.O.に国際捜査官なんてものが存在しないことくらいな」
「表向きはな。そもそも、その存在を公表する意味がない。加盟国の警察幹部、日本で言えば刑事局長などだな。彼らがI.C.P.O.の会議にて、それぞれの難事件、国際指名手配犯捜査においての特別権限を国際捜査官に許可している。我々捜査官は、各国でその幹部の権限で捜査権を得て捜査をしている」
「だけど、突然正体不明の奴が捜査に参加していたらわかるだろ?」
「だから各国には通常の捜査官とは別の捜査網を持つ別の警察が存在しているんだよ。ある国は秘密警察、またある国は軍警察、そして日本には公安という具合に」
「つまり、国際テロを企てている連中捜査をする広域捜査官ってことか」
「わかりやすく解釈をするとそうなる。時代が時代ならば、警察力に頼らずとも諜報活動員という存在が力を持っていた。だが、今は国家首謀の犯罪よりも、国際犯罪組織による犯罪が目に付いている。表立って国家がテロリストとして軍事力による権力行使が可能な犯罪は氷山の一角だ。我々はその下に埋もれている本当の国際犯罪を捜査する世界唯一の捜査官集団なのだ」
「ふーん……、成程な」
江戸川は一人納得した様子で頷くと、肘を机について手を顔の前に組み、言葉を続けた。
「そして、アンタらが捜査しているバイラス、さては人間じゃないな? 人間以外となると、一番現実的な可能性は……宇宙人だろ?」
「! 何故、それを!」
「おぉ……! 本当なのか? これは驚いた」
「知らなかったのか?」
「あぁ。だが、あのイカがバイラスってんなら、人間じゃない。そして、表立った捜査をしない国際捜査官で、知能犯に分類できる犯人像、人間以外で犯罪が出来るほどの知的生命体って地球にはいない。じゃあ、宇宙人だろ?」
「……私には、キミという男がわからないよ、江戸川君。よく、この荒唐無稽な可能性をここまで自信満々に言えるものだ」
「自信はないぜ? あるのは、確信だ。……もし理由を求めるんだったら、まずは宇宙人の前に霊の存在を信じられるくらいの寛大さを持つことだな。そうじゃなかったら、俺の推理を理解する事はできないさ」
「………江戸川和也君、キミの実力はよくわかった。この辞令を正式に通達しよう」
「好きにしてくれ。俺をこんな狭い部屋から出して捜査をさせてくれるんならな」
「それは私が保証しよう。よろしく、江戸川国際捜査官」
コンクリート張りの個室から江戸川が男に案内されて廊下を進む。男が廊下の終わりは非常階段に繋がる扉であった。階段を昇ると、江戸川の見覚えがある地下駐車場に出た。
「ここって、まさか警視庁じゃないのか?」
江戸川の声が地下駐車場に響いた。
「我々も警察だ。協力を得られる所もまた、警察だ。当然なのだが、キミには灯台下暗しだったみたいだな?」
「あぁ。……それで、さっきの続きを聞かせてくれ」
「そうさせてもらおう。来給え」
男は江戸川を駐車場内に止まっているトラックに案内した。彼は貨物の扉を開ける。江戸川が中を覗きこむと、そこは部屋の様になっていた。机があり、パソコンが置かれ、冷蔵庫や流し、トイレも設置されていた。
「警察というよりもどこかの犯罪組織みたいだ」
「国家の枠に囚われない組織の一端であるという意味では同じだな。しかし、彼らが追われる側であり、我々は追う側という違いがある。さ、上がり給え。早速本題に入ろう」
男に促され、江戸川は中に入り、壁に寄せられて固定されている体面式のスチール机についた。男は反対側のパソコンが壁に向って並べられた机の上から、ファイルを取り、彼の向かいに座った。
「数年前から、世界中の著名な科学者、宇宙研究者が行方不明になるという事件が報告された。同時に、その近辺にいた人物も死亡や行方不明、あるいはその容疑者となり逃亡していた。各事件の特徴から、我々は相関性のあるものではないかと考え、捜査をした。結果、短いものでは数週間、長いものでは数年前から、その近辺にいた人物に変化があったらしい」
「変化?」
「違和感というのが正しい。キミは時折周囲に視線を移す事が多いな? 挙動不審ではないが、何もない所に視線を向ける回数が多い」
「……それがなんだ? 不快に感じたか?」
「そうじゃない。癖だよ。今の君の例の様に、人には些細だがどうしても隠せない癖がある。いくら知識や言動に変化がなくても、その人物の癖が変化なくなると、人は違和感をもつものだ」
「そういうものかね?」
「気にするか、しないかは人それぞれだ。しかし、何件かにそうした報告があった。そこで他の事件でも確認を取ったところ、更に同じ報告が引き上げられた。また、その近辺の人物の行動を深く調べてみたところ、疑問点がでた」
「疑問点?」
「空白となる時間が必ず存在した。時間や場所に全く関連性は見つからなかったが、必ず存在していた。そして、我々は一つの可能性に行き着いた」
「成り代わりか?」
江戸川が言うと、男は頷いた。
「そうだ。変装、整形、その気になれば可能な方法だ。その為、我々は該当の人物のDNA鑑定を行った」
「その結果は?」
「同一人物となった。我々は振り出しに戻ったと考えたが、似た内容の死亡事件も並行して調べていたのだが、そこからの報告で共通する言葉が見つかった」
「………バイラス?」
「そうだ。一方で我々がこれまでに調べた結果、事件が最も多い国が日本とわかった。そして、日本でバイラスという単語が報告された事件が起こった」
「河嶋博士の事件だな?」
「あぁ。そして、他の行方不明事件から、バイラスは日本の国家水準向上委員会、宇宙開発プロジェクトに関係している人間に集中している事を突き止めていた我々は、三人の人物に目をつけた。一人はバイラスの単語を報告したキミ。もう一人は現場に居合わせ、尚且つ行方不明となっている結城甲児を探していた探偵の金田九十九。事件に直接的に関係している重要参考人となっている身元不詳の仮面ライダーという人物。我々は最初、金田九十九について調べた。非常に優秀な探偵の様だな? 以前に、キミの友人と呼ばせてもらうが、石坂涼の父親に関する依頼も解決していたそうだな?」
「今、あの話は関係ないだろ? 俺はあいつが優秀な探偵だってことは十二分に理解している」
「そうだったな。……そうしていると、他の人物が国家水準向上委員会に関する事を調べ始める人物が現れた」
「俺か」
「そうだ。その人物が警察関係者であった為、我々はキミを連れてきたわけだ。……しかしその後、別の人物の名前が挙がった」
「綾瀬夏美か?」
「いいや。橘大五郎だ」
唐突に出てきた彼の知る人物の名前に眉を寄せた。
「なんであの親分の名前が出てくるんだ?」
「彼は、今でこそ家業を取り仕切っている極道の人間だが、遂十年前まで国家水準向上委員会の主要メンバーの一人だったんだ」
「何?」
江戸川は思わず机に前のめりになった。男はニヤリと笑い、話を続ける。
「我々は橘大五郎について徹底的に調べた。そして、異邦人についての報告書を見つけ出した」
「異邦人?」
「つまり、今まで我々が話していたバイラスのことだ。約十年前、異邦人こと、バイラスは地球に現れ、橘大五郎とファーストコンタクトをした。報告はその事についてのみで、異邦人のその後については一切不明だ。しかし、地球外生命体という具体的な容疑者が出た為、我々は今まで切り捨ててきた可能性に目を向けた。一つはバイラスが寄生、或いは完全に姿を変えることの出来る能力を有し、対象の近辺にいる人物に成り代わっていた可能性だ。もう一つは彼らの目的だ。彼らの狙いは、侵略行為と考えられる」
「映画みたいな目的だな。確かに、行動からして親睦的な目的ではなさそうだけどな」
「そうだ。そして、彼らの現在の狙いは鉄人28号の開発と考えられる」
「確かに。……ん? なんで綾瀬夏美が容疑者となるんだ? 話を聞いていると橘の親分の方がクロに近いんじゃないのか?」
「橘大五郎は二ヶ月前から都内にある運送会社倉庫を借り上げている。その近くの監視カメラで、仮面ライダーの姿を見つけた。恐らくバイラスと仮面ライダーは敵対関係だ。そして、彼を匿っているのが、橘大五郎。この構図が牽制となって、彼の安全が保障されているのだろう。それと、もう一人別の関係者の姿が映っていた。金田九十九だ」
「あいつが?」
「恐らく、彼は橘大五郎と接触し、彼が仮面ライダーを匿っている事を知ったのだろう。そして、彼に会ったと考えられる。理由を考えた時、仮面ライダーの正体がわかった。同時期、彼が捜索していたのは、結城甲児。恐らく彼が仮面ライダーと考えられる」
「成程な。つまり、事件の関係者である結城甲児を探しており、尚且つ彼の近辺にいた人物、それが綾瀬夏美ってことか」
「そういう事だ。更に、どうも彼女にも空白の時間が存在していた。癖については、まだ調べられていない」
「何故だ?」
「簡単なことだ。彼女がまだいるんだよ。他の事件とは違って、まだ彼女は帝技術開発研究所の開発員を続けている。彼女がまだ何かを狙っているとも考えられる。もしくは、無関係の人物なのかもしれない。だが、調べてみる価値はあるだろう?」
男は机に組んだ手を置くと、挑戦的な笑みを江戸川に向けて言った。