後編


【後編】


 金田九十九の探偵事務所の扉を検死官の石坂涼が叩いたのは、これで二回目になる。
 金田はすぐに扉を開け、石坂を一瞥すると、どうぞと言い、彼女を中へと促した。

「そろそろ来る頃だと思いました。……あ、すみません。冷たいの切らせているんでー」

 石坂をソファーに座らせた金田は給湯器でパックの緑茶を用意しながら言った。今年の残暑は長引き、秋の気配はまだ感じない。

「知っていたの? 江戸川がいなくなった事」
「そりゃね……はい。3週間ほど前にお互いの調べていた事の情報を交換しようと思って、本庁に電話をしたんだ。……特別任務とやらに借り出されて連絡が取れなくなっているらしいね」

 金田は湯呑を石坂の前とその反対側に置くと自分もそこに座った。

「それがあまりにも怪しいんです。携帯は……あいつの場合あってないようなものですが。それにしても1ヶ月以上も連絡が取れなくなったのは初めてです! それに……」
「音信不通になる直前まで江戸川が調べていた事ですね?」
「………やっぱり、あなたと一緒に調べていたんですか」
「いや、関連した依頼と事件があったから情報を共有したって感じかな」
「……河嶋博士と鉄人28号ね?」
「驚いた。そこまで知っていたんですか」
「河嶋博士の検死をしたのが私なのよ。その関係で、彼の死に関わる情報は仕入れてあるわ。……鉄人計画は?」
「その名前に聞き覚えはないですね。それは?」
「わかりません。江戸川が敷島博士の霊を視て、得た単語みたいで、それを調べていたみたいです」
「石坂さんがわかる江戸川の最後の足取りは、どこですか?」
「多分、国会図書館です。きっと鉄人28号や鉄人計画に関わる資料があるはずだって、私と別れる前に言っていました」
「………国会図書館か」
「調べるんですか?」
「一応行きますが、今行った所で、ピンポイントの資料がない限り見つけることはできないでしょうね。……江戸川は見つけるつもりだったと思うけど」
「……確かに」

 二人は苦笑した。そして、石坂は金田を見て言った。

「あいつなら、きっと好き勝手やってるはずです。……でも、手綱は確りと持っていないといけませんからね」
「わかってます。石坂さん程ではないですが、僕も彼とは長い付き合いですから」
「……そうね。依頼料のシステムは昔と同じかしら?」
「………えぇ。あの時と同じです」

 金田は少し悲しげな笑顔を浮かべて答えた。石坂はそれを気にしない様子で依頼料を彼に差し出した。
 領収書を受け取り、石坂はお辞儀をして、扉を開いた。

「……あ」

 扉から雑踏の音が流れ込んできた時、石坂が小さく声を上げた。湯呑を片付けようとした金田の手が止まる。

「ん?」
「毎年、命日に花が2つ供えられています。………また、依頼をさせて下さい。一言、お礼が言いたいので…」

 金田が扉の前に立つ石坂を見ると、彼女は顔を彼に向けずに言った。

「……この依頼が片付いたら」
「………よろしくお願いします」

 石坂はそれだけ言い残すと、事務所を出て行った。
 金田は黙って湯呑を片付け始めた。






 

「流石に一ヶ月前のことですよね? その日は俺が当直してたけど覚えてないなぁ。貸し出し記録がなきゃわからないからね」
「監視カメラの記録は残ってるんじゃないですか?」

 国会図書館の守衛室で警備員の中年男は薄い頭を手で拭いながら言った。彼から江戸川の写真を返された金田は、ボソリと言った。
 彼の顔が渋くなる。

「ダメだよ。最近は色々と厳しいんだから」

 そう言いながら、彼は金田が渡した缶ビールの袋を机の陰に隠す。
 金田は頬を軽く掻くと、鞄の中を探る。

「別に俺はケチで渋ってるんじゃないんだぞ? 無理なものは無理って奴なんだよ……」

 彼は灰皿を自分の近くに寄せて言う。腕と足を組んで梃子でも動かないという意思表示をする。
 金田は鞄から煙草箱を取り出し、一本出して彼に差し出す。

「お、悪いね」
「箱ごとどうぞ。……どうしても無理ですかね?」
「…! そ、そうだなぁ……やるだけならやってみるかな?」
「ありがとうございます」

 金田は笑顔で頭を下げた。頭を下げられた中年男は、煙草一本をくわえると目を泳がせながら畳まれた茶色い紙が裏に挟まれた煙草箱を上着にしまった。








「兄ちゃん、このどれかだよ」

 奥から戻ってきた中年男はビデオテープの束を渡した。

「そこの使って良いけど、さっさとすましてくれよ。バレたらマズいんだから」
「はい。………ここは一度に五本再生できるんですね?」
「あぁ。別にそんな無茶はしなくていいよ」
「いえ、一度に全部見れたら楽だなと思いまして」
「え?」
「いえ、大丈夫です。このビデオデッキ、性能が良いみたいなので、早回しで見れそうですから」

 金田は笑顔で言うと、五本の監視映像を早回しで再生を始めた。そして、金田は椅子にもたれると半目状態で呆然と映像を見る。
 背後で中年男も映像を眺めるが、同時に五つの画面で早回しで映される映像には何人もの人間が目まぐるしく動く。彼には一つの画面でも精一杯だった。

「いた!」

 金田は声を上げると全ての映像を止めて、一つを逆回しする。やがて江戸川が歩く姿が映った。
 そして、映像をゆっくりと再生する。江戸川は書庫内の廊下を進み、映像から消えた。

「この先の場所を映したビデオは?」
「確か………こっちのテープだ」

 金田は中年男からテープを受け取ると、先ほどの映像と同じ時間まで映像を進める。

「いた」

 映像に江戸川が映り、棚を調べる。若干、角度が悪いが、江戸川が棚の本を片っ端から探しているのがわかる。
 金田は映像を早回しにする。江戸川は長い時間、様々な本を調べていたらしい。やがて、彼は床に本を投げ出した。

「……ここからか」

 金田は再び再生速度をゆっくりにさせる。
 江戸川は顔を廊下側に向けて何か言葉を発している。

「何だ? 誰かいるのか?」
「あぁ。……多分、河島博士だ」
「?」

 中年男が怪訝そうな顔で映像を見つめる中、江戸川は歩き、棚の中から一冊の本を抜き取った。
 少し本の眺めると、江戸川は他の本を棚に戻し、本を持って閲覧所へ向かった。
 金田は既にデッキに入れられていた閲覧所の映像を進めた。江戸川が現れ、本の中身を眺め始めた。
 しばらくすると、江戸川の後ろに黒いスーツ姿の男が立ち、江戸川は振り返った。カメラに対して背を向けている為、背格好から男と判断できるが、顔はわからない。
 そして、江戸川は本を持って、男の後に付いていった。
 金田はすぐさま続く映像を探したが、全て死角を歩いたらしく、江戸川も男の姿もはっきりと確認することはできなかった。

「……出入り口の映像には江戸川の姿も男の姿もないか。出入り口を使わずに外へ出る方法ってありますか?」
「そりゃ関係者用の通路とかもあるけど」
「つまり、江戸川と一緒にいた男は関係者か、通路を使用できる人間か……。ありがとうございます」

 金田は中年男に礼をした。

「いや、俺は別に構わねぇけど……。どういうことだ?」
「簡単な話ですよ。予想以上に厄介な存在が関与しているってだけです。……さっきの棚、どこにありますか? 一応、ダメ元で確認してみるので」

 金田は、ビデオデッキから取り出したテープの束を中年男に手渡すと言った。





 
 

 翌日、都内某パチンコ店の地下に金田の姿があった。

「そんな所に突っ立ってねぇで、座んな」
「はい」

 ソファーにどっしりと座る橘大五郎に言われ、金田は彼の向かいに座った。

「んで、今度は儂に何の用だ? さっさと用件を言いな」
「はい。国家技術水準向上委員会と鉄人計画についてです」
「なんでニィちゃんがそれを調べてる? まだこの間の調査を諦めてないのか?」
「別の依頼です。先月、河島博士が亡くなりました。博士の経歴を詳細に調べたんです。そして、国家技術水準向上委員会に彼が所属していたことを知りました。その名簿の中に橘さんの名前を見つけました」

 国会図書館には江戸川が読んだ本は残されていなかった。その為、金田は河島博士の経歴を調べることにしたのだ。
 橘は扉の前に控える男に目配りをする。彼は廊下に出た。部屋には金田と橘の二人になった。

「政府関係者だったんですね?」
「遠い昔の話だ。今の儂は老舗極道一家を従えている只の爺だ。それに国家技術水準向上委員会はとっくの昔に解散されている」
「鉄人28号を開発する組織が新たに存在しているのではないですか? 仮面ライダーも、その一つ……」
「アイツは違う」
「つまり、組織は存在するんですね?」

 金田が指摘をすると、橘は溜め息をついた。

「あぁ、宇宙開発プロジェクトと呼ばれる。名前のままの組織で、国家技術水準向上委員会の後を継ぐ形態をとっている。そして、その要となる計画が、鉄人28号開発プロジェクトだ。宇宙の如何なる悪環境でも作業を行う事を可能にするロボットこそ、鉄人だ。もっとも、儂は抜けた人間だがな」
「……バイラスとは何者なんですか?」

 金田は改めてバイラスの名前を出した。今度は、以前と違い彼の眉が動いた。

「ニィちゃん、聞く以上は後に引けなくなるぞ?」

 橘はジッと金田を見て聞いた。金田は頷いた。それを確認すると、彼はゆっくりと口を開いた。

「早いものだ。間もなく10年になる。儂は本来ならば人類史に名を残す出来事に遭遇した。かつての地位を捨てて、この位置に今いる理由も、あの出来事があったからだ。バイラスは、異星人の名前だ」
「! 宇宙人という事ですか?」

 金田は目を丸くした。単純に突飛な内容である事への驚きではない。以前、自分自身が一瞬でも考えた事であった為の驚きだ。

「あぁ。しかし、儂らはバイラスを異邦人と称した。その存在は以前から囁かれていた。国家技術水準向上委員会の中にも地球外生命体との遭遇、捜索という案が存在していた。その遭遇者第一号……ファーストコンタクトをした人間が儂だった」
「河島博士も?」
「直接遭ったのは、儂だ。河島博士はその報告、そして後に組織された宇宙開発プロジェクトに関わり、鉄人28号の設計を担当した人間ということに過ぎない」
「バイラスの目的は?」
「わからん。だが、儂はバイラスに直接遭って悟った。奴らは敵だ。しかし、誰一人聞き入れられなかった。そして、儂は組織を抜けた。最近になって、儂の悟った敵意が本物であったと知った」
「……仮面ライダー、結城さんですね?」
「あぁ。奴らは宇宙開発プロジェクトを知り、鉄人28号の開発を乗っ取ろうしているらしい」
「鉄人28号はどこで造られているんですか?」
「その答えは俺の口から話します」

 突然聞こえた声に金田が振り向くと、傷だらけの仮面ライダーの姿でヘルメットを外した結城甲児が扉の前に立っていた。






 

 結城が金田と橘の前に現れた数時間前、江戸川和也は帝技術開発研究所の駐車場出口が見える路地に停めている車の中にいた。彼は運転席に座っており、同乗者はいない。

「……全く、俺は探偵じゃなくて刑事なんだぞ」

 江戸川はぼやきつつ白いコンビニのビニール袋に左手を突っ込み、市販品の三個入りのあんパンを掴み取ると、その袋を開いてあんパン一個を咥える。
 通常張り込みを一人で行う事は一般的ではない。買出しやトイレなどで対象を長時間片時も目を離すことのないようにするという事は不可能であるからだ。
 しかし、彼は今その不可能な張り込みを半日以上もしている。対象人物の行動は大まかに掴んでいた事もあり、必要な買出しは事前に済ましていた。それらは現在車の後部座席にゴミとなって複数のビニール袋の中に入っている。そして、トイレなどの生理現象に関しては彼の刑事としての特性と文明の進歩によって克服していた。刑事という不安定な生活リズムによって、睡魔や便意、尿意はある程度コントロールできるようになっており、一番我慢する事が難しい尿意は市販の簡易式トイレで解決させた。それでも、半日で使用は一度のみである。
 そして、もう一つ彼にだけができる最終手段がある。

「まだ中にいるんだよな?」

 江戸川はフロントガラスの先を見つめて言った。彼の視線の先に人影はなく、大通りに出る交差点が見えるだけである。しかし、彼はすぐに満足した表情で頷いた。
 彼は霊視を利用して、対象の様子を確認しているのである。勿論、彼は霊の声を聞く事はできないので、向こうの反応でイエスノーの判断をしているのである。
 江戸川は二個目のあんパンを口に頬張ると、同じ袋から紙パックの牛乳を取り出し、ストローを差し込む。
 口に残ったあんパンの甘さを薄める様に牛乳を飲む。あんパンと牛乳の組み合わせを考えた人間はエジソン並に偉い人などと考えながら喉を鳴らしていると、駐車場から目当ての車が出てきた。
 慌てて牛乳をドリンクホルダーに突っ込むと、江戸川は車のアクセルを踏んだ。
 彼の尾行相手は、綾瀬夏美であった。
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