前編




 バイラスと名乗った女性は、鉄人28号の設計図を持って研究所を後にしようとしていた。
 地下駐車場にあるスポーツカーに乗ると、一気に加速し、駐車場の出口に向かった。

「ん?」

 駐車場の出口には、一台のバイクが止まっていた。

「馬鹿め」

 彼女は更にアクセルを踏み込んだ。車は轟音を立てて、バイクに迫った。
 バイクは間一髪のところで、車を回避し、その後を追う。




 

 

「大丈夫ですか? 江戸川、救急車を!」
「おう!」

 河嶋博士は車のボンネットの上に倒れていた。全身から血が流れている。
 朦朧とする意識の中、夜の闇の中で赤い光が時折見える。自分が警察の車両の上に落ちたのだと気がついた。

「名前、言えますか?」
「あぁ、河嶋……だ」
「河嶋さん! 待ってて下さい、今救急車が来ます!」

 男が河嶋博士に言った。しかし、自分の命よりも、彼には伝えなければならない事があった。彼は、男の服を掴み、彼の耳を自分の口元に引きよせる。

「て、鉄人の………28号の、設計図が………盗まれた………バイラ……ス」
「バイラス!」

 男はひどく驚いた様子だった。心当たりがあったらしい。河嶋博士の意識は、そこで深い闇の中に落ちて行った。





 
 

 一方、新宿副都心を二台の車両はカーチェイスを繰り広げていた。
 逃げるスポーツカーは交差点で、ドリフトをして距離を稼ぐ。しかし、バイクも直線ですぐに盛り返す。
 スポーツカーはさらに交差点で曲がった。バイクも後を追う。
 しかし、突如二台の間に犬が飛び込んできた。

「ッ!」

 バイクは素早くハンドルを切り返し、犬を回避する。直後、バイクに衝撃が走った。振り返ると、犬の肩から小型自動小銃が突き出ており、そこから弾が放たれていた。
 なんとか、バイクはバランスをとり、アクセルをフルスロットルで吹かし、その場から離れようとする。しかし、改造犬はバイク顔負けの初速度で襲いかかってきた。

「ちっ! 犬がぁ!」

 素早くライダーは、ブレーキとクラッチを操り車体の後部を持ち上げ、後部タイヤで改造犬をぶつける。転がる改造犬だが、すぐさま銃撃をし、さらに噛みついてくる。

「しぶといな………トゥ!」

 ライダーはバイクを転回させ、その反動を使い、改造犬に左腕の裏拳をくらわせる。
 吹っ飛ぶ改造犬。ライダーの左手の手袋が破け、その下から皮膚ではなく銀色の金属が見える。

「犬、お前と俺は同じだ。だが、戦う以外には道がないというのであれば、俺はお前と戦おう」

 ライダーは昆虫の頭部の様なヘルメットを被ったままバイクから降り立った。
 改造犬は遠吠えをすると、全身を変形させた。足からは爪の代わりに金属の刃が伸び、割れた背中からは二基のブースターが現れた。

「それがお前の本来の姿か。ならば、俺も改造人間として戦おう」

 ライダーは上着を脱ぎ捨てると、銀色の左腕が現れ、その腕を構えた。そして、腕を動かしながら彼は叫んだ。

「変……身っ!」

 ヘルメットの眼は青白く光り、露わになっていた顎にもシールドがかかる。更にヘソから現れた球状のバックルから、胴をベルトが周る。銀色の腕は、緑色に変わり、肩と肘からは赤い刃が現れていた。

「さぁ、かかってこい!」

 改造人間、仮面ライダーの言葉と共に、改造犬は飛びかかってきた。同時に銃撃も襲う。
 ライダーは素早く銃撃を回避した。しかし、改造犬はライダーの左腕に噛みついた。

「………どうした? 歯も立たないのか?」

 改造犬の歯は腕に一切食い込まず、更にライダーが気を張ると、歯が砕け、改造犬は投げ飛ばされた。
 遠くからサイレンの音が近づいてきた。

「これ以上、時間をとられるわけにはいかない。………大、切、断!」

 ライダーは飛びかかると同時に肘の刃を立て、改造犬を一刀両断した。
 刹那、改造犬は自動自爆装置が作動し、爆発した。






 

「結局、バイラスも、鉄人28号も、仮面ライダーもわからずだ」

 江戸川は憮然とした様子で、探偵事務所のテーブルに足を投げ出した。

「江戸川、後でテーブル拭いてくれよ。………その鉄人の設計図を盗みだしたとされる研究員の女性はどうなんだい?」

 金田は自分のイスに座って言った。江戸川は表情を変えずに答える。

「雲隠れ。車とバイクが新宿の道路でカーチェイスを繰り広げていたのはオービスからもわかっているんだが、途中でライダーはいなくなり、車も次の交差点以降行方不明。挙句、爆発が起きて、現場に行くとわずかな金属片を残して何もなし。爆発物がどんなものかも不明。仮面ライダーとの関連もわからずだ」
「仮に、行方不明になっている女性がバイラスと呼ばれる存在であったとして、仮面ライダーはバイラスと敵対していると考えられるのか」
「それはわからない。オービスに残っていた写真とATM前の監視カメラ映像からの推測だ。もしかしたら、グルかも知れない」
「仮面ライダーの被害者はわかっているの?」
「殆ど不明だ。ただ、3人は捜索願いでの情報との一致がいくつかあって、ほぼ間違いないとされている」
「それ、誰だかすぐにわかる? 多分、その被害者が、バイラスだ」
「………一晩待ってろ」

 そう言うと、江戸川は立ち上がり、事務所を後にした。






 

 翌日、江戸川は昼過ぎに事務所にやってきた。

「遅くなった。………少し、お前の言っていることを信用してもいい気がした」

 彼は金田の机にファイルをばらまくと言った。

「………生物工学者、動力技術者、自動車整備工場技師。皆理系、しかも工学系の技術者とかが狙われているようだね。しかも、面白い事に、身近にその道の第一人者や天才と呼ばれる人がいる」
「あぁ。警察は仮面ライダーが彼らを狙った動機に、その天才達が関係すると考えている」
「僕には、仮面ライダーは彼らをバイラスから守るために戦っていると見えるんだけどな」
「それは現実的じゃないな。大体、その理由がわからない。ボランティアで殺人犯になる正義の味方なんて聞いたことがない」
「……でも、テレビのヒーローってそういうものじゃないかい? 悪の怪人を殺しているんだから」
「納得はできないな」
「………まさかな」
「どうした?」

 一人苦笑する金田に江戸川が聞くと、彼はかぶりを振って言った。

「いや、いくらなんでも空想が過ぎる推理だった。……可能性としては、自らや身近な人間に何らかの危険がある場合なら、正義のヒーローも実在しえるんじゃないかな?」
「偽善だな。それよりも、俺達は目下敷島博士殺害容疑者の捜査だ。悪いが、例の行方不明者の捜索は協力できるが手伝うことはできない」
「それは予想しているよ。……僕はバイラスを調べてみるよ。後、鉄人28号についてはそっちでも捜査してみる事をお勧めするよ」
「それは、名探偵の勘か?」
「うん。冗談の話が、本当か否かがわかると思うよ」

 金田は涼しげな顔で言った。江戸川は、暑さで頬を汗が伝っていた。






 

「バイラス? ……初めて聞く名前だな。少なくとも関東一円にそんな名前の組織は存在しない」

 都内某パチンコ店の地下室で、金田に大柄の男は答えた。彼は名前を橘大五郎といい、都内の老舗極道一家の長をしている男で、金田は以前扱った事件で知り合い、時折情報を得る為に訪ねている。
 広さ八畳ほどの一面コンクリート張りの地下室は、応接用の調度品が取りそろえられ、冷房も効いている。彼ら2人以外に部屋には、出入り口の扉の前に正装した男が一人、控えている。

「……そうですか」

 彼の反応を少し見て金田は言った。観察眼に優れている金田であるが、この橘という人物の変化は中々見抜けない。

「あぁ。儂の目が黒い内に勝手に組を作るなんざ不作法をゆるしゃしねぇよ」
「………仮に、それが俗にいう秘密結社や、犯罪組織であった場合は?」
「なかなかニィさんも根性が据わってきたな。……そうだな、秘密結社となると流石に、ウチらとはモノが違う。畑違いってこった。………だが、犯罪組織と並べて言うってことは、それなりに事件あっての質問なんだろ? 交換条件だ、話せ」
「僕はそのつもりで来ています。………では、仮面ライダーという犯罪者の噂は御存知でしょうか?」

 金田が前屈みになって質問をすると、橘の顔つきがはっきりと変わった。

「ニィさん、仮面ライダーの事を調べてんのか?」
「御存知ですね。バイラスと仮面ライダーは、何らかの対抗関係にあると考えています。仮面ライダーと考えられる犯罪も、バイラスが関わっていると考えています」
「………帰ってくれ」
「え?」
「もし、これ以上儂の前で仮面ライダーについての質問をするなら、この部屋から帰せなくなる。意味が、わかるな?」

 彼が言うと同時に、扉の前にいた男がスーツの懐に手をかける。小さくカチッという音が聞こえた。

「……なぜ、何故ですか? なぜ、貴方が仮面ライダーを?」
「おい、お客様がお帰りだ!」

 橘の一声で、スーツの男が金田を出口に促す。金田は橘の顔を見た。彼が小さく呟いたのを金田は聞き逃さなかった。

「人間までアイツの敵にする訳にはいかねぇ」






 

「珍しいわね。あんたがこんなところで腐っているなんて」

 夕方、飯田橋の喫茶店で江戸川がコーヒーを飲んでいると、石坂が声をかけた。

「………」
「なによ。わざわざ呼び出されてるのはこっちなんだから、そんな顔される筋合いはないわよ」
「仮にも男から待ち合わせの声をかけられれば、普通はもう少し化粧をするとか服を着替えるだとかするだろう?」
「白衣を着てこなかっただけありがたく思いなさい。大体、呼び出しの連絡に、司法解剖の資料を持ってきてほしいと言って、色気を求められる方が間違っているわよ」

 彼女はウェイトレスの女性にコーヒーを注文すると、彼の向いに座った。そして、即座に鞄からファイルを出した。

「死因は昨日報告した通り、落下の際にあんたの車にぶつかった事による内臓破裂。他には、圧迫痕がいくつかあったけど、それは書見にも残したはずよ?」
「あぁ。だが、俺はあの結論に納得していない」
「何を視たの?」

 石坂は怪訝そうな顔を江戸川に聞いた。

「違う。ただ、気になっているんだ。この事件は」
「ふーん。あんたも、普通の刑事らしい事を言うようになってきたわけだ。………でも、解剖書にも書いて結論の通りよ」
「何故だ?」
「簡単な物理の話よ。遺体の落下点が遠過ぎるの。もし事故や殺人の場合なら、被害者は窓ガラスと同じ様にほとんど垂直に軌跡を描いて落下する」

 石坂は指を上から下に動かす。

「しかし、今回の落下点に被害者が落ちるには、軌跡は放物線を描かなければならない」
 今度は上から斜め下に向かって指を動かす。
「初速度がないといけないのよ。自殺の場合は、自らの意志で落ちるから、窓枠を蹴るとかの初速度をつけられる」
「他殺の可能性は?」

 江戸川が聞くと、彼女はウェイトレスからコーヒーを受け取り、砂糖を入れながら答える。

「そうね。容疑者の女性がヘビー級のプロレスラー並の筋力があるとか、現場にカタパルトがあれば不可能じゃないわね」
「………そんな阿呆な話があるかよ」
「なら、自殺ね。大方、何とかって設計図が盗まれて、そのショックで衝動的な投身自殺をした。そんな所よ」
「ウチの課長と同じ事を言うな! 第一、事件の結論を出したのが俺達でなく、上のやつらが決めてるって事が気に入らない」
「圧力に反発する歳でもないでしょうに」

 石坂は溜め息混じりにコーヒーを啜る。

「どうもおかしいんだ。自殺の可能性を示唆する検死結果が出る前から、俺達の捜査を打ち切らせてきた。そして、検死結果に飛び付いて、早急に事件を自殺で終わらせようとしている」
「……そうなると、例の被害者が言っていた設計図が怪しいわね」
「鉄人28号かぁ………!」

 突然江戸川が眉を寄せ、険しい目付きを石坂の背後にある花壇に向けた。彼女も振り返るが、パンジーの植えられた花壇があるのみだった。

「視えるの?」
「あぁ。鉄人28号の名前を出したら突然、河嶋博士がな。………て……つ…じん。………え…い…か……く。鉄人計画だな?」
「聞こえるの?」

 石坂が目を見開いて聞くと、江戸川は花壇から視線を逸らさずに答える。

「いや。読唇術を囓ったんだ。伝えたい思いが強い霊だと、言葉も発しているらしい。もっとも、俺には聞こえないが、唇を読む事ができればメッセージを受け取れると思ったんだ。初めて読めたがな」
「ふーん」

 石坂は感心したといった雰囲気で何度も頷いた後、江戸川に聞く。

「鉄人計画、調べるの?」
「あぁ。間違なく、それが河嶋博士殺害の動機だ」
「でも、もう殺人事件として捜査する事はできないわよ?」
「捜査する手段はいくらでもある。傷害容疑、窃盗、失踪者捜索……。これは、俺のヤマだ」

 石坂に言い切る江戸川は、その瞳の奥までまっすぐ彼女を見つめていた。一切の曇りもない意志を持った時の彼は、昔からその目をする事を、彼女は子どもの時から知っていた。
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