後編




 爆発音と空を一瞬彩った閃光に金田達も気がついた。

「今のは?」

 橘の側近が眉を寄せて険しい顔で言った。

「少なくとも、花火じゃ無さそうだ」

 橘が腕を組んで言った。

「いや、戦闘機だ。宇宙船にやられたみたいだな」

 冷静に告げたのは、携帯電話画面の照明に顔が照らされている江戸川だった。携帯電話をしまいながら、彼は続ける。

「今、上司からメールが届いた。偵察機が落とされたらしい。多分、そろそろ……」

 江戸川の言葉が言い終わる前に、頭上を轟音が通過した。次の瞬間、再び閃光と爆音が空に轟く。

「迎撃が始まった」
「ミサイルか。……熱源じゃないな。時限式にしたな」

 橘が言った。彼の口調に恐れや不安は感じ取れない。むしろ、この状況を楽しんでさえいる様であった。

「それよりも、こっちに集中して欲しいですね!」

 鉄人をリモコンで操る金田が言った。少し口調に怒りが篭っている。
 彼らは金田の視線の先を見た。
 摩天楼と表現の出来る新宿の高層ビル群の中を、鉄人とバイラスが闘う。
 バイラスの触手が鉄人の体を突き刺そうとする。しかし、鉄人の剛堅な装甲は傷すらつかず、逆にその触手を握り掴んだ。そのまま勢い良く腕を振るった。触手に引っ張られ、バイラスの巨体が高層ビルに激突する。砕け散った窓ガラスとコンクリートの破片が地面に散らばる。

「優勢じゃないか!」

 江戸川が嬉々として金田の肩を叩いて言ったが、彼は首を振った。

「いや、五分五分だ。今宇宙船の加勢が入ったら、負ける」

 金田の言葉は事実であった。バイラスは体の起こし際に、触手を鉄人の右腕に絡めた。

「ちっ!」

 金田は舌を打つと、鉄人の身を翻させ、バイラスに後ろを取らせまいとする。しかし、バイラスは柔軟な触手を使い、更に鉄人の左肩から胴へと斜めに触手を絡ませた。
 そのまま後ろを取ると、バイラスはジリジリと鉄人の右腕を後ろへ引っ張り始めた。鉄人の肘が軋む。

「間接技かよ! 卑怯だな!」

 江戸川が野次を飛ばすが、当然ながら当のバイラスに聞こえるはずもない。

「どうします? このままでは……」

 結城が右手の拳を握り締めて金田に言った。自分が加勢すると、言葉にこそ出さないが、彼の目はそれを訴えていた。
 金田は首を振った。口にせずとも、結城自身にも理解できていた。左腕を失い、腹部には穴が開き、ヘルメットも破損している。既に彼は戦える状態にはなかった。
 しかし、彼らが問答をしている余裕もなかった。身動きが取れない鉄人の右肘は既に限界まで伸ばされていた。

「あん?」

 切迫した状況に不釣合いの素っ頓狂な声を唐突に上げたのは江戸川であった。皆の視線が彼に集中する。

「江戸川、何が視えたんだ?」

 他の面々とは違い、彼の事をよく理解している金田は的確な質問をした。
 江戸川は何もない道路の真ん中辺りを見つめる視線を外さずに答えた。

「綾瀬夏美だ」





 
 

 江戸川は唐突に現れた綾瀬夏美の霊に釘付けになった。もっとも、彼の知る限り、地縛霊以外の霊はいつも唐突に現れたり、消えたりするものなのだが。

「夏美だって?」
「あぁ」

 結城が大声を出して聞く。江戸川は特に他の言葉を発することなく答えた。
 綾瀬の霊は、黙って前方にいる鉄人とバイラスを見つめていた。江戸川に気がついたのか、首だけを横に向け、彼と視線を合わせた。
 黙って見つめる江戸川に、彼女はその顔に何も意思を表すことなく、空を見上げた。
 江戸川も彼女に釣られて、空を見上げた。爆撃による煙幕も流れ、綺麗な満月が再び姿を現していた。

「空……」

 江戸川は一言だけ呟いた。

「そうか! 宇宙だ!」

 そのたった一言に食いついたのは金田だった。彼は江戸川の両肩を掴み、何度も頷いた。

「そうだ、それがあった! よし、鉄人!」

 全く理解できていない江戸川の肩から手を放すと、金田は鉄人を見て声を張り上げた。
 同時に、鉄人の背中に搭載されているロケットが噴出した。鉄人はバイラスに縛られながら空へ飛び上がった。

「なっ!」
「飛んだ……」

 驚く他の面々とは正反対に、金田は余裕の笑みを江戸川に向ける。

「ありがとう」
「いや、俺には何が何だか………」

 江戸川は当惑する。

「橘さん、鉄人は宇宙開発を目的に生み出された。という事はあのロケットの力は宇宙にも行けますね?」
「宇宙? 流石にそれは物理的に不可能だ。精々、鉄人の頭部当たりにもう一基ロケットが付いて、多段式にしねぇとな。アレはあくまで宇宙活動用のモンだ。地上からじゃ、行けても熱圏……、いや中間圏が限界だな」
「中間圏というのは気温が急激に下がる大気圏ですよね? それなら十分です」

 金田は笑った。しばらく顔をしかめていた橘であったが、はっとして空を見上げた。

「そうか!」
「一体、何が……?」

 満面の笑顔になった橘に、側近が不安そうな表情で聞いた。橘は彼に視線を移して説明する。

「簡単なことだ。バイラスはアレだけデカくて、力も強いが、体自体の強度は地球人とさほど大きく変わらない。硬いといっても、銃弾も通じるし、日本刀で切れる。宇宙船を使っているという事は、大気が無ければ生きられないし、あの機密性の高さからして、低温に対する耐性は地球人と変わらない。当然、人間が死ぬ様な環境では、バイラスも死ぬ。凍死か、窒息死かはわからねぇがな」
「………あ」

 橘の説明を聞きながら、江戸川は再び視線を綾瀬の霊に戻した。彼女は空高く上がっていく鉄人とバイラスを見上げて、嘲笑と取れる表情を浮かべていた。
 暫らく江戸川が見つめていると、彼女は満足したという様な表情を一瞬浮かべ、姿を消した。消える瞬間、彼女の顔はエレベーターで江戸川に見せたバイラスの顔になっていた。

「どうした?」

 金田が江戸川に気付き、聞いた。

「あの霊、俺は成り代わる為に殺された本当の綾瀬夏美だと思っていた。……だが、違った。あの綾瀬だった。……それに、アイツは空に上がる鉄人とバイラスを見て嘲笑っていた」

 江戸川は狐につままれた様な顔で言った。






 

 中間圏まで上昇した鉄人とバイラス。バイラスは鉄人の肘を折り、右腕を奪って逃れようとした。
 しかし、鉄人はバイラスの触手を左手で掴んで離さない。その左手に霜が降りてくる。バイラスも同様だ。
 始めは暴れていたが、鉄人のロケットの燃料が尽きた時には、完全に凍りついていた。
 そして、上昇を続けていた鉄人達は一度止まり、一気に下降を始めた。今度は重力の加速も加わり、大気との摩擦で凍りついた表面から熱が帯、瞬く間に燃え上がった。この時、鉄人とバイラスの根本的な差が運命を分けた。
 生身であるバイラスは激しい燃焼に耐えられず、やがて燃え尽きた。
 しかし、超合金で作られた鉄人は高熱を帯びながらも、燃えることも溶けることも無く、赤白く発光しながら、夜空に流れる。
 そのまま、鉄人は東京湾に向かって墜落しようとしていた。
 しかし、その時、鉄人に最後の指令が下った。
 鉄人の眼下を、戦闘機を追撃する宇宙船が通過する。鉄人は左腕を背中に回し、拳を握りしめると、思いっきり背中のロケットを叩き潰した。飛行する為に必要な燃料は既に尽きているが、起動や残っていた僅かな燃料がロケット内に存在していた。
 刹那、ロケットは爆発し、落下する鉄人の軌道はその衝撃で変わった。
 超高温に熱せられた鉄人の巨体は、真っ直ぐバイラスの巨大宇宙船に体当たりした。東京湾上空に、爆撃が騒々しかったその夜の中でも、一際大きな爆発音が轟き、閃光が空を明らめた。
 鉄人は宇宙船の破片と共に、東京湾に落ち、沈んでいった。宇宙船への体当たりが落下時の衝撃を吸収し、大きな津波を発生させる事も無く、地球人を救った鉄人28号は無言で東京湾の海中にその身を沈めたのだった。






 

 夜風が少し肌寒くなってきた。開いていた上着のボタンをとめながら金田は、長引いた夏も遂に終わった事を実感した。
 彼のいる品川の埠頭は、まだ夜の活気が冷めていない駅周辺とは対照的に、暗く静まり返っている。彼の耳に届くのは、船の警笛と堤防に打ち付ける波、そして自分の足音だけだ。

「あ、クラゲだ」

 金田が岸の際に佇む人影に近づいていくと、人影は海面を眺めて呟いた。彼の右足は係船柱に乗せていた。

「何やってんだよ、江戸川」

 金田は呆れ顔で人影、江戸川に言った。近づくと彼の顔もはっきりと見えた。

「埠頭へ来たら、やらなきゃならないだろ?」
「それが世界を叉に掛ける国際捜査官の発言かよ」

 金田が言うと、江戸川は違いないと言いながら苦笑して足を係船柱から下ろした。

「やっと落ち着いてきたってところだな」

 江戸川は上着で羽織っているトレンチコートのポケットに両手を突っ込んで、海を見つめて言った。

「そうか。……結城さんのこと、聞いた?」
「あぁ。この前、橘の親分と会った時にな。……あの人はこれから一生、いるのかもわからない敵と戦い続ける道を選んだんだ。俺も、俺に出来る方法でやっていくつもりだ」

 言い終わると江戸川は笑った。
 バイラスとの戦いから、まもなく一ヶ月が経過しようとしていた。日本は愚か、世界中がこの一ヶ月間、混乱の渦中もあった。その中には犯罪や戦争に発展しそうな重大な問題などもあったらしいと、金田の耳にも入っていた。何にしても、江戸川が言うとおり、世間は人類史上初の大事件を受け止め、前に歩き始めている。新宿も復興が始まっており、ニュースの話題も侵略宇宙人から、復興事業にまつわる政治的な問題などの方が多くなってきた。
 しばらくは金田自身も関係各処から事情を聞かれ、殆ど拘束に近い状況に置かれていた。事務所に帰って、まともに椅子に腰掛けられたのは、つい五日前の話である。
 橘は十日程前に会見を開き、今回の顛末について自分の知る全てを公にした。現在は、壊滅状態となった極道一家の再建、再興の為に動いている。
 結城は、戦いが終わった直後から行方を晦ませていた。しかし、五日前、金田が事務所に戻って一息入れていると、扉をノックする音が聞こえ、結城が事務所に入ってきた。彼の腹部の穴は金属板で塞がれており、失った左腕は義手をしていた。彼は金田に一言別れを告げに来たと言った。彼は、バイラスが全滅したとは考えていないと言う。その為、旅に出て、地球中を回り、バイラスを探すと言った。そして、ありがとうございました、と一言だけ告げると彼は事務所を出て行った。それ以降、彼の行方は誰も知らない。
 そして、江戸川はそのまま国際捜査官となる事を決めた。人伝に話は聞いていたが、当人に会うのも、連絡を受けたのも金田はこの夜が戦い以来となる。彼も彼なりに、バイラスの残党が世界の何処かにいないか調べるつもりらしい。

「明日、とりあえずベルリンの本部に向って発つ。それからはどこへ行くかわからない」
「日本に帰ってくるのは?」
「わからないな。だが、必ず年に一度は帰ってくる」
「石坂さんのお父さんの命日だね?」
「あぁ。……そうだ、石坂の事、気にかけてくれ。しばらくの間、俺は約束を守れそうにない」

 海から金田に視線を移すと、江戸川は真剣な眼差しで彼の目を見て言った。

「わかった」

 金田は力強く頷いた。以前、彼らが石坂の父親の事件を解決した時、江戸川は彼の霊から彼女を自分の代わりに守ってほしいという意思の篭った視線を注がれたことがあった。彼の言う約束は、そのことであり、その場にいた金田も十分に江戸川の想いを理解して、彼の頼みを受けた。
 そして、二人は鉄人28号が眠る東京湾を見つめた。

「そういえば、何故あの時、綾瀬の霊は現れたんだ? まさか、結城に情が移った?」

 不意に江戸川が言った。

「それはどうかな」

 金田は苦笑する。確かに、発言した江戸川自身もそれは違うと思った。

「じゃぁ、お前は何故だと思うんだ? 綾瀬があの時現れた理由を」
「理由ね……。多分、それは」

 少し思案すると、金田はゆっくりと空を見上げた。今晩はあの晩と同じく、綺麗な満月が夜空を照らしていた。
 そして、彼はポツリと呟いた。

「月が美しかったから」




『終』
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