第一章 出現
「ミジンコ君、港へ行ってもらえないかい」
大戸島の子ども達への学芸教育の一環である観察教室を終えた三神小五郎の元に近づくなり、所長は言った。ミジンコとは彼のあだ名だ。
「何かあるんですか?」
三神は器具を片付けながら聞いた。
「ここにアメリカの新聞記者さんが取材に来る事になったんだよ」
ここというのは、彼らが今いる国立大戸ゴジラ博物館の事だ。所長はその館長であり、隣接した旧館の研究施設、国立特殊生物研究センターのセンター長も兼任している。所長という呼称は、彼の希望からだ。ひょろっとしたシルエットに飄々とした雰囲気の定年間際のその外見はまさに天下りという言葉を彼に当ててしまうのは仕方のないことだ。そして、それが事実らしいという噂も研究員から三神は聞いている。
そして、三神は特殊生物研究センターの研究員であり、兼務で博物館の学芸員を務めているが、入職から2年、気づけば学芸員のしかも生涯学習教育活動が仕事の中心となっていた。
「しかし、何故わざわざここへ?」
「どうやら核がらみの事件があったらしく、他と違った切り口で核について記事にしたいそうだよ。一応電話では流暢に日本語を話してはいたが、君が対応した方が何かといいだろう。昨年の論文の事もあるし」
「まぁ、そうですね。いいですよ。……あ、ここの片付けをお願いしてもよろしいですか?」
「うむ。任された」
そうして、所長は笑って片付けを始めた。
マイケルが死亡した3日後、グリーンは日本の東京都小笠原諸島の外れにある離島、大戸島行きの連絡船に乗船していた。
目的は、大戸島にある世界で唯一のゴジラ専門の博物館、国立大戸ゴジラ博物館である。
ゴジラ、史上唯一人類の前に現れた怪獣。そして、世界の核問題に根深く存在する核の申し子である。
しかし、グリーン自身、ゴジラは名前を聞いた記憶があるのみであり、存在自体を疑ってさえいた。大戦後60年、ゴジラ出現から50年、原爆を落とし、ビキニ環礁の核実験を行った国の人間だからといっても、今回関わるまでは母国の歴史の一つにしか過ぎなかったのである。
マイケルの証言で”光の柱”と聞いた時、グリーンはそれを何かの比喩であると考えた。
しかし、その後に彼が語った"モンスター"という言葉からの連想された以前に一度聞いたゴジラの話と、巨大生物や放射能、白熱光など事件の要点が酷似している事にグリーンは気がついたのだ。
CIAやFBIは今後も少なくとも人間が犯人である前提で調査を続けるだろう。
そこでグリーンは、ゴジラが犯人である可能性を調査する為に、大戸島に向ったのだった。
「まもなく、この船は大戸島へ到着します」
アナウンスを聞き、グリーンは荷物を整え、下船の準備をした。
まもなく、汽笛が鳴った。
乗船していた中で白人はグリーン一人であった為、三神はすぐに彼を見つけることが出来た。
相手もすぐに三神を見つけられ、互いの自己紹介もそこそこに、グリーンは三神の運転する軽トラックに乗った。
「日本は初めてですか?」
「いや、以前にも旅行で二回。しかし、主に東京の中心地や大阪で、日本の自然を見たのは今回が初めてです。まぁ、仕事柄で日本語にはそこそこ慣れてます」
「十分なレベルですよ。島の子ども達よりも上手いかもしれない」
当たり障りのない会話を続け、軽トラックは博物館に到着した。
港から島の中心にある丘の頂きにある博物館へは大きく蛇行しながら登る。所々傾斜角の大きい坂があり、その都度三神はギアをファーストにして軽トラのエンジンを唸らさせながら登る。そんな中でも、「そこにある竹壁の建物が民宿です」や「岬の近くに見える社が神社で伝説上のゴジラを祀る神楽を奉納する祭りがあります」など、グリーンへの観光ガイドをしていた。
「思っていたよりも新しいですね」
博物館の駐車場に軽トラを駐車し、降車したグリーンの第一声はそれであった。
「3年前に改築したばかりですから。裏にある旧館は、研究センターになっています」
「日本はゴジラを忘れていないのですね」
グリーンの言葉に、三神の顔が曇る。しかし、それも一瞬であり、三神はグリーンを博物館へと促した。
「では、中へ」
博物館にはゴジラに関するあらゆるものが展示されていた。ゴジラが丘から顔を覗かせている写真や、ゴジラによって潰された大戸島の集落の写真などが展示されている。他にも、1954年当時の大戸島の模型があり、ゴジラが大戸島を襲撃した流れがわかる。ショーケースの中にはゴジラの足跡から採取された三葉虫や土などの他、東京出現時破壊された国会議事堂の大理石の欠片という物まであった。
「大したものですね。流石は世界で唯一の怪獣災害祈念博物館です」
「ありがとうございます」
グリーンの感想に三神は素直に応じる。
「こちらのゴジラ研究者は何人いるのですか?」
「特殊生物という明確な分類は存在しませんが、通常の系では例外や想定外にあたる生物を研究する施設がここ特殊生物研究センターなので、研究員は複数人在籍していますが、明確にゴジラを専門に研究を行っている人間は一人です」
「それが、三神さんですか?」
三神は頷いた。
「僕以外には、一応所長もその研究の一端にゴジラも含まれています。もともと、史上一度しか出現をした事のない生物ですし、そのサンプルは既に消滅している。この様な状況では、そもそもまともに学問として発展することが難しいのですよ」
「しかし、あなたはゴジラを専門とされているのですよね?」
「まぁ色々あったんですよ。それに、専門といってもゴジラの研究を始めたのは、僅か2年前です。論文としてまとまったものも、1年前に一つのみですから」
三神はグリーンに説明する。その口調に謙遜はなく、事実を述べている。
「その論文というのは?」
「あぁ、そういうところですか………。僕の研究は、生物学的にゴジラの存在を証明させる事にあります」
三神は何か理解したような仕草を示し、グリーンに説明をする。些か理解を示せないグリーンに、三神は順を追って教授を始めた。
「まず、ゴジラは50年前に一度しか現れておらず、事実上10年前に絶滅とされた。どちらにせよゴジラが載っている図鑑などの資料は、出現当時の山根博士などによる報告書以外には、UMAの図鑑くらいです。それで伺える様に、日本においてもゴジラの存在する学問の位置はとても不確定と言えます。事実、メディアで時々ゴジラの教科書問題が報じられます。具体的にいうと、歴史の場合だと戦後の復興とゴジラとで一ページで片付けられていること、経済ではゴジラの放射能とオキシジェン・デストロイヤーによる東京湾の水産物被害についての記述についての問題、生物に関しては高校生物まで一切触れられていないという紛れもない事実がそれです」
「つまり、三神さんは一つの生物としてゴジラを定義したいということですか?」
「勿論、それが研究の意義になりますね。仮にゴジラの存在を定義した場合、核兵器の根絶に繋がる可能性がありますね。かつては社会へ浸透する以前に混乱が大きく、怪獣災害という存在でゴジラは広まった。今度は、核の恐怖の象徴にゴジラはなります。………勿論、これはあくまで、意義でしかない。僕の研究目的は、ゴジラが実際に出現した際の具体的な解決策を模索することです」
「確か、オキシジェン・デストロイヤーはもう存在しない」
グリーンが言うと、三神は頷いた。
「そうです。現在はまだ机上論でしか過ぎませんが、ゴジラの特殊生物である理由についてとその仮説をまとめたのが僕の論文です」
そして、三神は本題に入った。
「第一に、ゴジラはどうやってあの巨体を直立二足歩行で支えているのか? これは、もし人 間をゴジラと同じサイズまで大きくすると自らの体重を骨が支えることが出来ないと計算で算出されているからです。
第二に、ゴジラは本当に古代の恐竜が放射能で変異、巨大化した生物なのか? これは最近の考古学の研究で明らかになったことで、ゴジラは先程言ったとおり人間と同じ直立二足歩行で尻尾を下に垂らしている、それに対して恐竜は二足歩行だが尻尾を頭とで天秤状に支えて歩いていた。つまり、尻尾は立てていた。よって、ゴジラは本当に恐竜が巨大化したのか怪しい。
第三に、ゴジラは放射能を帯び、その熱線を吐いているにもかかわらず、何故ゴジラは無事なのか? 言わずもがな、放射線は生物に有害です。この謎が明らかになれば、ゴジラの生命の謎も、場合によっては癌治療に革命が起こる可能性があります。第四に、熱線を吐くメカニズムの解明。他にも寿命や、非常に高い生命力、栄養の摂取方法などがあります。そして、それらの可能性を机上論ながらまとめ、それの実証方法を考察したものがそれです。………といっても、結局の所、ゴジラが実際に現れないと確認のできない事ばかりなのですがね」
三神は苦笑する。
「実際に生物学的に定義をすることができるとどうなるのですか?」
「一番わかりやすいのは、対策をとりやすいということです。生物の行動には、その種の持つ特有の特徴が存在します。それを利用すれば、行動を予測することや、誘導することが可能になります」
「つまり、裏を返せば、机上論ながらもいくつかの情報があれば、ゴジラの行動を予測することは可能なのですか?」
「勿論、その情報にもよります。どのような環境で、どのような行動をしたのかなど、ありったけの情報を用意しなければならないですがね」
「それならば………」
グリーンが事情を話そうと口を開きかけた時、旧館から所長が走ってきた。
「大変だ!」
所長は荒くなった息を整える。そうしていると、外からヘリコプターの音が聞こえてきた。
「何かあったのですか?」
「ミジンコ君、とりあえず外へ来てくれ」
三神は所長に理由も聞けぬまま、外へ連れ出された。グリーンは何もいわず、その後を追った。
ヘリコプターは、ゴジラ博物館の目の前に着陸していた。自動ドアが開かれると、強風と轟音が三神達を襲った。
集まった野次馬の人垣の中央に鎮座するヘリコプターの前には、クルーズが立っていた。三神達が近づくと、彼も歩み寄ってきた。グリーンの顔を見ても、特に驚く様子も無い。
「こちらは……」
三神が言うと、クルーズはグリーンにもひけをとらない流暢な日本語で挨拶をしてきた。
「アメリカ連邦調査局、CIAと名乗った方がお分かり頂けると思います。フィリップ・クルーズです」
「はぁ」
三神は唐突に出てきたCIAを名乗る白人にやや圧倒され気味に応じた。
「誠に申し訳ないが、我々と一緒に合衆国へ向かって頂きたい。これは正式に日本政府への依頼です。そして、総理大臣が認可を致しました。任意ではありますが、法的強制も手続き次第で可能です」
「………理由、聞いてもよろしいですか?」
恐る恐る三神が言うと、クルーズは少し大げさに驚きを見せる。
「それは、既に彼から聞いていないのかな? ……違うかね、グリーン君」
クルーズは三神と所長の後ろに立っていたグリーンに言った。一斉に視線がグリーンに向く。
グリーンは口を開いた。
「何故CIAがここまでくるんだ?」
「それは、私がキミに問いたい質問だ。何故キミがここにいるのだい? ……確かに、キミの推理はモグリながらも名探偵と呼ばれるにたるものの様だな。我々よりも先にここへ来ているとは、正直脱帽だよ」
二人とも英語で会話をする。三神や所長以外の人々は皆キョトンとしている。
「名探偵?」
三神が二人の会話に割って入った。クルーズは不敵な笑みを浮かべて、今度は日本語で言う。
「そうか、相変わらず詐欺師紛いの演技をしているようだな」
「そんな詐欺師紛いの演技に騙されていたアメリカの007がいたようですがね?」
グリーンも日本語で言い返す。
一瞬二人の間で火花を散らしたが、クルーズはすぐにさめた。
「君と不毛な言い争いをする気はない。……理由だったな、ゴジラが現れた。充分だろ?」
「何だって?」
「おい、何があった?」
三神とグリーンは同時に驚いた。クルーズは説明する。
「君が合衆国を出た後にミニドア島という孤島が壊滅した。生存者の証言、残存放射能、足跡などから、ゴジラが最有力候補として上がり、そこのグリーン君同様に、海難事故の犯人もゴジラと見て、専門家の三神小五郎さんに合衆国へ来て頂きたい」
「……所長は?」
三神は所長を見た。所長は顔を横にふる。
「私は既に前線を退いた身だよ。それに、ゴジラが再び現れたという事になれば、ここが重要な拠点になる。私はここを守るよ」
「わかりました。フィリップ・クルーズさん、同行致します」
三神の決断は早かった。この会話の間に覚悟ができていたように、グリーンには見えた。
「クルーズでいいさ。……それからグリーン君、キミもだ。協力をしない場合は強制連行だ。偽証罪も立派な罪だぞ」
「脅迫は罪じゃないのか?」
「言っておくが、これは脅迫ではない。合衆国からの命令だ」
クルーズに、グリーンは肩をすくめて同意する。
三神は手短に出発準備を済ませ、30分と経たずに二人はクルーズと共に大戸島を旅立った。