第三章 逆襲
まだ片付けがあるからと事務所に戻った所長を博物館に残し、三神は通用口から館外に出た。
夜風は春の肌寒さが既になくなったが、春から梅雨へと移る前の湿度を含んだ潮風が外気温よりも生暖かく蒸して肌に触れる。5月から6月にかけて、大戸島はこれから一気に夏へ向かうだろう。
「………天羽さん?」
夜の闇の中で駐車場を小走りで移動する人の姿が見えた。
月明かりに照らされたその人は翠だった。
まもなく車に乗り込んだ翠は三神に気づくことなく、駐車場を後にした。
翌日から三神は停滞しているDO-Mの培養実験を時間の決めた分析に留め、所長から預かった山根博士と恵美子それぞれの日記に目を通していた。
山根博士のものは日記というよりも手記に近い。執筆した時期は1960年代前半で、国立大戸ゴジラ博物館の初代館長となった時期と思われる。既に山根博士は放射能症で余命いくばくもない身体だった筈だ。文面から自身の代わりに館長としての雑事を行なっていた所長と娘の恵美子が読むことを意識して山根博士なりの整理をする意図が読み取れる。
一連の出来事を共有している二人が読むことを前提に書かれている為、当時の出来事は彼の主観でしか記載されていない。ゴジラに対しての当時、彼の回想が記されている。否、ゴジラによって人生を狂わされてしまった二人の子どもに対しての独白と謝罪とも読み取れる。
彼は学者として興奮していたことを認めていた。同時に、驚異的な生命力を持つゴジラに対して自身の知識や常識も、戦車砲も通用しないことを彼は畏怖していた。その辺りは公に発表した彼の論文にも触れられている。東京を蹂躙したゴジラという怪物に対して、彼は古生物学者としての欲求はあるものの、一個体の生物としての駆除の可否でなく一つの天災として捉えていた。
事実、ニューヨークで不意打ちによる至近距離での一撃以外は列車砲、地中貫通爆弾、ミサイル徹甲弾、戦艦の艦砲、特殊爆弾と戦術兵器クラスの攻撃でしかゴジラへまともなダメージを与えられていない。当時の防衛隊戦力にこの火力を出せる兵器はなかったはずだ。彼の主張は合っている。
「…………」
そして、一番重要である記述を見つけた。オキシジェン・デストロイヤーを使う為に一同が船着場に集まり、各々乗船準備をしているところで、芹澤と山根博士が接触する瞬間があったらしい。
二人の交わした言葉は少なかったみたいだが、山根博士は彼が相応の覚悟をしていたことに気づいたらしい。しかし、自決という方法でオキシジェン・デストロイヤーを永遠に葬るまでの覚悟であったことまでは考えていなかったみたいだ。芹澤が手綱を切って、彼がゴジラと運命を共にしたことを知った瞬間に彼の覚悟が命を絶つほどだったことに今更ながら気づき、気づかなかった己にも落胆したと記されている。
そして、その交わした言葉の中で、芹澤はオキシジェン・デストロイヤーを使うのは今回の一度切りだという恵美子と尾形へ言ったものと同様のことを山根博士にも伝えており、山根博士もまたゴジラを倒すことができたとしてもこの地球上にあの生物がたった一個体しか存在しないとは考えられない旨を伝えていた。それに対して、芹澤も既にその可能性は考えてあると答えたという。
それがつまり、もう一つのオキシジェン・デストロイヤーの存在であったのだろう。
ゴジラと芹澤を亡くした山根博士は失意の中、帰港して自宅で塞ぎ込んでいた。手記には触れられていないが、所長の話では新吉自身も、そして恵美子と尾形も勝利の喜びよりも芹澤を失った悲しみに落ち込んでいたという。
そんな折、芹澤から山根家に手紙が届いた。恐らくオキシジェン・デストロイヤーを使い、自らの死を決意した後に書いたのだろう。手紙は家族それぞれへ充てられており、山根博士宛に書かれた手紙にもう一つのオキシジェン・デストロイヤーを隠したことが記されていた。
山根博士はすぐにオキシジェン・デストロイヤーを回収して別の場所に移した。芹澤に隠せる時間はほとんどなかった為、自宅の敷地内に隠していたらしい。
山根博士の判断は正しかった。既に世界中の為政者がオキシジェン・デストロイヤーの存在を知り、工作員が送り込まれ、芹澤邸はまもなく荒らされ、火災で全焼した。
直接的な記述はないが、愛弟子の研究を荒らさせたくない思いが読み取れる。オキシジェン・デストロイヤーを回収した時に何らかの細工をし、邸宅の火災は山根博士によるものと思われた。
それが事実なら放火という重大な犯罪だが、山根博士の狂気はゴジラ團にも通じるものを三神は感じていた。
彼は真剣にゴジラを防ぐ方法はオキシジェン・デストロイヤー以外になく、そのゴジラはまだ他の個体がいる可能性があるのだと考えていた。そこに亡き愛弟子の研究室を汚されたくないという想いが重なれば、山根博士が行動に移すことはあり得ない話でない。
その後、山根博士は新吉を養子として迎え入れて彼の故郷復興とゴジラの研究を大戸島と東京、二つの拠点で行い始めた。大戸島に国立大戸ゴジラ博物館を建設することが決まったのは翌1955年のことだったが、その頃に山根博士は倦怠感や微熱などの症状に気づき、自身が放射能症になっていたことを知った。その為、雑事を次第に新吉へと頼むようになり、山根博士は療養をしながら研究を続け、手記の執筆を始めた1960年代へと戻る。
「………都内か、東京湾。或いはこの島か」
手記に隠し場所を示す情報は書かれていなかったが、当時の山根博士はいずれ新吉、即ち所長にオキシジェン・デストロイヤーを託し、来るべき時まで守り続けてほしいと考えていたと思われる。
その為、文脈から隠し場所については手記と別のもので記していたらしい。しかし、文脈から少なくとも芹澤邸から回収した後の隠し場所とは異なる場所に移動させていたようだった。
総合的に考えて東京の山根家周辺よりもこの大戸島周辺と考えた方が隠し場所として適切だ。
「そうなると……まずはここか」
三神は自身の研究室――旧館を見て呟いた。
まずは基本的な確認から始めようと、館内の奥に段ボールが詰め込まれた“資料庫”に三神は向かった。
これだけで何日要するかわからないと始めは思ったが、目的のものが最も古い資料と予想していた為、段ボールを片付けて奥へ歩いていく道を作る作業が主となり、奥の木製資料棚へたどり着くとあっさりと見つかった。
目的の資料はこの旧館を建設した当時の設計関連書類だ。一通りの調査は行われたらしく、地盤や地質、ゴジラの被災地なので放射能などの汚染、歴史的な調査も行われている。戦時中はこの島も海岸沿いの平地に臨時補給基地を設置していたが、この丘は見晴らしもよく平時なら兎も角、戦時中には見張り台の前に敵から格好の的になってしまう。海岸近くの雑木林に戦後も使われた櫓を建てて用いていたらしい。
戦後、ゴジラが裏の入り江に上陸した際にその姿を見ようと人々は丘を登った。かの有名な山根博士が国会の報告で出したゴジラの写真だ。あの当時も戦時中もこの丘には何もなかった。
改めて、図面と照らし合わせてみたが、秘密の隠し部屋がある様子はなかった。地下に基礎部分の空間があるが、この空間は期待しているような場所でないことは三神も知っている。
「ちょっ……静かにしていないと!」
「?」
「やれやれ、その声の方が大きいんだけどなぁ〜」
廊下から聞こえた声に三神が振り向くと廊下に出された段ボールの隙間から神谷と翠が顔を出した。
ジトっとした視線で抗議を翠に向けられた神谷は髪を掻きながら三神に事情を話し始めた。
「なんだ、先日の晩に所長と話をしていただろ? あの晩、俺たちも館内にいて、オキシジェン・デストロイヤーについての話を盗み聞いてしまったんだ。……んで、気になったものでな。貴方がここで調べ物を始めたから覗いていたんだ」
「まぁ……私も三神さんや所長に聞いたほうがいいと思いつつも、内容が内容だったのでこっそりと探偵をしていました」
「俺に関しては探偵なもので。ある意味、真っ当なことをしていた訳だ」
「ぜっんぜん! 真っ当なことではありませんけどね!」
即座に翠が顔を赤くしてツッコミを入れる。中々な良いコンビらしい。
「で、互いに知り合ってしまったんだし、情報をシェア――“共犯”と洒落込もうじゃねぇか?」
わざわざ先日のキーワードを出した。つまり、神谷はその話もしっかり聞いていたということだ。
内容が内容なだけに三神の立場では口止めこそしても協力を拒む理由もなく、そもそも神谷相手に協力を拒むことは有らぬ疑いをかけられる要因になりかねない。最も本人の話ではそんなつもりがないというが、報告をしない義理もないので政府の偉い人が都合よく解釈して三神を利用する口実にされるのも彼にとって害にしかならない。
「……うん。所長はどう思うかが気がかりだけど、知られてしまった以上、僕は応じる以外に選択肢がないね」
「言い訳ができて良かったじゃねぇか? お互いに」
キシシと下品に笑う神谷だが、タイミングも含めて先程はわざと三神に気づかせるように神谷が仕組んだことだったのかもしれない。全く食えない男だ。
「何か言いたげだな? まぁいいじゃねぇか。早速、名探偵様のお仕事だってぇことで。…………成程。隠し部屋を探した訳か」
資料室に入ってきた神谷はそのまま広げられた図面を覗き込んで三神の考えていたことを指摘する。
「そう都合よくは行きませんでしたけどね」
「確かに基礎工事からこの間取りに変なところはないな。以前の案件で人間ぶっ殺し部屋を探したこともあるから、この手の知識は頭に入れてある」
「どんな案件でそんなもの探すんですか」
翠がすかさず嘆息まじりにツッコミを入れる。
神谷は「守秘義務だ」と煙にまくので、話が全く着地しない。
「ただ、間取りじゃなく基礎と建て付けに関しては変というか無駄なところがあるな。……元々コンクリートかレンガで建てる予定だったのか。基礎の立ち上がりはレンガにコンクリートを重ねたと。……こっちが資料で? あぁ、離島だから運搬コスト問題が出たのか」
「どういうことです?」
翠が一人納得している神谷に聞く。彼は図面と資料を見比べながら答える。
「んー。あぁ、ここは元々、……鉄筋コンクリートを基本にした上で煉瓦造り風に仕上げる予定だったらしい。ただ基礎工事の段階で地盤と運搬のコストが想定を超えて予算を超える試算が出て、木造へ設計し直したらしい。……だから、ここの基礎部分は実際の建物よりも重量のある建築を想定した造りになっている。確かに地下室はない。木造だから床下はあるが、こんなところに何か置くより俺なら穴を掘って地中に埋める。……が、それだと当てがなさすぎる。ここの解体まで見つけることは難しいな」
「みんなで床下を掘り返せば何とかならない?」
「できるだろうが、老朽化した配管でも突いたら惨事だぞ?」
「うっ……」
神谷のまともな指摘に翠は押し黙る。彼の考えではそもそも床下に埋めていないのだろう。無駄なことはしないということだ。
ではここは無関係……と彼は考えていない。図面や当時の資料をチェックしている。
「元々予定していた構造と木造に修正した図面、その当時の記録……ここか」
「ん?」
「どこです?」
「いいか、基礎部分と床が接している部分が幾つかある。通常は柱がある訳だが、そうなっていない構造部分がある。変更の多い建築計画みたいだから本来意味のあった部分なのかはわからないが、実際に出来たこの建物にはその床下に基礎で造られた空間ができている。それはここにある部屋だ」
神谷が図面上で指差したのは、一階の研究室として現在使われている部屋だった。
「………僕の研究室じゃないか」
「灯台下暗しだな? ちなみに、貴方の前は誰が使っていたか知っているか?」
「博物館との荷運びに便利なところだから、長年物置き部屋にされていたと」
「そうだな。いつまで使われていて、いつからそうなったかは所長に聞くのが早いが、最初の使用者は初代館長の山根恭平だ。もっとも調べていた限り、実際に出入りしていたのは山根新吉……所長だったらしいがな」
隠し場所は最終的に恵美子へ引き継がれたが、当初新吉に引き継ぐつもりで山根博士は考えていた。わざわざ気付かれるリスクを犯して移動させる必要もないだろうから、今も床下にはオキシジェン・デストロイヤーかその場所にまつわる重要な鍵があるはずだ。
