第一章 出現



 夜空に燦々と輝く星の下、穏やかな大西洋上を一隻の船─タンカーが静かに航路を進んでいた。
 船の名は、BARN SWALLOW。アメリカ英語でツバメを指す言葉だ。
 勿論、普通はSWALLOWだけでもツバメを意味するが、あえてBARNを付けるところに船のオーナーのセンスの悪さが伺える。
 そんな事をあるマフィアの一員であるマイケル・ホワイトは、甲板の見回り中に仕事を忘れて考えていた。しかし、無意識に彼の右手は腰にかけられた拳銃へ当てられている。
 拳銃は彼がこの船に乗る時に上の人間から渡されたものであり、銃についてあまり詳しくはない為、名前までは知らない。それ以前に、下端である彼にはこの船の積み荷すらはっきりと教えられていない。
 彼が知るのは、この船の積み荷を警護する為に自分がここにいるという事だけだ。

「こら、マイケル! しっかりと見回れ!空から敵は来ねぇぞ!」

 夜空を見上げていると上の方からドスのきいた怒鳴り声をかけられた。慌てて振り向くと一階層上に位置するデッキから兄貴分のボブが顔を出していた。

「すみません!」

 すぐにマイケルが謝ると、納得したのかボブは顔を引っ込めた。
 しかしマイケルは、反省する事もなく目の前に広がる夜空と大海原を眺め始めるが、突如警報機が鳴り響いた。船内は一瞬にして緊張に包まれる。
 警報に驚いたマイケルは慌ててデッキへ向かう階段をかけ昇る。

「バカ野郎! 持ち場を離れるんじゃねぇ!」

 気がついたボブに叱られたマイケルは、すぐさま謝り、昇ってきた階段を降りる。
 彼が下へ降りると、ボブから注意を促される。

「海の中に何か居ないか?」
「暗くてあまりよく見えません! どのくらいですか!」

 言葉が足りない質問だったが、大きさを聞いているのだと伝わり、すぐに答えが返ってきた。

「80~100、メートルでだ!」

 マイケルは我が耳を疑った。

「100メートルですか! インチじゃなくて?」

 混乱気味のマイケルの聞き返しだが、ボブは肯定をする。

「そうだ!」

 潜水艦でもあるのだろうかと考えながら、マイケルは身を乗り出し、海の中の闇を必死に覗き込んだ。
 突如、闇に包まれていた海の中が光りだした!
 光は瞬く間に船を突き破り、その後に襲った衝撃で船はマイケル諸共、転覆した。2004年9月12日深夜の事であった。




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「……つまり、今回の消失事件は、事件の捉え方自体がトリックだったわけですよ」

 ニューヨークを見下ろす高級ホテルの展望レストランで、白人の青年は向かいに座る紳士に言った。紳士は深く帽子を被り、顔はわからない。
 青年は話を続ける。

「クライアントが疑っていた、ブローカーがアリバイトリックを使って盗難をしたという考え方自体がトリックであり、犯人が実際に行った事はトランクのすり替えなのですよ」
「!」

 表情がはっきりとしない紳士だが、この時はその驚きが見て取れた。

「もうお分かりですね。今回の犯人は、クライアントの代行者です。………本日は、依頼の時に入口に控えていた方の姿が見えませんが、如何なさいましたか?」
「彼奴っ!」
「クライアント、貴方も私をもう少し信用して頂きたかった。始めに下手な隠し立てをせずに全てを説明して頂ければ、半分の時間で真相をお話しできたのですよ? 消えたものが現金ではなく……、全て調べはついています。私の調べた痕跡に当局が気付いたら、その事も発覚する可能性がある。その場合の責は私ではなく、嘘をついた貴方自身にあるとお考え下さい。……では、料金を」
「………まぁいい。流石はと言った所だろう。受け取り給え」

 紳士は憤りを抑え、懐から封筒を差し出した。青年は中身を見ずに懐へしまった。

「確認しないのか?」
「私はクライアントを信用していますから。それに、ここで下手な小細工をすれば、痛い目にあうのはクライアント、貴方自身ですからね。……では、失礼致します」

 紳士を残し、青年はレストランを後にした。
 ホテルのロビーに下り、外へと向おうとした青年に一人の老紳士が近づいてきた。

「ジェームス・グリーン氏かね?」
「その質問は私を知っている前提でのものではありませんか?」
「流石は名探偵と噂されるだけの事はあるな」
「ただのモグリですよ」
「資格の有無などただの指標にしか過ぎん。それに、モグリだからこそ貴様はこうして名探偵足りうるのではないか? ……今もそうであったのだろう?」
「モグリでも守秘義務は礼儀として持っているので、お答えできませんね」
「別に構わん。最近、新参の組織でセコい麻薬の紛失事件が起きて、末端が何人かとばっちりを受けたと聞く。これで少しはおとなしくなるだろう。わしにとってはその程度の話だ」
「私に十分に大きい話に聞こえますがね。それに、いいのですか?このようなところでその様なことをおっしゃって……」
「ここにいる者に聞き耳を立てるような無礼者はおらんわ。貴様もそれがわかっているからこそ、ここを使っていたのはないのか?」
「おっしゃる通りです。……それで、同業者をそこまで言うのですから、貴方は相当な大事件なのでしょうね?」
「まだわしは貴様に依頼をするとは言っておらんが?」
「依頼を受けるか、受けないかの判断をするのは、私だという事を忘れて頂きたくはありませんね」
「ふん!中々面白いではないか。いいだろう、判断は貴様に委ねよう。勿論、外部に漏らした場合、貴様の戯言で終わる程度の内容までしかまだ話はせんがな」
「構いません。……依頼を受ける時に、私を信用して偽りなく話して頂かなければなりませんがね」
「わしを新参者と一緒にするでない。……わしはギケー・ゲーン。言っておくが、ウチは老舗だ」

 ギケーは、年齢を感じさせないギラギラとした威圧的な目でグリーンを見ながら、握手を求めた。グリーンは、それに応じた。

「それでは、改めてお話を伺いましょう」

 ロビーの脇にあるカフェテリアへ場所を移し、腰を下ろすとグリーンはギケーに言った。

「うむ。実は一ヶ月程前、我がゲーン一家の船が沈んでな、その原因を探って欲しい」
「仕事関係のトラブルですか?」

 グリーンは問う。勿論、マフィア同士の闘争や妨害という意味だ。

「当初、わしらもそう考え、いくつかの組織を疑った。だが、どうも違うようだった。挙句は、当局が動き始めたらしい」
「FBIが……」
「あいつらが船の積み荷の関係で動いているのは始めから想定しておった。彼奴らの網を逃れる術は心得ておる。問題は社の方よ」
「………CIA?」

 ギケーは黙って頷いた。

「つまり、国家に関わる問題に事件が大きくなり、貴方がたでは調べる事が難しくなった、という事ですね。……ちなみに、船の積み荷は先程の貴方の言動からして、薬の類ではなさそうですが?」
「何、赤い竹という所との商売品だ。勿論、それだけでCIAが動いている可能性もあるがな」

 赤い竹という名はグリーンも耳にした事があった。テロ組織に限りなく近い武器の製造、販売を行う組織だ。つまり、積み荷は大層な量の武器なのだろう。

「そこまで大きい話ならば、セコい密売とはいえませんね。……CIAは先方の方を調べているという事は?」
「全くないわけではない。だが、あそこが動きだしたのは約1週間前、少し遅いとは思わんか?」
「成程、確かに理由が別にあると考える方がよさそうですね」
「わしの大切な船を沈めた無礼者をこの手で裁かねば、この煮えきった腹は収まらぬ。……調べてくれるな?」
「………いいでしょう。しかし、高くつきますよ?」
「ゲーン一家をあまく見るでない。貴様の一人くらい、地球を容易く三周させられるくらいの許容があるわ」
「心強いお言葉だ。では、詳しいお話を」

 ギケーは頷くと、口を開いた。






「ここが唯一の生存者が入院する病院か………」

 グリーンは入口で一人呟くと、院内に入った。院内を進む中、事件の内容を頭に浮かべる。
 ゲーン一家の船、BARN SWALLOWは、9月13日0時15分に消息を絶つ。捜索活動の結果、同日11時55分に唯一の生存者であるマイケル・ホワイトが浮かんでいるのを発見、救出される。しかし、その後に生存者の発見もなく、船体も発見する事は遂に叶わなかった。
 今回の事故を複雑にさせているのは、他ならぬ生存者、マイケル自身にある。発見時の様子、その後の診断の結果、彼は重度の放射能症である事が判明したのだ。つまり、事態はただの海難事故から放射能事故へと変わってしまったのだ。この事実に混乱したのは、ゲーン一家のみならず、FBIも同様らしく、捜査は難航した。
 更に、CIAまでもが介入した為、捜査は混沌と化し、現在に至るらしい。
 やがて、グリーンが目的の病室へ進む廊下へ差し掛かった時、中年の白人男性と遭遇した。背広を着たその男も、グリーンに気付いた。

「ん? お前は何者だ?」

 すかさず、グリーンは男よりも先に言った。グリーンの演技は予定通りだ。

「君こそ何者だね?」
「私は当局から来たジェームス・グリーンだ」
「くっ!FBIか……。CIAのフィリップ・クルーズだ」

 グリーンは心の中で笑った。今のやりとりでクルーズは、身分証を確認する事もなく、グリーンがFBIの人間だと思い込んだ。自分が先手を取った時点で潜入は成功であったのだ。

「生存者、マイケル・ホワイトと話をしたい」
「お前さんの上が先日訪ねてきたはずだが?」
「私は話をしていない。それとも、何か不都合でも?」
「くっ! わかった、ついて来い!」

 グリーンを引き連れて、クルーズは奥へと進んだ。
 そこは俗に言うところの隔離病室であった。心電装置は勿論、グリーンには目的がわからない計器が一人の青年の周りを囲んでいた。
 そして、グリーンを含め、この病室にいる人間はマイケル以外、全員が防護服を着ている。

「毎回の事ですが、彼は重度の放射能症患者である事をお忘れなく。容態は、発熱40度以上、30分前の検温では42.4度でした。白内障を併発し、視力はほぼありません。現在は投薬で抑えていますが、出血も続いていました。話は手短にお願いします」

 主治医と思しき、東洋系の女医が言った。グリーンは静かに頷くと、マイケルのもとへと近づいた。

「マイケル・ホワイトさんですね?」
「………あぁ」

 グリーンの呼びかけにマイケルは答え、虚ろな視線をグリーンに送った。少なくとも意識はあるらしい。

「早速で申し訳ないが、貴方があの事故の時、見たことを全て話して頂けますか?」
「あぁ………」

 マイケルは虚ろな視線のまま天井を見上げると、まるで実況をするかの様に語りだした。

「海が光り……、光の柱が船を貫いた。………そして、奴の尾が船を倒し……、俺は海に投げ出された。……後は、船の破片に必死にしがみついた、助かるまで。……他は、覚えてない」

 信じられないほどに落ち着いた口調で彼は語った。

「毎回同じ事を繰り返している。荒唐無稽なものだ」

 クルーズがグリーンの耳元で囁く。グリーンはそれを無視し、マイケルへ更に問いかける。

「奴というのは?」
「………奴だ。………ボブの言った通り、巨大だった。………潜水艦じゃない! ……生き物だ、モンスターだ! ………止めろ、くるな! ……ひ、光がぁ! ……ああああああああああぁぁぁぁぁ………!」

 突然、彼は暴れ始め、医師達に取り押さえられると、鎮静剤を投与された。

「精神的な発作だと思います。……実の所、かなり彼は危険な状態に置かれています。精神的理由からの発作でも、命に関わる可能性があります。申し訳ありませんが、今日のところは皆様、お引取り頂けますか?患者の命に関わりますので」

 先の女医が説明をする。丁寧な言い方だが、その口調や視線は敵意すら感じられる。
 グリーンとクルーズは、仕方なく病室を後にした。

「上の口が重く、事情を把握できていない。何故、貴方達が動いているのだ?」

 廊下に出ると、グリーンはクルーズに聞いた。クルーズは隠す事なく言った。

「お前さんの所は、情報の扱い方が相変わらず下手なようだな。既にこの件は、秘匿ではなくなっておるのに……。世界共通時間10月8日10時8分、アメリカの最新鋭原子力潜水艦が、アメリカ領海内の北緯三六度、西経七二度にて潜水訓練中、水深1200メートル地点にて消息を絶った。最後の通信は、長さ100メートルの巨大な物体が接近、襲撃されている、というものだった。その為、当初これが他国の潜水艦による侵略行為と判断し、我々が動きだした。その結果、類似事件であるこの事件を調べているのだ。だが、昨日までの調査で、他国からの侵略である可能性は下がり、内部工作の可能性を考慮し、秘匿調査ではなくなった。……状況の判断の出来ぬ上司を持つと大変だな、グリーン君」

 嫌味雑じりにクルーズは、話した。ある程度グリーンは、気分を害した演技をしつつ、その場を後にした。不要な長居は正体がばれる危険性があるからだ。
 しかし、それ以上に十分な収穫であり、既にグリーンには一つの可能性と次に起す行動が浮かんでいた。
 その夜、マイケル・ホワイトは心不全により死亡した。
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