第三章 逆襲
調査が予想外の日米揃っての謝罪という形で打ち切られたのは、海難事故から半年が経過していた。既に季節は冬を越しており、世間はベトナム戦争の終結で騒いでいた。
合衆国も米軍撤退という事実上の敗北に大きな波紋を与えていた。
戦時下に機雷を設置し、終戦後は掃海を行なっていた両国からの謝罪。そして、八神の母親へ多額の慰謝料が支払われたことで、この海難事故は大きく取り上げられることなく終結を迎えた。
陰謀論めいた考えでみれば、それはベトナム戦争終結の騒ぎに紛れて、返還から一年未満の沖縄の自治を揺るがす事態をさける為に調査を打ち切る為に行われた隠蔽工作に思えた。
しかし、新吉もまだ中堅研究者の立場であり、当時の館長兼センター長は官職の天下りが就いていた。元々彼の立場で調査継続はできなかったが、更に彼の元には時間と労力が大きいものの彼の研究分野としての成果には繋がない分析の業務が次々と依頼されるようになった。
そんな日々が続き、新吉が多忙から海難事故の調査どころか学会や研究会からも距離を置いて、いつの間か数年の歳月が経過してしまった。
忙殺によって第四昂栄丸海難事故のことも忘れかけていた1975年、突如神宮寺から新吉の元に縁談話を持ち込んできた。数年ぶりの連絡と突然の縁談に新吉も混乱したが、神宮寺なりの助け舟であったことをまもなく本人から知らされた。
神宮寺もまた海洋博覧会の仕事を受け持つことになり、海難事故のことに関与できない状況となっていた。幸いにも彼の場合は海洋博覧会によって、市議会議員としての地位が上がる結果を得られ、その政治的な立場を利用して当時の関係者を追跡したらしい。
そして、新吉の現状を知った神宮寺は協力者となる資産家の縁談を持ち込んだ。
「他の……アルや八神君は?」
「仲村さんはエジプトにご家族と一緒に帰国していました。八神少年ですが、私も下手に関与できない状況にいます」
「何かあったのですか?」
神宮寺が用意したルシイルアンダソンの宿部屋に招かれた新吉はちゃぶ台に身を乗り出して前に座る彼に聞いた。
表向きは縁談を持ち込んだ神宮寺との打ち合わせである為、部屋は二人が対面で話し合い、その後懐石料理が出される予定にしている。
そんなお茶とおしぼりだけが置かれたちゃぶ台に神宮寺は見合い写真と共に一枚の新聞の切り抜きを添えて出した。
自分の妻となる相手の写真と一緒に出されたことに、一瞬新吉は表情を強張らせたが、目の前の神宮寺の真剣な表情を見て、何も言わずに二つを重ねたまま受け取り、縁談相手よりも先にその切り抜きの記事へと目を落とした。
「…………! まさか、この女性」
「八神船長の妻、あの少年の母親です」
記事は殺人事件について書かれていた。殺人事件にしてはとても小さな記事だった。ただ淡々と事件についてまとめただけと言えた。
『女性変死、痴情のもつれ濃厚
昨夜、県内の自宅で女性が死亡したと通報を受けかけつけた警察は、刺殺された女性と通報者の男性、女性の息子を発見。まもなく男性は逮捕され、少年は保護された。被告の身柄は今朝米軍へ移された。警察は事件当時、被告と交際相手であった被害者との口論があったと語った。』
切り抜きには沖縄の地方紙の夕刊にあった記事であることが神宮寺の手書きで記されていた。
「調べたところ内々で報道規制があったようです。察しの通り、加害者は米軍に所属していました。記事の通り、事件そのものは当時交際していたあの母親との言い争いの果てに起きた刺殺で間違いなさそうです。これは現場に行った地元警察が日米地位協定の対象と確認されるまでの間に判明したことで、近隣住民が口論の声を多数聴いており、八神少年の証言とも一致しています」
「……何が起きたのでしょうか」
「男女の話ですから本当のところはわかりません。しかし、どうやら二人は例の慰謝料が支払われた後から交際を始めたようです。そして、事件当日、多額の慰謝料は既に無くなっており、被害者の女性は被告以外の男性とも関係を持っていたようです」
「それって………」
新吉でも容易に想像ができた。あまりにも黒い絵が脳裏に浮かび上がっていた。
「それがこの記事のあり様に繋がっているのかまでは私にもわかりませんが、地元警察は彼女が売春グループのリーダー格としてマークしていたようです。実際に事件後、彼女の知人女性が売春行為で摘発されています」
「……その被告は?」
「残念ながら不明です。軍法会議にかけられるとは回答されていますが、被告についての詳細は不明です」
新吉は静かに天井をあおいだ。
残された事実は今の説明の通りだったのだろう。しかし、そこに真実があるのかはわからない。
慰謝料として十分な金額を親子は渡されていた。それが数年で使い切り、更に売春行為をする程の経済状況となる。これは、異常だ。
被告がそこに重なる。何をしたのか、ギャンブルか、搾取か。どちらもあったのかもしれない。もしかしたらそれ以上の身も心も壊す程の非道なことで彼女は縛りつけられていた可能性もある。
夫を失って母親に近づいた相手が悪かったとしか言いようがないが、同時期に新吉と神宮寺に起こっていたことを考えるとどうしても陰謀論めいた発想をしてしまう。
新吉は自嘲気味にそれを神宮寺に伝えた。
「いくらなんでもそんなハニートラップのようなこと、現実にあるとは思えませんよね」
「確かに、それが海難事故を調べさせたくない何者かの陰謀……というのは妄想的ですが、親子は多額の慰謝料を受け取っています。現在もまだ解消されきっていませんが、当時の沖縄は返還による本土との経済格差が生じていました。金というのは食べ物と同じで、余らせていると良くない虫が集ります。搾取する方法として男女関係を利用するというのは珍しくありません。特に女性をターゲットにした場合は力関係で支配することもあります」
「……そうですか。ところで八神少年は今?」
「養護施設が保護しています。このまま施設で暮らすのか、或いは親族が引き取るなどはまだわかりません」
「そうですか」
「こればかりは無責任に関わることのできる事柄ではありません。………この件はここまでです」
そう告げて縁談へ話題は移った。
所沢家は神宮寺が海洋博覧会のことで奔走している中で知り合った資産家で彼の力となっているという。縁談相手の一人娘は病弱で、追い先も短くらしい。そうなると家を受け継ぐ者が必要であり、神宮寺はその跡取りとして新吉を提案した。
研究者として後ろ盾がない新吉にとって旨味しかない話であった。聞けば神宮寺から聴いた新吉の身の上にも同情的で、当人も妻としての務めも果たせずに迷惑をかけてしまうと思うが、そんな我が身も役に立つのであれば役立てて頂きたいと語ったとのことだった。
先の話とは一転、新吉と神宮寺の間で議論の余地はなかった。
新吉は深々と神宮寺に頭を下げ、縁談を進めて頂くように願い出た。
1985年、妻を看取った新吉は所沢家と神宮寺の後ろ盾もあり、故郷大戸島へ戻り、研究室長の職で国立特殊生物研究センターに就いていた。国立大戸ゴジラ博物館の艦長がセンター長を兼務していたが、研究センターの実質的な長を担っていた。
「所沢、ちょっといいかね?」
ある日、息抜きに研究センターから出ると廊下で館長に呼び止められた。当時は現在の新館にあたる博物館は無く、旧館の中に研究センターと博物館が併設されていた。博物館の展示物もその多くが当時はまだ本人や遺族が所有しており、現在に比べて数も少なかった。
歴代館長と同様に新吉を呼んだ彼も元々はどこかの省庁で勤めていた役人だった。関連した部署にいたらしく、全くの無知ではない為、館長・センター長としての経営管理は申し分ない人物だが、ゴジラや研究については全くの素人だ。
時折、回答に困って新吉をこのように呼ぶ。
「室長の所沢だ。……所沢、あとは任せたぞ」
「はい」
館長が立ち去ると新吉と質問者が残された。質問者は若い男であった。成人前後の見た目と館長の素人の知識では答えられない質問をしていることから大学生か研究者の卵だろうと予想した。
目尻に下がった垂れ目が印象的だが、眼光は対象的に鋭い。その目には覚えがあった。
「君はまさか……」
「神谷と言います。“初めまして”、所沢室長」
新吉の言葉を遮り、神谷は頭を下げた。
彼が何故そのようなことをするのかと疑問と不安、そして不気味さを抱く新吉に神谷は続けた。
「3点、自分なりの考察があります。第二、第三のゴジラが現れた際の対処法についてです。一つ目、有効性が確認されているオキシジェン・デストロイヤーの使用ですが、これは現存しない……とされています」
「それは」
「お父上、山根博士の生前の行動に不可解な点がありました。弟子として息子として博士の身辺を見ていた貴方とお姉様は良くご存知だと思います。何か博士はお二人に遺言を残している。今の対処法を与太話とならない“何か”を」
捲し立てるように一方的に話した神谷に新吉は言葉を挟むことができなかった。否、できなくなった。
「賢明な貴方達はその遺言を封印している。しかしながら、再びゴジラが現れた時も同じ態度で居られるか。少なくとも、現時点でその存在は隠す必要がある。恐らくそれも含め、博士の遺言なのでしょう。……自分もその考えに賛成です。しかし、これは存在するはずがないと考えられているから成立することです。……そうでしょう?」
理解した。神谷は新吉を脅迫しているのだと。
オキシジェン・デストロイヤーがもう一つ存在するかもしれないという憶測そのものがあってはならないのだ。人々を動かすのには憶測だけで十分なのだ。
新吉の反応を確認して、神谷は口角を上げた。
無言の契約だった。互いに最初に口にした推測は追及できない暗黙の了解となった。
「所沢室長、二つ目の対処法として原水爆以上の兵器を用いるというのは如何でしょうか。ある意味オキシジェン・デストロイヤーも含まれてしまいますが、それは除外しています。例えば、東西が競って開発している噂される中性子や反物質などを用いた……あぁ、あくまでも考察ですよ。水爆ではゴジラを殺すことができず、その生命の糧としたと言われていますが、威力がその数十、数百倍となれば結果は変わるのではないか? という意味です。所沢室長のお考えは如何でしょうか?」
「………可能性はある、と思います。ゴジラが耐えたのはあくまでも水爆が最も大きい威力となるので、それを上回ればその耐久の限界を超えることは間違いありません。事実として、ゴジラは一度死んでおり、肉体も融解しているのですから」
「ありがとうございます。最後の方法は子どもじみていると自覚していますが、仮に2体目のゴジラが現れた場合、3体目の可能性も高くなります。その可能性から考えた場合、ゴジラとゴジラに殺し合いの戦いをさせるという方法も出てきます」
「可能性としてはあります。しかし、その場合は2体を戦わせるのでなく、個別対処できるように考えるべきですね」
「前者2つ以外にも対処方法があると?」
「ゴジラも死亡する生物だと判明しています。生体が存在するならば、その個体を研究することで第4、第5の対処法も出てきます。少なくとも2体のゴジラを戦わせることで生じる被害は想像を絶します。それにユニークな発想ではありますが、一方のゴジラは生き残り、人類の脅威となります。これをどのように対処しますか?」
新吉が問いかけると神谷は嗚呼と間の抜けた声が漏れた。
「失礼しました。あくまでも1体のゴジラを殺す方法という前提条件を忘れていました。……お忙しいところ、ありがとうございました。非常に参考となりました」
そして、神谷は新吉の呼び止める声に会釈で返してそのまま博物館を後にした。
新吉はその後を追うか一瞬悩み、そして躊躇した。彼の言葉の意味を解釈するならば、彼は仇のゴジラを殺す為にゴジラをも利用することを本気で考えていることになる。それはあまりにも危険で、現実から掛け離れた考えに、その時の新吉は思えた。
しかし、それも無理のない話なのだ。この時、生存するゴジラがいる可能性を抱く者はほとんどいない上に、GⅠとGⅡという2体が同時に存在している可能性に気づいていた者は彼ら以外にいなかったのだから。
彼らとは、即ち――ゴジラ團。
