第二章 因縁
修道院跡で三神と特殊爆弾の奪還作戦が行われた。その時、グリーン達は海辺の岩礁地帯にある小湾へ辿り着いていた。
潮が引いており、足元は海藻や貝類の付着物で不安定となった岩場になっている。
時折、波が打ち寄せて足をすくわれそうになるのを滑り止めのついた靴底と手袋で岩に喰らいついて堪える。
グリーンは方位を確認し、小湾から真東へと岩を数える。
「…………19、20。あの岩だ」
見張りを警戒しつつ岩に近づくが、岩の周囲に人の気配はない。
目的の岩、“小湾から東へまっすぐ20番目にあたる岩”の場所を確認すると、岩の裏に洞窟があった。洞窟の中は二つに分かれている。
グリーンの予想は的中していた。二つある入口のうち、奥にある“2番目の入口”の先に人の気配があった。
この島を舞台にした小説『モンテ・クリフト伯』ではこの洞窟の奥に財宝が埋蔵されていたが、ゴジラ團と赤い竹が隠した宝は何か。岩礁地帯の洞窟ということで半信半疑であったグリーンの予想は、洞窟に足を踏み込んだ瞬間に確信に変わった。
湿度、温度ともに高過ぎる、低過ぎるということがなく、空気の流れは僅かだがある。それも一つ目の入口に向かって流れている。温度と湿度が一定かつほぼ無風に近いながらも換気が常にされる環境。三神の専門的な知識を持たないグリーンでも理解できる。ここは天然の細菌実験室だ。
必然的にここの財宝と洞窟内にいる者の構成が推測される。グリーンは耳栓をつけ、護衛の隊員に視線で合図を送る。
彼は頷くと、礼拝堂跡で使用されていたものと同じ閃光弾を洞窟の奥へと投げ込んだ。
刹那、洞窟の奥で激しい閃光と耳をつんざく炸裂音が響き渡った。
目を開き、耳栓を外したグリーンは隊員と共に洞窟の奥へと突入した。
まだ閃光弾による煙が漂っているが、視覚と聴覚を奪われて呻き声をあげているゴジラ團と赤い竹のメンバー2人よりも視界はクリアだ。
隊員が手早く彼らを無力化させていく。
一方、グリーンは洞窟内を確認する。驚いた事に洞窟内には外部から電力ケーブルとダクトホースが入口とは別の穴から通されており、培養用の恒温器、実験器具に遠心分離機、小型冷凍庫も置かれている。更に白衣を着た赤い竹の研究員が一人倒れ込んでもがいていたのは、雑菌が培地に混ざるコンタミネーションを防ぐ為のクリーンベンチであった。
洞窟の入口ギリギリか、或いは中で組み立てたと思われる大層な実験設備はまさに秘密結社の極秘研究所の様であった。
そして、クリーンベンチにはいくつものシャーレが置かれていた。
シャーレには半透明の個体培地が作られており、表面に点々とコロニーが形成されている。ラベルには、DO-Mという文字とシャーレ毎に番号が振られている。
「これか…………」
グリーンがシャーレに手を伸ばそうとした瞬間、横にいた研究員が両瞼を瞑り、両手を振り回して立ち上がった。
「うわっ!」
「目がぁ、目がぁぁぁぁあああっ!」
視覚と聴覚を奪われてパニック状態に研究員はなっていた。
腕が実験器具にぶつかり、液体の入ったガラス器具が割れる。
更にクリーンベンチの上に置かれていたシャーレの床に落とした。
「!」
テープで蓋が固定されたシャーレがほとんどであったが、テープを外していたシャーレも含まれていた。蓋が外れて、中身が液体の上にかかる。
「うわぁぁぁっ! どこだ! 前が、見えないっ!」
「なっ!」
グリーンが咄嗟に飛び上がり、床に伏せる。
「「っ!」」
クリーンベンチを巻き込んで、DO-Mの入ったシャーレは爆発した。
研究員は負傷して、その痛みで更に暴れる。
「ギャァァァァァァァァァァァァァァァァァ! 痛い! 痛い! 手がぁぁぁっ! 足がぁぁぁっ!」
手も足も出血しているが軽傷だ。しかし、パニック状態の研究員は、視覚と聴覚が戻っていない為、痛みと血の流れる感覚だけが唯一となっていた。今の本人としては手足を失った錯覚をしていた。
パニック状態の相手を取り押さえることは危険であり、近づくことも難しい。
研究員はそのまま体を振り回して実験器具の置かれた実験台に頭から倒れ込んだ。
そして、台の上に置かれたガラス瓶が割れ、中に入っていた錠剤が撒き散らされた。
「! これは……っ!」
DO-Hだった。
グリーンは絶句した。回収も阻止も間に合わない。
彼は隊員と視線を合わせ、出口に向かって一目散に走る。
そして────
爆!
洞窟の研究室は、その全てを巻き込んでDO-Hの爆発によって破壊され、続く落盤によって壊滅した。
「くそっ!」
グリーンは岩でゴツゴツとした地面に突っ伏したまま、その地面を殴った。
DO-M奪還は失敗した。
『……ザ……ザザ…………』
隊員の無線からブラボーの声が聞こえた。
今の爆発の拍子にイヤホンが外れたらしい。
『……ザ………ダ……ガーが…………†がそっちへ逃げた!』
無線を聞いたグリーンは、歯を食いしばりながらも立ち上がった。
修道院跡の制圧は計画通り遂行され、三神の視覚と聴覚が回復する頃には拘束によって無力化されたゴジラ團団員と赤い竹のメンバーが修道院跡の前の地面に並んで伏せられていた。更にヘリの姿はまだ見えないが、その音が上空から近づいている。
「例の爆弾は遮断膜で覆ったとよ。遠隔による起動のリスクはかなり低いぜ」
「了解した」
タカーがブラボーに伝える。ブラボーは三神を保護し、隊長と共に現場の状況把握に務めていた。
そして、ビニール製のカバンに入った死体と顔は出ているが全身を拘束された状態になった重傷者が修道院跡の内部から出された。いずれもゴジラ團と赤い竹側の人間だとブラボーが三神につげた。
そして、三神を隊長に託すと、ブラボーは順番に死体袋を開けて顔を確認し始めた。開けたら閉め、次の袋へと向かう手際の良さで、それでも人相を判断しているブラボーは時折、指名手配者を見つけると近くにいたユージーに声をかけてリストへのチェックを入れさせている。
賞金首でも混ざっていたのか、ユージーは声を上げ、タカーを呼んで驚きを共有して拳を掲げていた。
「…………マズい」
全ての死者と怪我人、そして並べられた捕虜の確認を終えたブラボーは渋い顔をして呟いた。
隊長はその意味をすぐに理解し、部隊に†と副々団長の捜索を命じた。
まもなくタカーとユージーが修道院跡の裏に通じる壁の穴を見つけた。
「どうやら海へ向かって逃げたらしいぜ」
「早速追跡と洒落込もうぜ!」
「いや、挟み討ちにできるかもしれない。……君達は周囲の捜索をしながら海に向かって降りてきてほしい」
ブラボーはタカーとユージーに伝えると、無線でグリーンと行動している隊員へ呼びかけながら海に向かって走り出す。
「「了解よ、相棒!」」
二人の息の合った返事を背に、ブラボーは素早く木々を掻き分けて海へと進む。
修道院跡から海辺への最短ルートは視界の開けた岩場となっており、部隊が既に見張っている。
グリーンが向かった小湾の方角、木々の茂る林を海へと下る。駆け足だが、木の枝が最近折れた箇所を見つけ、ルートを決める。
海岸線の岩場の先は崖となっている地形だが、グリーンのいる洞窟含めて隠れる場所も脱出の為の船や器材を隠せる場所もある。
相手の無線に反応があった時には確信へと変わっていた。
「†がそっちへ逃げた!」
グリーンは隊員と共に洞窟から外へと出て、周囲を見回す。隊員から借りた拳銃を確認し、いつでも発砲できるように引き金へ指をかけた状態でグリーンは岩場に沿って歩く。
「「!」」
海岸の崖となった岩の上と下。上に現れた†と見上げたグリーンは同時に互いを認識した。
弾!
「くっ!」
初弾は†が先だった。グリーンは咄嗟に岩の陰へ隠れて被弾を免れた。
しかし、その隙に†はその場から逃げた。
「待てぇーっ!」
武装している隊員が来るのを待たずに、グリーンは拳銃一つを武器に†を追いかけた。
弾!
「おっとっ!」
†は後ろを振り向かずに発砲する。当然命中しないが、グリーンを牽制するには十分な役割を発揮していた。
岩を登って†を追うグリーンだが、牽制によって距離は離された。
弾!
「っ!」
†は足を上げて、足を狙った弾を避けた。
弾道はグリーンと異なる角度で、銃声もグリーンとは異なる方角から響いた。
当然、グリーンもまだ引き金を引いていない。
「………お前か!」
林の中から現れたブラボーを視認し、†は叫んだ。
「嗚呼。一昨日は挨拶もできなかった。否、再会に気づかなかった」
「…………なるほど。それで同じ情報を持っていた訳か。つまり、お前があの時のチビか」
「命の恩人との縁が因縁となってしまったのは残念だ」
「そうだな。……そっちは商売敵と連んでいた探偵か」
ブラボーは正面から、グリーンは崖に沿って立つ。グリーンとブラボーによって崖っぷちに追い込まれた†は両手にそれぞれ構えた拳銃の銃口を二人に向けた。ブラボーの次にグリーンへ話しかける。
グリーンも銃口を†に向けたまま、肩を上げて笑った。
「連れ回された覚えはあるが、連んだ覚えはないな。あのジジイはただの依頼人だ」
「そうかい。先日、俺に喰ってかかった蛮勇さを見たからか、ゴジラ團からの評価は三神に次いで高かったぞ」
「それは嬉しいな」
「銃口が震えているぞ。モグリの名探偵も経験値は威嚇射撃が限界か」
「油断させるためのフェイクかもしれないぜ?」
「たしかに。警戒して損はない」
†は口角をあげ、目を見開いた。
刹那、三つの銃声が重なり、崖に響く。
三人の銃は同時に発砲された。
「っ!」
ブラボーの放った銃弾は見事に、†の銃を吹き飛ばした。†の弾丸はブラボーに当たる事なく、彼は弾丸を回避していた。弾道を予測して回避しながら†を撃っていた。
そして、グリーンの撃った弾は†の胸を貫いていた。
†の服は、胸から広がる血液で赤く染まる。
「…………」
†はグリーンに向けて構えていたもう一つの拳銃をするりと手から落とす。彼は不敵な笑みを浮かべて崩れるように倒れた。
赤い竹のリーダー†は、息絶えた。
「やるじゃないか、グリ…………ィィィーンっ!」
ブラボーは視線をグリーンに向けた瞬間、表情を変えて叫んだ。
グリーンの左肩から血が滴っていた。†の銃に撃たれていたのだ。
そして、ブラボーの目の前で、グリーンはふらふらと倒れる。足から力が一気に抜け、バランスを崩した彼は、次の瞬間、崖から落ちた。
グリーンが自分の身に起きたことを理解した時、既にその体は崖から落下していた。
肩からの激痛。そして、足の力が抜けた次の瞬間におとずれた浮遊感。体が異常に軽くなる。
曖昧な意識の中、ブラボーの叫び声だけが彼に確かな感覚として存在していた。
「グリィイィィィィーン!」
ブラボーは崖の上で膝をつき、再度叫んでいた。
しかし、グリーンの姿はもう見えない。
†の死と共に事実だけが残された。
――――グリーンが死んだ。