第二章 因縁



 数時間前、夜明けの空が暗い洞窟の入口を塞ぐ石垣の上から覗き、月明かりが僅かに差し込む。
 岩肌が露出した壁面、大部分は目隠しをされていたものの移動中に聞こえた情報から、ここがイタリアの海に近い古い洞窟であるらしいことを三神は推測していた。特に船舶での移動をしていた為、ここが島である可能性もある。
 ゴジラ團と赤い竹に捕まった後、フランスから避難者のキャラバンに紛れて丸一日以上移動し、途中から船に乗せられ、昨日この洞窟に放り込まれた。

「あのぉ……誰かいますか?」

 この洞窟に入れられてから飲まず食わず排泄もしていない。流石にこのままだと危険だと考え、石垣に向かって三神は声を上げた。
 
「トイレは部屋の隅にある桶を使え。水はもうすぐ届けられる。食事はしばらく我慢しろ」
「はい………」

 石垣の前に人がいたことに安堵しつつも、岩壁のかたわらに置かれた桶を見て嘆息した。

「大きい方なんだけど、紙……ないよね?」







 幸いにも飲料水の入ったボトルが届けられた時に排泄物の回収とペーパーの提供もあり、最低限の尊厳は守られた。その後も排泄は定期的に交換することや飲料水の補充、食事と共に次の提供はないと言われたが着替えも渡された。
 食事はパンとペースト。いずれも保存食と思われ、パサついていた。
 食事と水分が補給され、思考が回り始めた。地面に申し訳程度に敷かれた防水シートの上に置かれた、座布団の様に薄くて硬い布団に寝転がり、状況を整理する。

「……ゴジラ團と赤い竹は通じていて、赤い竹はゴジラの存在を元々知っていた。そして、DO-Mは彼らの手にあり、恐らくあの事故も彼らが。……多分、ゴジラはヨーロッパのどこかに出現している。DO-Mでゴジラを倒す兵器を作ろうと考えているのが赤い竹。……ゴジラ團とは真逆。なんで一緒に行動しているんだ?」

 三神もグリーン達と同じ疑問にぶつかった。どちらかが一見すると矛盾する手段でありながら、その目的は成立するということか。或いは、嘘をついているか。

「いや、こんな目に見えての矛盾」

 三神は頭を振る。矛盾をしているのだから、話を持ちかけられた時点でその理由が嘘だ真実だのはもはや関係なく、相手側を納得させる説明ができない。それを納得させられるだけの話をどちらかが相手側にしたのだ。

「それなら……団長か」

 それは確信といえた。勿論、会ったこともない相手だが、三神はニューヨークの一件で確信があった。
 事前に大西洋に生息していたゴジラの存在を知っていたとして、ゴジラ團が一歩先を行く動きを行えた。これが事実であっても、決定的に欠けた何かがあった。それがわからないと想像できない。
 団長が†を納得させられるだけの何か。ゴジラ團が抱える目に見えての矛盾を払拭するだけの何か。

「……そもそもゴジラ團はなんでゴジラ團なんだ?」

 口に出してみると三神の頭をこの言葉が何度も、山々に 響くこだまの様に繰り返された。

「順序が逆なんだ」

 ゴジラ出現に応じて現れ、声明を出したことで違和感なく受け入れ、†の話でゴジラ團が事前にゴジラの存在を知り得ていたことが判明した為、ゴジラ團の素早い動きの謎も解けたが、その場合、当初の謎に全く説明がないのだ。
 それは、ゴジラ團は、団長はなぜゴジラに注目したのか。
 †の話を聞いて、ゴジラの存在を知った事でゴジラ團が組織されたという可能性を考える。

「違う。それなら、赤い竹と決別してしまう」

 ゴジラ團や団長が†からゴジラの存在を聞き、ゴジラ團を作る。ここまでは良いが、それではどれだけ狂信的になったとしても、否なればなるほどに†の復讐とは足並みが揃わない。逆に何かしら合理的であったり、利己的な動機があったとしても、その場合は結局†が納得する理由がなくなる。
 これを解消できる条件を考える。

「赤い竹、†にはゴジラの存在を知っていて接触した。……或いは、接触した時は既にゴジラ團が存在していた。別々に存在している組織なら、利害の一致やそれこそ納得のできる交渉材料があれば、赤い竹とゴジラ團の協力関係は成立する。………つまり、ゴジラ團は半世紀前に現れ、消滅したゴジラを信仰している?」

 理屈は合う。ゴジラの行動を神格化する理由は信仰だけと限らない。ゴジラを支持することに意味を見出している組織である可能性はある。その場合、ゴジラを滅ぼせる力を自ら握ることに意味も生まれる。

「でも、それなら………。いや、あり得ない」
 
 既にゴジラを殺したオキシジェン・デストロイヤーを持っていれば今のゴジラの生殺与奪を握れる。確実に復讐を果たせる保証があれば†も納得する。その場合、ゴジラ團の目的はゴジラとゴジラを生み出した人類への復讐で、ゴジラは神でも邪神となる。説明はつくがあり得ない話だ。
 つまり、ゴジラを殺し、ゴジラを殺せる証明をした上でゴジラを利用する話だ。オキシジェン・デストロイヤー以外には成立しない。
 何故なら、ゴジラは史上2匹しか存在していないからだ。







 三神が連れ出されたのは、それからまもなくした頃であった。ハシゴを降ろされ、石垣を超えて洞窟から外へ出る。予測していたが、自然の洞窟に石垣を作り壁として作られた場所であった。これまで戦時下には壕としても使われた可能性が高いが、元々は宗教的な場所であったことが壁面に描かれた絵と祭壇で伺える。壁画からキリスト教圏の遺跡であることもわかった。
 また、外の建築物は崩壊しており、外が見晴らせた。予想通り、島または半島だった。
 廃墟の露天となっている為、洞窟内程ではないものの、湿度は高めで床は湿っており、恐らく宗教的に聖水として扱われている水場からは湧水が出て、水路に流れている。
 廃墟となった教会から自然に侵食されつつある道を連れられ、草木の少ない岩場となった丘へと出る。そこには石レンガ造りの建物が建っていた。廃墟であることは外観からわかったが、それが元々中世に建てられた修道院であったことは内部の礼拝堂跡に連れられるまでわからなかった。
 
「改めて挨拶をさせて貰おう。赤い竹の†だ」

 礼拝堂跡の奥に、教師や牧師のように立ち、赦しをこう修道女の如く膝をつかされた三神を†は見下ろす。
 †の後ろには十字架や聖人像ではなく、巨大な装置。“赤い水銀”の情報を持たない三神にその正体を推測することはできなかったが、それが兵器や爆弾の類であることは彼にもわかった。
 そして、その隣には†よりも傭兵然とした防弾装備を身につけて武装した白人男性が立つ。副々団長だ。

「三神……三神小五郎です」
「なかなかに肝は据わっているようだな。……いや、これまでの経験で鍛えられたか、それか麻痺したか。いずれにせよ、この後がお前を苦しめるだろう。今は緊張、ストレス、生存本能というものか。ハイになっている訳だ。これが抜けると一気に来るんだ。悪夢か、それならマシ。抑うつかパニック。つまり、新米の兵が引き揚げた後に陥るものだ。それで退かず、再び戦場に入りハイになって忘れようとした者がやがて戦士になる。どっち、だろうな?」

 クツクツと喉を鳴らして笑う†の目は全く笑っていない。既に、その戦士すらも超えた先にいるのが彼なのだと、三神は理解した。

「科学者というのは、狂気なのだとそこにいるビジネスパートナーに教えられた。単刀直入に言おう。DO-Mを用いてつくったDO-H。その量産、または威力強化を行うことに協力をしていただきたい」
「…………」
「なるほど。確かに。……三神、お前は今、己の欲に心が揺れた。その目、見逃さなかったぞ」

 確信を得たと†は笑う。三神は目を伏せた。
 間違いない。今、三神は再びDO-Mの研究機会を得ること、赤い竹に拉致されて研究を行う言い訳ができるこの状況を考えていた。そして、最も最初に浮かんだ感情こと、好奇心だった。
 逃れられない。科学者の性だ。

「……確かに。今、再びDO-Mを研究できるのであれば、その好奇心を抑えられるような理性は僕にありません」
「随分と素直なことだ」
「そうですか? ニューヨークに行ったことも、団長を疑われてもイギリスにいたのも、……勿論、流れに身を任せていたのは事実です。でも、間近でゴジラを観察できることへの好奇心を否定できないことも、また事実です」
「なるほど」
「一つ、一つだけ。……教えて下さい」

 三神の言葉、†を見上げる目に赤い竹とゴジラ團は反応し、威嚇として武器を構え直す。
 それを†は手で制する。

「言え」
「………2年前、何をして、何が起きたのですか?」
「…………ズルい奴だ」
「確かに。否定はしません。僕はあの時、周囲から禁じられていたものの、それを自ら調べようと抵抗する前に周りを言い訳にして島に逃げました」
「そして、今度は被害者という立場へ逃げるか?」
「………そう、かもしれません。しかし、2年前の出来事もDO-Mの謎を解く手がかりの一つになります。だから、知りたい。……それも否定できません」
「…………いいだろう。話してやろう」



 


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 赤い竹がDO-Mを狙うきっかけは、三神らの発表したDO-Mの論文の掲載された科学誌に目をつけたからだ。赤い竹はDO-Mが使い方次第では恐ろしい兵器になると気付いた。
 赤い竹はDO-Mの発見者三神小五郎を調べた。DO-Mの単離に成功し、国際的に栄誉のある科学雑誌での掲載がなされた論文は彼の博士論文であった。
 三神の経歴は就職氷河期世代の例に漏れず、就職を早々に諦めて大学へ残った後、大学院の修士課程で極限環境微生物の研究を続ける。しかし、元々企業就職志望で学者志望ではなかった為、修士で卒業。年度契約の研究者として転々し、研究者として燻る。1999年当時28歳の彼は、まさに契約満了後の職に悩んでいた。そんな折、恩師である大学院の教授から自身の率いるチェルノブイリ原発調査チームへの参加を呼びかける。帰国後、調査研究を継続する為にチームを率いた教授の門下として博士課程へ入った。
 2002年初頭、博士号取得の為に作ったのが件の論文であった。その目的に対して彼の得た栄誉は身の丈に合わない世界最高峰のものであり、故に赤い竹の目にとまった。
 DO-Mの奪取を目論んだ赤い竹は、三神と大学、研究室の調査をし、大学の警備が手薄になるタイミングを特定した。目撃者の殺害や証拠隠滅は想定しつつも、日本の諜報機関に気付かれるリスクから人的損害は出さず、奪取した証拠は事故に見せかけて消滅させる方針で計画を立てた。
 第一目的はDO-Mの奪取だが、犯行の時間は研究室に三神一人が残る明け方を選んだ。計画は、三神不在時も決行と決めた。三神がいた場合は三神を拉致する計画だった。
 結果、その日三神は研究室に残らなかった。同棲していた交際相手の優にプロポーズをする為だった。
 その為、三神が毎晩明け方まで残って1時間毎に分析を行う経過観測実験はその晩、研究員が交代していた。
 赤い竹は予め調べた監視カメラのない校舎裏へ車両を停め、日中鍵を開けていた普段使われない資料室の窓から校舎内へ侵入した。その部屋から研究室までの廊下に監視カメラはなく、他の研究室に残っている院生達もこの時間は寝ていることが多く、廊下は夜間の非常灯で薄暗い。万が一起きている者がいても他の部屋の者がトイレや買い出しに出たと思いわざわざ廊下を確認することはない。
 その為、複数人の足音がすることは御法度となる。故に、赤い竹は実行犯を一人に絞った。対象の奪取、三神の拉致、目撃者の殺害、証拠隠滅の工作を一人で遂行可能な実力のある海老羅という人物が選ばれた。複数の国から国際指名手配をされている海老羅は中国出身の酔っ払いの様な赤い顔に、漆黒の眼がギョロリとあり、潮焼けした様な赤髪の男であった。
 海老羅は研究室へ目撃者を出さずに侵入し、研究室内で分析作業の為、遠心分離機を操作していた研究員の背後に立つ。

「っ!」

 海老羅は小脇から鞘に入ったハサミを抜き取る。鞘から抜かれたハサミは、双刃となった短剣になっていた。シザーダガーという宝飾品として作られた稀な武器を彼は愛用している。
 研究員はシザーダガーで声を上げる間もなく首を掻き切られ、自身の身に何が起きたかわからないうちに悲鳴も上げられずに意識を失った。絶命までの時間で、海老羅は研究室内を見回すとバーナーとビーカーを掴む。ビーカーは大量の出血をしながら意識を失った研究員の手に握らせ、床に叩きつけて割る。
 バーナーは研究員の傷口に近づけて周辺の皮膚を炙る。火傷が出来たことを確認し、バーナーの火をズボンに近づけるとメラメラと服が燃え始めた。そしめ、割れたビーカーの破片を傷口に突き立てた。一瞬、ズボンの燃える研究員の体が跳ねて、絶命した。
 燃えた服が火災報知機に反応する前に、DO-Mの培地が入った試験管を恒温器から取り出した。斜面になった個体培地に点々としたDO-Mのコロニーが蛇行している。試験管にはDO-M1と株の整理番号と三神の署名が書かれたラベルが貼られていた。
 それを懐に入れると、恒温器からシャーレと試験管の培地を取り出し、水を撒く。窓を開けて海老羅は2階の研究室から飛び降りた。
 車が海老羅を回収するとほぼ同時に研究室の窓が爆発で吹き飛んだ。
 予定通り、DO-Mが水と反応して爆発を起こしたが、その破壊力は赤い竹の想定を超えていた。爆発は鉄筋コンクリート構造の床と壁を吹き飛ばす程の威力であった。
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