第二章 因縁



 その時、優達はイタリアへ向けてフランスのパリ上空付近を航行する飛行機内にいた。
 フランスの作戦はイギリスにも共有されていた為、津波の発生するリスクは承知しており、既にポーツマスでも高台への避難を終えており、残留したドイル研究員は通信を繋ぎながら機内の彼らと情報を確認していた。

「現地で何があったの?」
『わからない。………だが、あの光はコタンタン半島の方角だ』
「光?」

 優がドイル氏へ聞き返していると、アルバートが窓の外を見て叫んだ。

「核だ!」

 その言葉に優とクルーズも窓の外を見る。遥か遠方ながら空が紅く染まり、彼らの飛行機よりも高く稲光を迸るどす黒いキノコ状の雲が立ち上る。周辺の空とのコントラストは明確で、異彩を放つ。空は通常、あの様な極彩色に染まらない。
 優は息を呑んで、その光景を見つめていた。

「………現地の状況は全くわからない。周辺は電磁衝撃波の影響と思われる通信障害で連絡すらつかない」

 クルーズは携帯端末を片手に唸る。
 いつの間にかポーツマスのドイル氏との通信もノイズにかき消されて不通になっていた。

「一体、ゴジラは何をしたの?」



 



 ブラボーはフラマンヴィルから約20キロの位置にあるジャージー島のカメラに切り替える。空爆による津波被害とゴジラへの攻撃評価を観測する為に設置したものだった。
 カメラは眩い光と雷光、そしてどす黒い粉塵の壁が海を巻き込む光景。その爆風よりも早く到達した衝撃波が島の木々を薙ぎ払う。
 直後、ジャージー島のカメラも衝撃波を受けて映像が途絶えた。

「今のは………」
「核爆発」
「ダベな」

 ブラボーの呟きに、グリーンは静かに言った。ムファサも頷く。
 ブラボーは別の映像に切り替える。それは洋上に浮かぶ古城、モン・サン・ミシェルが映されていた。

「被害がないか確認する為に設置していたものだった」

 ブラボーは呟く。天候が良い時は青い空と海の中に浮かぶ様に白い壁面が輝く古城が見えるロケーションであるが、その映像に映る姿はまるで地獄の悪魔城のようであった。
 背景の空は黒く染まっているにも関わらず、煌々と極彩色に暗雲の中で閃光が迸る。その尚も燃える暗雲は幾層にも連なりながら上昇し、丸みを帯びる。キノコ雲を形成する爆発の中心地は尚もどす黒く染まり、地上の状況はわからない。キノコ雲からは降下物が墨を垂らしているのかの様にどす黒い粉塵に包まれた爆心地を更に濃い黒で塗り潰す。
 彼らはまだ爆心地のフラマンヴィルがどうなっているかわからない。
 しかし、モン・サン・ミシェルの背後、普段は美しい海の水平線が今、盛り上がりながら古城へと迫る情景が映っていた。

「津波だベ………」
「まさか」
「そのまさかだ。あの核爆発は、津波を起こした。恐らく、それはフラマンヴィルを……地図から消す程の」
「………何なんだ。アレをゴジラは……どうやって?」

 ブラボーすらも混乱している様子だった。グリーンはその様子を見つめて冷静に思考する。それしか彼にもできなかった。
 彼らが見ている映像は、まだ避難が十分になされている地域ではない。津波は目に見えて迫っており、彼らにはその脅威に対して何もできない。ただ、見ていることしかできない。

「白熱光も爆熱火球も体内の核反応で生じた放射線などをゴジラは放っているダ。アレを使う直前、ゴジラは反芻みたいな仕草をしていたベ。ンダら、もしかしたらゴジラは、放射性物質を吐いたかもしれネェ。放射性物質が体外で連鎖的に核爆発を起こしたッテェ可能性があるダ」
「核を吐き出したのか………」

 ムファサの見立てにブラボーは愕然として呟いた。
 
「なんてこった。つまり、核吐き出し爆発(Nuclear vomit burst)ってことか」

 グリーンも忌々しげに言った。

「核吐き出し爆発(N-vomit burst)……エヌ・バメースト(N-vomirst)ダベな」

 ムファサはvomitとburstを繋げた造語でそれを呼んだ。

「とりあえず、N・バメーストとしよう。………アレは一体どれ程の威力だったんだ? それに、ゴジラは?」
「わからんベ。……だけんど、自らの体内から放った核爆発で命を落とすなんて事は考えられねぇダ。ゴジラは、あの中で生きている筈ダ」

 グリーンの疑問に、ムファサは津波が到達して美しい古城が黒い波の中に消えていく光景を見ながら告げた。
 モン・サン・ミシェルの映像もそこで途絶えた。
 



 


 映像が回復したのは1時間後。フランス空軍機による空撮映像だった。
 爆心地のフラマンヴィル原子力発電所は最大半径1キロに及ぶクレーターに消え、地形は変貌。数キロに渡って半島は焦土と化した。津波に襲われたモン・サン・ミシェルは勿論、数日後には海峡を跨いだ対岸のイギリスの沿岸域にも津波の被害が及び、150キロ近く離れたロンドンでも放射性降下物、所謂死の灰が観測された。
 そして、フラマンヴィルから約30キロの半島中央部の平原を悠然と移動するゴジラの姿が確認された。

「政府は………いや、ヨーロッパが混乱している。ゴジラは水爆に匹敵するN・バメーストを使える。今まで使わなかったのはただの気まぐれという考え方もあるが、状況はBLU-109と列車砲による攻撃がゴジラへの有効であったが為にゴジラを刺激し、N・バメーストを使う行動に至った可能性を示唆している」
「あぁ。今まではゴジラが本気を出していなかっただけかもしれない」
「そうだ」

 グリーンの言葉にブラボーは頷く。
 それは大国の抑止力としての核と同じ意味を生み出している。人類は迂闊にゴジラへの攻撃が出来なくなったのだ。
 ゴジラは人類の葛藤を嘲笑うかの様にフランスの国土を蹂躙しながら南下していた。







 12月24日、世間ではクリスマスイブとされる日。ワイン産地として知られるフランス南西部。中世の歴史的城塞都市であるシテで知られるカルカッソンヌ近くをゴジラは地中海へ向かって移動していた。
 凡そ2日。ゴジラはフランスを縦断しようとしていた。
 今尚、コタンタン半島は勿論のこと、フランス北部とイギリス南部のイギリス海峡周辺地域は津波と死の灰による被害が甚大でその全貌が明らかになっていない。
 それも相まってフランス政府はゴジラに対して行動観察と進行上の地域の避難、救助活動に舵取りをし、攻撃を中止していた。パリでも放射線量の上昇が観測され、被災地の救助活動もままならない中、ゴジラへの攻撃を実施するだけの戦力を避けられないのもある。
 しかし、最たる理由は有効性の確認された攻撃手段である地中貫通爆弾を使用し、再びゴジラがN・バメーストを国内で使用した場合、フランスは再起不能な不毛の地となる。フランスはゴジラを攻撃できなくなっていた。




 

 
「バート叔父さん、本当に米軍はゴジラにイリノイを出撃させるつもりですか?」
 
 イタリア、ガエータにある邸宅で日本人の男性が、アメリカ海軍の制服に大佐の階級章を付けて鏡台の前で身だしなみを確認している男に話しかけた。一見すると青い瞳をした白人のアラフォーながらも軍人らしい筋骨隆々とした肉体を持つ男だが、東洋人の黒い髪はハーフであることを物語る。
 彼の自室にテレビは無いが、リビングで流れるカルカッソンヌを移動中のゴジラを伝える報道のテレビ音声が聴こえる。

「海斗、お前はどう思う?」

 海斗と呼ばれた日本人は、蒼井海斗。日本では海上防衛隊の一等海尉として護衛艦の砲雷長をしている。目の前にいる男、バーソロミュー・ゴードン海軍大佐は彼の叔父にあたる。蒼井は外見こそ日本人特有の東洋人顔であるが、クォーターであり、瞳がゴードンと同じく濃い青色である。ゴードンは母方の叔父に当たる。

「バート……! 海斗も!」

 リビングから掠れた老人の声がテレビの音に紛れて聴こえてくる。
 二人は顔を見合わせ、リビングへと移動する。
 リビングにはテレビとスピーカーの前に安楽椅子を置いている。そこに座る蒼井の祖父、ゴードンの父、ダグラスの指定席だ。
 ダグラスは齢80の手足を震わせながらも力強い眼差しでテレビに映るゴジラを指差した。

「ゴジラがァ、来る!」

 ダグラスは口の中で入れ歯をモゴモゴと動かして歯軋りをする。

「バートォ! イリノイならァ、勝つ! お前にはァ、ワシの全てを伝えたァ! 50口径16インチ三連装砲ォ! アレならァ、ゴジラにも勝つ!」

 老人の妄言、ではない。人生のほとんどを戦艦イリノイと共に生き、余生すらもこの地で過ごしたダグラス。彼は子へ孫へと長年語り続けていた。
 入隊直前に怪我をして戦地に行けずに終戦を迎えた自身と、終戦後に進水となった戦艦イリノイは、共に朝鮮戦争が初めての就役となり、ベトナム戦争を経て予備役となった後も自身と戦艦イリノイを重ねていた。肉体が資本である兵士の仕事は老いを感じるに十分であり、多くの仲間と共に彼も現役を退くことになった。そんな彼らにとって、余生を予備役として過ごすと思われていた戦艦イリノイの2度に渡る近代化改装と再就役は再び生きる活力を与えた。特に姉妹艦とは異なる改装、姿になり、モスボールとなってからもその一部機能は運用され続けた他に類を見ない艦歴は、まさしく21世紀最後の戦艦であり、彼らの誇りそのものであった。
 そして、朝鮮戦争後、ベトナム戦争までの間、戦艦イリノイは太平洋にいた。邂逅はしなかったが、当時ゴジラと同じ海にいたのだ。
 故にダグラスは折に触れて子ども達に語っていた。有事の就役時に戦艦イリノイがゴジラと邂逅していれば、その引導はイリノイが渡していたと。そして、自身の妻であり、子ども達の母親の故郷を襲ったゴジラをダグラス自らがイリノイに乗り込んで戦っていたと。

「確かに、戦艦イリノイの主砲発射システムは親父含めた僅かな人間しか扱えない。湾岸戦争の経験と親父から教えられた知識があるから、今回艦長に選ばれたと思っている。今の艦砲は威光を誇示する飾りだ。大きな飾りを載せた防空ミサイル対潜母艦、それが戦艦イリノイであり、その筈だった。……ゴジラが現れなければ、このまま残りの余生を地中海の洋上防空ミサイルシステムとして港に係留して過ごす筈だった」
「戦艦がァ、戦場に立たずに朽ちるのをォ、誰が見たい! 戦艦はァ、戦場に生きィ、そしてェ、沈まない!」

 そう言うとダグラスは安楽椅子から立ち上がろうとする。慌てて蒼井が支えようとするが、ダグラスはそれを制して立ち上がった。

「バートォ! 行くぞ!」
「行くって、どこへ?」
「イリノイだ! 海斗ォ! お前も来い!」

 そう告げるダグラスにゴードンは慌てて声をかける。

「親父、もう碌したのか! もう親父は退役している! 海斗に至っては日本の防衛隊員だ! いくら艦長でも認められるものではない!」
「乗れなくてもいい! この目でェ、見届けるのだ! その目で見せれば、必要な知識はァ、この頭の中にある! 乗れずともォ、見てェ、聴けばァ、海斗なら理解する!」
「…………港までだ。海斗、親父を頼む。今、車を用意する」
「は、はい!」

 ゴードンは根負けした。
 しかし、車の鍵を手に取る彼は喜んでいた。
 医者からは認知症の始まりが疑われ、最悪の妻を亡くしてかつての活力を失い、一日を安楽椅子に座って大音量でテレビをただ眺めていたダグラスが、かつての活力を取り戻していた。それは、ゴードンが海軍を志した幼少期に憧れた父親の姿であった。
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