第二章 因縁



『つまり、音響? ソナーや目視も含まれるんですよね? それで人海戦術で捜索を行うと?』

 報道番組は今もゴジラ関連を報じており、途中から軍事評論家なる中年男性がスタジオに加わり、現在英国領海内で行われているゴジラとの哨戒、攻撃について評論家の解説を受けて、古地が問い返す。

『かつては一隻の戦艦や駆逐艦が中心になった艦隊が耳を頼りに潜水艦を探すというものが主流でした。……が、巨砲大艦主義が終わった近代ではもっぱら哨戒機。まぁ、ヘリコプターなどですね。そうしたものが広域に展開する方が機動性もコスト面も良い』
『大きな船を動かして探すのではなく、大きな船を基地のようにしてそこからヘリが四方八方に展開して探すということですね?』
『そうです。如何にも安そうでしょ?』

 評論家は無精髭を掻きながら馬鹿にした様な顔で言った。

「あの評論家、大艦好きだな」
「私もそれ、思いました」

 テレビを見て呟いた神谷の言葉に翠は同意した。巨砲大艦主義が終わったと言う瞬間から露骨に表情からやる気が無くなった。
 急なオファーで即出演をした評論家なので、番組側も選んでは居られなかったのだろう。翠は事務所窓口に置かれたブラウン管タイプのデスクトップパソコンを操作し、評論家の名前をインターネット検索する。

「やっぱり。対潜水艦戦闘や世界の海軍評論を扱ってますけど、一番多いのは戦艦関連ですね」
「戦艦の長さ比較とか何の評論なんだ?」
「知りませんよ。……というか、のんびりとテレビ見てて良いんですか? 書庫の鍵は開けてますよ」

 翠が神谷を呆れた顔で見る。わざわざ連絡船に乗って大戸島に来たにも関わらず、神谷は翠達に宣言したゴジラ團団長の調査を一切やっている様子もなく、ずっとテレビをゴジラ博物館内で観ている。それに付き合っている翠も翠だが、休暇中の為、特にやる事もなく、どの道夕方に大助達、島の子ども達と遊ぶ約束をしていて時間が空いている。
 一応、書庫の鍵は所長が開けて管理しているが、当の所長は先程から机に齧り付いてメールと電話をしている。

「いやいや、取材対応にお忙しい中で勝手に調べさせて頂いた結果、皆様の不都合な真実に至った場合に何と言われるかわかりませんから」
「私がいますけど?」
「休暇中と伺っているのにそれはさせられませんよ。どの道、ゴジラが現れた以上、ゴジラ團にも何らかの動きがある。……それを確認した後でも遅くはない」

 ニヤリと口元を歪め、それが彼の笑みであると一瞬、翠はわからなかった。

『………米国海軍には大戦当時の戦艦が今も存在しています。アイオワ級戦艦はハワイのミズーリなんかご存知の方が多いのではないですかね。えー、あまり知られてない話ですが、地中海にもこのアイオワ級の一隻が予備役という形であるんですよ。予備役というのは除籍されていない引退艦で再就役される可能性がある艦になります。湾岸戦争時の再就役したことは記憶にあると思います』
「この評論家、マジで何話してんだ?」
「さぁ? とりあえず、ゴジラに戦艦を向かわせたいのだとはわかりました」

 呆れた表情で苦笑する二人の前で、テレビの評論家の額に重なるように速報のテロップが表示された。それは合衆国がイタリアのガエータでアイオワ級第5番艦の戦艦イリノイを復帰に向けた再整備を行っていることを認めたというものであった。
 直後、この評論家が不謹慎な笑みをテレビの映像で隠しきれずに晒したことは言うまでもない。






 げっそりと疲弊したクルーズとストレス発散後の糖分補給に飛行機機内で貰った棒付きキャンディーをさながら咥えタバコの様にチュッパチュッパとさせる優がロンドンのヒースロー空港に降り立った頃は、日がすでに傾いていた。

「予想はしてましたが、混沌としてますね」
「まだマシな方だよ。それに通常の旅客便はゴジラ出現から減便と欠便になっている。結局威力偵察で終わったが空爆も行われた。今更空港内にいる者は空港から出るに出られない者が殆どだろう」

 クルーズの言葉を聞いて、優も納得する。
 確かに人が溢れ、至る所で座り込んでいる人がいる状況だが、便を求めて騒いでいる人は少なく、ほとんどの人はスーツケースを椅子代わりにしていたり、割り切った様子で読書やモバイル端末を操作している姿も多い。外見も優と同じアジア系や明らかに英語とは異なる言語を話している者が多い。
 身軽な2人はそんな人々の間を縫う様に進み、展望デッキへ向かう。




 

 2人の向かった展望デッキは広くないが、屋内ガラス張りでターミナルに着けた旅客機の並ぶ姿を真近に見下ろすことのできる位置にあり、子ども連れの人々が数組、ガラスの枠に体を寄りかからせて座り込んでいる。うち一家族は既に子どもが飛行機を見飽きているらしく、携帯ゲーム機をし、両親はスーツケースを抱きかかえるように座って目を閉じていた。
 その隣で、どの子どもよりも目を輝かせ、ガラスに高い鼻の脂をつけてへばりついている50代半ばから60歳前後と思われる中高年のボサボサの髪をスポーツ用のヘアバンドで後ろにした白衣姿の男性が立っていた。

「あれはBAe146か。あの型番は本来シティ空港のフライトだった筈。……ということはあちらも詰まっているのか? 上空待機は…………。ふむ…………いかんなぁ。全くもっていかんなぁ」

 その後も飛行機の型番を読み上げ、独り言を呟いている。しかも、時々英語でなくドイツ語でも呟いている。
 視力が良いことと、飛行機に詳しいことはわかるが、それよりも非常に怪しい人物であることがよくわかる。

「クルーズさん、この場所にした理由をさっき聞きましたよね?」
「あぁ。歩きながら答えた。待ち合わせ場所は、お互い不慣れな場所で初対面という事情もあるので、互いに相手を見つけやすいターミナルの隅にあるわかりやすく狭い場所を指定した。だから、少し歩いてもらう……と」
「はい。それで確かにあの人混みの中、それなりの距離を歩きました。………それ、必要でしたか?」
「状況によっては、百人の人混みの中でも見つけられる可能性があるが、あくまでも状況によってだ」
「見つけられない状況は彼がその場から離れている場合でしょうね」
「……………」

 2人が彼、ドイツ人物理学者のアルバート・シュナイダー博士に声をかけるまで、更に30秒の沈黙が必要であった。








 “赤い水銀(Red mercury)”――。

 冷戦下、1970年代の西側諸国でまことしやかに噂が広がった物質の名である。
 その物質を起爆させると原子爆弾を使わずに核融合反応を起こすことができる。曰く、拳大程の小型核兵器を生み出すことができ、それは結果として従来の水爆よりもフォールアウトを減少させる純粋水爆を意味するとされている。
 しかし、それはソビエト崩壊の混乱で行方不明になった。或いは、今もロシアが隠し持っている。その様に噂され、“赤い水銀”と呼ばれる物質が闇市場に今も現れるが、本物が確認されたことはまだない。
 世界中がこの兵器を欲し、この物質が見つかったという噂は後を絶たない。都市伝説と化したその物質は、噂が噂を呼び、様々な憶測が飛び交い、“赤い水銀”のイメージが人々の中に作られていた。
 それは所在だけでなく、生成法や物質の正体にも及んだ。中性子爆弾と考える者。凡そ科学とは程遠い錬金術と思える方法で生成されると考える者。
 しかし、その真偽は本物が確認されない限り、わからない。


 アルバート・シュナイダー。東ドイツの科学者であった両親から生まれ、両親と共に西側へと亡命し、フランスで育った。一目でゲルマン人とわかる外見であった彼だが、その類稀な才能と異質さは虐められた経験よりも畏怖によっての孤立する経験を多くもたらした。
 しかし、彼自身が人への興味がないことで、それを悩むことがなかった。
 幼少期、思春期と成長する中で、その際は顕著になり、周囲は畏怖、そして嫉妬を生み、悪口や噂として表出した。アルバートも悪意ある言葉を耳にする機会が幾度もあったが、それに心を狂わされることはなかった。彼には両親と同じく物理学への関心があったからだ。彼は数学や物質にある変化の中の規則性を好み、その規則性にあるイレギュラーな要素を間違い探しに没頭する子どものように楽しんだ。それが、彼を癒し、心の安定をもたらした。
 そんな彼にも転機はある。一度目の転機は成人期だ。
 大学で学問の分野こそ違うが、彼と同じく学者を志す女性と出会った。彼女との交流を通して、彼は人と関わることの楽しさを学んだ。
 しかし、彼女と彼の関係は友人に留まった。彼が不器用であったことは間違いないが、それ以上に彼は彼女の事が分からなかった。
 これまで周囲の人からの言葉で傷つくことのなかった彼が初めて人間関係で悩み、傷ついた経験であった。
 それ故に、以降の彼は更に研究のめり込み、人との交流は避けた。
 そして、数年後。彼は二十代の間にあまりにも大きな発明を成し遂げた。
 それは、彼の目指す研究目標の通過点、副産物に近い存在であった。それが、“赤い水銀”と呼ばれる物質である。
 フランス政府が持て余す物質の存在を察知したソビエトが付けたコードネームこそ、“赤い水銀(Red mercury)”である。
 この“赤い水銀”は彼の目指す物の前身であり、それ故に噂の通り、水爆に組み込む小型核兵器の材料でしかなかった。その核兵器をフランスから東側国家は奪取したが、その使用は核実験でなく、事故であった。まだ“赤い水銀”は安定して存在することはできなかったのだ。
 現在、合衆国がフランスが作った核兵器によってゴジラが生まれたと主張するその核兵器こそ、“赤い水銀”を使った小型水素爆弾である。
 以降も彼は“赤い水銀”の研究を続けた。その末、世紀末に彼の研究は完成間際までに至る。
 その時、彼に二度目の転機が訪れた。
 きっかけは唯一の理解者であった両親の死別だ。母を亡くし、彼同様に消沈した父も一年と経たずに他界した。
 孤独を感じた彼の前にかつて交際には至らなかったが心を開いた友人の女性が現れた。彼女もまた学者として大成し、他国の大学で古生物学の教授となっていた。再会により旧交をあたためつつも、再び恋愛感情を抱くには彼も彼女も歳をとり過ぎていた。
 しかし、彼女との再会によって、彼は再び人への関心を持つ。
 そして、人への関心を持ち始めた彼は、自身の研究結果である“赤い水銀”という特殊爆弾の意味に向き合う。それは、人という存在をただの存在として認識していた彼が人を人として認識するようになったが故であった。
 その変化が彼に起きていたから、彼はそれをただの情報として流さず、意識を向けた。2001年9月のことである。それは、世界同時多発テロと呼ばれた。
 彼は兵器として使われる技術の研究をしていることに初めて悩み、葛藤した。この変化をもたらした友人も距離こそ遠い為、頻繁ではなかったが、彼に寄り添った。
 そして、抗うことのできない濁流の如く、時間と物事は進み、遂に特殊爆弾としての“赤い水銀”は完成した。
 唯一の救いは、その持て余す兵器を政府も公にすることを忌避し、彼の覚悟が整うまで秘匿する約束をしたことであった。
 その彼に覚悟を与えたのは、やはりあの友人であった。
 彼女は2ヶ月前、合衆国に招集された。ミニドア島という小さな島で起きた惨劇の調査と、古生物学者という立場からの意見付与を依頼されていた。そして、彼女はニューヨークでゴジラに出会った。
 彼女、合衆国州立大学のクイーン教授から話を聞いたアルバートは、遂に覚悟を決めた。
 クイーンの協力で彼と“赤い水銀”の安全は国連が保障した。
 覚悟を決めた彼は、かつてと同じく規則性の中で存在するイレギュラーを少年の様に楽しめるようになっていた。

「あれはBAe146か。あの型番は本来シティ空港のフライトだった筈。……ということはあちらも詰まっているのか? 上空待機は…………。ふむ…………いかんなぁ。全くもっていかんなぁ」

 アルバート・シュナイダー、63歳。反物質“赤い水銀”を生み出した天才物理学者である。
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