第二章 因縁
「この写真はどこで?」
写真を見た三神は驚いた顔のままムファサとブラボーを見る。
「旧東ドイツ側に属する離島だ」
ブラボーが写真を三神から取り、答えた。
「というと…バルト海?」
「そうだ。20年以上前に元々ソビエト式の政策の影響を受けて経済的にも貧しい村しか存在しない小さい島だったが、一夜にして全滅した。残されたのは2名の生存者と写真の足跡、そしてそのサンプルだけだ」
終戦後、ドイツは東西で分割された統治となり、そのまま冷戦への突入と共に二つの国になっていた。ベルリンの壁が崩壊し、再統一が果たされた時、当時大学受験を控えた高校生であった三神もテレビでそれを観た。それまで西ドイツは合衆国を筆頭とした資本主義国家の影響の中、経済成長を成功させた。その一方で、ソ連の影響下による社会主義的な計画経済の成長は、歯車がスムーズに回る間こそ良好であったが、一度その歩みが乱れると停滞する。次第に民主化の声が東側で高まっていったことは当時の三神も聞き及んでいた。
「それが何で? いや、何故ここに?」
「それは、何故今まで明らかになっておらず、ドイツでなくフランスのオレの手にこの写真があるのか? という意味でいいな?」
「そうです」
「ふむ。指摘は尤もだろう。まずこの写真の出来事は、現在のドイツは勿論、旧東ドイツを含めた当時でも秘匿化され、存在しないものとなっている。実地に入ったのは政府でなくワルシャワ条約機構の統合軍だった。つまり、モスクワだ」
西ドイツを含めた西側諸国が北大西洋条約機構、通称NATOという同盟を結んだのに対して、東側諸国も友好協力相互援助条約機構、通称ワルシャワ条約機構という同盟を結んだ。それは言わずもがな、東西冷戦の勢力図そのものであり、盟主はソ連で本部はモスクワだ。
その統合軍が対応したということは即ち、ソ連がゴジラの存在を察知し、先の合衆国と同じ事をした訳だ。違いとしては当時が冷戦時代であり、彼らはその事実を秘匿することでサンプルを抱え込んだという点だろう。
「……公になっていない事情は何となく察せられました」
「よし。そして、モスクワの旧ソビエトの施設の奥底で眠っている筈のこのサンプルがあるか? だが、非常に単純明快だ。オレが統合本部から入手したからだ」
「確かに、それしか考えられる理由がないのでわかりますが、僕がわからないのは、何故それを貴方が入手できたのか? ということです」
「……流石というべきか。聡いな」
「既に存在しない国の隠蔽、秘匿された出来事の証拠です。入手が困難というのは当然でしょうが、そもそもの話、それが存在するということ、それがモスクワにあったということは、フランス政府の貴方が知るはずかなく、困難というよりも不可能と思っただけのことです」
「なるほど。……有耶無耶に出来なくはないが、貴方の協力が必要な状況だ。答えよう。……オレは生存者の一人だ」
「!?」
三神は驚きと脳裏に?マークが浮かぶ。
生存者であるならブラボーはドイツ人ということになる。何故フランスの諜報をしているのか。そもそもそんなことができるのか。
「今のオレはフランスの人間だ。そして、ドイツにオレは国籍もない。唯一存在するのはオレの記憶のみ。オレの経歴を追っても、最も古い記録で存在するのはB9602という名前ですらない無国籍の孤児がフランス領内に設置させれた政府非公認組織による工作員養成施設にいたという紙一枚の一覧だけだ」
「………」
その瞬間、三神はゾワッと鳥肌が立った。その言葉を発したブラボーの暗部を覗かせた雰囲気もだが、何よりもそこから連想される状況に恐怖を感じたのだ。沢山の子どもを示すアルファベットと数字の羅列だけが並ぶ一覧表の紙。それ以外にその子達が存在した証はなく、恐らくその中で今も生存する者はブラボーの他に果たして何人いるのだろうか。
そして、ブラボーは無表情で言う。
「オレは運が良かった。冷戦終了、東西共に転換や過去の清算を行い、不都合な存在は初めから無かったことにした。その皺寄せはオレ達の組織にも及んだが、オレの場合は手腕のいい師匠に恵まれてフランス政府に帰属し、正規の扱いではないが、フランス国籍を使えるようになった。そして、これらはそのカードとしてオレがかつての飼い主から奪った物だ」
「そうですか」
淡々と話しているが、それがどれほど危険で困難な事であったかは最早三神の想像を絶していた。返す言葉は他に浮かばなかった。
それを見たムファサが瞼を重くさせた表情で嘆息する。
「世の中色んな奴がいるって事ダベ。それにオラからしたら、三神の経歴も十分にヘビーなものダラ」
「………」
「そして、オラ達はそぎゃん三神の、いや三神だからオラ達には見えないものが見えると期待しているんダベ。オラがここで出せなかった結論を三神に出して欲しいんダラ」
三神はムファサとブラボーをそれぞれ見る。
そして嘆息をし、二人に告げた。
「わかった。まずは三葉虫と土壌の分析データ。少なくとも土壌は破砕検査もしているだろ? そして米国がフランス政府へ言っているゴジラに付着していた放射性物質などのフランスの核が原因だと主張する根拠。それとこの写真の場所の環境的な情報、可能であれば過去半世紀の周辺の海流や生態調査、地質的な資料。最後にフランスの核実験の実施場所の全て。未使用不発も含めてゴジラから検出された同成分の放射性物質が発生する可能性のある核兵器の情報を全て。……とりあえず、これらを全て用意して欲しい」
心の奥底にある研究者としての欲求に対して素直にさせるお膳立てを既にブラボーは整えていた。客観的事実としては三神は拉致されて強制的に調査を行わさせられている状況であり、そんな三神の出した結論が如何なるものでも国際社会に出すことはできない。つまり、三神のこれから行うことは世に出ることもなく、それはこれ以上の非難を三神が負うリスクがない。そして、ブラボーが被害者である事実を明かしたことで、三神自身の主観的な心理的抵抗を取り払った。その上での二人から示された盗んだ証拠と三神と同じ立場であって既に協力をしている話という軽微な負い目のある行動の開示によって、三神自身の心理的ハードルを下げた。
全てが三神の経歴や性格を元にしてブラボーが仕組んだことであろうと、既に三神はこれに抗う意思はなかった。
「フィリップさん、オリーブがよく漬かったんだけど、どうかしら?」
「ありがとうございます」
老婆が瓶詰めされたオリーブを取り出して窓辺にいるグリーンに差し出した。
グリーンは如何にも好青年然とした笑顔で受け取り、口に入れる。
「いい漬かり具合ですね」
「そう? 息子は全然食べてくれないのよ」
老婆は機嫌良さげに「頑張って頂戴」と声をかけてグリーンから離れた。
「……来たか」
グリーンは窓の外を見て、目を細めた。
紺色のワンボックスタイプの車輌が建物の前に停まった。張り込み中に出入りしていた者達とは雰囲気が違う。
グリーンはズボンのポケットから3インチの液晶モニタとケーブルで繋がった口紅大のスティック状のCCDカメラを取り出し、カメラを窓の外に向ける。そして、液晶モニタに付いているアンテナを伸ばし、モニタの側面に付いているボタンを押す。
カメラは車から降車する者達に向け、モニタを見ながらグリーンは携帯電話を開き、クルーズを呼び出す。
「俺だ。ご依頼の品を送った」
『ご苦労。……依頼以上の働きだな』
「追加報酬は別途相談で。……で、そっちは? 三神が行方不明になってるんだろ?」
『そうだ。だが、今はゴジラの方だ。出現したことくらいは知っているだろ?』
「あぁ。ニュースでやっている。哨戒中だってな」
グリーンはオリーブの瓶を抱えて部屋のテレビに釘付けとなっている老婆に視線を向けた。テレビのニュースで海へ出たゴジラを英国海軍が哨戒を行っているとテロップが表示されている。
『情報が少し古いな。今し方入った情報では沿岸100キロの地点でゴジラを発見したらしい。英国はインヴィンシブル級空母を旗艦とした隊が迎え撃つ』
「待て、それって本国の主力じゃないのか?」
『ネッシーの仇か、王国を土足で踏まれた怒りか、それとも単に合衆国への競争か』
「……嫌な予感がするな」
『それは同感だ。我々は今ロンドンへ向かっている』
我々という言葉でグリーンはクルーズが優と合流し、イギリス国内を移動中にあることを理解した。同時にクルーズの言動からグリーンは察した様子で「嗚呼」と喉を鳴らす。
「ということは、三神のことは俺への追加依頼ってことですね?」
『よく気付いたな』
「貴方の態度ですよ。今の貴方の立場で三神を行方不明にしておくのは問題であるが、慌てている素振りや自身が動く判断はない。そのような態度となる理由は、一つが三神を拉致したのが問題とならない相手。つまり、ゴジラ團は勿論のこと、三神の身柄を狙っている合衆国側でもない場合。そして貴方の都合の悪い状況になるリスクの高い場所でもない。となれば、所謂東側諸国は貴方が元CIAであることを考えると外れる。そんな条件と合致する独自路線をしている国はそんなに多くはない。加えてもう一つの理由は、三神が行方不明になってから、貴方がその判断をするに至った時間。これはもう近隣国でフランスと考えるのが妥当だ。そして、貴方はかつてこのフランスで過ごしていた。プライベートという可能性もあるが、一番高い可能性は潜入か身分を明かしての公式的な滞在。そうなれば、対立関係か協力または少なくとも信頼関係のある状態にあると想像できる。前者でないのはわかっているし、協力関係であれば最初に言う言葉は「心配ない」だ。よって、一番高い可能性はフランスに三神はいて、相手は貴方が実力や三神の身の安全についての信頼を持ちつつも、先々の引き渡し等が問題ない関係性ではないということがわかる」
『なるほど。何故私がフランスで過ごしていたとわかったのかは気になるところだが、正解だ。相手はフランス諜報に属する私の一番弟子だ』
「そんなの言動の全てが答えだろ? 貴方の立場を考えれば生粋の合衆国生まれ、合衆国育ちなのは間違いない。にも関わらず、フランス国内での貴方の発音、挙動の全てが自然だった。短い時間だったが日本での貴方からはその自然さは存在しなかった。それはつまり、フランス人として生活をする訓練を受けて体に染み込ませたことを裏付けている。実はハリウッド俳優だってことでなければ、中長期間の滞在、潜入経験があったと考えるのが自然だ」
『憎らしいくらいに優れた観察力だ。ちなみに、彼の居所はGPSで確認済みだ』
「そりゃそうだろうが。拉致された時点で、その理由だけで100%相手を信じる貴方じゃないだろ。こんなの調べりゃすぐにわかる。GPSは所詮衛星から受信した情報から自身の位置を測位しているだけだ。どんなハイテクな代物だって、何らかの手段でその測位情報を発信しないと本体以外でその所在を知ることは不可能だからな。精度も含めて参考程度だろ」
グリーンは胸ポケットから5ミリ大のボタン型のGPS装置を取り出して言った。言わずもがな、彼の衣服に仕込まれていた物の一つだ。
『確かに。一切の電波通信環境の全くない地下深くを移動されたら追跡もできない』
「とはいえ、凡その所在の検討もついていて、今は急がないというところなのだろうが、どうやらそうもいかない。だから、俺なんだろ?」
『ほう』
「貴方が三神の身について懸念していたのは二つ。一つは合衆国側が外交ルート以外の手段で身柄を抑えようとする場合。もう一つはゴジラ團による拉致または排除。ゴジラ團とて三神の価値に気づいている筈だから早々に殺すことはないだろうが、団長に近い能力を有する三神を無視はできない筈。それを踏まえると今回、三神が貴方の弟子に拉致されたことを全く気づけなかったとは考えられない。流石に拉致を意図的にさせたとまでは考えていないが、ゴジラ團よりは弟子。むしろ弟子が三神を狙うことで、真に三神の身に及ぶ危険から守らせていたんじゃないか?」
『人聞きが悪い。ちゃんと我々は責任を持って身辺の警護は行っていた。ただ、彼の前に立って無傷で追い返せるのは世界中でも私だけだ。私としても借り受けている部下を失う訳にはいかないのだよ』
「で、三神の身を奪わせつつ守らせているものの相手側から引き渡しを求める算段がある訳でもなく、ゴジラ團の方はゴジラよりも三神にご執心らしく、可能性は低いが三神を殺す為に監禁している施設ごと破壊しかねない。丁度よくゴジラ團と接触した赤い竹を監視していた俺に任せることにした。三神を回収できたら満点。最低でも弟子の対処が不可能な奇襲で施設ごと破壊というゴジラ團の暴挙だけを阻止すれば、三神の安全だけは弟子が守るだろうから、問題を先送りにできると考えたんだろ?」
グリーンが嘆息混じりに言うと、クルーズは諦めた様子で返事をする。
『そうだ。対した名探偵だよ、お前は。……私は赤い竹の追跡を依頼した筈なのだがな』
「何言ってんだ。アレがゴジラ團ってのは、すぐにわかったぜ。赤い竹の連中が仰々しい出迎えもせず、すんなり奴らを受け入れた。これはこれまでにも取引を行っている関係が予想される。クライエント。アンタらにとって、……いや、今は最早俺自身も含まれるが、ゴジラ團の手がかりは非常に少ない。だが、全く手がかりのない訳でもない。マンハッタンでゴジラ團は武装をしていた。ほとんどの遺留品が尽く足の付かない品であっても、薬莢や火薬、それらも流通品でない以上、購入者を特定することは困難だ。だが、アンタはその道のプロだ。販売、製造元は特定できて、赤い竹がゴジラ團の取引先だと突き止めたんだろ。つまり、俺への依頼は赤い竹をマークさせて接触する連中の中からゴジラ團を特定すること。三神の拉致やゴジラの出現にも関わらずゴジラより三神にご執心のゴジラ團といったイレギュラーはあったが、一連する内容と判断し、アンタは俺に追跡を継続させる結論に至った。……だろ?」
『そこまでわかっているならば、是非とも彼の回収も為していただきたいものだ』
「単に借り物の部下を傷つけるとアンタの立場が悪くなるからだろ」
『解釈は自由だ』
「……わかった。依頼は継続だ。だが、このまま引っ込むのは俺の気が晴れない。……なので、少し報復を受けて貰おう」
グリーンはそう言い、メールの送信ボタンを押した。
まもなく電話の先で聞き覚えのある女性の声が聞こえた。
『クルーズさん、ミジンコ君の拉致を容認してたってどういうことですか!』
『いや、それは……』
「よい旅を」
内心で「ざまあみろ」と呟き、清々しい気分で、グリーンは身支度を始める。
会話中、クルーズは三神の単語を避けて話していた。状況から近くに優がいるのは予想がついていた。その為、グリーンは親切心から優へ三神拉致の真実をメールしたのだった。
グリーンは身支度を整えると、老婆にお礼を伝え、建物を出た。