第二章 因縁



「んー! やっぱり島はいいわぁ」

 翠は港で大きく伸びをした。

「Bは……なさそうだな。むしろその方が美人を映えさせているとも言えるか」

 翠のシルエットを眺めて、神谷が旅行鞄を担ぎながら呟いた。慌てて翠は胸を隠す。

「セクシャルハラスメントで訴えますよ?」
「褒めたつもりだったんだがな」

 神谷は卑しい笑いを浮かべて煙草に火をつけた。

「二枚目なのにもったいないですね。それも探偵法の一つなのですか?」
「生憎、この笑い方は癖だ。笑わなきゃ歌舞伎町じゃ両手に花なんだぜ?」
「それは知りませんでした。……あ、来ましたね」

 翠は適当に神谷をあしらうと、港に近づく軽自動車に手を振った。
 軽自動車は彼女の前に停車すると、運転席と助手席から所長と大助がそれぞれ出てきた。

「やっぱり天羽君も一緒にいたね」
「アメーバ姉ちゃんが男を連れてきたって、皆に言わなきゃな」
「なんで、大助君がいるの?」

 ニヤニヤと笑いながら話しかけてきた大助に、平静な態度で翠は聞いた。所長が代わりに答える。

「午前中、遊びに来ていたんだよ。ミジンコさんはまだ帰ってきてないのか? ってね」
「うるせぇ! 遊んでやる奴がいなかったらミジンコさんが寂しいだろうと思って、様子を見に行っただけだい!」
「だそうだ。歩きで来たと言うから、港に行くついでに送ってきたんだ」

 そういって、所長は笑った。思わず翠も笑ってしまった。

「アメーバ姉ちゃん、夕方釣りに行くんだ。姉ちゃんも行こうぜ!」
「えーっと、いいですか?」
「今日は休暇なんだから一々私に確認しなくてもいいだよ。………博物館に同行するのも、君の自由だ」

 所長の言葉に、翠は首を頷いて見せた。所長は、改めて神谷に向いた。

「あなたの事は依頼人からも聞いています。お会いできて光栄です、神谷と申します」
「私も官房長官から君の話は伺っている。宜しくお願いします。所長と呼んでください」

 二人は握手をし、まもなく翠を含めた三人は軽自動車に乗り、大助に見送られながら港を後にした。

「それで、ミジンコ君の……三神の疑いは晴れそうですか?」

 車を走らせながら、所長は神谷に聞いた。後部座席に座る神谷は首を横に振った。

「残念ながら、アメリカを相手に一介の探偵が何をできる訳ではない。三神の無実を証明する事よりも、ゴジラ團の正体を掴む方が早いと俺は判断してます。既にCIAやFBIが調べつくした後です。遺留品の調査もしましたが、盗品や国内大量生産品。あちらさんの科学捜査が掴めない事を俺がわかるはずもない。ただし、盗品の経路からして、海難事故が発生した時点で、ゴジラ團は準備を始めていた可能性が高い」
「……それで、ゴジラ博物館という事ですか」
「結果として、三神への疑いは強まってしまったが、逆転のチャンスもある。皮肉な事ではありますが」
「え?」

 助手席に座る翠が思わず口を挟み、慌てて口をつぐむ。所長は気にせず言う。

「博物館やセンターでは、あの時点でのゴジラ出現を想定できなかったと証明できれば、ミジンコ君の疑いは消える訳だ」
「ま、依頼人が推進していたゴジラ再来を回避とゴジラ災害の祈念とする国立大戸ゴジラ博物館は、ただのコレクション展示に過ぎなかったという結論になるのだが」
「いや。幸いにも、大西洋での事象。日本に関わりがない場所だから、調べる必要性が無かっただけだと逃げ道はある」
「笑いの種にはなるがな」

 そうして、神谷は煙草を咥えた。所長が咳払いをした。

「生憎、この車は禁煙なんです。ちなみに、施設内も全面禁煙なので、ご了承下さい」
「……そういや、そうだったな」
「あのー、以前にこちらへいらした時にも博物館へいらしたのですか?」

 翠はひょこっと助手席から顔を覗かせて、神谷に聞いた。彼は体を前に出すと、小声で囁いた。

「俺の過去に興味があるかい? アメーバちゃん」
「! もういいです!」

 翠は顔を赤くして座席に深く座り直した。神谷はその様子を楽しそうに眺める。
 まもなく、軽自動車は博物館の敷地に入った。入り口の前に三浜の姿があった。

「出迎えとは嬉しいな」
「所長!」
「どうした?」

 後部座席から顔を出して、神谷がニヤリと笑って言うが、三浜は彼の事などに構わずに、所長へと駆け寄った。そして、間髪入れずに叫んだ。

「ゴジラが! ゴジラが、イギリスに出現しましたぁ!」




 


 ブリテン島の大平原、その大地を黒い巨体が悠然と歩いていく。その前方にイギリス軍陸上部隊の戦車隊が陣を組み、待機する。
 空をかける航空戦闘機の轟音が風を鳴らせる。
 それを合図とばかりに、戦車隊の砲撃が同時に展開された。爆音が周囲に轟き、ゴジラを爆撃する。更に、戦闘機からのミサイル攻撃もゴジラへ浴びせられる。
 しかし、ゴジラは一切引く事なく、咆哮をする。そして、息を吸い込みながら、背鰭を発光させる。戦車隊は白熱光を警戒し、退行しながら砲撃を続ける。
 ゴジラは、息を吐くと共に、白熱光を火球状にして吐き出した。距離をとっていた戦車隊に火球は直撃し、一気に爆雷に引火した戦車部隊は爆発する。ゴジラは更に息を吸い込み、再度攻撃を仕掛ける戦闘機に火球を放った。
 火球が命中した戦闘機は爆発四散し、その破片が陸上部隊に降り注ぎ、爆音が四方で上がる。
 その黒煙立ちこむ大平原を、ゴジラは悠然と進んでいく。

「出現から1時間足らずでこの状況はかなり深刻だな。………私だ。ゴジラを目視で確認した。それで、どうだ? ………わかった。疑わしい出国があれば、知らせてくれ」

 既に避難車両も無くなり、路肩に乗り捨てられた車両がまばらにある道路を疾走する自動車を運転するクルーズは電話を切ると、舌打ちをした。
 時速180km超えで走る自動車は、あっという間にゴジラと軍の戦闘域を過ぎ、瓦礫が残された山間を尻目に、ネス湖へと向う。
 まもなく、クルーズはネス湖に到着した。既にGPS情報を入手している為、すぐに優と合流する事が出来た。

「想像していたよりも早かったですね」
「時速200キロで飛ばせばすぐにつく。ゴジラのお陰で、渋滞知らずだしな」

 クルーズは優しく優に微笑んだ。優は疲労した顔で、ぎこちなく笑い返した。泥だらけの姿は、より疲労している印象を与える。

「とりあえず、車に乗り給え」

 優は静かに頷くと、車に乗った。近くに転がる巨大生物の灰を一瞥すると、クルーズは車を動かした。

「三神氏の拉致についてだが、まだ居所が掴めない。もしかしたら、まだ国内にいるのかもしれない」
「じゃあ、安否も?」
「すまない。警察の協力もあって、三神氏を乗せたと考えられる車両はかなり絞り込めているのだが、その後の消息についてまだ追跡できていないそうだ」

 クルーズは苦虫を噛んだ様な表情を浮かべて、優に状況を説明した。優はふと、顔を上げて、クルーズに聞く。

「グリーンに、彼に依頼している調査が関係しているのですか?」
「いや。それはありえない。状況は似ているといえるが、三神氏とグリーンへの依頼は全く別だ。三神氏の拉致は、フランス政府関係者………恐らく、我々と同じスパイといわれる者だ」
「心当たりが?」
「あぁ。フランスに動機がある事もあるが、フランスにはかつての弟子がいる」
「弟子?」
「ソビエト冷戦時代に、フランスのある政府非公認の諜報組織へ潜入していた時期があった。祖国の不利益を阻止する為なら敵味方関係なく手を組み工作を行う。政府は決して存在を認めない。そんな汚れ仕事専門の組織だった。そこの養成施設では、まだ10歳にも満たない少年孤児に対して非合法に諜報活動員の養成を行っていた。言うまでもなく彼らは真っ当な手段で集めていない子ども達だ。……冷戦の終わりが見えてきたタイミングだったからな。潜入はその終結と、次の時代を見越し、その実態調査が目的だった。……そこで一人の少年と出会った。数ヵ月後、ベルリンの壁が崩壊し、瞬く間に冷戦は終結。存在意義を失った組織は処分を決行した」
「それって、殺すって事ですよね?」
「あぁ。フランス政府も手の裏を返し、非合法な政府非公認の組織と言い切って、我々と共に子ども達を処分する直前の組織を壊滅させた。その際、私に協力した少年孤児がその彼なのだが、以後当人の希望で彼はフランス政府に残った。私が諜報から退いた時に届いた手紙に、私の弟子であると彼は綴っていた。コードネーム、B。フランス政府諜報部の自他共に認める天才だ」
「その人が、ミジンコ君を?」
「私はそう考えている。………知力、体力、技術力、どれを取っても最高の弟子だ。三神氏の身柄の安全は、保障していいと思うが、救出は非常に難しいと考えてくれ」
「………」

 クルーズの言葉に、優は何も答えなかった。







『番組の途中ですが、臨時ニュースです。……先程、イギリスのネス湖よりゴジラが現われ、市街地へ向けて、イギリス軍と戦闘をしながら移動中との情報が入りました』

 テレビの番組は、再放送ドラマから緊急の報道番組に切り替わり、背後に慌ただしく往来するスタッフの姿が映る報道スタジオの中、古地がキャスターを務めていた。

「今度はイギリスか……」

 所長がテレビを見て呟いた。古地はゴジラ出現から現在までの流れを簡単に解説する。

『さて、中継の準備が出来た模様です。現場の佐藤さん!』

 古地のいるスタジオの映像が左端のワイプ画面に切り替わり、若干画質が劣る現地の映像がメインとなった。画面上で佐藤がイヤホンに指をそえて返事をした。

『………はい、現場の佐藤です』
『そちらの状況は如何ですか?』
『………すみません、音声の状態が良くない様です』
『そちらの状況は、如何ですか?』

 古地は改めてゆっくり、はっきりとした口調で佐藤に聞いた。

『……はい。ゴジラはイギリス軍と交戦しつつ、スコットランドを横断、北海方面へ移動を続けています。現在、交戦をしている場所は、我々取材陣のいる場所からかなり離れていますが、度々ゴジラの咆哮と爆発音が届いてきます』

 マイクが拾う音は、風の音のみであるが、時折雑音に混ざって空を切る音が聞こえる。

『風を切る音が聞こえるのですが、この音は航空機の音ですか?』
『……はい。空軍による攻撃も開始され、現在陸空による合同攻撃がゴジラに対して行われております。また、爆熱火球(burning breath)と各メディアで呼称されている白熱光とパワーブレスの複合攻撃で、空軍にも被害が相次いでいると情報が入っています。今なお、ゴジラ優勢の状況を変える事が出来ずにいます』

 佐藤の中継を聞き、ゴジラ博物館の面々も眉頭に皺が寄っている。

「ゴジラ團が現れたという情報はまだないみたいだな。………三神小五郎の現状が気になるな。場合によっては、疑いをより濃くさせる」
「……神谷さん、貴方はミジンコ君を団長にさせたいのですか?」
「俺の受けている依頼は、三神の無実を晴らす事ではない。団長が誰なのかを突き止める事だ」
「………」

 神谷の返答に翠はそれ以上、言葉を続けられなかった。




 


「ムファサは今も環境汚染による生物への影響を研究しているのか?」

 一方、ゴジラ出現など知りもしない三神はムファサに問いかけた。
 彼は頷く。

「オラは日本留学後も、様々な汚染された環境にいる生物について調べたダ。環境ホルモンと呼ばれている化学物質で生殖器に異常を起こした生物についてを調べた。ヘドロにまみれた低酸素の生物にとって有害な環境で生存する生物についてを調べた。お前と行ったチェルノブイリの調査後も、放射性物質による汚染された環境で生存した生物を調べた。そして、今は三神と同じダ。ゴジラ。今オラはゴジラを研究しているダ」
「ゴジラを?」

 三神の質問にムファサは力強く頷いた。

「ンダ。チェルノブイリの時にオラも所長に特殊生物研究センターに誘われたが、断った。オラはオラなりの視点でゴジラを研究したんヨ。三神の論文も読んだベ。両方ともナ」
「そうか……」

 三神はムファサの言葉に表情を曇らせる。
 ムファサはそれを目敏く見抜き、彼の肩に手を置く。

「研究者に挫折も失敗も付き物ダラ。捨てる神あれば拾う神って日本語があるダロ。今現在、ゴジラ研究の第一人者は三神ダベ」
「そうだね。……で、ムファサはここで何をしているんだい? フランスに協力しているのは聞いたけど」

 三神が聞くと、ムファサの代わりにブラボーが答えた。

「ムファサ氏にはとある核実験が行われた地で採取された土壌生物について調べてもらっている」
「土壌生物? どういうものなんですか?」
「平たく云えば、カビと甲殻類ダナ。微細な生物だべが、土壌から面白いものが見つかったンダ」
「面白いもの?」

 三神が首を傾げると、ムファサはニヤリと笑い、テーブルの上に置かれたシャーレを三神に渡した。
 シャーレの中には水が入っており、小さなゴミが浮いている。三神はそれがゴミでなく、ムファサの見せたい生物であることがすぐにわかった。

「ほれ、ルーペだ」

 ムファサから受け取ったルーペで、三神はシャーレの中を覗き込んだ。
 甲殻類の幼生に見えるが、三神の見知った生物の特徴を持っていた。

「まさか……。ムファサ、これのいた土壌ってのは」
「やはり気づいたナ。分析の結果、ジュラ紀の地質の特徴があった。ンデ、その生物は、それよりも更に古い時代に生息していて、ジュラ紀には絶滅し、現代には存在自体があり得ない生物ダ。ただ一匹だけのサンプルをのぞいて」

 ムファサは棚からファイルを取りだし、DNAシークエンシングで出力されたクロマトグラフを三神に見せた。
 クロマトグラフは2枚あり、一枚は論文の写しだった。

「トリノバイト・ゴジラ・ヤマネ。これは僕の論文の写しだね」
「ンダ。そして……あの写真も見せていいケ?」
「あぁ」

 ムファサはブラボーの同意を得て、一枚の写真を三神に見せた。

「これが答えダ」
「これを知りながら隠していた者がいる」

 ムファサとブラボーの言葉は最早三神の耳には届いていなかった。
 写真は廃墟となった村の空撮で、その廃墟の中にはゴジラのものと思われる巨大な足跡が写っていた。
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