第二章 因縁



『今回可決された法案を、対ゴジラ法と双里内閣総理大臣は命名。この法案は、ゴジラに対する防衛隊の武力を保有、及び日本領内での行使を即時に行えるものです。これに対し、野党からは自衛の域を超える武力の保有に繋がると、憲法第九条に対する違憲立法との意見が出ています』

「これが貴方の復讐か、官房長」

 大戸島へ向かう船の中、三十代後半から四十代くらいの一人の男がテレビに向かって呟いた。相変わらず、テレビは対ゴジラ法についての報道が伝えられている。
 しかし、男は細く笑みを口元に浮かべると、テレビの電源を切った。

「あー……」
「ん! すみません、他にいると気がつかなかったもので」

 男は声のした方を向いて謝った。もっとも、その声に誠意は全く籠っていないが。
 一番後ろの座席に座っていた女性が微笑んで答えた。

「いえいえ、どうせ聞き流していたニュースですから」

 女性は少し訛った敬語で答えた。

「付けますか?」
「お気になさらずに」
「美人には優しくするが、もっとうなので」
「それはありがとうございます。垂れた目の素敵なイケメンさん」

 女性はポニーテールにした長い髪を揺らすと微笑んだ。

「大戸島は初めてですか?」

 彼女は話題を変えて、男に話しかけた。

「二回目です。休暇を使って、一度」
「では、今回は仕事ですか?」
「まぁ、そう言う事です。……島は如何ですか?」

 男が聞くと、彼女は少し思案し、微笑んだ。

「買い物には不自由ですが、住みやすい所ですよ。職場の方々も皆さん親切です。悪巧みをする様な方はいませんよ」
「そうですか」

 二人は笑顔で会話をした。しかし、その目は笑っていない。
 男がタレ目の奥を光らせて、言った。

「いつから気付いていた?」
「今回は仕事で来たと伺った時に」
「……なるほど。大戸島に仕事で来る部外者は限られる。報道関係者ならニューヨークの際に来ているはず。他の可能性は切り捨てていいという訳か。なかなかの推理だな、天羽翠さん」

 男はニヤリと笑って天羽翠に言った。翠は笑顔で答えた。

「私に気付いたのは、やっぱり訛りですか、探偵さん?」
「それもあるが、入手していた資料に艶やかな深緑の髪の長い美人とあった」
「資料を作成した方にお礼を言わなきゃいけないですね」
「どういたしまして。……神谷想治、ゴジラ團の調査をしている探偵です」
「国立特殊生物研究センター臨時採用職員の天羽です」

 そして、二人は握手をした。
 船内アナウンスが、まもなく大戸島に入港する事を伝えた。







「……ぅう」
「目が覚めたな、三神さん。体を起こせるか?」

 声に促され、三神はゆっくりと体を起こす。視界に飛び込んできたのは、見知らぬ研究室内の風景と、見知らぬ白人、そして見知ったエジプト人であった。

「ムファサ!」
「久しぶりダラ、三神。元気ダカ?」

 片言の日本語で話すのは、三神の学生時代の旧友、ムファサ・ムーランであった。

「………拉致された人間に元気はないだろう。まぁ、一応元気だよ。……んで、ここは何処で、なんでムファサがいるんだ?」

 三神が聞くとムファサはヘラヘラ笑ってと答えた。

「それは知らんダ。オラも誘拐された」
「行方不明中って、そう言う事か」

 三神は溜息をついた。それを見て、白人が三神に説明を始めた。

「オレはブラボー。コードネームのBだが、そう呼んでくれ。まずは、強制的な同行を求めてすまなかった」
「………構わないです。続けて下さい」

 その言葉には三神の諦めの念が籠っていた。

「実は、三神さん。あなたとゴジラの周りには、非常に切迫した国際問題が幾つも絡んでいます。今回の件もその関わりです」
「それは身をもって経験済みです」

 アメリカ合衆国から逃亡者扱いを受けている事を思い出しながら、三神は答えた。

「ゴジラの存在を示唆する一報が世界に流れた際、各国の裏で様々な利権と画策がありました。アメリカ合衆国によるゴジラの残留サンプル専有はまさにその一例だ。だが、祖国にとっての問題は、国際的な信用に関わるものなのです」
「………何処の核か?」

 三神は呟いた。ブラボーは眉をよせる。

「知っていたのか?」
「今の話とこの状況からの予想です。ゴジラの一報の時点で各国が腹の探り合いをする理由は一つ。自分の国の核実験が原因ではないかという不安。未だに日本はアメリカに損害賠償責任を求めているんですから、アメリカ領内のゴジラ出現とあっては切迫もするでしょうね。下手すりゃ戦争だから」
「50年前と今は違う。いくら防衛隊組織や経済発展がなされても、当時はまだ敗戦国だ。ヒロシマとナガサキに関する訴訟よりも戦犯者訴訟だ。時代と状況が違う。……今度はアメリカが被災国だ。ゴジラのサンプルを専有した理由もわかるな?」
「自分の国の核じゃないと主張する証拠を握る為ですね」
「それも捏造したな。昨日、アメリカはゴジラ誕生の原因となった核実験を行ったとして、フランス政府に賠償責任を求めてきた」
「……もし、先に被害にあったのがフランスなら、同じ事をしていたんでしょうね」

 三神が退屈そうな顔で言った。ブラボーは表情を変えずに答える。

「当然だ。それがオレ達の世界だ。研究ができればいいというあなた達とは違うんだ」
「………」

 黙ってブラボーを見つめる三神の肩に寄りかかると、ムファサは笑って言った。

「ま、三神もオラも、その世界の為に、好きな研究ができないんダベ。じゃけぃ、オラはブラボーと手を組んだンヨ」







『三神が行方不明って、どういう事だ?』
「言ったままよ。ネス湖で引ったくりを追い駆けていったきり戻ってこないのよ」

 優はグリーンに携帯電話で電話をしていた。グリーンは何かに気を取られているのか、反応が鈍いが、驚いているらしい。

『トイレに行っているとかはないのか? 或いは、警察にひったくりを連れて行ったとか』
「確認済みよ。警察に聞いたら、そんな情報はないらしいし、いくらなんでも1時間以上もトイレって事はないでしょう?」
『そうだな。………まさか、CIAやゴジラ團が?』
「それが心配だから、とりあえずグリーンに連絡しているのよ。あんた、一体どこにいるの?」
『まぁ、落ち着け。今俺は例の仕事の真っ最中で動けない。万が一、拉致されたとすると、俺よりもクライアントの方が適任だ。……ホットラインがあるだろう? 俺達をお尋ね者にしたんだ。それくらいの責任は取ってくれるだろう。………すまん! ターゲットが動き始めた!』

 グリーンは言うだけ言うと、勝手に通話を切った。優はこめかみに血管を浮かべて、終話を表示する携帯電話の画面を見つめていた。
 しかし、首を振って気を取り直し、クルーズへの直電番号を表示させ、発信した。

「あ、クルーズさんですか?」
『どうした? 最も意外な人物からの電話で驚いたぞ』
「三神小五郎が、拉致された可能性があります」
『………詳しく話を聞けるかね?』

 優はゆっくりと、事情を説明した。クルーズは途中相槌を打つ程度に応じ、全て聞き終えると言った。

『わかった。実は昨日、合衆国が問題を起してね。何か起こるとは警戒していたのだが、まさか三神氏を狙ってくるとは思わなかった。私の方で動いてみよう。すぐに救出できるかは保障できないが、安否の確認は出来るはずだ』
「よろしくお願い………します」
『どうした?』

 クルーズが受話器の先から怪訝そうな声を優にかける。しかし、優は湖を見つめたまま、その声が耳に入ってこなかった。
 優のいる湖畔に人が集まってくる。
 刹那、湖面に大きな水しぶきが起こる。耳に響く鳴き声と共に、空中に巨大生物が投げ上げられる。水面に落ちると共に、轟音と水柱が上がる。
 水面に絶滅種の首長竜類と思しき巨大生物が浮かび上がる。その背後の湖面が盛り上がり、巨大な背鰭が水を切り、巨大生物に迫る。
 背鰭は、巨大生物を押しながら、湖畔へと迫る。咄嗟に、優は近くの巨木にしがみついた。
 大波が湖畔にいた人々を巻き込む。優は、濡れた髪をかき上げると、防水機能付きの携帯電話を耳に当てると、言った。

「ゴジラが……現れました」
『何! ネス湖か?』
「はい。………ネッシーを狩っています」

 湖畔に打ち上げられた巨大生物は、長い首を伸ばし、口を大きく開けて威嚇する。ゆっくりと湖から身を起こした黒色の怪獣は、悠然と体を揺すり、咆哮した。

グォォォォォォォオォンッ!
 
「……っ!」
『確かに今の轟音はゴジラだな。………至急、イギリス政府、及びヨーロッパ連合に連絡する。三神氏の件、少し遅れるかもしれないが、了承してくれ』

 クルーズが言うが、優の耳に既に受話器は無かった。その目は、巨大生物とその3倍近くあるゴジラの戦いに囚われていた。
 巨大生物はゴジラの足に噛み付く。しかし、ゴジラはすぐさまその足を払い、巨大生物を蹴り上げる。更に、素早く身を翻し、長い尾で巨大生物を吹き飛ばす。
 巨大生物は駐車中の車に激突する。車は潰され、タイヤが転がる。
 ゴジラは咆哮し、背鰭を発光させる。巨大生物は身を起こせず、暴れる。
 巨大生物は、高音の鳴き声を上げて威嚇する。同時に、ゴジラは巨大な口から白熱光を吐いた。
 巨大生物は悶え苦しみながら、白熱光に燃やされる。高温で炙られている為、臭いはないが、生きながらに炭にされる光景に、優は思わず口を覆った。

『状況は? 鬼瓦先生! ドクター!』

 受話器からクルーズの声が聞こえる。しかし、優は目の前で繰り広げられている光景を口で表現する事は出来なかった。
 やがて、周囲を熱気で包む中、ゴジラは涼しげに灰となった巨大生物の亡骸を踏み潰し、上陸を果たした。
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