第一章 出現
『………以上が、双里内閣に関する支持率調査の結果です』
既に夜も更けてきた大戸島の国立特殊生物研究センターの一室からは、明かりが灯り、テレビのニュースの音が漏れていた。
『神宮寺官房長も含め、比較的高い支持率と人気を持っているのは明らかですが、やはり政策が導き出される今後の日本というのが私は問いたいのですよ。事実、経済成長率は昨年よりも下がっている』
キャスターの古地が掲示した内閣支持率調査の結果について、政治評論家の男が言う。
『確かに、支持率調査の結果の中にも、そろそろ結果を出してほしい、という意見がありました』
『それが一番の問題でしょうね。現状では、双里総理は内閣という劇場の主役みたいな状態ですからね。いや、元々は神宮寺官房長がその専売特許ですな』
『それは2000年の事ですか?』
『勿論。あの事件はまさに政治事件というよりも一つの劇を見ているようなものでしたからね』
『………あ、すみません。え? ………わかりました』
突然、古地が話を切った。恐らく、カンペが目の前に出されたのだろう。古地と評論家共に驚きの表情を浮かべる。直後、脇から原稿をスタッフが渡す。
『只今、臨時ニュースが入りました。先ほども報道致しましたが、かつて日本に現れた怪獣、ゴジラがアメリカ合衆国のニューヨーク州マンハッタン島に上陸したとの情報が入りました。現在、ニューヨーク支局からの中継を準備している所です。………まもなく、かと思います。………映像、切り替わります』
特殊生物研究センターの部屋に残っていた研究員、三浜蛍はテレビに駆け寄る。
「所長! 大変です! ゴジラが!」
三浜の声に、まだ残っていた所長も駆け寄る。現在センターには彼らが残っていた。
『………鈴木です。ニューヨーク、詳しくはマンハッタン島のヒルトン市場付近の港に上陸したゴジラは、現在合衆国軍と激しい爆撃戦を繰り広げています』
中継で状況を報じる鈴木の声を掻き消す程の爆発音が聞こえる。
『鈴木さん、そちらは現在安全を確保できているのでしょうか?』
古地が聞く。しばらくして、鈴木が答える。
『はい。現在報道陣は、合衆国陸軍作戦指令部が設置されているセントラルパーク内にいます。陸軍からの情報によりますと、ゴジラにはかなり強い闘争本能があるらしく、マンハッタン内部へ進もうとしていた所へのミサイル攻撃によって、本能を刺激されたゴジラは目標を街では無く、その手前の陸軍部隊に向けられているそうです』
「どう思いますか?」
三浜が所長に聞く。
「恐らく、事実だろうね。それは以前の東京上陸時からも、わかる」
テレビでは、古地は鈴木に聞いていた。
『現場の映像は入手できないのですか?』
『現在、調整中です。現場の映像は、陸軍が撮影しているものを提供して頂く形になっているのですが、放送権の関係で現在順番待ちの状態で……と、許可が出たそうです。映像を送ります。中継映像です』
その後、数回映像に障害が出たが、三画面同時中継に切り替わった。
テレビの前の二人も食い入る様に、画面を覗き込む。
映像は若干乱れていたが、それでもゆっくり、ゆっくり、その巨体を揺らしながら迫るゴジラの姿が映し出されていた。
「間違いなく、ゴジラだね」
「これが、ゴジラ」
三浜は上ずった声で言った。所長も口調こそ落ち着いていたが、その目は驚きと興奮に満ちていた。
『対峙する陸軍には他から見る五倍十倍にも恐ろしいものがあるでしょう。この映像は、その陸軍部隊の中継映像を送っています』
鈴木は再度実況する。
映像には、驚くほどに大量の砲撃がゴジラに浴びせられていた。
絶え間なく続く砲撃によりゴジラの足取りはおぼつかなくなった。
「いけるか!」
「いや」
所長は、興奮する三浜に冷静に答えた。
それを裏付けるかのように、ゴジラは動きを止め、心臓を鷲掴む様な咆哮をした。
一瞬のズレをもって、再度同じ咆哮が聞こえた。鈴木のいる場所に届いたのだろう。
突然の咆哮に部隊が怯んだ一緒の隙を突いて、ゴジラは身を翻す。
次の瞬間、巨大で長い尻尾が戦車達に襲いかかって来た。
『………』
「………」
同時に、一つの映像が消えた。テレビも、その前にいる所長達も、声を失った。
「……ミジンコさん達、大丈夫でしょうかね?」
「わからない。でも、彼らには無事でいてもらいたい」
所長は三浜に静かに言った。
「いよいよゴジラが本格的に上陸したようだな」
グリーンは、窓際に立ってギケーに言った。その最中も、ゴジラの足音と地響きは絶えず繰り返していた。
「生憎だが、その程度で恐怖を感じ、逃げようとは思わぬわ」
ギケーは不敵な笑みを浮かべて言う。既に、グリーンからの報告は聞き終わっていた。
「それはもうわかっています。見たところ、この部屋は高層ビルの十二、三階と考えられます。高さにして、約50メートル。ゴジラの推定身長と合致する。………クライアント、ゴジラと戦うおつもりですね?」
グリーンが問うと、ギケーは肩を震わせた。そして、言い放つ。
「ニューヨークはわしのものだ。わしの獲物、縄張り、家だ!ゴジラなんぞに壊させはせん! 勿論、貴様風情にその邪魔はさせぬがな」
ギケーがグリーンを睨んで言った。グリーンは涼しげに答えた。
「ならば、三神達をここへ。アフターサービスとして、クライアントを精々長生きできる様に協力しますよ」
グリーンはニヤリと笑って言った。
「その言葉、後悔せぬようにな」
ギケーが言うと、ほぼ同時に三神と優が部屋に連れてこられた。ギケーは元々強制的にでも協力をさせるつもりであったらしい。
「2時間振りだな」
グリーンが言うと、二人はそれぞれの返答をした。
「僕らは完全なる巻き添えっていうんだろうね」
「事情は聞かせてもらったわよ。マフィアのボス様は私達に何をさせたいのかしら?」
ギケーは満足気に三人に言った。
「さて、50メートル級の獣と喧嘩をするには、何が必要かね?」
「第一防衛線は壊滅的、ゴジラは移動を開始」
「楽しいかね?」
クルーズが後ろで呟くと、スミス大佐は神経質に聞いた。
クルーズは首を横に振る。スミス大佐の焦りも理解できた。あまりに圧倒的過ぎる攻撃に、対し陸軍は部隊の総力戦で敗れた。しかも、その映像は全世界に報じられている。
「それは当然だ。これで一気にゴジラに関する情報が世界へ広がったのだ。我々の仕事は、大いに忙しくなるだろう、色々な意味でな。せめて、ゴジラのサンプルだけは合衆国が保有できるようにして頂きたいところですね」
クルーズは嫌味な笑顔でスミス大佐に言った。スミス大佐自身も、クルーズと結果論については同じである。彼は舌打ちをして、マンハッタンの地図を睨み付けた。
「まもなく、ブロードウェイの第二防衛線に到達ですね」
「ここからが本番だ。CIAは黙ってみていて下さい。軍隊の戦い方をお見せ致す。高層ビルは100メートルを超える規模だが、ゴジラは50メートル程度。少し大きいが、市街戦でたった一匹の敵を包囲できない軍ではない」
「その一匹の敵がランボーでない事を祈りますよ」
クルーズの皮肉に、スミス大佐は顔をしかめる。それを意に介す事なく、クルーズは思い出したという仕草をし、わざとらしく言った。
「こちらでゆっくりと戦況の見物としたいのですが、生憎問題が起こったようでしてね」
クルーズは、印刷用紙にプリントアウトした写真を見せた。道路の監視カメラによる写真で画質が荒いが、4台の車両が写っている。
スミス大佐は訝しげにそれを受け取った。
「これは?」
「遂、今しがた警察の方から報告があったのですが。40分程前の10時19分に、リンカーントンネルに設けてある封鎖ゲートをニュージャージー州側からマンハッタン島へ突破した車両があったそうです」
「なぜそれを貴方から報告を受ける?」
「何を仰ります。大佐はその時、第一防衛線戦の指令に専念されておられたではありませんか。その為、警察から報告を私が受けました。一応、その権限は与えられております」
「権限は承知している。それで」
憤りを隠しきれていない様子で、スミス大佐はクルーズに先を促す。
「現在、数名の部下と警察が避難していない市民がいないかの巡回と共に、その捜索に当たっています」
「つまり、そちらへ行きたいという事かね?」
「はい」
「それは警察が動いている時点で、必要としないと思うが?」
「それが、その車両の故意に残したと思われる物が、些か問題でしてね」
クルーズは更に、1枚のB5用紙をスミス大佐に渡した。
紙には日本語で、〝ゴジラ團参上!〟と印刷されていた。
「日本語か?」
「ゴジラ團参上と書かれています」
「ゴジラ團?」
「一切情報はありません。しかし、タイミングと行動から、我々に利益や無関係である可能性は低いでしょう」
「ゴジラ出現を祭り騒ぎにしている馬鹿ではないか?」
「それも考えられます。しかし、日本語であり、その後潜伏している事を考えると………」
「わかった。クルーズ氏、貴方の好きに動いて構いません。勿論、我々に必要以上の迷惑をかけぬように」
「念の為、対テロ組織部隊を用意しておいてください」
「残念ながら、その様な空きはない。対人戦闘に対応できる小隊以上の部隊を用意させるように命令しておく」
「ありがとうございます。では、失礼致します」
そして、クルーズはテントを後にした。残されたスミス大佐は、地図を殴った。
確実に、彼が打ち立てた作戦は崩れている。殴った拳は痛かった。
「三神小五郎といったかね?」
「ええ」
ギケーに聞かれ、三神は地図にゲーン一家達が記していく戦況を眺めながら頷いた。
「それを見てどう思う」
「僕は戦況を見て先を予想したり、戦略を考えたりする技術はありません。ただ、率直な感想を言えば、もうこれは戦いではないと思います」
「なぜ?」
「ゴジラがあまりに強力すぎる。普通なら、布陣がどんなに崩れなくても、確実に少しずつ攻撃をすれば、被害が出ているはず。しかし、ゴジラはそれがない。圧倒的な力と無敵といえる生命力で、軍隊を潰している。これでは戦術も戦略もありません」
「確かに。では、ゴジラの専門研究者である三神小五郎に聞こう。ゴジラからニューヨークを守る戦略は皆無かね?」
ギケーが聞くと、三神は笑顔で答えた。
「あります。ゴジラは生物です。しかも、脊髄動物の一種です。傷をつけられなくとも、一時的に弱らせる事は可能です。それに、動物的本能はゴジラにおいても有効です。それを利用すれば、誘導も可能でしょうね」
「グリーン氏もそうだが、貴様も軍ではなく、わしらの方にゴジラとの戦いの勝算があると考えているな?」
ギケーが言うと、三神は涼しい顔で頷いた。物言わず隣に立っていた優が思わず顔を上げる。
「なんで?」
「それは戦力の差で驚いているのかな? 優、何事も目的の違いによって結果は全く変わるものだよ。それは、研究もこういうことも多分、同じだよ」
「ゴジラを殺すのが目的か、都市を守るのが目的か。これで、戦い方は大きく変わる。次の第二防衛線で作戦を根本から立て直さなければ、陸軍部隊はいずれ壊滅する」
グリーンが言った。三神も頷く。
「ミジンコ君、変わったわね」
優が呟くと、三神は笑った。
「優からその呼び方をされるのは、懐かしいね」
「今更、小五郎さんというのも変な感じがするから。別に、貴方は変えなくてもいいわよ。私は違和感ないから」
「そう。なら、そうさせてもらうよ」
二人が会話を続けたのは、朝の会話以来であった。それ以外は、状況の説明などの必要事項の質疑応答というものであった。
準備が整うまで、二人に必要性はない。ギケーは部屋の隅を目で示す。ここにいる方が邪魔という意味だ。
二人は場所を移し、三神が言った。
「変わったかな?」
「落ち着いた。いえ、余裕がある感じになった。前はあだ名の通り、細かいことまで心配する人だった」
「小心者であることは今も変わらないよ」
「でも、こういう状況なのに、私よりも自分が置かれている立場を理解している。………あの日から変わったのね。離婚届を残して家を出ていった日から」
「そうじゃないさ」
「え?」
「人間そうは変わらない。大学院で研究していた時も、ロシアで優や所長達とDO-Mの調査をしていた時も、大戸島でも、今も僕は僕だよ。それに、優も変わってはいない。………今も放射能症治療の研究を続けているんだろ?」
優は頷いた。
「2年前に貴方と別れて、国際医師団に戻って、研究とオペを繰り返したわ。研究に盲進していると良く周りから言われた。3ヶ月程前からアメリカの医療チームに参加していて、今回の被害者を担当したのよ。ゴジラによるものだとわかって私に召集がかかった時、貴方が来ると思った」
「案の定、大戸島から僕は来た。驚いたよ」
「当然よね。私は予想できてたけど」
「僕は優に会えて………!」
三神が言葉を切った。ゴジラの咆哮と、激しい爆発音が再び聞こえたからだ。
三神は、とっさにグリーンを見た。彼は頷く。ゴジラが第二防衛線に達したのだ。
「ミジンコ君、のんびりと弁解を入れている余裕はなさそうよ。それから、私はあんな去り方をした貴方を今も許したわけじゃない。さっきの言葉の続き、言ったら二度と口を利かないわよ」
優がキツい口調で言った。しかし、三神は動じることもなく、むしろ当然と受け取った表情を返し、歩いていった。