細い路に視える星
撃つ。
弾き出される空薬莢。
同時に射手を襲う反動。
力強い轟音。引き金は軽い。
撃鉄を起こした状態からの発砲。
引き金は軽い。
たったそれだけの……人差し指の先端を手前に僅かに引くだけの動作で鈍重な弾頭は勢い良く叩き出される。
フィヨッキのフルメタルジャケット。45ACPの中でも高初速で毎秒265mを越える。初活力に到っては520J。鈍重で鈍足の弾薬として名を馳せる45ACPとは思えないハイパワー。
単純に強力な炸薬をブランク一杯に詰めただけではこの数値は計測できない。
炸薬の各種ブレンドが絶妙ゆえに完成した高性能な民生品。
勿論、どのような配合でどのような炸薬がブレンドされてどのくらいの分量が薬莢に収まっているのかは不詳だ。それこそメーカーの企業努力の塊だ。社外秘に相等する。
どんなに科学や化学の英知の集合体であっても結局は弾薬だ。
小指の先のようにマッシブでずんぐりとした弾頭が捉えるのは標的でしかない。それも……人間。
人間が人間を手軽に仕留める手段の最も簡素で手軽で迅速な方法の一つに拳銃が有る。
拳銃とは不思議な存在で、狙撃銃よりも機関銃よりも擲弾よりも想いを込め易い。一説には人の顔が見える距離でないと本領が発揮できず、正確に慎重に狙う時間が長く、装弾数が限られているので、事のほかデリケートに扱うから、と云う心理的側面が強調される。
確かにその通りだろう。
否、確かにその通りかもしれないと思わざるを得ない。
厳密には『撃つ時にはそんな瑣末な事は如何でも良くなる』のだ。
有り体に言えば、狙って撃てて当たれば何でも良い。敵意と殺意を込めた握り拳で殴りかかるのに似た感触を覚えながら引き金を引く事が出来れば何でも良かった。
怨恨の感情ほど重く心にしがみつく感情はない。
狙撃銃では苦しみの声が聞こえない。
機関銃では早々に楽になってしまう。
擲弾ではそもそもその全てが曖昧になる。
恨みの篭る標的ならば苦悶の表情と断末魔が聞こえた方が爽快に決まっている。
恨みを清算するのに復讐は建設的ではないが残念ながら復讐は生産ではなく清算だ。生むのではない。カタをつけるのだ。
少しばかりハイベロシティな45口径。弾倉には7発。本体の重量は1.1kg。全長は219mm。昔ながらのコルトガバメント……のクローン。彼女の仕事道具としては申し分ない。
彼女の仕事は人の心を伝える尊い仕事。
尊いが浅ましくも報酬は貰う。
人から人へ想いを伝える。
明るい世界の住人が口にするのなら極有り触れた旧いフレーズだと誰も見向きもしない。
彼女……火賀琴美(ひが ことみ)は例外にも暗い世界の住人だった。
暗い世界の住人が心温まる人間の情念を伝える職掌を生業としている。少なくとも火賀琴美は、自分は人の心を相手に素直に伝える事を仕事だと思い込んでいた。
自分を美化したいのではない。それ以外に適当な語彙や文節が見当たらないのだ。主観と客観の違い……そう表現しても間違いではない。然し、彼女は腑に落ちない。
だから、彼女は自分の職業をこう答えた。
『代行業』と。
世間ではその行為と職掌と方法と理念をこう呼称した。
『殺し屋』と。
琴美は平易な言い方をすれば、殺し屋に分類される職業についている。
金を貰ってそれに見合った死を供給する。
そして跡形も無く証拠を消して自分も消える。
そこには何の違いも無い。それを彼女は全て肯定する。その埒外で彼女は殺し屋と云う言葉に疑問を持っていた。
その疑問の正体は未だに解らない。
理解するのが早いか彼女がこの世から消えるのが早いか。
琴美は依頼者が何かしらの想い人だと心の中で謳った。そして思いを伝えられる標的本人を想われ人だと形容した。即ち、その間を取り持つ……ラブレターの配達人に当たるのが自分だと。
心を伝える間を取り持つ有料のお節介。
思いを伝えられた本人は口を利く事無く骸を晒すことで返信する。依頼人の想いを銃弾に込めて標的たる想われ人に死と云う形で正確に届ける……その一連のプロセスにたった一葉の独自の主観を差し込んでしまったが為に、琴美は殺し屋と云う言葉と職業の存在意義と成り立ちに疑問を抱いた。
職業・代行業。
火賀琴美。28歳。
彼女は今夜も引き金を引いた。
殺すと云う最終的な目的に相違は無い。
これを以って標的は生命活動を停止することで返信をする。
依頼人の想いに対して否定だろうと肯定だろうと無口。死体は喋らない。琴美は確実に依頼人の情念を標的に届けた。『絶対に殺してくれ』と云う強い思いを迅速確実丁寧に届けた。
夜。
高層マンションの一室。
プライバシーの徹底した保護のお陰で銃声はこの壁を突き抜けて隣室へ侵入することは無い。壁の厚さも計算した上での発砲だ。
高層階の高級な一室。
完全な洋風。システマチックに配置された照明と機能的にデザインされたクローゼット。眼下を悠々と見下ろせる壁を為す填め殺しの窓には遮光カーテンが引かれている。
寝室。死体が一つ。
その死体はベッドの脇で凭れかかるようにして絶命していた。
眉間の少し上、額の少し下に射入孔を作っている。この部位を4mの距離から、真っ直ぐに穿つと脳幹基部に弾頭が到達し、生命活動に必要な全ての神経を破壊する。
45歳の中年期に差し掛かった痩せ型の男は、脳内の急激な圧力で眼窩から眼球をドロリと押し出して項垂れるようにして死亡。口から垂れた紫色の舌先から血の雫がポタポタと落ちてベージュの毛足が長いカーペットを汚す。
想いを伝えた結果だ。
彼女自身、感情を乗せ易い距離。
4m。
その距離から45口径を1発。45口径で一発。
依頼人の生霊が憑依したかのように感情が篭った殺しだった。不思議と、標的が独りの時ほど依頼人の強い願望が『銃弾に乗る』。あたかも人の心が形状を持てば45ACPの姿をしていたに違いないと錯覚するほどに。
レディースショップのワゴンセールで売られている灰色のジャケットの懐に硝煙が薄っすらと這う1911を差し込む。
ジャケットと同じ色調のスラックスの左ポケットに引っ掛けていたガーゴイルスのサングラスを取り出し、滑らかな所作で眉目を隠す。暗い時間帯だが顔を覚えられるかもしれない『万が一』は、何時でも何処にでも潜んでいる。
耳が隠れるほどに伸ばしたまま放置している、元がベリーショートの不精なショートカットが誂えたかのように似合っている。元は色素の薄い明るいブラウンの髪を黒く染めて目立たない風貌を装う。抽象的な髪型に男装崩れの衣服、スポーティな印象が強いサングラスのお陰で彼女の第一印象は活動的で利発そうな、それでいて平凡な女性だった。
最近の女性に多い細い顎先。小さく纏まった顔のパーツ。削って整えたように流麗な輪郭。
サングラスで覆われているが、涼しげと云うより寒気を誘う猛禽のような眼……何れも活動的で美貌を秘めた女性の条件が揃っていたが生憎と薄い化粧以上と身だしなみを整える程度以上の手は入れない。
特徴的な容貌だと暗い世界では不利な事が多い。170cmの長身が静かに寝室からそよ風のように抜け出る。
弾き出される空薬莢。
同時に射手を襲う反動。
力強い轟音。引き金は軽い。
撃鉄を起こした状態からの発砲。
引き金は軽い。
たったそれだけの……人差し指の先端を手前に僅かに引くだけの動作で鈍重な弾頭は勢い良く叩き出される。
フィヨッキのフルメタルジャケット。45ACPの中でも高初速で毎秒265mを越える。初活力に到っては520J。鈍重で鈍足の弾薬として名を馳せる45ACPとは思えないハイパワー。
単純に強力な炸薬をブランク一杯に詰めただけではこの数値は計測できない。
炸薬の各種ブレンドが絶妙ゆえに完成した高性能な民生品。
勿論、どのような配合でどのような炸薬がブレンドされてどのくらいの分量が薬莢に収まっているのかは不詳だ。それこそメーカーの企業努力の塊だ。社外秘に相等する。
どんなに科学や化学の英知の集合体であっても結局は弾薬だ。
小指の先のようにマッシブでずんぐりとした弾頭が捉えるのは標的でしかない。それも……人間。
人間が人間を手軽に仕留める手段の最も簡素で手軽で迅速な方法の一つに拳銃が有る。
拳銃とは不思議な存在で、狙撃銃よりも機関銃よりも擲弾よりも想いを込め易い。一説には人の顔が見える距離でないと本領が発揮できず、正確に慎重に狙う時間が長く、装弾数が限られているので、事のほかデリケートに扱うから、と云う心理的側面が強調される。
確かにその通りだろう。
否、確かにその通りかもしれないと思わざるを得ない。
厳密には『撃つ時にはそんな瑣末な事は如何でも良くなる』のだ。
有り体に言えば、狙って撃てて当たれば何でも良い。敵意と殺意を込めた握り拳で殴りかかるのに似た感触を覚えながら引き金を引く事が出来れば何でも良かった。
怨恨の感情ほど重く心にしがみつく感情はない。
狙撃銃では苦しみの声が聞こえない。
機関銃では早々に楽になってしまう。
擲弾ではそもそもその全てが曖昧になる。
恨みの篭る標的ならば苦悶の表情と断末魔が聞こえた方が爽快に決まっている。
恨みを清算するのに復讐は建設的ではないが残念ながら復讐は生産ではなく清算だ。生むのではない。カタをつけるのだ。
少しばかりハイベロシティな45口径。弾倉には7発。本体の重量は1.1kg。全長は219mm。昔ながらのコルトガバメント……のクローン。彼女の仕事道具としては申し分ない。
彼女の仕事は人の心を伝える尊い仕事。
尊いが浅ましくも報酬は貰う。
人から人へ想いを伝える。
明るい世界の住人が口にするのなら極有り触れた旧いフレーズだと誰も見向きもしない。
彼女……火賀琴美(ひが ことみ)は例外にも暗い世界の住人だった。
暗い世界の住人が心温まる人間の情念を伝える職掌を生業としている。少なくとも火賀琴美は、自分は人の心を相手に素直に伝える事を仕事だと思い込んでいた。
自分を美化したいのではない。それ以外に適当な語彙や文節が見当たらないのだ。主観と客観の違い……そう表現しても間違いではない。然し、彼女は腑に落ちない。
だから、彼女は自分の職業をこう答えた。
『代行業』と。
世間ではその行為と職掌と方法と理念をこう呼称した。
『殺し屋』と。
琴美は平易な言い方をすれば、殺し屋に分類される職業についている。
金を貰ってそれに見合った死を供給する。
そして跡形も無く証拠を消して自分も消える。
そこには何の違いも無い。それを彼女は全て肯定する。その埒外で彼女は殺し屋と云う言葉に疑問を持っていた。
その疑問の正体は未だに解らない。
理解するのが早いか彼女がこの世から消えるのが早いか。
琴美は依頼者が何かしらの想い人だと心の中で謳った。そして思いを伝えられる標的本人を想われ人だと形容した。即ち、その間を取り持つ……ラブレターの配達人に当たるのが自分だと。
心を伝える間を取り持つ有料のお節介。
思いを伝えられた本人は口を利く事無く骸を晒すことで返信する。依頼人の想いを銃弾に込めて標的たる想われ人に死と云う形で正確に届ける……その一連のプロセスにたった一葉の独自の主観を差し込んでしまったが為に、琴美は殺し屋と云う言葉と職業の存在意義と成り立ちに疑問を抱いた。
職業・代行業。
火賀琴美。28歳。
彼女は今夜も引き金を引いた。
殺すと云う最終的な目的に相違は無い。
これを以って標的は生命活動を停止することで返信をする。
依頼人の想いに対して否定だろうと肯定だろうと無口。死体は喋らない。琴美は確実に依頼人の情念を標的に届けた。『絶対に殺してくれ』と云う強い思いを迅速確実丁寧に届けた。
夜。
高層マンションの一室。
プライバシーの徹底した保護のお陰で銃声はこの壁を突き抜けて隣室へ侵入することは無い。壁の厚さも計算した上での発砲だ。
高層階の高級な一室。
完全な洋風。システマチックに配置された照明と機能的にデザインされたクローゼット。眼下を悠々と見下ろせる壁を為す填め殺しの窓には遮光カーテンが引かれている。
寝室。死体が一つ。
その死体はベッドの脇で凭れかかるようにして絶命していた。
眉間の少し上、額の少し下に射入孔を作っている。この部位を4mの距離から、真っ直ぐに穿つと脳幹基部に弾頭が到達し、生命活動に必要な全ての神経を破壊する。
45歳の中年期に差し掛かった痩せ型の男は、脳内の急激な圧力で眼窩から眼球をドロリと押し出して項垂れるようにして死亡。口から垂れた紫色の舌先から血の雫がポタポタと落ちてベージュの毛足が長いカーペットを汚す。
想いを伝えた結果だ。
彼女自身、感情を乗せ易い距離。
4m。
その距離から45口径を1発。45口径で一発。
依頼人の生霊が憑依したかのように感情が篭った殺しだった。不思議と、標的が独りの時ほど依頼人の強い願望が『銃弾に乗る』。あたかも人の心が形状を持てば45ACPの姿をしていたに違いないと錯覚するほどに。
レディースショップのワゴンセールで売られている灰色のジャケットの懐に硝煙が薄っすらと這う1911を差し込む。
ジャケットと同じ色調のスラックスの左ポケットに引っ掛けていたガーゴイルスのサングラスを取り出し、滑らかな所作で眉目を隠す。暗い時間帯だが顔を覚えられるかもしれない『万が一』は、何時でも何処にでも潜んでいる。
耳が隠れるほどに伸ばしたまま放置している、元がベリーショートの不精なショートカットが誂えたかのように似合っている。元は色素の薄い明るいブラウンの髪を黒く染めて目立たない風貌を装う。抽象的な髪型に男装崩れの衣服、スポーティな印象が強いサングラスのお陰で彼女の第一印象は活動的で利発そうな、それでいて平凡な女性だった。
最近の女性に多い細い顎先。小さく纏まった顔のパーツ。削って整えたように流麗な輪郭。
サングラスで覆われているが、涼しげと云うより寒気を誘う猛禽のような眼……何れも活動的で美貌を秘めた女性の条件が揃っていたが生憎と薄い化粧以上と身だしなみを整える程度以上の手は入れない。
特徴的な容貌だと暗い世界では不利な事が多い。170cmの長身が静かに寝室からそよ風のように抜け出る。
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