静寂が降りる頃に
BLTサンドを食べ終えてコーヒーで一息を吐く。
安息感に包まれる。……【屋長組】に厄介になる前には組織の息が掛かった様々な宿を宛がわれたが、三食は基本的に三食分の小遣いを貰って外食をするのが普通だった。
男所帯の非合法組織ではそれが当たり前だった。
このような生活臭が溢れて、人間の温かみに直に触れる機会ばかりの生活にどこか不安を覚え始める。
今直ぐにでも相棒のラドムVIS35を手放して三食と寝床を提供してくれる楓に甘えそうになるのだ。
流れ者として持ってはいけない感情で心構えで方針。
ここで生活しているのは、宿を探す手間を省く為。
その恩義に報いて鉄火場すれすれの仕事を引き受け、命で料金を払う。
なのに……家庭的雰囲気の呑み込まれそうで、不安を覚えてしまっている。
楓も未熟ながら暗い世界の人間だ。
覚悟は出来ているだろう。
未熟な楓だからこそ守ってあげたいと言う母性が働くのかもしれない。
今までに無い状況の中で複雑な感情が渦巻いているのを感じている。
このような民家でもヤクザの本拠地だと言われてしまえば納得するしかない。ここの家主がそう言っているのだから仕方が無い。……そして裏の世界でしか通用しない情報屋経由で明奈が遣ってきた。
明奈はそろそろこの街を離れる理由を探す為に思考を巡らせる。
台所では楓が夕飯の支度に取り掛かっている。
手の中で冷めていくコーヒーに視線を落とす。
――――ヤキが廻ったかな……?
心の中で自嘲する。
柱に掛かった時計を見る。午後6時半。
【屋長組】では午後7時半前後に夕食となる。少しばかり時間がある。
「『組長』、ちょっと、銃を磨いてくる」
台所に立つ楓にそう言い残すと、自分に宛がわれた部屋へ入り、ベランダへ通じるガラス戸を開け放ち、古新聞を床に広げる。
念入りなラドムVIS35のクリーニングを始める。
完全にネジやスプリング単位での分解ではない。通常分解でばらせる範囲をクリーニングするだけだ。
オイルを浸し、火薬滓を取り除き、作動をチェックするだけ。
皮肉にも本当に手の施しようの無い故障が発生するとすれば、このように簡単に分解して対処できる部位には問題は無い。
機関部や引き金周りの、細かく分解しなければ解らない部位に、どうしようもない問題が何故か発生する。
部屋の空気を充分に入れ替えをしながら、リキッドを存分に使う。メンテナンスだけは金を惜しみたくは無い。
それから退屈なだけの毎日……が続くわけも無く、【屋長組】は次の仕事を斡旋してもらった。
弱小組織ゆえに外注の仕事ばかりなのは否めない。
それでシノギの代わりとなるのなら安全な仕事だ。
第一、楓のようなどこから見てもカタギの『奥様』が黒いスーツを着てミカジメをせびって街中を歩き回っているのは逆に滑稽だ。
だからこそ、荒くたい仕事を主眼とした流れ者は必要だ。
勿論、自力で勢力を伸ばせればそれに越した事が無い。それが叶わぬからこそのパートタイムのヤクザを引き受けているのが明奈の立場だ。
次の【屋長組】の仕事。
仕事場の荒らしだ。
斡旋業者の言を真に受けるのなら、【屋長組】のように零細ヤクザだけが寄り合って創設した非合法組織の縄張りを荒らす事だ。
どこの台所事情も同じ。……【屋長組】同然に流れ者や雇ったゴロツキだけで構成された『人員を損耗させる』のが今回の仕事。
組織の芽を刈り取ってはならない。
その出た芽の余計な部分を……漸く集まった人員の数を減らすのが目的だ。
間引きとも言う。
そこまで依頼内容を聞いて明奈は唸る。
斡旋してきた業者の背後にはもっと大きな組織が居る。
その組織は今のところ、姿は見えない。見えなくても構わない。
傘下に零細ヤクザ組織を収めたいがために、見せしめとして全滅に近い損失を与え、心を挫くのが目的だ。
今までに何度も同じ依頼の先鋒として駆りだされたものだ。逆に狩られた事も有る。
零細ヤクザ達が合資して買い取ったテナントビル。
エレベーターも付いていない築年数の古いビル。
3階建てでシャッター街と化した商店街の中に在る路地裏から入る。
交通の便が悪く、駅前の開発から取り残された区画整理の失敗作。そんな区域にテナントビルは有る。
午後11時。
左手首に巻いたデジタルの腕時計が時刻を報せる。
カシオの薄く軽い、安価なデジタル時計。ホームセンターであればレジカウンターの脇で置いていそうなチープな商品。軽量で薄型なので袖口で擦れて干渉しないので手首のストレスが少ないから気に入っている。
大股でテナントビルの正面出入り口から入る。
途中で門番のように守衛室で暇そうにテレビを見ていた三下に怒鳴られて振り向く。
その足で守衛室のドアからズカズカと入り、出入り口を見張っているだけの1人の三下に近付く。
三下に近付きながら、この男の物と思われるコートをテーブルの上から引っ掴み、丸める。
殴りかかろうとする三下の下腹に丸めたコートを押し当てながら唐突にラドムVIS35を発砲する。
銃声の殆どは丸めたコートに吸収される。
ショートリコイルを存分に活かせなかったラドムVIS35は初弾を弾いただけで空薬莢を排莢口に噛み込んで作動不良を起こす。
……出だしとしては満足だ。
男は非武装の女と思って殴りかかったのに、いきなり腹に9mmパラベラムをお見舞いされた。呻きながらその場に蹲る。
無抵抗に近い三下の両手両足を結束バンドで縛る。口には傍に有ったガムテープを貼り付ける。
恐らく銃創の痛みで大した脅威ではないが、万が一に備えて拘束状態にした。
腹部の中央から血が溢れる。男は恐慌状態に陥り手足をばたつかせようとするが、結束バンドで縛られているので銃創を押さえる事すらままならない。ガムテープで口を塞がれて悲鳴すら挙げられず洟と涙と汗を噴出させてもがく。
明奈はラドムVIS35のスライドを力一杯引いて、噛み込んだ空薬莢を弾き出す。
良くあるストーブジャムだったので対処に問題は無い。
守衛室を出てテナント内部へ進む。予め斡旋業者から手渡されていた見取り図のお陰で迷う事は無かった。……迷うほど大きな建物ではないが。
2階。
階段を昇りながらラドムVIS35の銃口を階上へ這わせる。人影は無い。
人影は無いが人の気配だらけだ。
2階より上に総勢15人が待機しているはず。
暴対法のお陰で拠点の確保が難しくなった昨今、たむろできる場所を確保できるだけでも連中にとっては幸いな事なのだ。
このビルには合計で6個の組織が軒を並べている。
その全てに満遍無く打撃を与えるのが今回の仕事。
解り易い鉄砲玉案件。
予定通りなら2階は不寝番がたむろしている時間帯。
幹部や寄り合い組織の首魁は不在で準幹部が代表してこの時間帯を与っている。
15人全員の奪命が目的ではない辺りが小癪だ。
目算で半分以上の数に負傷を負わせれば勝利条件となる。……先ほどの守衛室もカウント内だ。
ラドムVIS35のグリップを握り直す。
思い出したように尻ポケットからバラクラバを取り出して被る。
防犯カメラは皆無でも生存者に顔を覚えられたら厄介だ。そうなると今度は『流れ者同士の喧嘩』に形が変わる。
2階へ警戒を緩めずに上がる。
左右の廊下を見る。誰も居ない。
寒い冬の季節。
全員が暖かい部屋から出たくない気持ちは良く解る。
安息感に包まれる。……【屋長組】に厄介になる前には組織の息が掛かった様々な宿を宛がわれたが、三食は基本的に三食分の小遣いを貰って外食をするのが普通だった。
男所帯の非合法組織ではそれが当たり前だった。
このような生活臭が溢れて、人間の温かみに直に触れる機会ばかりの生活にどこか不安を覚え始める。
今直ぐにでも相棒のラドムVIS35を手放して三食と寝床を提供してくれる楓に甘えそうになるのだ。
流れ者として持ってはいけない感情で心構えで方針。
ここで生活しているのは、宿を探す手間を省く為。
その恩義に報いて鉄火場すれすれの仕事を引き受け、命で料金を払う。
なのに……家庭的雰囲気の呑み込まれそうで、不安を覚えてしまっている。
楓も未熟ながら暗い世界の人間だ。
覚悟は出来ているだろう。
未熟な楓だからこそ守ってあげたいと言う母性が働くのかもしれない。
今までに無い状況の中で複雑な感情が渦巻いているのを感じている。
このような民家でもヤクザの本拠地だと言われてしまえば納得するしかない。ここの家主がそう言っているのだから仕方が無い。……そして裏の世界でしか通用しない情報屋経由で明奈が遣ってきた。
明奈はそろそろこの街を離れる理由を探す為に思考を巡らせる。
台所では楓が夕飯の支度に取り掛かっている。
手の中で冷めていくコーヒーに視線を落とす。
――――ヤキが廻ったかな……?
心の中で自嘲する。
柱に掛かった時計を見る。午後6時半。
【屋長組】では午後7時半前後に夕食となる。少しばかり時間がある。
「『組長』、ちょっと、銃を磨いてくる」
台所に立つ楓にそう言い残すと、自分に宛がわれた部屋へ入り、ベランダへ通じるガラス戸を開け放ち、古新聞を床に広げる。
念入りなラドムVIS35のクリーニングを始める。
完全にネジやスプリング単位での分解ではない。通常分解でばらせる範囲をクリーニングするだけだ。
オイルを浸し、火薬滓を取り除き、作動をチェックするだけ。
皮肉にも本当に手の施しようの無い故障が発生するとすれば、このように簡単に分解して対処できる部位には問題は無い。
機関部や引き金周りの、細かく分解しなければ解らない部位に、どうしようもない問題が何故か発生する。
部屋の空気を充分に入れ替えをしながら、リキッドを存分に使う。メンテナンスだけは金を惜しみたくは無い。
それから退屈なだけの毎日……が続くわけも無く、【屋長組】は次の仕事を斡旋してもらった。
弱小組織ゆえに外注の仕事ばかりなのは否めない。
それでシノギの代わりとなるのなら安全な仕事だ。
第一、楓のようなどこから見てもカタギの『奥様』が黒いスーツを着てミカジメをせびって街中を歩き回っているのは逆に滑稽だ。
だからこそ、荒くたい仕事を主眼とした流れ者は必要だ。
勿論、自力で勢力を伸ばせればそれに越した事が無い。それが叶わぬからこそのパートタイムのヤクザを引き受けているのが明奈の立場だ。
次の【屋長組】の仕事。
仕事場の荒らしだ。
斡旋業者の言を真に受けるのなら、【屋長組】のように零細ヤクザだけが寄り合って創設した非合法組織の縄張りを荒らす事だ。
どこの台所事情も同じ。……【屋長組】同然に流れ者や雇ったゴロツキだけで構成された『人員を損耗させる』のが今回の仕事。
組織の芽を刈り取ってはならない。
その出た芽の余計な部分を……漸く集まった人員の数を減らすのが目的だ。
間引きとも言う。
そこまで依頼内容を聞いて明奈は唸る。
斡旋してきた業者の背後にはもっと大きな組織が居る。
その組織は今のところ、姿は見えない。見えなくても構わない。
傘下に零細ヤクザ組織を収めたいがために、見せしめとして全滅に近い損失を与え、心を挫くのが目的だ。
今までに何度も同じ依頼の先鋒として駆りだされたものだ。逆に狩られた事も有る。
零細ヤクザ達が合資して買い取ったテナントビル。
エレベーターも付いていない築年数の古いビル。
3階建てでシャッター街と化した商店街の中に在る路地裏から入る。
交通の便が悪く、駅前の開発から取り残された区画整理の失敗作。そんな区域にテナントビルは有る。
午後11時。
左手首に巻いたデジタルの腕時計が時刻を報せる。
カシオの薄く軽い、安価なデジタル時計。ホームセンターであればレジカウンターの脇で置いていそうなチープな商品。軽量で薄型なので袖口で擦れて干渉しないので手首のストレスが少ないから気に入っている。
大股でテナントビルの正面出入り口から入る。
途中で門番のように守衛室で暇そうにテレビを見ていた三下に怒鳴られて振り向く。
その足で守衛室のドアからズカズカと入り、出入り口を見張っているだけの1人の三下に近付く。
三下に近付きながら、この男の物と思われるコートをテーブルの上から引っ掴み、丸める。
殴りかかろうとする三下の下腹に丸めたコートを押し当てながら唐突にラドムVIS35を発砲する。
銃声の殆どは丸めたコートに吸収される。
ショートリコイルを存分に活かせなかったラドムVIS35は初弾を弾いただけで空薬莢を排莢口に噛み込んで作動不良を起こす。
……出だしとしては満足だ。
男は非武装の女と思って殴りかかったのに、いきなり腹に9mmパラベラムをお見舞いされた。呻きながらその場に蹲る。
無抵抗に近い三下の両手両足を結束バンドで縛る。口には傍に有ったガムテープを貼り付ける。
恐らく銃創の痛みで大した脅威ではないが、万が一に備えて拘束状態にした。
腹部の中央から血が溢れる。男は恐慌状態に陥り手足をばたつかせようとするが、結束バンドで縛られているので銃創を押さえる事すらままならない。ガムテープで口を塞がれて悲鳴すら挙げられず洟と涙と汗を噴出させてもがく。
明奈はラドムVIS35のスライドを力一杯引いて、噛み込んだ空薬莢を弾き出す。
良くあるストーブジャムだったので対処に問題は無い。
守衛室を出てテナント内部へ進む。予め斡旋業者から手渡されていた見取り図のお陰で迷う事は無かった。……迷うほど大きな建物ではないが。
2階。
階段を昇りながらラドムVIS35の銃口を階上へ這わせる。人影は無い。
人影は無いが人の気配だらけだ。
2階より上に総勢15人が待機しているはず。
暴対法のお陰で拠点の確保が難しくなった昨今、たむろできる場所を確保できるだけでも連中にとっては幸いな事なのだ。
このビルには合計で6個の組織が軒を並べている。
その全てに満遍無く打撃を与えるのが今回の仕事。
解り易い鉄砲玉案件。
予定通りなら2階は不寝番がたむろしている時間帯。
幹部や寄り合い組織の首魁は不在で準幹部が代表してこの時間帯を与っている。
15人全員の奪命が目的ではない辺りが小癪だ。
目算で半分以上の数に負傷を負わせれば勝利条件となる。……先ほどの守衛室もカウント内だ。
ラドムVIS35のグリップを握り直す。
思い出したように尻ポケットからバラクラバを取り出して被る。
防犯カメラは皆無でも生存者に顔を覚えられたら厄介だ。そうなると今度は『流れ者同士の喧嘩』に形が変わる。
2階へ警戒を緩めずに上がる。
左右の廊下を見る。誰も居ない。
寒い冬の季節。
全員が暖かい部屋から出たくない気持ちは良く解る。