静寂が降りる頃に

 右手側に2人。左手側に1人。中央に1人。
 連中の裏側に廻り込んだが、背後にも連中を庇うように遮蔽が視界を遮るので背中全体が見渡せる状況ではなかった。
 ブリーフケースの男はこの4人のうち誰なのか暗くて判然としない。鉄骨や鉄筋の柱が小癪にも複雑な暗渠を拵えている。
 ラドムVIS35を中央に陣取る男の背中に向ける。4人の中で一番、背中を晒している面積が広い。
 寒さが身に染みる。
 乾燥する空気が涙目を誘発する。喉が軽く渇く……それは緊張なのか、ニコチン切れなのか。
 寒さで僅かに指先が悴む。微妙に震える右手に左腕を添える。
 遮蔽にしている鉄筋の柱に軽く押し付ける。
 柱の冷たさがフライトジャケット越しに伝わる。
 乾燥する空気。視界下部が僅かに緩む。涙が眼球を保護する為に湧いてくる。
 涙で視界がぼやける前に大きく息を吸い込んで、今尚、声を張り上げて連携を保とうとする連中の背後でサイティング。
 呼吸が苦しくなる前に引き金を引く。
 確実に作動する手応え。……撃発。
 弾き出された空薬莢が壁に当たり、自分勝手に甲高い音を立てて転がる。
 銃声が少しだけ尾を引いて木霊する。廃工場の内部に銃声が染み込む。
 9mm口径のジャケッテッドホローポイントの弾頭は中央の周囲が一抱えほどもある鉄筋の柱に潜む男の右肩に命中する。
 バイタルゾーンから僅かに外れる。
 これで上等。無力化には成功したからだ。
 男はまえにつんのめって倒れ込み、悲鳴を挙げながら転げ回る。
 撃たれても転げ回れるのは、背後から銃撃されて被弾し、一時的に恐慌状態に陥ったので一気に興奮状態が最高値となり、痛みを麻痺させてしまったからだろう。
 連中も人間だ。数が多いからと、いつまでも余裕を見せては居られないのを悟ったらしい。
 各所に散らばっていた3人の男は振り向き様に再び乱射を始める。
 弾数やシルエットからして、それら拳銃は大型軍用自動拳銃のようだ。明奈のラドムVIS35と同じ9mmパラベラムを用いる。
 誰が扱おうが9mmだ。威力は変わらない。プロが使おうが素人が使おうが、まともに命中すれば死に到る。
 明奈の潜む遮蔽が9mm弾に削られる。
 太いコンクリの柱なので貫通の危険性は無い。ただ、ジリ貧に陥る戦局は簡単に予想できた。
 耳障りな銃声が工場内部に響き渡る。
 明奈は左手側にある、積み上げられて放置された樹脂製のパレットを見つけ、そこへ前転を繰り返しながら移動する。6mほどの距離が嫌に遠く感じる。
 辺りは暗い。
 背後に光源を背負った者が撃たれる。
 銃声が連なる廃工場の中で3人の男達は距離を詰めながら、拳銃を撃つ。
 明奈との距離が近くなるにつれて呼吸まで聞こえてくる。
 陰から覗く影を狙う銃弾。激しさを増すが、決定打に欠ける。
 明奈は無駄な発砲を出来るだけ控える。距離を離すための牽制ですら1発ごとの散発な発射だ。
 人間の心理や認知とは不思議なもので、距離が詰まれば詰まるほど銃弾が当たらない錯覚を大きく感じる。
 故に無用な銃弾をばら撒く。
 たったの5mの距離からの発砲でも当たらないと認識すると自分の拳銃が信じられなくなり、益々、トリガーハッピーに陥る。
 空薬莢が冷たく転がる。
「…………!」
 連中の乱射が拵えたブリキやベニヤ板の壁。その外から外灯の明かりが差す。
「……」
 連中は自分達が開いた孔を背後に無為な銃撃を浴びせている。
 遮蔽の陰からリップミラーを使って死角を確認する。
 ブリーフケースの男が確認できた。
 全員、何らかの遮蔽に身を潜め、潜望鏡のように手首を突き出して拳銃を乱射している。戦闘区域は10m四方に縮まっている。
 まだ3発ほどの実包が残っている弾倉を新しい弾倉に交換し、明奈は遮蔽から匍匐前進するように飛び出す。
 非常に低い位置から右手側の男が潜む遮蔽に銃撃を加えた。その遮蔽に隠れていた男は慌てて身を低くして遮蔽に収まるが、尻が突き出てしまう。その尻……腰付近に9mmパラベラムを叩き込む。男は無様に横倒しになり苦悶する。
 明奈は体を右手側に横転させ、先ほどの腰付近に被弾させられた男の遮蔽に飛び込む。
 苦痛に泣き叫ぶ男を遮蔽から蹴り出す。遮蔽から突然放り出された男に仲間の銃弾が集中する。全身に銃弾を浴び、苦痛から開放される男。
 新しく得た遮蔽から2人の位置をリップミラーで確認。
 ブリーフケースの男が一番手近に居る。
 その2人の背後は孔だらけだ。
 自分達が穿いた孔から差し込む光源でその動向が手に取るように解る。位置関係もはっきりする。
 今の遮蔽から見て、右手側の一番近くにブリーフケースの男。
 やや左手側にも1人。
 直線距離で10mも無い。
 明奈が潜む今の遮蔽は木製のパレットを積み上げたものだ。隙間から銃弾が飛び込んでくる可能性も有る。
 左手側に横っ飛びになって遮蔽から離れる。
 当たりはしないが牽制の発砲を2発。そして更に距離を詰める。
 小さな金属音を聞き逃さない。
 横っ飛びから左脇を床に向けたまま着地すると一番奥に居た男の、遮蔽で隠れ切れていない左肩に銃弾を放つ。
 銃弾は違えず、左肩に叩き込まれ、男は再装填の途中だった拳銃を放り出して床に倒れる。負傷程度だ。死ぬ事は無い。
 孔だらけの壁を背後にした人影が遮蔽から飛び出し、遁走を始める。重そうな足取り。
 ブリーフケースの男だ。
 ブリーフケースを左手に提げて右手に握った自動拳銃で盲撃ちに近い弾幕を張る。
 最早、大した脅威ではない。
 明奈はその場に伏せて、体を冷たい地面に固定して這い上がる冷気を堪えて大きく呼吸をする。
 サイトの向こうに……15m向こうにブリーフケースの男の背中を捉える。
 呼吸を整えて、止める。
 刹那、両手で保持したラドムVIS35が撃発する。
 9mmパラベラムはブリーフケースの男の左太腿上の尻に命中し、前方につんのめって倒れる。
 殺すのが目的ではない。深い傷を与えるのが目的ではない。無力化が目的ではない。確実に会話できるだけの意識が有ればそれでいい。
 体についた地面の埃を左手で払いながら立ち上がる。倒れて泣き言と罵声を交互に吐き出すブリーフケースの男の元へ行く。
 ラドムVIS35が発作的に発砲されて、男がこちらに向けようとしていた自動拳銃――FN HP。或いはそのコピー――を弾き飛ばす。男は右手を挫かれて更に悲鳴を挙げる。
「さあ、取引をしましょうか」
 明奈は『紳士的な態度で紳士的に声を発した』。
 その声に殺意や敵意は無い。
 予定通りに、今から取引が滞りなく始まると言った声。
 何の憂いも無い澄み渡った静かな声。
 ビジネスマン同士の会釈から始まりそうな声。
「ここにブツが有ります。そちらの現金をお見せできますか?」
 ブリーフケースの男は、笑顔でスマートフォンを提示する明奈の顔を見て罵声を吐き散らす口を思わず噤んでしまった。
 この女は取引を有耶無耶にしようものなら躊躇い無く右手に構えた拳銃で撃ち殺すつもりだと慄く……そして、今からでも取引を再開すれば自分だけは助けてくれる保障を示してくれているとも。
「…………解った! 取引だ! 取引をしよう! 仕事の話をしよう!」
「はい。ではこちらのスマートフォンになりますが……」
 こうして、鉄錆び臭い中、あちらこちらで苦悶に呻く声が湧きあがる中、取引が漸く行われた。
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