静寂が降りる頃に

 お互いの勢力は、今回だけはビジネスパートナーであらねばならない。
 だが、商談の場で背中を斬られるのはいつもの事だ。
 その為に頭数を揃えた面々だ。こちらの手駒は総勢12人。
 商談の場には3人。この3人を警護するのが最大の仕事だ。
 3人の警護対象。こちらの警護対象だ。
 あちらにも勿論、商談の場に登場する幹部級の3人が居る。
 それらを警護するのは『連中』側の仕事だ。
 兎も角、この商談を終わらせるまで無事に警護すれば良い。
 市内の港湾部外れに有る、コンテナ群が放置されたままの廃棄区画。来月にはこの一体は更地にされてまた新しい倉庫街として区画が整理される。
 役場の書類上の空き地だから、置き場に困っていたコンテナが放置されていただけだ。
 お陰でこの辺りには社会不適合者が屯する治安の悪い地区として問題視されていた。
 その問題のど真ん中で商談を開くと言うのだからどうかしている。
 密室で商談を行えば盗聴盗撮の恐れが有るとして忌避しているのは解るが、早く商談をまとめて欲しいものだ。
 寒さが足の裏から這い上がってきて腹の中まで冷える。
 海に近いという事もあってかなり冷えるのを予想し、楓が背中や腰に使い捨てカイロを貼り付けてくれた。
 MA―1フライトジャケットの両手のハンドウォームにも使い捨てカイロを放り込んでいる。
 体を温めようと、ウイスキーの小瓶でも買おうかと思ったが、それも楓に釘を刺された。
 土壇場で正確な判断が出来ないと危険だから、だと。
 楓と話をしていると、時々感じる温かみは家庭的雰囲気というより、母親と話をしているような気分になる……母親というものを具体的に知らない明奈だが、自分にも楓のような母親が居ればもう少し違った生き方が出来たに違いないと、考えながら眠りに落ちる事さえある。
 心地よい。そんな印象を楓に感じる。
 その楓に口を酸っぱくして注意を促されても鬱陶しいとは思わない。そして……直ぐに首を振って好くない妄想を振り払うのだ。
 自分は流れ者で、楓は一時の雇い主で、自分はただの宿無しヤクザで……。
 情に絆される事が有ってはいけない。
 場合によっては……例えば、自分の命か、楓の命かを銃口を突き付けて選択を迫られると、自分の命を選んで街を後にするのがヤクザな流れ者のイメージで、自分が思うところの流れ者の姿だと思っている。
 なのに『楓は放っておけない』。そんな考えに到る自分はどうかしていると戒める。
 午前1時。
 取引だの商談だの、どうしてこんなに深い時間に人気の無いところで執り行う物なのだろう? と、何度か疑問に思った事が有るが、直ぐに答えが出るのだ。
 必ず、何か仕組まれた会合だからだ。
 寝静まった時間で人気が無い方が都合が好い。
 どこで誰が何をしていても目撃される心配が少ない。
 この廃棄区画にしても、浮浪者を中心にした社会不適合者が所々でたむろしているが、そのうちの半数以上が情報屋の手先として配置された人員だというのも予想に難くない。
 情報屋がこの街の実権を握っているとさえ思っている。
 どこの誰が情報屋とグルになっているのか解らない。
 駅前の交番に配属された警官でさえ信用ならない。
 夜風が冷たい。風だけで水に氷が張りそうだと錯覚する。
 潮風に鉄錆びの臭いが混じる。
 外周を警護している人員から、内周を警護している各員に定時連絡が入る。
 商談の場に連れてこられた双方の警護要員が擦れ違って顔を合わせる度に、気味の悪い薄ら笑いを浮かべる。
 若しかしたらこいつが裏切って突然こちらに銃口を向けるかもしれない。ならば今、この場で殺すか? と、互いが疑心暗鬼になっているのだ。……指鉄砲を向けて挑発する奴さえ居る。
 外周の連中からは今のところ『誰にも、何も目立った動きは無い』との事だった。
 コンテナ群の『どこかで会合は開かれている』警護組は内周に近付くに連れて『組織に近い人選』で構成されている。
 外注でも楓の元でそれなりの働きをしていた明奈は、腕前だけは信頼されていたので内周に配置されている。
 外周連中は、つまりそれだけ信用度が低いのだ。
 会合の場にいる組織の人間としても一番頼れる駒は手元に置いておきたいだろうから、その心理は理解できる。
 願わくば、そんな事情を考えながらキングエドワードスペシャルを吹かしている間に会合が丸く終わって早く引き上げて熱い風呂に入りたい。
 午前1時15分。
 銜え葉巻が風に煽られていつもの倍の早さで短くなる。
 強風の日の煙草は火を点けるのが厄介で愉しむのも面倒臭いのでニコチン補給以外の側面が楽しめない。
 無為にキングエドワードスペシャルが短くなるのを勿体無いと思いながら灰にする。
「…………?」
 午前1時20分。定時連絡が無い。
 談笑に耽って忘れているのかと思い、内周の警護班のリーダーに確認の電話を送る。
 その時になって気が付く。ここは圏外だ。
 携帯電話の電波が使えない。微弱な電波すら拾えない。
 人気の無い場所で秘密の会合を開く理由がもう一つ増えたような気がした。
 定時連絡以外は使わないと決められている無線機を用いて内周警護のリーダーに連絡を取る。
「外周連中から何か聞いていない? 内周からも連絡が無いんだけど」
 嫌味を込めて内周警護班のリーダーに質問を唐突にぶつける。
「……?」
 内周警護を統括するリーダーからは無しの礫。
 嫌な胸騒ぎに急かされてチューニングを外周警護班のリーダーに合わせる。
「こちら、内周の……」
 遠くで銃声。突き抜ける、短い銃声。
 拳銃弾だ。
 続いて始まる銃撃。
 それは直ぐに銃撃戦を形成する。
 辺りは光源に乏しい。
 退路も進路も確保に手間取る。
 故に遮蔽が多く、秘密裏に侵攻してくる外部を抑える外周組に奮起してもらわねばならない……のだが、そのポジションのリーダーから連絡が無い。
 今回の仕事で、サブリーダーを決めていなかったのが仇となった。
 指令系統がズタズタになる。
 ズタズタにされたのではない。
 リーダーを『弾いただけで』、現場が乱れるほどのチームワークだったのだ。
 普通はリーダーが倒されればサブリーダーが、サブリーダーが倒されれば年功序列で一番の年上が指揮権を引き継ぐはずだが、それを現場で、即席のチームで発揮させる事が不可能だった。
 手の内を読まれていたのか、偶然なのか……それは今となってはどうでも良い事だ。
 早く会合の場に居る自分のクライアントを守らなければならない。
 明奈は外周へと向かった。
 中央……クライアントが会合を開いている場所ではクライアントが信頼を置く手勢が警護しているはずだ。
 ならば外周から侵攻してきた闖入者を排撃するのがセオリーだ。
 明奈の動きに気が付いた、左右に居た2人の男が明奈の顔を見て一切を理解したというアイコンタクトを送り、拳銃を懐から引き抜く。
 走り出す明奈に付いて走り出す。
 2人とも今夜が初顔合わせだが、明奈と同じ扱いの腕前なのだろう。
 1人は1911を、もう1人はワルサーP38を使う、何れも30代前半の男で動き易いブルゾンやジャンパーを着ていた。
 2人の名前は知らないが、このご時世にシングルカアラムの時代遅れな大型軍用拳銃を扱う事から他人のように思えなかった。
 時代錯誤のバカ者を鏡で見ているような気分になる。
 100mど走る。コンテナの間を縫いながらの全力疾走。光源の恩恵は余り無い。タクティカルライトで前方を照らしながら呼吸を荒くする。
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