静寂が降りる頃に

 それはリスクだらけ。
 自分の弾で自分が負傷する。
 手首を反動で挫くだけでは済まない。
 弾頭が目前の人物の背中に命中したとしても、ガスと火薬滓を盛大に顔面に浴びせられるだろう。
 視界を失った拳銃遣いには速やかな死が訪れる。
 左踵が何かを軽く踏む。
「……!」
 右肘を失いそうな男が放り出したベレッタM92FS――あるいはそのコピー――だ。
 足裏の感触からしてグリップを踏みつけたらしい。
 明奈はそのまま、グリップを蹂躙するように勢い良く踵を捻る。
 すると、踵のゴム底と床で擦れたベレッタM92FSが跳ね起きて50cmほど上方へ飛びあがる。サッカーボールでの曲芸と似たような理屈が作用する。
 滑る血で汚れたベレッタM92FSを掴まえた左手はセフティを探り、セフティがカットされているのを確かめると……途端に男は背後にバックステップを踏んで部屋から出た。
 彼なりの直感が働いたのだろう。
 確かに、『使える左手に拳銃が握られると危ない』。
 彼はあれほど守っていた距離を開け、ドア向こうへ消えようと目論んだ。
 その彼に銃弾が集中する。
 明奈の発砲ではない。
 左側の部屋、まだ制圧していない部屋からの援軍が誤射したのだ。
 右半身に4、5発の銃弾が浴びせられた男はそのまま崩れ落ちて二度と立ち上がれなくなる。
 明奈は左手に持ったベレッタM92FSで呻くだけの存在になっていた右肘を負傷した男の頭と心臓に1発ずつ9mm弾を叩き込んだ。
 ベレッタM92FSはセフティを掛けて頭部と胸部に風穴を拵えた男の腹の上に放り出す。
 ハンドタオルで左手に付着した血を軽く拭く。
 銃声が小癪。
 ばらつきが大きい。
 銃声を数えるのに手間が省ける。
 先ほどよりは呼吸も整う。
 喉の渇きも収まりつつある。 
だが、今度はキングエドワードスペシャルが恋しくなる。無性に楓のコーヒーが飲みたい。
 腹のベルトに差した手榴弾を1個抜くと、安全ピンに指を掛ける。
 映画では前歯で噛み縛って安全ピンを抜くシーンが有るが、安全ピンを抜くのに約4.5kgの力が必要だ。歯で抜こうとすると歯が抜けたり欠けたりする。
 安全ピンを抜き、早めの鼓動に合わせて4つ数えると、遮蔽の役目を果たしていたドアの向こうへ手榴弾を放り投げる。
 安全レバーが弾き飛んで確実に着火したはずだ。
 そのスローなモーションは先ほどまで殴り合いの応酬を交わしていた男の霞んだ目に映る。勿論、彼には『何かを意識する能力』は無い。
 手榴弾が廊下を転がり、おっかなびっくり自分達が篭城しているドアの陰から拳銃を突き出していた男たちの足元に転がり、やがて、爆破する。
 彼女と打撃の応酬を繰り広げていた仲間を撃ったのはこの男達だ。
 複数の、正確には3つの銃声は耳を聾する大音響と共に消え去った。死に切れない人間の呻き声すら聞こえない。
 軽く両耳を指で塞いでいた明奈はラドムVIS35の弾倉を抜き、バラ弾を補弾する。
 予想通り、残弾4発だった。
 今の爆発で上の階で潜んでいる連中は一気に降りてくるか、非常階段を何としても解放し、脱出するかのどちらかに出るだろう。
 全員、逃げるか、何割かがこちらに来るか、全員がこちらに来るか。 3階へ通じる階段が蜂の巣を突付いたように騒ぎ出す。
 全てのテナントから全ての構成員が飛び出てきたのだろう。
 今までの銃撃戦では大人しく静観を決めていたか脱出の用意に急かされていたのか。
 手榴弾まで用いるとなれば大人しくはしていられない。誰も自分だけは死にたくないと考えている。思っている。願っている。
 ラドムVIS35を両手にフィストグリップで構えて警戒しながら階段を昇る。
 この騒ぎ方は全員が脱出をする事で満場一致のようだ。
 今の時間帯にこのビルの内部で居る構成員は15人。
 そのうち11人を屠った。もう充分だ。
 勝利条件は半分以上満たした。
 もう半分の、満遍なく打撃を与えると言う任務は未だだった。
 左手に手榴弾を持ち、木製の掲示板に埋め込まれたヒートンに手榴弾の安全ピンを引っ掛けて思いっきり下に引く。
 小さな涼しい音を立ててピンは抜ける。
 安全レバーは握ったままなので未だ、内部では撃針が雷管を叩いていない。
 年代物の手榴弾。ベトナム戦争で有名になったモデルだ。
 室内で使うには少々強力。
 狭い空間を制圧する手榴弾はベアリングや鉄片が取り除かれたり減量された物が多い。
 屋外で用いるこの手榴弾は大量の鉄片を撒き散らす。5mm四方の鉄の破片を秒速7kmで半径約10mを制圧するように拵えられている。 頼りになるが、手元のこれが最後の一つだ。
 威力は先程の炸裂で実証済み。あっという間に3人を肉片に変えた。
 踊り場から一気に駆け上がる。静かに安全レバーを開放し、横投げで手榴弾を床に滑らせるように放り投げる。
 手榴弾は本来、ベースボール投げは禁物の武器だ。そのフォームで『遠投』すると肩や腕を痛める。ボールのように丸く、握り易く作られていないからだ。
 幾らかの銃弾が飛来する。
 牽制と言うよりパニックの表れと言った方が正しい、盲撃ちだった。 怒声、怒号、罵詈雑言。
 汚い言葉がこのフロアに溢れかえっている。
 手榴弾を投げたのは右手側。
 そちらの方に人に気配を多く感じたからだ。
 やがて、爆発。
 手榴弾はよい仕事をしてくれた。……粉塵が巻き起こる廊下の中であれほど五月蝿かった構成員たちの喚き声が一瞬で掻き消された。
 少し距離が近かったか、階段の角を遮蔽に蹲りながら両耳を指で塞いでいたが、それでも空気を震わせる大音響に強く目を閉じてしまった。
 右手側の廊下の蛍光灯が破壊されて光源を失う。
 テナントの中から漏れる明かりだけが光源。
 その明かりを頼りに、リップミラーを走らせて素早く遮蔽の角から現状を把握する事に努める。
 廊下に2人の死体が転がっている。
 直ぐ傍のテナントの出入り口は完全に破壊されている。
 その辺りで手榴弾が炸裂したらしい。
 消防へ通じる感知器や警報も切ってあるのか、スプリンクラーは作動しない。……消防法に抵触しているので、抜き打ちの検査があればそれだけでこのビルは司直の手が入るだろう。
 このビルに潜んでいると思われる構成員の数は残り2人か3人。
 もう打撃を与える必要を感じない。
 『仕事場を荒らす』と言う目的は果たした。
 今夜の仕事振りは、この近所を徘徊している情報屋が勝手に収集して情報網に流通させてくれるだろう。
 従って、態々、この惨状を写真に収めて報告する必要は無い。帰宅して楓に口頭で報告するだけで終わりだ。
 一方的な屠殺。
 強襲に於ける鉄則を守ったにしては、少しばかり手強い使い手と殴り合いを展開した。
 今夜の仕事が『万事、巧く運んだのは幸いな出来事が重なった』だけだ。
 手榴弾を見つけたのは本当に幸運だった。狭い室内でこれだけの威力を発揮するのなら是非とも携行していたい武器だが、欠点も有る。輸送に際して本体と撃針部分をばらして持ち歩かなければ暴発の可能性が有るのだ。
 テナントビルの外部が騒ぎ出す前に明奈は非常階段から降りる。
 施錠はことごとく9mmパラベラムで破壊した。
 ジャケッテッドホローポイントでは貫通力不足なので連中が所持していた拳銃から抜いたフルメタルジャケットを用いた。
 今夜の仕事の出来栄えは、及第点の満足感だった。
 何度も車を盗難しながら帰路に着く。
 午前0時10分前。軽い欠伸をする。
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