静寂が降りる頃に

 9mmパラベラム。軽い発砲音。
 45口径のような頼もしい咆哮とは少し違う。
 突き抜けるような銃声。
 銃声に混じって乾いた金属音。
 空薬莢が弾き出されてアスファルトの上で踊るように転がる。
 寒い夜。年も明けた。
 新春と言う字に春が含まれるが、文字通りに暖かい気候とは感じられない。
 太陰暦を知らなかった幼い頃は何故、正月を新春という文字で飾るのか解らなかった。
 新春の漢字と意味を知ってどれ位の年月が過ぎただろう。
 365日を生きているだけで幸せな毎日。いつ背後から撃たれるのか解らない生活をしていれば新春に浮かれる時期こそが一番出歩きたくない節句の一つだった。
 どこもかしこも雑踏は人で溢れかえる。
 擦れ違い様に喉元を刃物で掻っ切られるリスクが高い。怖い物だらけ。そんな生活。無味乾燥を強いられて植物のように慎ましく控えめに生きる事こそが長生きの秘訣。
 狙われるのは自分だけではない。
 条件次第では『自分が狙う側の人間』になりえるのだ。
 今のように。
 引き金を引いた、今のように。
 9mmパラベラムのジャケッテッドホローポイントを弾いた今のように。
 標的は地元の暴力団の幹部。
 50mの距離。全長205mmほどの軍用自動拳銃では少しばかりタイトな射程。
 それでも1発で充分だった。
 その1発のためにここで体を震わせながら、指先に使い捨てカイロを貼り付けながら待ち構えていたのだ。
 寒風が彼女の頬を強く叩く。
 この一陣の風が、もう少し後れて銃口や銃弾に届いていれば、標的に銃弾が届いたのかどうか怪しいところだ。
 サイトの向こうでは側頭部に9mmを叩き込まれたトレンチコート姿の男が力無く、前のめりに崩れる。
 送迎用のベンツから降りたところを狙い撃ち。
 このポジションを計算するのに1週間掛かった。標的の行動パターンを解析するのに2週間掛かった。その引き金に自らを懸けるのに27年の人生が必要だった。
 50m向こう。明るい外灯で照らし出されたマンションの出入り口では、あと数秒もすれば蜂の巣を突付いたように大騒ぎとなるだろう。
 ベンツの運転手が自動拳銃を手に降車して標的の傍に駆け寄る。それを確認したら、彼女は黒い布を頭から被ったまま夜陰に乗じて後ずさりを始めた。
 この仕事は高くついた。
 一宿一飯の恩だったとしても、だ。
 高矢明奈。流れ者。
 職業も住所も常に未定。
 今年で27歳に成る。
 少しばかり粗暴な印象を纏った風貌が記憶に残るだけで別段、惹きつけられる性的なアピールは感じられない。
 それは彼女自身が心掛けている事柄の一つだ。
 無駄に化粧を施して着飾ってもこの『業界』ではあまり優位に働くファクターは見当たらない。畢竟、日陰者が日の当たる世界で大手を振って歩くのは難しいからだ。
 懐に呑み込んだ物騒な仕事道具を隠す為に、夏でも上着を羽織らなければならない。
 彼女に物騒な代物を手放すという選択肢は無い。手放せないレベルまで彼女はこの世界に馴染んでしまった。
 高矢明奈。
 街から街へと流れる根無し草。
 地元の一番勢力が大きい組織の庇護に有りつく為に汚れ仕事を引き受け、半野良気質な毎日を過ごしている。
 今し方、トレンチコートの男を仕留めたが、それもこの街での最後の大仕事として引き受けた。長い間、寝床と飯の世話をしてくれた組織に報いる為に報酬の遣り取りの一つとして殺しただけだ。
 明奈にとって組織の庇護下に収まって、その謝礼に汚れ仕事を引き受けるのは、半分ビジネスだった。
 標的にされた敵対組織からすれば流れ者1人や2人、報復で殺したとしても全くの時間の無駄だった。
 組織に忠義を持たない『使い捨ての駒』を幾ら殺しても相手組織へのダメージにならない……無論、その逆も有る。
 流れ者やフリーの殺し屋に命を狙われる事も有るのだ。
 理由は様々だが、一番大きい理由は、自分の名前に箔を付けたいだけの功名心だ。
 流れ者やフリーの業界にも宣伝は必要だ。更にそれに違わぬ信頼と実績も必要だ。
 大金星を一つ挙げてもそれを裏付ける腕前が伴わなければ早々に新人を標的にするライバルや中堅に『消されてしまう』。
 自分の命を張るからには、自分の命を保険に出来る後ろ盾が必要なのだ。
 組織に所属する構成員ならば、組織の代紋がそれを保障する。しかし流れ者の高矢明奈には適応されない。
 故に、どこの街へ転がり込んでも二つ返事で雇ってくれるネームバリューが必要だった。その結果、その街で一番大きな組織の庇護下に一時的に収まり、その謝礼として敵組織や邪魔者を抹殺、拉致、尋問、略取等で支払う。
 やがてその仕事振りは耳聡い情報屋の走狗が小遣い稼ぎの情報として拾い上げ、高矢明奈の与り知らぬ所で情報が売買されて彼女の『値段』が釣上がる。
 一つの大きな仕事を完遂する事が、一つの大きな就職活動であり、名刺代わりだ。
 彼女は今夜、大きな仕事を果たした。
 これでこの街ともサヨナラだ。
 お世辞にも居心地の良い街ではなかった。
 着替えと相棒の自動拳銃だけを携えて全国を流れる彼女にとっては寝床と飯が保障されただけで御の字だった。
 明奈はMA-1フライトジャケットの左脇に自動拳銃を収める。侍が腰に差した鞘に刀を収めるような静かな所作だった。
 自動拳銃。大型。軍用。但し、戦中の。
 ラドムVIS35。
 コルトガバメントのコピーでありながら、デコッキングレバー連動セフティを搭載したモデルだ。
 口径は9mm。装弾数8+1発。
 シングルアクションオートにしては珍しくスライド後端にデコッキングレバーを具え、本来のサムセムセフティに見えるレバーは分解レバーの機能を持たせてあり、セフティとしては機能しない。
 戦中に作られた自動拳銃で、磨耗も激しいと思いきや、後年にリバイバルされたモデルでスライドに彫られている刻印が僅かに違う。
 愛好家向けにリバイバルされたモデルだったが、これもまた直ぐに製造を打ち切られ今では完全な廃盤商品だ。
 リバイバルされた折に大量に部品が出回り、サードパーティやアマチュアガンスミスがコピーして市場に流出させたので交換部品には困らない。
 普通の武器弾薬の流通経路では流石に目に見る事が無い製品でも、明奈が確保している武器弾薬取り扱いルートでは未だに豊富だ。
 寧ろ、このような珍品を所望するのは明奈だけなので当分は部品不足に困らない。
 嘗ての軍用拳銃の横綱とまで讃えられたコルトガバメントのコピー。流石に現代のオート事情では通用しないのか、シングルカアラムで1kgを越えるラドムVIS35は敬遠されている。
 明奈が贔屓にしている供給ルートが東側マフィアの出張所でなければこんなに簡単に手に入らないだろう。
 彼女がこの今一つスポットライトが当たらない拳銃を使う理由は唯の一つ。
 珍しいから。
 それだけだ。
 明奈が流れ者に転向する前は、ヤクザの雇われの鉄砲玉を生業にしていた。
 その当時は軍用モダンオートで派手に銃弾をばら撒いていた……一所に居辛い事態になり、流れ者として流離う身分になるとアシを消す準備も必要だった。その上、次の食い扶持も探す算段も必要だった。
 そこへラドムVIS35。シングルカアラムで古風。滅多に見かけない自動拳銃。
 自分の仕事の流儀を偽装するのに丁度良かった。
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