エピローグ
──シカゴでは、犯罪者になって大金を稼ぎ若死にするか、警官になって貧しく長生きするかだ。
エリオット・ネスは酒類取締局 の捜査官だった。
シカゴの大物ギャングであるアル・カポネの逮捕を目指して捜査活動を行っていたが、自身の力によって彼を捕らえることができず、その後は連続殺人事件の解決に失敗するなど、大きな功績を挙げるには至らなかった。
今、彼はアルコールに溺れて馴染みの酒場にいる。
「そこまでにしておきなよ、ネスさん」
マスターがグラスに伸びた彼の手を制止した。
カウンターに突っ伏し、空いたグラスを見つめる。
微睡 みの中、グラスへ逆さになった人影が映った。
「何を今更落ち込んでるんだい? この国は昔からこうじゃないか」
影から嗤 う声──
パチンと、指を弾いたような音が頭に響く。
突然、辺りから人がいなくなった気がした。
起き上がって周囲を見回すと、本当に誰もいなくなっている。
酔いも覚めたネスは、一人の青年が入り口の扉の前に立っていることに気付いた。
「やぁ、お疲れだね、元 酒類取締局捜査官さま」
彼は上等な三つ揃 えの黒い背広を着ていた。襟にカラーバーを付けて、赤いネクタイを浮き上がらせている。
明らかに堅気 ではないな、とネスは思った。
「誰だ」
問い質 すと、青年は笑ってはぐらかした。
「別に誰でもいいだろ? ここには君しかいないわけだし」
ネスは黙って青年を睨 んだ。
彼は表情を変えずに話を続ける。
「君の考えてること当ててあげよう。アル・カポネの裁判の件だろ」
「…………」
青年は一、二歩進んだ。
「あの判決は違法だ。ボルステッド法では彼を有罪にすることなどできない。あれは初めから結論ありきの裁判だった」
彼は少し苦笑する。
「まぁ、君が地道に集めた電話盗聴記録や諸々の証拠なんぞも無駄に終わったわけだ。せっかく賄賂 も断ったというのに、彼を正しい法のもとで裁かせることができなかった。君は清廉な捜査官として、確かな誇りを持って歴史に名を残すことはできない」
ネスは苦虫を噛み潰したような声で唸 った。
「名誉欲がないとは言わないが……あれでは我々の努力を嘲笑 われたようなものだ。合衆国が法の支配を弄 ぶことなどあってはならない」
「それこそ、何を今更。君もサッコ・ヴァンゼッティ事件のことは知っているはずだ。彼らが移民でなく“普通の白人”でさえあれば、無政府主義者 だろうと共産主義者 だろうと死刑にはならなかった」
ネスは俯き、沈黙した。
「……我々は力を尽くした。カポネ──彼は犯罪者だ。当然司法に身柄を委 ねられるべきだ。しかし、この街に住んでいれば誰だって社会の不正に気が付く。差別で人を貧困に押しやって悪事に走らせて、この国で生きる人間が何も知らないふりなんてできやしないよ」
いつの間に青年は消えていた。
「市民の力でできることがほとんどないのなら、我々はどうすれば良い?」
力無く独りごつと、後ろから虚ろな明るい声が聞こえた。
「それならこれはどうですか?公僕 の貴方にできることじゃないでしょうけど」
振り向くと、カウンターには、血のように赤いカクテル──ブラッディメアリーが置かれていた。
ネスは立ち上がってグラスを叩き落とした。
ガラスが砕ける音で目が覚めた。
周囲を見ても、どこにも砕けたガラスの破片はなかった。
いつの間に自分の部屋で寝ていたらしい。
服がそのままなのを見ると、誰かが店からここまで連れてきてくれたのだろう。
──とにかく深酒はもう辞めよう、と彼は思った。
エリオット・ネスは
シカゴの大物ギャングであるアル・カポネの逮捕を目指して捜査活動を行っていたが、自身の力によって彼を捕らえることができず、その後は連続殺人事件の解決に失敗するなど、大きな功績を挙げるには至らなかった。
今、彼はアルコールに溺れて馴染みの酒場にいる。
「そこまでにしておきなよ、ネスさん」
マスターがグラスに伸びた彼の手を制止した。
カウンターに突っ伏し、空いたグラスを見つめる。
「何を今更落ち込んでるんだい? この国は昔からこうじゃないか」
影から
パチンと、指を弾いたような音が頭に響く。
突然、辺りから人がいなくなった気がした。
起き上がって周囲を見回すと、本当に誰もいなくなっている。
酔いも覚めたネスは、一人の青年が入り口の扉の前に立っていることに気付いた。
「やぁ、お疲れだね、
彼は上等な三つ
明らかに
「誰だ」
問い
「別に誰でもいいだろ? ここには君しかいないわけだし」
ネスは黙って青年を
彼は表情を変えずに話を続ける。
「君の考えてること当ててあげよう。アル・カポネの裁判の件だろ」
「…………」
青年は一、二歩進んだ。
「あの判決は違法だ。ボルステッド法では彼を有罪にすることなどできない。あれは初めから結論ありきの裁判だった」
彼は少し苦笑する。
「まぁ、君が地道に集めた電話盗聴記録や諸々の証拠なんぞも無駄に終わったわけだ。せっかく
ネスは苦虫を噛み潰したような声で
「名誉欲がないとは言わないが……あれでは我々の努力を
「それこそ、何を今更。君もサッコ・ヴァンゼッティ事件のことは知っているはずだ。彼らが移民でなく“普通の白人”でさえあれば、
ネスは俯き、沈黙した。
「……我々は力を尽くした。カポネ──彼は犯罪者だ。当然司法に身柄を
いつの間に青年は消えていた。
「市民の力でできることがほとんどないのなら、我々はどうすれば良い?」
力無く独りごつと、後ろから虚ろな明るい声が聞こえた。
「それならこれはどうですか?
振り向くと、カウンターには、血のように赤いカクテル──ブラッディメアリーが置かれていた。
ネスは立ち上がってグラスを叩き落とした。
ガラスが砕ける音で目が覚めた。
周囲を見ても、どこにも砕けたガラスの破片はなかった。
いつの間に自分の部屋で寝ていたらしい。
服がそのままなのを見ると、誰かが店からここまで連れてきてくれたのだろう。
──とにかく深酒はもう辞めよう、と彼は思った。
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