補章

 昼に活動するようになってから少し経った。
 この時間の列車は空いている。奥の席に荷物を置いて、通路側に腰掛けた。窓からは海が見える。空は快晴で、日差しがとても強い。
 小さな途中駅を出発して、しばらく列車に揺られていると、男がいつの間にか後ろの席に座っていた。
「久し振りだね」
 男の手が肩に触れた。
「……僕たちって接見禁止じゃなかったっけ?」
 上品な老紳士──ジョー・アドニスは振り返えらずに言った。
 拠点のアメリカから国外追放され、今はイタリアで生活している。
「まぁ、いいじゃないか。バレたら、金を払えば良い」
 同様に国外追放された旧来の友人・ルチアーノは笑って言った。
 とはいえ、彼のことだから、あちこちへの根回しは済ませていることだろう。
 アドニスは微笑びしょうした。
「ここから何処に行けば良い?」
「僕の家に来な。時間はちょっとずらそう。これに行き方は書いてある」
 彼は手紙を渡して、次の駅で降りていった。
 アドニスは三つ先の駅で降り、車で近くまで向かった。
 指定された場所で待っていた男に裏道を案内され、低木のある畑を越えた先に、彼の家はあった。
 門扉もんぴを通ると、
「ようこそ」
 ルチアーノは緑の扉を開けて待っていた。
 アドニスを内へうながす。
「うまく合流できたね」
 彼らは二階へ上がった。
 案内された室内は綺麗に整えられており、椅子や机、ソファは上等のものだった。ここは彼の居室らしい。
 バルコニーからは海が見える。
「昔より元気みたいで安心したよ」
 アドニスは言った。
「僕は知り合いと会うためにシチリア島へ来たんだ。帰る道すがらで君に会うとは。ニューヨークが懐かしくなったよ」
 ルチアーノは微笑ほほえんだ。
「会えて良かったよ。この家にはたまにしか来ないから」
 赤い革張りの椅子に腰掛けて、お互い過去の思い出話をニつ、三つ話したあと、彼は切り出した。
「自伝映画を作ろうと思ってるんだ。出来れば君にも協力してほしい。もちろん、無理強いはしないが」
 アドニスは思案した。
「……それって可能なのかい? 僕は全然構わないが、政府当局が何と言うか。それに──」
「組織の皆には黙認してもらうつもりだよ。僕がいくら稼がせてると思ってるのさ」
 彼は地中海の広大な麻薬密輸ルートの構築に一役買っていた。
 中東で生産した麻薬を欧州で経由し、北米まで運搬・密売する犯罪網。
 そこには各国の裏社会・政府など数多の思惑が重なっている。
「君はこういう汚い仕事は嫌いだろうがね。組織を食べさせていかなきゃならない。酒じゃもう今まで通りの利益は上げられないから」
 ルチアーノは少し苦笑した。
「まあ、僕一代限りの話だ。僕が死んだ後は、すぐに摘発されるだろう。当たり前さ。だって誰がやってるか向こうには分かってるんだからね」
 沈黙が流れる。
 突然、天蓋てんがいのある寝台の奥から、柔らかい毛並みの犬が彼に駆け寄って来た。
 彼は笑って愛犬を撫でた。
 愛犬は、飼い主の制する手を見て、大人しく絨毯じゅうたんに伏せた。
「全体のために殺したくない奴も殺したしね。この程度の我儘わがままは認めさせるさ」
 眼鏡の奥の瞳に暗さを宿す友人を、アドニスは心配する。
 自分が力になれることなら、何でもしてあげたいとさえ思った。
「……もしかして、映画制作に何かの意図があるの?」
 そのために、あえて質問を投げかけた。
「そうだね」
 と彼は言って、封筒の下にあったメモを見せた。
 ──麻薬のような攻撃的手段のみでなく、平和的手段でも自分の気持ちを伝えたいんだ。なるべく多くの人々に。それが移民たちのためだ。
「ちょっと口に出すのは恥ずかしいんだ。特に意図はないよ」
 ルチアーノはメモで口元を隠した。
 アドニスはうつむく。
 彼は自分が陥った苦境と闘争を人々へ伝えることで、これから同じ立場に落とされるであろう人々を救おうとしている。
「麻薬は稼げる仕事だ。我々の犯罪網が破られたとしても、他の誰かが真似をする。たぶん、僕らと違って米国あちらに住んでいない分、より酷くなるだろう」
 彼はバルコニーへ移った。
「その前に、出来ることはしておきたくてね」
 太陽は沈みかけていた。空は黄みがかっており、海は強い日差しを受けてきつく輝いている。
 アドニスは顔を上げて言った。
「君は悪くないよ。悪いものがあるとすれば、それは君をそうさせた世界の方だ」
 ルチアーノは振り向いて、困ったような、照れた苦笑いを浮かべた。逆光が強かった。

「いきなり呼んで色々話してしまって済まないな。夕食はうちで食べていくと良い。用意が出来るまで、好きなところで待ってて。僕はもう眠くてね。最近、昼に動くようになったから」
 バルコニーの椅子に座って、ルチアーノは言った。
 彼はすぐに眠ってしまった。
 アドニスは部屋にあったブランケットを掛けてあげた。
「おやすみ、我が友」
 彼は友人の手に口付けをして部屋を出た。
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