補章

  「休業中」と書かれた看板が下げられているドアは簡単に開いた。
 室内は明かりがいていない。曇り空は窓から入る日の光をおさえている。
 視線を右へ向けると、品の良い男が緑の座席に腰掛けていた。ガンビーノだ。
「いやー、ごめん。遅れたよ。すれ違った良い男に見とれてたらさ」
 慌てて走ってきた俺が言い訳をすると、
「何か飲むか?」
 彼は落ち着いた声で聞いた。
「アイスティー」
 答えると、ガンビーノは立ち上がってキッチンへ向かった。ここは彼の所有する小さなレストランだ。
 彼はトレイを持って戻ってくると、運んできたアイスティーを机に置いてくれた。
「ありがとう」
 礼を言い、彼がコーヒーを持って座るのを待ってから、俺は話を始めた。
「最近どう? アメリカは随分変わったよね。禁酒法時代が懐かしいよ」
 酒の製造・販売が違法だったあの時代──あの大金たいきん狂騒きょうそうからもう五十年もっていた。
 今では彼も俺も老年だ。俺は元の壮健そうけんを失って久しい。
 しかし、彼は昔のように慎重さを保ったままだ。裏社会の内外を取り巻く情勢が目まぐるしく変化しても、爪を隠して狡猾こうかつに事を進める。
 五大ファミリーの頂点に立ったあとでさえ。
「でも俺たちは変わらないままだ。君はどう思ってるんだ? この世界を」
 彼は微笑したまま答えた。
「別に? 特に何も。俺はこれからもビジネスを続けるだけだ」
 少し間を空けて、ガンビーノは続けた。
「俺はこの国が良くなろうと悪くなろうとどちらでも良かった。良くなるのなら、司法長官のロバート・ケネディにでも逮捕されたかもしれない。しかしそれは無くなった」
 俺は沈黙した。
 彼は真顔になり、俺を指差した。
「もし国のことを考えて大統領ケネディや公民権運動の連中を殺したとしたら、お前の雇い主は馬鹿だ。暗殺など頻繁ひんぱんにするものではない。裏社会じゃあるまいし」
 最後の言葉には嘲笑わらいが混じっていた。
 窓に雨粒が付いた。雨が降り始めている。
「お前を責めているのではない。俺は変わらず腐敗の土壌を提供するだけだ。の作り上げたものを使って」
 俺は重い口を開いた。
「……まぁ、俺は首輪付きだからな。自由意思とかないよ」
 そして、軽くおどけて片目を閉じた。
 彼は表情を緩めて笑った。
「君は良くやってるよ、気に病むな。気晴らしに映画でも見に行こう」
「何を見るんだ?」
 冷静沈着な裏社会のボスは、前のめりになって言った。
「ゴッドファーザー」
「……それって君が追い落とした奴のあだ名じゃん」
 彼と俺は店を出た。彼は傘を貸してくれた。


 映画館からの帰り道、雨は止んでいた。濡れた路面が夜の灯りに照らされる。
「どうだった?」
 ガンビーノが感想を聞いた。
「うーん、なんか──何て言うかな…… 誰か同業者ギャングが言ってたような」
「おとぎ話、でしょ?」
「そう、それだ。何か違うよな、俺たちの世界とは。作り話だから当たり前だけど。君はどうだった?」
 階段を降りながら、彼は笑って言った。
「主人公の俳優さんが格好いいね」
「あー、言うと思った!」
 俺は恥ずかしくなって、彼を追い越して階段を駈け降りた。
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