本編

 その上等な背広は、夜の路地裏には似合わなかった。
「君がシュルツか。少し話さないか」
 暗い街灯が華奢な男を闇から浮かび上がらせる。
 ラッキー・ルチアーノは穏やかに微笑んだ。
 ──俺の仲間に口の軽いやつはいない。
 ダッチ・シュルツは、どうして自分の居場所が目の前の男にわかったのか、と疑念を抱いた。
「場所を移そう。僕の知り合いの店で良いか?」
 
 入り組んだ路地にある、人気ひとけのない小さなレストランには橙色の電球がぶら下がっていた。
「君のことはここの店の主人から聞いたんだ。この街は案外広くない。思ったより近くにいたものだね」 
 ルチアーノは壁際の席に腰掛けた。やや入り口の扉から離れてはいるが、いつでも店内から出られる位置にシュルツを招く。
 部下に居場所を探らせたということか。
 シュルツは席に座り、正面から相手を見据えた。
「用件は?」
「そう焦るもんじゃないよ。煙草は吸うかい」
 シュルツは差し出された煙草を断った。
 ルチアーノは箱から煙草を取り出して咥え、ライターで火を付けた。
 紫煙と共に沈黙が流れる。
 煙草を灰皿で揉み消すと、ルチアーノが口火を切った。
「君は禁酒法が廃止されたあと、どうするつもりだい?」
 シュルツは自身の縄張りでビールを密売し、莫大な利益を上げていた。また、賭博にも手を出し、近隣の同業者を追いやって事業を独占していた。
「……何故それを俺に聞く?」
「時代に関係なく稼げる事業といえば、ひとつしかない」
 彼は少し前のめりになって言った。
「麻薬だ」
 シュルツは素早く席を立った。
「この場から立ち去らせてもらおう」
「まぁ待ちなよ。これはあくまで提案だ」
 ルチアーノは扉へ向かおうとするシュルツを言葉で制した。
「僕の知り合いに殺しを請け負う人がいる。君も彼の組織に加わらないか? 悪い話ではないと思うが」
 彼は真剣な眼差しで微笑んでいる。
 シュルツは思案した。
 この男はどうして俺にそんな提案をするのか。
 自らの配下に置いてこちらの行動を絞りたいということか?
 こちらは団結力の高いイタリア系と違って孤立している。
 彼は時間をかけずに返答した。
「断る。話はこれで終わりだ」
 抑揚の無い冷たい声が相手に伝わる。ルチアーノは二本目の煙草を吸い、煙を上に吐いた。
「残念。気が向いたら、また声を掛けるよ」
 ルチアーノの言葉を最後まで聞かないうちに、シュルツは店を後にした。

 
「映画館を貸し切りにした。君も来ないか?」
 唐突に、人を通じて手紙が送られた。ルチアーノからだった。
 あれから数年後、禁酒法の撤廃論が強くなり、密造酒業者ブートレガーの繁栄に陰りが見え始めた。
 ルチアーノは旧世代の同業者を倒し、裏社会を取り仕切る地位に就いていた。
 また何か話でもあるのか。
 読み終わった手紙を暖炉にくべ、シュルツは待ち合わせ場所へ向かった。
 
 映画館の建ち並ぶ大通りでは、ネオンがきらびやかに輝いていた。
 その内にひとつ、明かりの消えたシアターがある。
 閉ざされた扉は合図で開いた。
「やぁ」
 奥へ進むと、ルチアーノがスクリーン前の椅子に寄り掛かって待っていた。
「あまり広くない方が良いだろう?」
 彼は丸い机の上にある瓶をひとつ取って、
「飲み物はいるかい」
 と言った。シュルツは一応受け取った。エールビールだ。
「見たかった映画があるんだ。最近封切られたものでね」
 ルチアーノは人に机を下げさせ、椅子に腰掛ける。
 シュルツもそれにならった。座る位置はルチアーノの斜め後ろにした。
 室内の明かりが消える。発声映画トーキーのようだ。
 瓶は開けず、肘掛けに置いた。
 映画はギャングを題材にしていた。
 度胸と銃の腕で裏社会を伸し上がっていく主人公が、足抜けを望んだ親友に裏切られ、最期は警察に銃殺される筋立て。
 どうも容姿からして、主人公はこの男の旧友をモデルにしているようだが、とシュルツはルチアーノを眺めながら思った。
 彼は酒を飲みながら少し笑って映画を見ている。
 シュルツはあまり真剣に観なかった。
 なぜ主人公が目立った描写もなく順調に出世していくのかわからない。人望もその態度で得られるものか。主人公の親友にしても、親友なら足抜けなどするものではない。
 製作者は裏社会を知らないな、と思った。
 そのうち主人公は警察に銃で蜂の巣にされて死んだ。なんだこれは。
 映画が終わると、ルチアーノは吹き出し、声をあげて笑い始めた。
 室内の明かりが元に戻る。彼は妙に上機嫌だった。
「いや、実は内容は知ってたんだ。一度見たからね。君はどう思った?」
「……駄作だな。こんなもの見ても仕方がない。現実じゃないからな」
「そうだよね、僕らの現実はこんなもんじゃないよね」
 ルチアーノは振り返って言った。彼の目は暗かった。映画が始まるより前から、以前会った時よりも。
 無言のシュルツに彼は言った。
「で、どう? この前会ったときも言ったけど、誘いに乗る気はある?」
「……無いな。俺には俺の流儀がある。言ったはずだ」
「そう。じゃ、もう個人的に会うことは無いかもね」
 シュルツは笑うルチアーノに背を向けて映画館を出た。

 扉の外には、無情に耀かがやく欲望の摩天楼が広がっていた……
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