Head Like a Hole

 金さえあれば他はどうでも良い。
 俺は生まれてこの方、悪いことはしていない。
 人を殺して金を盗むのも、強請ゆするのも生きるためには仕方の無いことだ。
 何故か警察からは追われるが、賄賂わいろを贈るなり逃げ回るなりすれば良い。
 司法は腐敗していて好都合。恩赦おんしゃを貰うのに時間はかからない。
 俺の行いがゆるされるのは当然だ。移民なんぞ家畜と同然、手前ら同士で殺し合ったところで問題ない。何より俺は信心深い。
 今日も金庫から大金を盗んだ。将来は海沿いに豪邸を建てて暮らしたい。
 ──寝床に付いていると、何か違和感があった。
 ふと目が覚める。
「あー、起きちゃった? ご愁傷さま」
 夜明け前の青色の中、男が二人がかりで自分を抱きかかえていた。上半身はベランダの柵の上を越えている。
 息を呑んだ一瞬、自分の体は空中に放り出されていた。

「レルズ、何やってるんだ?」
 高層階、ベランダの下には男の死体が落ちていた。日は曇り空で陰っている。街路はまだ無人だった。
 エイブ・レルズは落下した男を見つめていた。
 同僚は部屋の中で彼を待っている。
 彼らは殺し屋だ。
「今日はあともう一件あるんだ。下であの人が待ってるよ」
 フランク・アッバンダンドはドアを開けてエレベーターへ向かった。
 レルズはしばらくベランダに立っていたが、彼のあとを追った。

「おい、おせぇぞ」
 エントランスを出ると、険しい表情の女性──女装した同僚が車を停めて待っていた。
「すみません、ボス〜」
 アッバンダンドが軽くあやまる。
「お前が運転しろ」
 彼の上司であるハリー・マイオーネは助手席に移った。
 レルズは後部座席に乗った。

 車は別の都市へ向った。
 そう時間が経たないうちに、目的の廃ビル付近に着く。
「チッ、やっぱりいるな」
「警察署もそう遠くないですからねぇ」
 周辺を巡回している警官は仕事の邪魔だ。
「ちょっと待ってろ」
 マイオーネは車を降りて警官のいる通りへ向った。
 彼が先程とは打って変わってた沈静的な態度で道を聞いている間に、レルズとアッバンダンドは目的の廃ビルへ入った。

「おい、ポリ公、聞いてるか?」
 男は縛った警官を叩き起こした。警官は既に何度も殴られて負傷している。
 男子トイレのタイルは乾いていた。
 警官は床に倒れ伏している。
 男が彼の周囲をゆっくり歩いた。
「別に警察おまえらの不正は今に始まったことじゃねぇ。俺たちも相当黒い仕事をしてる訳だし、銃の撃ち合いで殺されても文句は言わねぇよ。ただな……信頼への裏切りは別だ」
 銃を取り出した男は怒鳴どなった。
「ルーマニア、ルーマニアって知ってるか!? お前らが知るわけねぇか! 彼女はそこから出稼ぎに来てんだ。俺はそのひとに恩がある。彼女はお前らに協力したよな? あの忌々しいクソったれの強盗を捕まえるためによ。それを強制送還だと? ふざけるのも大概にしやがれ!」
 あまりの剣幕に警官は怯えた。
「まだ一人外にいたよな? 奴もこの場に連れてきてやる」
 そう吐き捨てた男は外へ向った。
 ──廊下に立った瞬間、彼は硬直した。ある異様な雰囲気を感じ取ったために。
 かろうじて横を見ると、片手にアイスピックを持った、物憂げな男が静かにたたずんでいた。
「これで今日は終わりだね」
 どこか空虚な、気楽な声。
 死の気配に戦慄せんりつしている間、別の男が背後から彼の首を絞め上げた。
 非常に強い握力によって、一瞬のうちに首の骨が折れる。

 アッバンダンドは殺した男の死体をまたいでレルズの方へ歩んだ。
「あとは店に報告するだけだ。送っていくけど」
「向こう着いたら、俺ひとりで良いよ。お前らは先帰っとけ」
「そう? じゃ、お言葉に甘えよう」
 二人は建物の出口へ向かう。
 レルズは一瞬立ち止まって、死んだ男へ振り返ったが、すぐにその場を離れた。
 少し離れた公園で待っていたマイオーネを乗せて、車はニューヨークへ走った。

「じゃ、またね」
 アッバンダンドから別れの挨拶を受けて、レルズは個人商店の前で降りた。
 店に入ると、レジカウンターに初老の男性がいる。
「いらっしゃい」
 適当に菓子などの商品を取って、レルズは会計に向った。
「仕事はどうだった?」
「どっちも終わった」
「この飴好き? あげるよ」
 店員はおまけで赤い飴を一つ付けた。
 買ったものをポケットに入れた後、手洗いを借りさせてもらった。
 洗面台で手を洗っていると、男が入り口に立っていることに気付いた。
「やぁ」
 この低い声は、同僚のワークマンだ。
「もう仕事は終わったの?」
「……あぁ、うん」
 レルズは水の流れる手を見つめている。
「俺はさっき大物の仕事を受けたところ。誰が相手でしょうか」
 彼は笑って聞いた。
「さぁ?」
 レルズが返事をすると、ワークマンは同僚の耳元に寄って小声で言った。
「ダッチ・シュルツだ」
 ──ダッチ・シュルツ。ニューヨークの北、ブロンクスやハーレムの密造酒業者ブートレガーだ。
 最近、ギャングらに追及の手を強める検事への暗殺を計画している、と噂されている。
 会合では幾らかの有力者たちから行動を自制するように言われていたらしいが。
「ねぇ、これって正しいことかな? 彼は俺たちにとって邪魔な人間を始末しようとしているよね」
 ワークマンは言った。
「どのみちこのままじゃ、俺たちの上司とか、偉い人らがその検事たちに逮捕されて、裏社会は壊滅しちゃうかも。どーなんすかね? 正しい人を殺してちょっとだけ延命だなんて」
 レルズは流したままにしていた蛇口を止めた。
「別に……いいんじゃないの? 俺らが考えることじゃないし。それに、検事なんか替えがきくんだから殺してもしょうがない。上の連中は捕まっても、誰かが証言しなければ、俺ら下っ端が死刑になることはないよ」
 彼は同僚の横を通り抜けた。ワークマンは、
「……そっか」
 と苦笑いしてつぶやいた。

 店の外に出る。
 相変わらず灰色の街だ。見上げると、冷たいコンクリートの摩天楼が空を狭めている。
「おい……何してんだ」
「遂に気が触れたか」
 横合いから声がした。
 腐れ縁のストラウスとゴールドスタインだ。
 自分たちは共に貧しい生まれで、成り行きで裏社会に転がり落ちた。
 ──馴染みの顔が二人とも殺し屋で、自分もとっくに一線を越えている……
 なんておかしな話だ、とレルズは笑った。
「迎えに来てやったのに礼もなしか?」
 背の高い友人が眉をつり上げる。
「なんか笑ってるな……頭ぶつけたか?」
 自分と同じ背格好の友人は首を傾げている。
 さっきは下っ端が捕まることはない、と言ったが、あれば少し嘘だ。うちの上司ボスは自分が捕まらないよう細心の注意を払っている。
 ”殺す“という単語を極力使わず、部下へ間接的に指令を出す。それは殺人の罪を問われないようにするためだ。万が一のとき実行犯の俺たちは切り捨てられる。
 そんなのは皆知ってるようだが……
 こいつらが良いように利用されて死ぬのは可哀想だな。
 彼は一つの案に思い至った。
 ──それならいっそ俺がまとめて殺してやるのがいいかも。
 司法当局に密告でもして、皆に死刑の判決が下されて、それで俺も裏切り者として殺されたら良い。
 こんな世界は、俺と友達にはいらない。
 レルズは彼らの方へ歩き始めた。

 数年後、エイブ・レルズは当局に密告し、上司と同僚七人を死刑台へ送った。
 その後、彼は転落死する。
1/1ページ
    スキ