えこひいきの何が悪い
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思えば、今日はついていない。
寝坊をしたことから始まり、急いで出てきたせいで教科書を忘れてしまったし、そのせいでクルーウェル先生にこっぴどく叱られた。でも何よりも、シルバー先輩の姿を見ることが最近めっきり減ったことがとても辛い。
というのも、シルバー先輩が仕えているマレウス様の身辺が怪しいということで、ランニングも鍛錬も結局一人に戻りつつあった。それでも、先輩に稽古をつけてもらえる日が来るかもしれないなんて期待して、半ば飛び出すように走っているけれど。
「はーあ」
エースとデュースに別れの挨拶をしているうちに、グリムはさっさと帰ってしまったのか、私は今あの毛むくじゃらを探していた。学園中を走り回っているのに一度もすれ違わないなんて奇跡あるのか? いやでも、この学園ただでさえだだっ広いんだからすれ違わないことの方が多いかもしれない。少し疲れてきたから、まだ見ていない三年の教室の前をてくてく歩いていた。歩きながら開いている扉から中を覗き込めば、まだ雑談をしている生徒がいた。
そうだ。三年の教室にたむろしているあの人たちに聞けばグリムの居場所を教えてくれるかもしれない。
「あの」
「ディアソムニア寮って本当に堅苦しくないか?」
「それに頭も固そう」
一瞬自分の耳を疑った。何を言っているんだ、この人たち。入ろうとした足が止まって、動かすことができない。
「何考えているのかよく分からねえし」
「リリア・ヴァンルージュ含めディアソムニア寮はドラコニアの親衛隊で気持ち悪い」
ぶちん、と頭の奥で何かが切れた。気が付けば、教室に入って談笑している彼らの前に立って、大きく一度机を叩いていた。
「今の言葉、取り消してください」
「はあ? なんだお前」
苛立った私にひるむ様子も見せず、五人の生徒たちは私のブレザーを見てへらへら笑った。腕章を見るにオクタヴィネル寮の寮生らしい。真ん中に座っている緑の髪の青年が私を見て笑った。
「ああ、オンボロ寮の監督生ですか。それも今回はペットもいないし、面倒なハーツラビュルの奴らもいない」
「お前魔法なしで俺たちに歯向かうわけ?」
青髪の生徒のあからさまにこちらを見下した発言に、私も負けじと毒を返す。
「貴方たちは魔法が使える癖に、ご自慢の魔法じゃ打ち負かせないからこんな所で陰口を叩くんですね」
「なんだとてめえ」
私の言葉で苛立った金髪が立ちあがると、そいつの前で腕を広げて制止させる生徒がいた。生徒たちの真ん中にいる緑髪のやつは不敵な笑みを隠す様子もなく、にやにやと笑っている。
「だから何です。ディアソムニア寮の寮生はお前が思うような完璧じゃない。俺たちが思ってる不満をぶつけあって何が悪いんです?」
さも自分たちの言うことは当然だとでも言うように、真ん中で笑っていたやつは続けて言った。
「大体、シルバーと組んでて分かったでしょう? 俺もあいつに錬金術で寝られて迷惑だったんですから」
それは正しいかもしれない。その人が抱いた印象は誰にも変えられない真実だから。でも、私だって知ってることがある。
でも、と私が反論しようとした時、右隣にいた毛先だけホワイトの赤髪がへらへら笑いながら真ん中にいる彼に言った。
「そもそも寝ているからサボり癖があるに決まってんじゃん」
なんにも知らないくせに。その一瞬で、かっと頭に血が上って空気が薄くなる感覚がした。
「あの人の優しさも知らないくせに、知ったような口を利くな!」
私の叫びに一同は驚いたのか、その瞬間だけ教室は静まり返った。間違いなく廊下まで響いているだろう。
最初に声を出したのは、真ん中の奴の笑いだった。
「なんですか。監督生、お前はシルバーのことやけに肩を持つんですね。惚れた弱みですか?」
思いもしないところで本心を言い当てられて、頬がかあっと熱くなる。真ん中にいるそいつが立膝に顎を乗せて笑う。
「たまにいるんですよ。男子校だから、男に惚れてしまうかわいそうな奴が」
「わ、私のことは関係ありません!」
私に一番近いところにいる奴がげらげら笑いながら言った。
「いいぜ? 代わりに言っておいてやるよ」
「ふざけないでください!」
「うるさいぞ」
その一声で、今度は本当に教室内が静まり返った。目の前にいる彼らが明らかに私の背後を凝視して身を固くしている。私もゆっくり振り返れば、濁った猫の声が聞こえた。
「トレイン先生……」
私が呟くと、トレイン先生は教室に入ってきた。重々しい靴音で、ますます教室内の空気が重くなる。
「校舎では静かにしたまえ」
「トレイン先生、でも俺たちはこの監督生に絡まれただけなんですよ。俺たちの話していることに勝手に割り込んできて、勝手に喧嘩売ってくるんです」
ばっと振り返れば、真ん中にいたやつがいかにも真面目な生徒の皮をかぶって私のことを迷惑な奴なんだとトレイン先生に訴えている。
こいつ……! 私にまで擦り付けるなんて卑怯者じゃないか!
「違うんです! この人たちが先輩たちの悪口を言うから、反論しただけで」
「静かにしろというのが分からないのか」
トレイン先生の冷たい言葉に、私もあいつらも体中が石になったかのように動けなくなった。明らかに力の差が格上だと知っているから、誰もその場を動くことができない。
「……何があったかは、絵画たちに聞けばわかる」
トレイン先生の鋭い眼光は、教室内にかかっていた絵画たちに向けられた。絵画たちはくすくすと私たちを見下ろしながら笑っている。これはとんでもない姿をさらしてしまったらしい。
トレイン先生は絵画たちから一通り話を聞くと、なるほど、と頷いた。再び私たちにカミソリのような鋭い眼光が向けられる。
「オクタヴィネル寮のお前たち、学校の風紀を乱すような陰口を叩くくらいなら決闘でも申し込んではどうだ。寮長との決闘以外にも、我が校では認められている」
トレイン先生の言葉に押し黙ったあいつらは、なにも言えない様子だ。ざまあみろ。
「それと、ユウ。居眠りは何があっても私が許さない。その怠惰な部分すら否定するのはいささか贔屓目が過ぎるんじゃないのか」
わ、私まで怒られるの? でも、トレイン先生は居眠りに関しては絶対に許さない人だから、シルバー先輩によく注意している。それもあって、きっと先輩の評価は低いんだろう。
「でも」
「軽々しく私に意見できるほどの根拠をお前は持っているのか」
トレイン先生の痛いくらいの正論が耳に刺さった。まっすぐ見下ろしてくるエバーグリーンが不穏に煌く。
何か言わなくちゃと思うのに、何を言ってもそれは私がただ尊敬しているからであって、客観的な意見ではないと脳内でゲームオーバーばかり繰り返す。なにか、なにか返さなくちゃいけないのに。
「それがお前の答えだ、ユウ。養いきれていない価値観で勝手に人を持ち上げるのは、傲慢極まりない。見るに堪えん」
ルチウスが退屈そうに鳴くと、トレイン先生はそのまま教室をつかつかと後にした。もう帰ろうぜと言った生徒たちも、私を置いて教室から去っていく。
ポツンと残された教室の中で、ぎりぎりと歯を食いしばる音がした。その瞬間、足が勝手に走り出した。あてもなく校舎を走っていると誰かに声をかけられた気もするけど、答える余裕もなかった。目から熱いものがこみあげてきて、それを振り切りたかった。
息が上がりだして、いろんなことが頭の中を駆け巡る。シルバー先輩を馬鹿にする言葉、授業で叱られるたびに見る先輩の辛そうな表情、全部間違ってるって思ってた。
『軽々しく私に意見できるほどの根拠をお前は持っているのか』
言い返せなかった自分が一番悔しい。悔しい。私、何も言えなかった。
シルバー先輩は本当に居眠りをしないようにしたいって、頑張ってるのを知っている。実験の時だけじゃなくて眠ってしまうといつも悔しそうにしていたのを知っているし、わざわざカリム先輩と居眠りしないように魔法薬まで作っていることだって知っている。シルバー先輩が起きていたいって寂しそうに言うから力になりたいと思った。
でもこれは全部間違っているの? 私が思うことは間違っているの?
気が付いたら、私は学園裏の森にいた。そう言えば、この森に入るのは鍛錬時以外あまりないから、こうしてあてもなく入るのは初めてかもしれない。
学園裏の大樹は見上げると首が痛くなるほどに大きいし、枝葉が青空を覆っていてうまい具合に日差しを遮ってくれている。ここなら、誰も来ないだろう。
肩で息をしながら、大樹の根元に腰掛ける。息が上がって苦しい。幹に頭を持たせかければ、目に染みるような青が見えた。ぼうっと眺めていると、だんだん瞼が落ちてくる。
やっぱりシルバー先輩がサボり魔だなんて思えない。それだけは譲れない。だから、根拠なんてなくても否定しかできない。
「監督生」
いるはずのないその人の声でがばりと起きれば、そこにシルバー先輩が膝をついていた。
「お、おはようございます」
なぜここにいるんですか? 驚きのあまり――というより寝起きのせいでますます小さい声で返事をした私の顔ははっきりと質問していたのだろう。シルバー先輩は答えてくれた。
「先ほどすごい勢いで走っておるお前を見かけて、何かあったのかと。どうした?」
まっすぐに見てくる先輩の瞳は綺麗で、木漏れ日を反射してますます綺麗だ。
「あ、えと……」
なにか、何か言わなくちゃいけないのに。だめだ。この人の顔を見たら、先に涙がこみ上げてきてしまう。こんなみっともないところ、見せられないのに。
思わず顔を腕で庇って隠す。シルバー先輩の顔が見えなくなるけど、今はどうしてもこの人に顔向けなんてできない。
「監督生?」
「すっすいません。今、具合が悪くて」
私ナイス! これならシルバー先輩もどこかへ行ってくれるはずだよね。
でも、腕で見えなくなった顔の代わりにシルバー先輩は手を差し出してくれた。
「なら、保健室に行こう。立つのも辛いだろう」
ダメだ。今優しくなんかされたら、私……。
もうこらえきれなくなった涙がボロボロと目から零れ落ちてしまった。先輩のことももっとしっかり高画質で見たいのに、残念ながらぼやぼやと視界は悪化していく。
「監督生? どこか痛むのか?」
ぽたぽたと地面に落ちていく雫を見てますます心配そうにするシルバー先輩の声で、涙腺が壊れていく。こんなに優しい人の悪口すら止められない無力な自分が悔しいし腹立たしい。何よりこうして心配させてしまう自分が嫌だった。
「ごっごめんなさ……」
「俺が一時的に痛み止めをする。どこが痛いのか教えてくれ」
ぐっと左腕を握られる感覚で顔を上げる。涙の零れた視界にはあまりにも真剣な顔で私の腕を掴む先輩がいた。これは本気で心配させてしまっている。というか、この人にはあまり冗談や嘘というものが通じないことを今更知った。
「ち、違うんです。これは……く、悔し泣きです」
必死に振り絞って出した真実を告げると、シルバー先輩の表情はますます怪訝なものになった。
「なぜお前が泣くほど悔しがる」
驚いているシルバー先輩は状況が呑み込めていないらしい。これはもう観念して、状況を説明するしかない。嘘なんてつきようがあったのにそれでも本当のことを話す気になれたのは、ひとえに先輩に嘘を吐くような自分ではいたくなかったことと、嘘を吐いて傷付く先輩を見たくなかったからだ。
「実は……」
寝坊をしたことから始まり、急いで出てきたせいで教科書を忘れてしまったし、そのせいでクルーウェル先生にこっぴどく叱られた。でも何よりも、シルバー先輩の姿を見ることが最近めっきり減ったことがとても辛い。
というのも、シルバー先輩が仕えているマレウス様の身辺が怪しいということで、ランニングも鍛錬も結局一人に戻りつつあった。それでも、先輩に稽古をつけてもらえる日が来るかもしれないなんて期待して、半ば飛び出すように走っているけれど。
「はーあ」
エースとデュースに別れの挨拶をしているうちに、グリムはさっさと帰ってしまったのか、私は今あの毛むくじゃらを探していた。学園中を走り回っているのに一度もすれ違わないなんて奇跡あるのか? いやでも、この学園ただでさえだだっ広いんだからすれ違わないことの方が多いかもしれない。少し疲れてきたから、まだ見ていない三年の教室の前をてくてく歩いていた。歩きながら開いている扉から中を覗き込めば、まだ雑談をしている生徒がいた。
そうだ。三年の教室にたむろしているあの人たちに聞けばグリムの居場所を教えてくれるかもしれない。
「あの」
「ディアソムニア寮って本当に堅苦しくないか?」
「それに頭も固そう」
一瞬自分の耳を疑った。何を言っているんだ、この人たち。入ろうとした足が止まって、動かすことができない。
「何考えているのかよく分からねえし」
「リリア・ヴァンルージュ含めディアソムニア寮はドラコニアの親衛隊で気持ち悪い」
ぶちん、と頭の奥で何かが切れた。気が付けば、教室に入って談笑している彼らの前に立って、大きく一度机を叩いていた。
「今の言葉、取り消してください」
「はあ? なんだお前」
苛立った私にひるむ様子も見せず、五人の生徒たちは私のブレザーを見てへらへら笑った。腕章を見るにオクタヴィネル寮の寮生らしい。真ん中に座っている緑の髪の青年が私を見て笑った。
「ああ、オンボロ寮の監督生ですか。それも今回はペットもいないし、面倒なハーツラビュルの奴らもいない」
「お前魔法なしで俺たちに歯向かうわけ?」
青髪の生徒のあからさまにこちらを見下した発言に、私も負けじと毒を返す。
「貴方たちは魔法が使える癖に、ご自慢の魔法じゃ打ち負かせないからこんな所で陰口を叩くんですね」
「なんだとてめえ」
私の言葉で苛立った金髪が立ちあがると、そいつの前で腕を広げて制止させる生徒がいた。生徒たちの真ん中にいる緑髪のやつは不敵な笑みを隠す様子もなく、にやにやと笑っている。
「だから何です。ディアソムニア寮の寮生はお前が思うような完璧じゃない。俺たちが思ってる不満をぶつけあって何が悪いんです?」
さも自分たちの言うことは当然だとでも言うように、真ん中で笑っていたやつは続けて言った。
「大体、シルバーと組んでて分かったでしょう? 俺もあいつに錬金術で寝られて迷惑だったんですから」
それは正しいかもしれない。その人が抱いた印象は誰にも変えられない真実だから。でも、私だって知ってることがある。
でも、と私が反論しようとした時、右隣にいた毛先だけホワイトの赤髪がへらへら笑いながら真ん中にいる彼に言った。
「そもそも寝ているからサボり癖があるに決まってんじゃん」
なんにも知らないくせに。その一瞬で、かっと頭に血が上って空気が薄くなる感覚がした。
「あの人の優しさも知らないくせに、知ったような口を利くな!」
私の叫びに一同は驚いたのか、その瞬間だけ教室は静まり返った。間違いなく廊下まで響いているだろう。
最初に声を出したのは、真ん中の奴の笑いだった。
「なんですか。監督生、お前はシルバーのことやけに肩を持つんですね。惚れた弱みですか?」
思いもしないところで本心を言い当てられて、頬がかあっと熱くなる。真ん中にいるそいつが立膝に顎を乗せて笑う。
「たまにいるんですよ。男子校だから、男に惚れてしまうかわいそうな奴が」
「わ、私のことは関係ありません!」
私に一番近いところにいる奴がげらげら笑いながら言った。
「いいぜ? 代わりに言っておいてやるよ」
「ふざけないでください!」
「うるさいぞ」
その一声で、今度は本当に教室内が静まり返った。目の前にいる彼らが明らかに私の背後を凝視して身を固くしている。私もゆっくり振り返れば、濁った猫の声が聞こえた。
「トレイン先生……」
私が呟くと、トレイン先生は教室に入ってきた。重々しい靴音で、ますます教室内の空気が重くなる。
「校舎では静かにしたまえ」
「トレイン先生、でも俺たちはこの監督生に絡まれただけなんですよ。俺たちの話していることに勝手に割り込んできて、勝手に喧嘩売ってくるんです」
ばっと振り返れば、真ん中にいたやつがいかにも真面目な生徒の皮をかぶって私のことを迷惑な奴なんだとトレイン先生に訴えている。
こいつ……! 私にまで擦り付けるなんて卑怯者じゃないか!
「違うんです! この人たちが先輩たちの悪口を言うから、反論しただけで」
「静かにしろというのが分からないのか」
トレイン先生の冷たい言葉に、私もあいつらも体中が石になったかのように動けなくなった。明らかに力の差が格上だと知っているから、誰もその場を動くことができない。
「……何があったかは、絵画たちに聞けばわかる」
トレイン先生の鋭い眼光は、教室内にかかっていた絵画たちに向けられた。絵画たちはくすくすと私たちを見下ろしながら笑っている。これはとんでもない姿をさらしてしまったらしい。
トレイン先生は絵画たちから一通り話を聞くと、なるほど、と頷いた。再び私たちにカミソリのような鋭い眼光が向けられる。
「オクタヴィネル寮のお前たち、学校の風紀を乱すような陰口を叩くくらいなら決闘でも申し込んではどうだ。寮長との決闘以外にも、我が校では認められている」
トレイン先生の言葉に押し黙ったあいつらは、なにも言えない様子だ。ざまあみろ。
「それと、ユウ。居眠りは何があっても私が許さない。その怠惰な部分すら否定するのはいささか贔屓目が過ぎるんじゃないのか」
わ、私まで怒られるの? でも、トレイン先生は居眠りに関しては絶対に許さない人だから、シルバー先輩によく注意している。それもあって、きっと先輩の評価は低いんだろう。
「でも」
「軽々しく私に意見できるほどの根拠をお前は持っているのか」
トレイン先生の痛いくらいの正論が耳に刺さった。まっすぐ見下ろしてくるエバーグリーンが不穏に煌く。
何か言わなくちゃと思うのに、何を言ってもそれは私がただ尊敬しているからであって、客観的な意見ではないと脳内でゲームオーバーばかり繰り返す。なにか、なにか返さなくちゃいけないのに。
「それがお前の答えだ、ユウ。養いきれていない価値観で勝手に人を持ち上げるのは、傲慢極まりない。見るに堪えん」
ルチウスが退屈そうに鳴くと、トレイン先生はそのまま教室をつかつかと後にした。もう帰ろうぜと言った生徒たちも、私を置いて教室から去っていく。
ポツンと残された教室の中で、ぎりぎりと歯を食いしばる音がした。その瞬間、足が勝手に走り出した。あてもなく校舎を走っていると誰かに声をかけられた気もするけど、答える余裕もなかった。目から熱いものがこみあげてきて、それを振り切りたかった。
息が上がりだして、いろんなことが頭の中を駆け巡る。シルバー先輩を馬鹿にする言葉、授業で叱られるたびに見る先輩の辛そうな表情、全部間違ってるって思ってた。
『軽々しく私に意見できるほどの根拠をお前は持っているのか』
言い返せなかった自分が一番悔しい。悔しい。私、何も言えなかった。
シルバー先輩は本当に居眠りをしないようにしたいって、頑張ってるのを知っている。実験の時だけじゃなくて眠ってしまうといつも悔しそうにしていたのを知っているし、わざわざカリム先輩と居眠りしないように魔法薬まで作っていることだって知っている。シルバー先輩が起きていたいって寂しそうに言うから力になりたいと思った。
でもこれは全部間違っているの? 私が思うことは間違っているの?
気が付いたら、私は学園裏の森にいた。そう言えば、この森に入るのは鍛錬時以外あまりないから、こうしてあてもなく入るのは初めてかもしれない。
学園裏の大樹は見上げると首が痛くなるほどに大きいし、枝葉が青空を覆っていてうまい具合に日差しを遮ってくれている。ここなら、誰も来ないだろう。
肩で息をしながら、大樹の根元に腰掛ける。息が上がって苦しい。幹に頭を持たせかければ、目に染みるような青が見えた。ぼうっと眺めていると、だんだん瞼が落ちてくる。
やっぱりシルバー先輩がサボり魔だなんて思えない。それだけは譲れない。だから、根拠なんてなくても否定しかできない。
「監督生」
いるはずのないその人の声でがばりと起きれば、そこにシルバー先輩が膝をついていた。
「お、おはようございます」
なぜここにいるんですか? 驚きのあまり――というより寝起きのせいでますます小さい声で返事をした私の顔ははっきりと質問していたのだろう。シルバー先輩は答えてくれた。
「先ほどすごい勢いで走っておるお前を見かけて、何かあったのかと。どうした?」
まっすぐに見てくる先輩の瞳は綺麗で、木漏れ日を反射してますます綺麗だ。
「あ、えと……」
なにか、何か言わなくちゃいけないのに。だめだ。この人の顔を見たら、先に涙がこみ上げてきてしまう。こんなみっともないところ、見せられないのに。
思わず顔を腕で庇って隠す。シルバー先輩の顔が見えなくなるけど、今はどうしてもこの人に顔向けなんてできない。
「監督生?」
「すっすいません。今、具合が悪くて」
私ナイス! これならシルバー先輩もどこかへ行ってくれるはずだよね。
でも、腕で見えなくなった顔の代わりにシルバー先輩は手を差し出してくれた。
「なら、保健室に行こう。立つのも辛いだろう」
ダメだ。今優しくなんかされたら、私……。
もうこらえきれなくなった涙がボロボロと目から零れ落ちてしまった。先輩のことももっとしっかり高画質で見たいのに、残念ながらぼやぼやと視界は悪化していく。
「監督生? どこか痛むのか?」
ぽたぽたと地面に落ちていく雫を見てますます心配そうにするシルバー先輩の声で、涙腺が壊れていく。こんなに優しい人の悪口すら止められない無力な自分が悔しいし腹立たしい。何よりこうして心配させてしまう自分が嫌だった。
「ごっごめんなさ……」
「俺が一時的に痛み止めをする。どこが痛いのか教えてくれ」
ぐっと左腕を握られる感覚で顔を上げる。涙の零れた視界にはあまりにも真剣な顔で私の腕を掴む先輩がいた。これは本気で心配させてしまっている。というか、この人にはあまり冗談や嘘というものが通じないことを今更知った。
「ち、違うんです。これは……く、悔し泣きです」
必死に振り絞って出した真実を告げると、シルバー先輩の表情はますます怪訝なものになった。
「なぜお前が泣くほど悔しがる」
驚いているシルバー先輩は状況が呑み込めていないらしい。これはもう観念して、状況を説明するしかない。嘘なんてつきようがあったのにそれでも本当のことを話す気になれたのは、ひとえに先輩に嘘を吐くような自分ではいたくなかったことと、嘘を吐いて傷付く先輩を見たくなかったからだ。
「実は……」