茨の谷とは違ってマレウスの護衛の人数は少ない上に、二人とも学生として授業も受けなくてはいけない。ただでさえシルバーとのスケジュールは合わないのだから、ユウは鍛錬くらい一人でもこなしていた。朝の走り込みに行っていると、鏡舎に向かう影を見てその足を止める。
　狼の耳がぴくりとユウの方を向くと、朝日も霞まんばかりの美しさが降り注ぎ、ユウは目を細めた。どうやらジャックとヴィルはランニングを終えたばかりなのだろう。二人とも息が少しだけ上がっていた。
　二人に挨拶をすると、そう言えば茨の谷の帰省について行ってどうだったのかと尋ねられる。ユウが満面の笑みで、とても楽しかったと答えると、ジャックはそうかとしっぽと振り、ヴィルは渋面を作っていた。もしかしてお土産が欲しかったのだろうかと思案したユウは、今度お土産も持ってくると高らかに宣言する。しかし、ヴィルはいいわ、と断った。せっかくたくさん買ったのに、と思ったが、ルークならどれも喜んでくれそうなので、彼に渡すとユウは秘かに決心した。
　すると、ジャックがクンクンと鼻を上下させる。彼の鼻がユウの方で反応を見せた時、ジャックは首を傾げた。
「お前からすごい森の匂いがする。学園裏の森にでも行ったのか？」
「いやぁ、そんなことないけど」
　首を一緒になって傾げる一年生に、呆れたとヴィルは腕を組んだ。
「鼻が利いても、理屈までわかっていないようね。ジャック」
「え、ヴィルさんは分かるんですか？」
　ジャックが目を丸くすると、まあ見ていれば大体分かるわ、とヴィルは当然のように答える。ユウを見ているその瞳には、少しばかりの興味が湧いていた。その興味は、まるで流れてきたニュースに突然耳を奪われるような芽吹いたばかりのものだった。
「ああもマジカメのタイムラインを茨の谷で埋め尽くされたら、流石に理解する」
「皆さんに茨の谷に行ってきたよって報告なんですけど」
　首を傾げるユウに、思わずヴィルはため息を吐いた。彼女はいったい自分がどういうことを話しているのか自覚していないのだろう。そんな危なっかしい様子では彼女を帰省に誘ったシルバーも苦労するに違いない、とヴィルは眉間に指を当てた。
「その帰省してきた自体がすでに別の報告なのよ。まったく……狙ってるのか、ただのお間抜けなのか分かりにくいわね」
　ここまで言われてヴィルが勘づいていることに気が付いたユウは、赤面した。同時に声も急に出なくなった。
「え。ヴィル先輩、何で知ってるんですか？」
　蚊の鳴くようなユウの問いに、ヴィルは平然とした口調で答えた。
「父から聞かされたことがあるの。当然迷信だとばかり思っていたけど、あんたの様子を見るに割と本当だって分かった」
　嘘だぁ……としゃがみこんだユウの肩にヴィルは手を置き、意地悪く笑った。頬に手を当てている彼女の耳元に、ヴィルは潤った薄い唇を近づける。
「やるじゃない。あの色男を落とすなんて」
　もう言わないでください、と蚊の鳴くような声でユウが懇願する。端から彼らの様子を見守っていたジャックがまた首を傾げた。
「一体何の話をしているんですか？」
　つまるところ、とヴィルが続けた言葉を聞いたジャックは、驚きで彫像のように固まった。