彼は貴方のものじゃない
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ピアノの旋律が一音の乱れで、ぐちゃぐちゃになった。来る、と分かっていたから、両腕で頭を守った。
「こんなこともできないの!?」
叩きつけられた鞭の音とお母様の怒る声が、私に残された最初の記憶。もう顔も声も覚えていないけれど、見下ろす瞳の冷たさだけははっきり覚えている。乾ききった大地のように愛に飢えていた心も、痛みを覚えるほどに思い出せるわ。
「ミゼラブル家に生まれた虹の翅は貴重。完璧であって当然です」
お母様、頑張るから。怒らないで。貴方に褒められるためなら、何だってできるから。なにもできない私に甘えず、この翅に似合う女の子になるから。
「母さんは亡くなった。二人きりだが、私がお前を守ろう」
お父様はそう言って私を抱きしめた。あまりに突然のことで、お母様が死んだことなんてすぐに受け入れられなかった。いいえ、受け入れられなかったのは、お母様は私を認めることなくこの世を去ったということ。
一度も私は彼女の愛を受けることなく、あっけなく終わりを迎えた。でも、お母様がいなくなったところで、私を見る目は変わらないまま。むしろ、同世代の女の子の方が厳しかった。
「ケイラさん、虚弱体質ぶって本当は男性に助けていただいているんじゃなくて?」
そういうことじゃないのよ。私の体が弱いのは、この翅を持ったせいで得てしまった隔世遺伝子なの。
「大した特技もないのに、名家の生まれで虹の翅を持つからって生意気」
生意気なのはどっち? 大した家柄でもないのに上品にしなくても愛されるだなんて。ずるい。ずるいのよ。
「清く正しくしていればいいのよ。お人形らしく」
うるさいうるさいうるさい!!!
けらけらと私を嗤う声が憎くてたまらない。でも、怖くてたまらない。足が震えて、お茶会の誘いだって何度も断った。お父様が行ってみてはなんて言うけれど、無理よ。いじめられると分かっていてなぜ火の中に飛び込んでいくの。
屋敷の中も外も私の理解者はいなかった。そんな現実が辛くて、思わず私は裸足のまま逃げ出した。生まれて初めて得た自由なのに、寂しくてたまらなかった。探してくれる人なんていない。むしろ探さないでほしい。虹の翅以外、私は出来損ないなんだから。
でも夜の闇は思った以上に足を竦ませた。木の洞に隠れた私を飲み込もうとする闇がすぐそこにあって、恐ろしさのあまり泣き出した。
「誰ですか?」
他の人の領地だから入ってはいけないと言われていた森の奥で、銀の髪をした美しい男の子と出会った。シルバーと名乗るその男の子は、帰り道が分からないんですか? と尋ねてきた。
「分かるに決まってるじゃない。でもあんな家、もう戻りたくないの」
弱音を吐いた私に、彼は手を差し出してくれた。
「ここでは危ないので、俺の家に来てください。寝床くらいならありますから」
初めて手を握られたその温もりに、胸の中で何かが弾けた。闇ばかりに見えた夜の道は、蛍の精霊がキラキラ宝石のように輝いていて、頭上の月が焼き立てのパンのような暖かい色をしていることに気が付いたの。でもそれは全て、私を繋いでいてくれる暖かな小さな手のおかげと知っていたわ。
ヴァンルージュ様のお宅とは知らず匿われて、二日後には家に帰ることになった私に貴方は見せたいものがあると手をまた引いてくれた。暖かい日の光が心地よい春の日のこと。シルバーは私の手を取って、草の塊をくれた。シロツメクサの指輪を作ったらしいけれど、不格好でみっともない。それに虫もついてる。でも貴方の宝石のような目は真っ直ぐ私を射抜いた。
「俺は騎士になります。そして、いつか貴方を守ります」
その言葉で私がどれだけ救われたか、貴方は知らない。それでもいいの。シルバーとの〈やくそく〉を思えば、私は誰にも負けないようにつまらない勉強も何度も転ぶダンスも厳しい周りの目も耐えられた。貴方と結んだあの〈やくそく〉が、私を強くしてくれたの。
うるさい妖精たちも、私の気持ちも分からないお父様も、みんな私の言いなりになってしまえばいいと思いついたのは、シルバーがナイトレイブンカレッジへ旅立つより前のこと。思いついたそれを実行できれば、世界はずっと生きやすくなったわ。魔法薬と呪文で二重にかけた催眠は、その人の自由な意思を奪う代わりに私の忠実な僕になる。当主になる正当な理由を必要としたから、お父さまの黄金の翅を燃やすことにした。何を犠牲にすることも私は躊躇わなかった。これほど強くなった私なら、シルバーだって守れると胸すら張れた。
それなのに。
「シルバー様が許嫁を連れて帰ってきたらしいわ」
ありえない。どうして? 私の騎士になるって言ったじゃない。シロツメクサの指輪も、〈やくそく〉も嘘だったの?
シルバーは〈やくそく〉を忘れていた。私のことなんて簡単に忘れて、人間の女を選んだ。私は茨の谷で「ブライト・ローズ」と呼ばれるほど華々しい女性になったのに、彼が優しい視線を注ぐのはあの女。見た目も身分も私の方がずっと申し分ないはずなのに、シルバーの愛を独り占めするのはあの人間。
どうして私に振り向いてくれないの?
その娘が貴方の何を知っているというの?
今まで我慢してきたものが沸騰して、自分でも抑えきれないほどに湧き上がった感情は、彼の心など度外視してもよかった。だって、あの人は私の騎士だもの。洗脳でシルバーが心を失くしてしまってもいい。私は貴方が好きだから、人形の貴方も受け入れるわ。いいでしょう? 貴方が振り向くべきは私。あんな女のためにあるわけじゃないの。
でも彼は、頑なに私を見ようとしない。私の人形なのに、シルバーはあの女の方へと向いてしまう。近づくはずなのに、遠ざかっていくのはなぜ? これほど愛しているのに。満たされないのは、なぜ?
「こんなこともできないの!?」
叩きつけられた鞭の音とお母様の怒る声が、私に残された最初の記憶。もう顔も声も覚えていないけれど、見下ろす瞳の冷たさだけははっきり覚えている。乾ききった大地のように愛に飢えていた心も、痛みを覚えるほどに思い出せるわ。
「ミゼラブル家に生まれた虹の翅は貴重。完璧であって当然です」
お母様、頑張るから。怒らないで。貴方に褒められるためなら、何だってできるから。なにもできない私に甘えず、この翅に似合う女の子になるから。
「母さんは亡くなった。二人きりだが、私がお前を守ろう」
お父様はそう言って私を抱きしめた。あまりに突然のことで、お母様が死んだことなんてすぐに受け入れられなかった。いいえ、受け入れられなかったのは、お母様は私を認めることなくこの世を去ったということ。
一度も私は彼女の愛を受けることなく、あっけなく終わりを迎えた。でも、お母様がいなくなったところで、私を見る目は変わらないまま。むしろ、同世代の女の子の方が厳しかった。
「ケイラさん、虚弱体質ぶって本当は男性に助けていただいているんじゃなくて?」
そういうことじゃないのよ。私の体が弱いのは、この翅を持ったせいで得てしまった隔世遺伝子なの。
「大した特技もないのに、名家の生まれで虹の翅を持つからって生意気」
生意気なのはどっち? 大した家柄でもないのに上品にしなくても愛されるだなんて。ずるい。ずるいのよ。
「清く正しくしていればいいのよ。お人形らしく」
うるさいうるさいうるさい!!!
けらけらと私を嗤う声が憎くてたまらない。でも、怖くてたまらない。足が震えて、お茶会の誘いだって何度も断った。お父様が行ってみてはなんて言うけれど、無理よ。いじめられると分かっていてなぜ火の中に飛び込んでいくの。
屋敷の中も外も私の理解者はいなかった。そんな現実が辛くて、思わず私は裸足のまま逃げ出した。生まれて初めて得た自由なのに、寂しくてたまらなかった。探してくれる人なんていない。むしろ探さないでほしい。虹の翅以外、私は出来損ないなんだから。
でも夜の闇は思った以上に足を竦ませた。木の洞に隠れた私を飲み込もうとする闇がすぐそこにあって、恐ろしさのあまり泣き出した。
「誰ですか?」
他の人の領地だから入ってはいけないと言われていた森の奥で、銀の髪をした美しい男の子と出会った。シルバーと名乗るその男の子は、帰り道が分からないんですか? と尋ねてきた。
「分かるに決まってるじゃない。でもあんな家、もう戻りたくないの」
弱音を吐いた私に、彼は手を差し出してくれた。
「ここでは危ないので、俺の家に来てください。寝床くらいならありますから」
初めて手を握られたその温もりに、胸の中で何かが弾けた。闇ばかりに見えた夜の道は、蛍の精霊がキラキラ宝石のように輝いていて、頭上の月が焼き立てのパンのような暖かい色をしていることに気が付いたの。でもそれは全て、私を繋いでいてくれる暖かな小さな手のおかげと知っていたわ。
ヴァンルージュ様のお宅とは知らず匿われて、二日後には家に帰ることになった私に貴方は見せたいものがあると手をまた引いてくれた。暖かい日の光が心地よい春の日のこと。シルバーは私の手を取って、草の塊をくれた。シロツメクサの指輪を作ったらしいけれど、不格好でみっともない。それに虫もついてる。でも貴方の宝石のような目は真っ直ぐ私を射抜いた。
「俺は騎士になります。そして、いつか貴方を守ります」
その言葉で私がどれだけ救われたか、貴方は知らない。それでもいいの。シルバーとの〈やくそく〉を思えば、私は誰にも負けないようにつまらない勉強も何度も転ぶダンスも厳しい周りの目も耐えられた。貴方と結んだあの〈やくそく〉が、私を強くしてくれたの。
うるさい妖精たちも、私の気持ちも分からないお父様も、みんな私の言いなりになってしまえばいいと思いついたのは、シルバーがナイトレイブンカレッジへ旅立つより前のこと。思いついたそれを実行できれば、世界はずっと生きやすくなったわ。魔法薬と呪文で二重にかけた催眠は、その人の自由な意思を奪う代わりに私の忠実な僕になる。当主になる正当な理由を必要としたから、お父さまの黄金の翅を燃やすことにした。何を犠牲にすることも私は躊躇わなかった。これほど強くなった私なら、シルバーだって守れると胸すら張れた。
それなのに。
「シルバー様が許嫁を連れて帰ってきたらしいわ」
ありえない。どうして? 私の騎士になるって言ったじゃない。シロツメクサの指輪も、〈やくそく〉も嘘だったの?
シルバーは〈やくそく〉を忘れていた。私のことなんて簡単に忘れて、人間の女を選んだ。私は茨の谷で「ブライト・ローズ」と呼ばれるほど華々しい女性になったのに、彼が優しい視線を注ぐのはあの女。見た目も身分も私の方がずっと申し分ないはずなのに、シルバーの愛を独り占めするのはあの人間。
どうして私に振り向いてくれないの?
その娘が貴方の何を知っているというの?
今まで我慢してきたものが沸騰して、自分でも抑えきれないほどに湧き上がった感情は、彼の心など度外視してもよかった。だって、あの人は私の騎士だもの。洗脳でシルバーが心を失くしてしまってもいい。私は貴方が好きだから、人形の貴方も受け入れるわ。いいでしょう? 貴方が振り向くべきは私。あんな女のためにあるわけじゃないの。
でも彼は、頑なに私を見ようとしない。私の人形なのに、シルバーはあの女の方へと向いてしまう。近づくはずなのに、遠ざかっていくのはなぜ? これほど愛しているのに。満たされないのは、なぜ?