リリアは一つあくびをした。朝に弱い彼は日光に当たらないよう、シルバーに壁になってもらいながら学園の廊下を歩く。本当なら転送魔法の一つでも使えばいいのだが、それで一般の生徒を怖がらせたことは数知れず。一度心に壁を作った人間と仲良くなることは難しいと知っているリリアは、よろよろと歩を進める。
「眠い……」
「おやじ……リリア先輩。もうすぐ教室に着きますから」
　昨日のゲームで張り切りすぎてしまったようだ、とリリアは目を閉じながら歩いた。別段目を閉じていたところで物の気配などは探れるうえ、眷属の目を借りて視界を把握することもできる。ちょうど目の前から息を切らして駆けつける生徒がいる、とリリアは片目を開けた。
「あ！　シルバー先輩、ヴァンルージュ先輩！　おはようございます！」
　律儀に挨拶をするでデュースとは違い、グリムはシルバーの足にとびついた。
「おい！　お前、ユウを見てねえか！」
　突然恋人の名前が出て、リリアのもう片方の目も開いた。シルバーは「見ていないが、どうかしたのか？」と尋ねる。グリムのシアンの瞳がかわいそうなほど潤んでいて、リリアは本能的にまずい、と感じた。
「あいつ、朝から寝室にいねえんだ。どこ探し回ってもいなくて、まさか元の世界の帰ったんじゃねえかって」
　ざわり、と風もないのに木の葉が揺れる。シルバーがとっさに隣を見ると、リリアの顔から表情が抜け落ちていた。あまりに冷たいその顔に、彼の背筋を氷塊が滑る。
「シルバー。わしはちと席を外す。トレインには適当な理由をつけておいてくれ」
　シルバーがぎこちなく頷くと、一瞬でリリアの姿はその場から消えた。グリムたちが「消えた！？」と驚くが、シルバーは父が転送魔法で飛んだのだと分かっていた。リリアに育てられてから今まで、転送魔法を使ったところは見たことはある。しかし、学園内で彼がためらいもなく使うのは、これが初めてだった。
「親父殿……」
　シルバーの呟きは、そのまま青空に吸い込まれて行った。