邂逅
そして月日は流れ。
五条悟が12歳を迎えた年、9歳になった北都がようやく監視下から解放されることとなった。
その頃にはもう彼女は龍眼を制御できるようになっており、強力な結界に守られることもなく自由になったかと思えばそうではなく。
白鷺家の次期当主としての教育が始まっていたのもあって、日夜その指導を受けていた。
更にその頃になると悟のほうも外出する時間が少なくなり、五条家の呪術師としてありとあらゆる鍛練をこなさなくてはならず。最強と謡われる彼ではあったが、術師としての意識がより洗練され、より強くなるための鍛練を怠ることなく研鑽を重ねていた。
それも一重に『白鷺北都』の存在があるからこそで。彼女を護れる男でありたいと思うと同時に、彼女の婚約者として相応しくありたいと自らを厳しく律し。今度北都と逢えた時に、悟は改めて結婚の約束をしようと決めていた。
そんな決意のもと、久しぶりに与えられた自由時間を使い。悟がすぐに向かった先は白鷺家。
既に勝手知ったるで、いつ見ても壮大な寝殿造の邸宅へ入るとすぐに侍女たちが迎え。北都に会いに来たと言う必要もなく、すぐに奥へ通されると彼女の部屋まで案内される。
かくかくと曲がりくねる廊下を進み、途中侍女が何かを話し掛けてきたがそんなことなどどうでもよく。適当に答えながらようやく辿り着くと、侍女が障子越しに声を掛けた。
「北都様、悟様がお見えです」
すると障子が開き、中から北都が現れると嬉しそうに微笑む姿か。
「悟くん、いらっしゃい!」
「こんにちは!北都ちゃん」
そこで侍女を下がらせた彼女が中に入るように促し、悟が足を踏み入れると障子を閉めた。
「わざわざありがとう。あの……でも、疲れてる時とかは無理はしないで?」
しかし嬉しさのなかでもやはり悟を気遣う北都は変わらず。すぐにお茶を煎れるからと、急須などを取りに行こうとするも悟から止められる。
「全然疲れてないよ。それに、オレはどんなに疲れていても、北都ちゃんを見れば元気になれるから」
次いで持ってきた紙袋から箱を取り出すと、机の上に置いて蓋を開けた。
「それより、今日はお勧めのお菓子を母さんから聞いて持ってきたんだ!これなら北都ちゃんも食べられるだろうって!」
そこには洋菓子や和菓子が沢山詰まっていて、どうしても悟が選ぶと一辺倒になってしまうため、何か他にないかと母親に聞いたのだ。
そんな子供を見つめ、微笑ましくも白鷺家の令嬢の元へ時間さえあれば会いに行く息子の頭を撫で。これなら彼女も気に入るだろうと教えてやると、さっそく言われた通りにそれを箱に詰めて出掛けて行った。
更にこの時には既に、両家立ち会いのもと悟と北都の婚約の儀が交わされており。どちらの家に入るのか話し合われた結果、なんと北都が五条家へ嫁ぐことが決まった。
しかしそれは悟本人が望んだわけではなく。彼は北都と結婚できるならどちらでも良いと思っていたが、悟の両親の強い希望を北都の両親が了承した形となったため、北都が五条家の人間になる事となった。
同時に公認となったことで、ようやく堂々と北都へ会いに行くことが許され。今日もこうして事前に許可を取る必要もなく会いに来れば、恥じらいつつも嬉しそうに北都が迎えてくれる。
しかし悟が気になっている事がひとつあり。
一番最初に自分と北都は許嫁として婚約し、後に結婚することになると彼が伝えた時。北都はそれを親同士が勝手に決めたのだとずっと思っていて。
自分と同じく喜んでくれるかと思いきや、家同士の間で決まったのなら従うだけだと呟いていたのだ。
そうなると悟だけが北都の事を好きで、彼女は自分の事をそれほど好いてないのではないかと疑問が湧き。月日を重ねる毎に逢える回数も減っていたのもあるが、それ以上に北都が異性から向けられる好意にあまり気付かないタイプであることもわかった。
かと言って諦めるつもりなど毛頭なく。それなら伝わるまで伝え続けるのだと誓った。
だからこうして時間さえ取れれば北都に会いに行き、更に五条家以外の家の人間が出入りしていなかを必ず確認していた。
「ねえ、北都ちゃん」
そうして二人仲良く菓子を食べ、悟がソワソワしながら名を呼ぶと顔を上げた北都。ずっと伸ばしていた黒い艶やかな髪は腰の位置くらいにまでなり、9歳になった彼女は顔つきもふっくらしたものからシャープな輪郭へと変わりつつある。
それこそまさに美少女と呼ぶに相応しく、綺麗な卵型の輪郭と相まって金色の瞳が煌めき。その瞳を縁取る長い睫毛は目許に影を落とすほど。
白く柔らかそうな肌は常に着物できっちりと隠されており、たおやかで凛とした佇まいは出会った時から変わることもなく。
「北都ちゃんは、オレのこと好き?」
そんな少女を真っ直ぐに見つめたまま、悟が聞いてみると突然の事で北都が目を見開いた。
「え……あの……」
けれど彼女は顔を真っ赤にしながら目を伏せ、手元に視線を落とすと悟の胸がズキリと痛む。
やはり思った通りなのか。こうして自分が会いに来ているのも、きっと北都にしてみれば親同士が決めた婚約者だからだと思っているのか。
「それとも、オレのこと嫌い?」
少しヤケになって聞くと、今度はパッと顔を上げた北都が首を横に振る。
「それじゃあ、好き?」
「………っ」
するとやはり北都は何も言わず。また視線を落としてしまえば子供ながらに悟も傷付くというものか。
「………わかった。やっぱり嫌いなんだ、オレのこと」
小さく息を吐き、ふて腐れてそっぽを向いた瞬間。
「違う!」
「っ!?」
突然手を強く握られ、驚いた悟が口をポカンと開けると潤んだ金色の瞳と出会う。
「あなたは私のこの『力』のことを知ってるはずだ。この目は通常では視えないモノが視えて、自分で制御できなければ勝手に他人の過去も現在も未来も、全て視えてしまうほどの力。そして森羅万象のあらゆる氣と同調するこの龍眼 はいまだ解明すらされてなくて、結界で抑えていなければとても危険なものだから………!」
そんな危険な人間が、何故五条悟の許嫁として選ばれたのかさえ分からず。
そもそも呪術師と異能者とでは、婚姻関係でさえ成立するのが非常に困難なものなのだ。
だからこそ北都は常に距離をとり、悟を家の事情に巻き込んでしまわないようにしてきた。
それほど自分の事などどうでもよくて、ただこの少年を護りたい。その一心で悟と接してきたのに。
「あなたが断らないなら……私が悟くんのご両親に伝える。私ではない誰かが、必ずいるはずだから……!」
胸が苦しくて。痛くて。涙が溢れてしまえばどうしようもなく。
掴んでいた手を離し、涙を拭いて立ち上がった瞬間。
「北都!!」
「───っ」
強く抱き締められ、身動きが取れなくなると互いの息遣いだけが聞こえ。
「………行かせない、絶対に行かせないよ」
悟の低い声と共に、更に強く抱き締められて震える。
しかしそこまでして彼が執着する理由すら分からず。離して、と呟いたが聞く耳すら持たずで。
「ダメだ。オレは北都を離す気なんて絶対ないから」
「………っ」
キッパリと言ってやれば、また北都の綺麗な瞳から溢れた涙。
そうして逃げられないように腕に閉じ込めたまま彼女を座らせ、頭を引き寄せるようにして自分の胸に押し付けると唇を耳許に寄せた。
「オレは絶対に、北都と結婚する。そうなれるようにもっと強くなって、北都を護る男になる。誰にも文句なんて言わせない。だから待ってろ」
「悟………くん………っ」
その宣言が北都の鼓動を揺らし、魂までも揺さぶると息すらできず。
「ほら、小指を出して」
強引に手を掴まれ、小指を出した悟がじっと見つめてくると震える吐息。
これは『約束』であり、二人を縛り付ける『呪い』。
それがわかっているから北都は動けず。けれど悟もピクリとも動かず、北都が小指を出すのを待っている。
六眼を宿す彼の瞳は一寸の揺らぎさえなく。髪の色と同じ白く長い睫毛が瞬く度に揺れると、息を飲むほどに綺麗で。
「約束、しよ?北都」
いまだに動けない北都を見つめ、自分は最強だと言ったあの笑みを見せたその時。
「………っ………」
遂に小指を出した北都が、震える吐息もそのままにそっと近付けると互いの指が絡みあい。
「これでもう、北都はオレのものだ!」
強く、強く、小指を絡ませて笑う悟が本当に嬉しそうで。やっと心と心までも触れ合えた、そう感じたからこその笑顔だったから。
「悟くん………」
北都はこの時ほど彼のその笑顔を護りたいと、そう願った事はなかったのだった。
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五条悟が12歳を迎えた年、9歳になった北都がようやく監視下から解放されることとなった。
その頃にはもう彼女は龍眼を制御できるようになっており、強力な結界に守られることもなく自由になったかと思えばそうではなく。
白鷺家の次期当主としての教育が始まっていたのもあって、日夜その指導を受けていた。
更にその頃になると悟のほうも外出する時間が少なくなり、五条家の呪術師としてありとあらゆる鍛練をこなさなくてはならず。最強と謡われる彼ではあったが、術師としての意識がより洗練され、より強くなるための鍛練を怠ることなく研鑽を重ねていた。
それも一重に『白鷺北都』の存在があるからこそで。彼女を護れる男でありたいと思うと同時に、彼女の婚約者として相応しくありたいと自らを厳しく律し。今度北都と逢えた時に、悟は改めて結婚の約束をしようと決めていた。
そんな決意のもと、久しぶりに与えられた自由時間を使い。悟がすぐに向かった先は白鷺家。
既に勝手知ったるで、いつ見ても壮大な寝殿造の邸宅へ入るとすぐに侍女たちが迎え。北都に会いに来たと言う必要もなく、すぐに奥へ通されると彼女の部屋まで案内される。
かくかくと曲がりくねる廊下を進み、途中侍女が何かを話し掛けてきたがそんなことなどどうでもよく。適当に答えながらようやく辿り着くと、侍女が障子越しに声を掛けた。
「北都様、悟様がお見えです」
すると障子が開き、中から北都が現れると嬉しそうに微笑む姿か。
「悟くん、いらっしゃい!」
「こんにちは!北都ちゃん」
そこで侍女を下がらせた彼女が中に入るように促し、悟が足を踏み入れると障子を閉めた。
「わざわざありがとう。あの……でも、疲れてる時とかは無理はしないで?」
しかし嬉しさのなかでもやはり悟を気遣う北都は変わらず。すぐにお茶を煎れるからと、急須などを取りに行こうとするも悟から止められる。
「全然疲れてないよ。それに、オレはどんなに疲れていても、北都ちゃんを見れば元気になれるから」
次いで持ってきた紙袋から箱を取り出すと、机の上に置いて蓋を開けた。
「それより、今日はお勧めのお菓子を母さんから聞いて持ってきたんだ!これなら北都ちゃんも食べられるだろうって!」
そこには洋菓子や和菓子が沢山詰まっていて、どうしても悟が選ぶと一辺倒になってしまうため、何か他にないかと母親に聞いたのだ。
そんな子供を見つめ、微笑ましくも白鷺家の令嬢の元へ時間さえあれば会いに行く息子の頭を撫で。これなら彼女も気に入るだろうと教えてやると、さっそく言われた通りにそれを箱に詰めて出掛けて行った。
更にこの時には既に、両家立ち会いのもと悟と北都の婚約の儀が交わされており。どちらの家に入るのか話し合われた結果、なんと北都が五条家へ嫁ぐことが決まった。
しかしそれは悟本人が望んだわけではなく。彼は北都と結婚できるならどちらでも良いと思っていたが、悟の両親の強い希望を北都の両親が了承した形となったため、北都が五条家の人間になる事となった。
同時に公認となったことで、ようやく堂々と北都へ会いに行くことが許され。今日もこうして事前に許可を取る必要もなく会いに来れば、恥じらいつつも嬉しそうに北都が迎えてくれる。
しかし悟が気になっている事がひとつあり。
一番最初に自分と北都は許嫁として婚約し、後に結婚することになると彼が伝えた時。北都はそれを親同士が勝手に決めたのだとずっと思っていて。
自分と同じく喜んでくれるかと思いきや、家同士の間で決まったのなら従うだけだと呟いていたのだ。
そうなると悟だけが北都の事を好きで、彼女は自分の事をそれほど好いてないのではないかと疑問が湧き。月日を重ねる毎に逢える回数も減っていたのもあるが、それ以上に北都が異性から向けられる好意にあまり気付かないタイプであることもわかった。
かと言って諦めるつもりなど毛頭なく。それなら伝わるまで伝え続けるのだと誓った。
だからこうして時間さえ取れれば北都に会いに行き、更に五条家以外の家の人間が出入りしていなかを必ず確認していた。
「ねえ、北都ちゃん」
そうして二人仲良く菓子を食べ、悟がソワソワしながら名を呼ぶと顔を上げた北都。ずっと伸ばしていた黒い艶やかな髪は腰の位置くらいにまでなり、9歳になった彼女は顔つきもふっくらしたものからシャープな輪郭へと変わりつつある。
それこそまさに美少女と呼ぶに相応しく、綺麗な卵型の輪郭と相まって金色の瞳が煌めき。その瞳を縁取る長い睫毛は目許に影を落とすほど。
白く柔らかそうな肌は常に着物できっちりと隠されており、たおやかで凛とした佇まいは出会った時から変わることもなく。
「北都ちゃんは、オレのこと好き?」
そんな少女を真っ直ぐに見つめたまま、悟が聞いてみると突然の事で北都が目を見開いた。
「え……あの……」
けれど彼女は顔を真っ赤にしながら目を伏せ、手元に視線を落とすと悟の胸がズキリと痛む。
やはり思った通りなのか。こうして自分が会いに来ているのも、きっと北都にしてみれば親同士が決めた婚約者だからだと思っているのか。
「それとも、オレのこと嫌い?」
少しヤケになって聞くと、今度はパッと顔を上げた北都が首を横に振る。
「それじゃあ、好き?」
「………っ」
するとやはり北都は何も言わず。また視線を落としてしまえば子供ながらに悟も傷付くというものか。
「………わかった。やっぱり嫌いなんだ、オレのこと」
小さく息を吐き、ふて腐れてそっぽを向いた瞬間。
「違う!」
「っ!?」
突然手を強く握られ、驚いた悟が口をポカンと開けると潤んだ金色の瞳と出会う。
「あなたは私のこの『力』のことを知ってるはずだ。この目は通常では視えないモノが視えて、自分で制御できなければ勝手に他人の過去も現在も未来も、全て視えてしまうほどの力。そして森羅万象のあらゆる氣と同調するこの
そんな危険な人間が、何故五条悟の許嫁として選ばれたのかさえ分からず。
そもそも呪術師と異能者とでは、婚姻関係でさえ成立するのが非常に困難なものなのだ。
だからこそ北都は常に距離をとり、悟を家の事情に巻き込んでしまわないようにしてきた。
それほど自分の事などどうでもよくて、ただこの少年を護りたい。その一心で悟と接してきたのに。
「あなたが断らないなら……私が悟くんのご両親に伝える。私ではない誰かが、必ずいるはずだから……!」
胸が苦しくて。痛くて。涙が溢れてしまえばどうしようもなく。
掴んでいた手を離し、涙を拭いて立ち上がった瞬間。
「北都!!」
「───っ」
強く抱き締められ、身動きが取れなくなると互いの息遣いだけが聞こえ。
「………行かせない、絶対に行かせないよ」
悟の低い声と共に、更に強く抱き締められて震える。
しかしそこまでして彼が執着する理由すら分からず。離して、と呟いたが聞く耳すら持たずで。
「ダメだ。オレは北都を離す気なんて絶対ないから」
「………っ」
キッパリと言ってやれば、また北都の綺麗な瞳から溢れた涙。
そうして逃げられないように腕に閉じ込めたまま彼女を座らせ、頭を引き寄せるようにして自分の胸に押し付けると唇を耳許に寄せた。
「オレは絶対に、北都と結婚する。そうなれるようにもっと強くなって、北都を護る男になる。誰にも文句なんて言わせない。だから待ってろ」
「悟………くん………っ」
その宣言が北都の鼓動を揺らし、魂までも揺さぶると息すらできず。
「ほら、小指を出して」
強引に手を掴まれ、小指を出した悟がじっと見つめてくると震える吐息。
これは『約束』であり、二人を縛り付ける『呪い』。
それがわかっているから北都は動けず。けれど悟もピクリとも動かず、北都が小指を出すのを待っている。
六眼を宿す彼の瞳は一寸の揺らぎさえなく。髪の色と同じ白く長い睫毛が瞬く度に揺れると、息を飲むほどに綺麗で。
「約束、しよ?北都」
いまだに動けない北都を見つめ、自分は最強だと言ったあの笑みを見せたその時。
「………っ………」
遂に小指を出した北都が、震える吐息もそのままにそっと近付けると互いの指が絡みあい。
「これでもう、北都はオレのものだ!」
強く、強く、小指を絡ませて笑う悟が本当に嬉しそうで。やっと心と心までも触れ合えた、そう感じたからこその笑顔だったから。
「悟くん………」
北都はこの時ほど彼のその笑顔を護りたいと、そう願った事はなかったのだった。
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