邂逅

突然の来客から暫く。そろそろ授業が始まるというのにまだ五条の姿はなく。
しかし悠二らはいつもの事だと余裕で雑談していると、ガラリと音がして扉が開く。

「珍しー……。先生が遅刻せずに来るなんて」

「明日は槍でも降るんじゃない?」

そこに現れた五条に驚き、悠二と野薔薇がヒソヒソと話すが本人の耳には届いていないようで。つかつかと教壇の前に立ち、三人を見れば途端に満面の笑み。

「みんなお待た~!それじゃあさっそく始めようか~!」

「うげ………なんかキモいんですけど」

それを見た野薔薇が天を仰ぎ、悠二がキョトンとしていると恵が突然先生、と呼んだ。

「さっきの女性、誰すか?」

「んん?さっきのって?」

しかし五条は首を傾げ、両手を上げてみせると恵が小さく舌打ち。

「アンタ……さっきまで俺たちの目の前で鼻の下伸ばしまくってたクセに。わざとらしいんだよ」

「ああ……なるほどね。恵は彼女に興味があるんだ?」

本人と言えばニヤリと笑い、目隠し越しに何か見透かされているような気がすると恵が目を反らす。

「確かに。つか先生、あの女の人のこと婚約者だって言ってなかったっけ?」

更に悠二が素で質問すると、五条の表情が一変。

「その性格で婚約者とかマジで笑えないんですけど」

野薔薇もいつもの冗談だと思っているようで、心底あの女性に同情すると嘆けば本人が今度は違う笑みを浮かべ。

「本当の事だよ。僕と彼女は婚約者同士で、将来は結婚することになってる」

『……………』

しん……と静まり返ると同時に、伏黒恵から微かに沸き上がったモノに気付いた五条。
応接室の扉に張り付いていたのを見た瞬間から、この男だけは最初から北都の事を違う目で見ていた。それを五条はすぐに見抜き、だからこそあんな派手な登場をしたというのに。
諦めが悪いのか、はたまた自分の性格もあって信じてさえいないのか。まるで睨み付けるようにして見てくる彼に、しかし五条は笑みを浮かべた。

「ま、そうゆう事だから。彼女に手を出そうなんて考えないように」

「ふーん。でも私は先生絡みの事なんて興味ないし女だし」

「俺もだな。それに先生とあの人見たとき、なんか似合ってんなぁ~って、思ったし?」

それぞれが声を上げるなか、やはり恵だけは無言か。
だが五条にとっては気にすることでもなく、ましてや北都を他の誰かに譲る気など更々なくて。

「この話はこれで終わりだ。授業やるぞ、授業」

早々に話を打ち切った五条が手を軽く叩くと、それでも恵は腑に落ちないといった顔を隠しもしなかった。




翌日。
朝もまだ早い時間に目が覚めた北都。
身体をゆっくり起こすと寝間着である白い着物が少し乱れているのに気付き、襟元を締めると小さく吐息。
布団を捲って立ち上がり、障子を開けるとひんやりとした廊下に出る。
外はまだ寒く感じるほどで、朝靄が広がる庭園を眺めると幻想的か。様々な木々や花たちが靄のなかに浮かび上がり、朝露で濡れた面を覗かせる。
その雫が微かに顔を見せた太陽の光を反射し、重さに耐えられなくなった葉の先端からポタリと落ちると、地面に小さな染みとなって消えた。
それを廊下の窓から見ていた北都は目を閉じ。思い出すのは昨日の出来事。
呪術高専から依頼の手紙が来た時から、避けることのできない何かしらの流れを感じたのは認めざるを得ず。
またその場所に五条悟がいることも、彼女はずっと知っていたのだ。
それは呪術師の家系に生まれた彼が選ばざるを得ない場所であり、それこそが彼に課せられた使命とも言えるべき事か。
五条家相伝でもある無下限呪術の使い手にして六眼を宿し、幼少期から懸賞金をかけられていた彼は言わずもがなの最強の呪術師であり。北都が中学に上がると同時に悟が呪術高専へと入学した事を自分の両親から聞かされた時も、彼女は既にその事を知っていた。

「…………」

しかし北都は白鷺家の者として全く違う道を歩まねばならず、本来であれば交わることさえない二人を何故引き会わせたのか理解できなかった。
それでも両親や五条悟の親は、まるで示しあわせたかのように子供たちを合わせる機会を作り。ひとり気後れする北都を、真っ先に手を繋いで引っ張ったのが悟本人だった事を思い出した。

「あの時は彼も可愛らしかったのに……」

そうして肩を少し震わせて笑った瞬間、その肩にふわりと何かを掛けられて震え。

「っ!?」

「それだけだと風邪引くよ?」

途端に北都が身を引き、声が聞こえた方へ向くと驚きで声さえ出ない。

「おはよう、北都ちゃん。待てなくて来ちゃったよ」

何とそこに立っていたのはその五条悟本人であり、さすがの北都でさえ思考が止まってしまった。

「あれ?固まってしまってるみたいだけど……。ああ、でもそんな君も可愛いな」

それよりどうやってここに入って来たのか。そもそも白鷺家が持つこの広大な敷地には結界が張られていて、常人では決して見ることすらできない。
そこで我に返った北都が小さく息を吐き、目の前の男を見れば軽く睨む。

「あなたのその『眼』がなければ、当の昔に弾き出されていたはずだ」

「うん、分かってるよ。でもだからこそ、こうして君に会いに来れたんだけどね」

そして悟がニコリと笑えば怒る気力さえなく。肩に掛けられた小袿を落ちないように掴むと部屋に戻らず歩きだす。

「……?北都ちゃん?何処に行くの?」

その行動に悟が驚き、部屋に入れてくれるものだと思っていたらしい男を見れば朝食の時間だと告げ。

「あなたは?まだ食べてないならの話だが」

途端に悟の頬が淡く染まるのを見れば、思いがけないその反応に北都の鼓動が高鳴る。
けれどすぐに顔を反らし、また歩きだすと慌てた本人が後に続き。

「確かに何も食べてなかった。ありがとう、北都ちゃん」

「急な来客だからあまりもてなしはできないが……」

「そんな気を遣うことはないよ?不法侵入みたいな事したの僕だし」

そんな会話が可笑しくて。北都がつい笑ってしまえばふいに彼の手が頬に触れて震え。

「………っ」

「ねぇ………何で昨日、視てくれなかったの?」

北都と会えなかった16年間の事を視て欲しいと悟が伝えたにも関わらず、それをしなかった事を彼が言っているのだと理解すれば目を伏せる。
しかし何故他人の記憶を簡単に覗くような事ができるのかと。北都が持つ力であればたとえ本人の了承なしでも強制的に視ることは可能で、それを悟も分かっていたからこそ望んだ。

「生憎だが、人の過去を勝手に覗くような趣味は持ち合わせていない」

「その事なら、僕は北都ちゃんなら構わないって言ったよね?」

けれど何故そこまで自分に拘るのかさえ分からず。何故分かってくれないのかと見つめると、悟がふいに目隠しを取る。

「君の記憶にある僕と、今の僕が違う事に気付いてるのは知ってる。そしてその変化が君と会えなかった16年の空白の中にある事も、君は知ってる」

そしてそれを自分の口から言わない悟自身も狡いと自覚している。
それでも北都自身の『眼』で視て欲しくて。たとえ擬似的であったとしても、彼女と『共有』することができるなら喜んで差し出す。
そうしたら、北都を自分だけに縛り付けることができるから。

「言ったよね?僕は君だけしか見ていないって。あの時からずっと……」

これは五条悟と白鷺北都を結びつける、たったひとつの『呪い』であり。

────君だけなんだ
どんなに暗い闇の中にいたとしても、光差す場所に導いてくれる人は─────

その金色に光る瞳も、真っ直ぐに見つめてくれるその眼差しも。絶対に揺らぐことのない信念でさえ。
全てが五条悟の根幹をかたち創るものだから。

そんな君を護りたい。

子供ながらに約束したあの言葉だけは、絶対に違えたりしない。
ゆるりと笑みを浮かべ、白く柔らかな北都の頬を撫でると口を開き。

「ね?だから視て欲しい、僕を」

そっと、蜜よりよ甘い声で囁いた。


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