邂逅
ここはとある広大な敷地内にある、日本庭園の中に建てられた東屋。
そこだけが外界から切り離されたように静かで、水の流れる音や鳥の囀りだけが聞こえる。
それはまるで自然と一心同体になったかのようで。こじんまりとした部屋にひとり、目を閉じ、軽やかに吹く風の音を聞きながら心までも無になったその時。
「北都様」
安寧は長く続かず、戸口から声が聞こえると目を開けた女性。
金色に光る瞳と、それを縁取る長い睫毛が瞬きすると外にいる者へ合図する。
すると戸が静かに開き、巫女のような姿をした女性が少しだけ中に入ると頭を深く下げた。
「お時間にございます」
「………分かった。すぐに行く」
そして北都と呼ばれた女性が立ち上がり、東屋から出て目の前に建つ寝殿造の邸宅を見れば小さく吐息。見慣れたこの風景でさえ彼女にとってはまるで殺伐としたものにしか見えず。
子供の時の記憶が微かに頭に浮かぶと、その中に立つ白い髪の少年の姿を思い出す。
「懐かしいな………。あれからもう十数年経つのか」
それでもすぐに思考から追いやり、彼女が『家』に戻ると待っていた執事のような格好をした初老の男が頭を下げた。
「お車の用意はできております」
「ありがとう」
その横を通りすぎ、次に巫女の姿をした別の女性が現れると差し出したのは二振りの刀。それを受け取り、何の躊躇いもなく玄関へ向かうと扉が開く。
「本日の行き先は呪術高専でございます」
そうして待機していた黒塗りのリムジンに乗ると運転手が告げ。静かに頷いた北都がシートベルトを装着すると、滑らかな動きで車が走り出す。
まずはこの広大な敷地を抜けることから始まり、庭園を抜けて規則的に並ぶ竹林の中を縫うよう進むとようやく外堀に到着。そこから一気に都心の風景が現れると北都が窓の外を見つめた。
その間彼女は喋ることなく。高層ビルが建ち並ぶその間を車が走り抜けて行くのを眺めていると聞こえた声。
「そう言えば、その学校には北都様がまだお小さかった頃にお会いになったあの方がいらっしゃるんですよね?」
それは運転手の男が話し掛けたもので、北都がピクリと反応すれば相手はバックミラー越しに微笑んでいて。
五十代半ばくらいの彼は北都が子供の時から運転手をしているのもあり、学校の名前を聞いて思い出したらしい。
「確か五条家のご子息だったと……」
「そうだ」
しかも何か含みのあるような言い方に、北都は短く答えると男が苦笑し。さして気に留めるほどのものでもないとばかりの反応を見るも、彼女の性格を知っているからこそ何も言わず。
「今は教師もしていらっしゃるそうですね」
「……………」
返事さえしなくなった女性を横目で見ると、逆に彼がフッと笑った。
それでも北都は前を見据え、背筋をピンと伸ばして座る姿は当主に相応しく。
若干18歳という若さで白鷺家の当主となり、世間や周りからの好奇な目さえものともせずに取り仕切ってきた彼女は、今や成熟した大人となった。
そんな女性とあの五条家の子供が出会ったのは二人が5歳と8歳の時。
古くから白鷺家と五条家は親交があり、北都の両親が彼らを招いたのが始まりだった。
その時の事は今でも鮮明に覚えていて。呪術界の中でも御三家と呼ばれる名門である五条家が、非術師の世界での白鷺家に訪れることさえ珍しいことである。
そもそも互いの存在自体が表と裏のようなものであり。たとえば呪力を持たない普通の人間の数が圧倒的に多いこの世界を表とするなら、呪力を持ち、人間が生まれながらにして持つ負の力───所謂『呪力』が形となって人間を呪い殺そうとするモノを、同じ力でもって滅する者がいる世界が裏。
そして表の存在である白鷺家と裏の存在である五条家が、どういった経緯で親交を深めていったのかを知る者は今や少なく。それでも現代に至るまで、両家の絆が続いている事が既に特別な結び付きからきているものだと理解するには十分だった。
そんな両家の子供二人、北都と五条家の子供である悟が両親によって引き会わされ。礼儀正しくもお辞儀をした北都を前に、白髪に碧眼の少年が挨拶もそこそこにいきなり手を握ったのが始まりか。
遊ぼう!と手を引っ張られ、止める暇もなく北都が連れ去られてしまったのを思い出すだけで可愛らしくもおかしくて。
「────顔がニヤケ過ぎだ」
そこで回想から引き戻されてハッとすると、北都からの痛い視線が突き刺さった。
「すみません、つい」
しかも軽くため息を吐いた北都がふいと顔を反らし、再び窓の外を眺めるとやはりあまり思い出したくないのか。
「北都様は悟様がお嫌いですか?」
長年見守ってきた存在だからこそこのような事を聞けることもあり。これが他の者であれば、主従関係を逸脱しているとされ白鷺家から追い出されていたところだ。
だから北都は特に咎めることもせず。
「嫌いも何も………私にとってはただ何回か遊びに来た子供でしかない」
二人が顔を合わせたことさえ両手だけで足りるものであり、進む学校も何もかもが違う彼らに共通することは殆んどなかったから。
「でも悟様は本当に北都様と会えるのを楽しみにしてましたよね」
遊びに来るたび弾けんばかりの笑顔で、北都の手を引いて庭園を駆け回っていたのを思い出すとなんとも懐かしく。
男がまた笑みを浮かべると、北都が突然車を止めろと言った。
「…………もしや?」
そこで車を道路脇に止め、北都が後部座席に置いていた普通の日本刀を手に取るとすぐに車から降り。
「私が連絡するまでここにいてくれ」
「承知しました。くれぐれもお気をつけて」
すぐに移動を始めた彼女を見送ると、自分はすぐに車に戻って携帯を取る。
そのままどこかに電話をかけ、向こうが出ると事の詳細を伝え。
「───はい、ですので少し遅れます。すみませんが………はい、宜しくお願いします」
通話を終わらせると、北都が消えた方を見つめた。
一方。
日本刀を手に北都が歩くこと暫く。
彼女の目には先程からどす黒いもやのようなものが見え、出所を探っているとその色が更に濃くなっていく。
しかし表の人間───非術師である北都に何故そのようなものが見えるのか?
金色の瞳は絶えずそのもやを捉え、目標がかなり近いことが分かると刀の柄に手を掛けつつ進み。
ビルとビルの間。そのちょっとした空間へと足を踏み入れた瞬間、北都がふわりと唇を開いた。
「そこまでだ」
その時。
ひっ!と情けない声を出したのはサラリーマンの男性で。尻餅をついていたのは、突然現れた北都に声を掛けられたからだ。
何故なら一般人からしてみれば呪力がなければソレ を視認することも触れることも出来ず、ただ一方的にやられるだけになってしまう。
更にこんな人気のない場所にひとりでいるとは、狙われるのも当たり前なのだが一般人からすると意味が分からないもので。
「な、な、何だお前は!?何でここに来たんだよ!」
その背後ではまるでエイリアンのような異形のモノが立ち、今にも男を喰らおうとしているが男に見えるはずもなく。
「動くな。じっとしててくれ」
刀の柄を静かに握った北都が、目にも止まらぬ速さで抜刀すると姿が消え。
「─────っ!!??」
男の目の前に現れた瞬間、視認することさえできなかったが斬撃を繰り出したように見えた。
「っ!」
が、女性が瞬時に上を見つめ。すぐに刀身を鞘に収めると男へ振り向く。
「早くここから去るといい。極力人が大勢いる場所を選べば大丈夫だ」
「は?だから何を言ってるのか────って、おい!」
それでも女性はすぐに走り出し、薄暗い路地の方へ消えてしまえば呆然とするしかなく。
「な、何なんだ………一体」
あと数秒遅かったら命を落としていたかもしれなかったなど、知る由もなかった。
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そこだけが外界から切り離されたように静かで、水の流れる音や鳥の囀りだけが聞こえる。
それはまるで自然と一心同体になったかのようで。こじんまりとした部屋にひとり、目を閉じ、軽やかに吹く風の音を聞きながら心までも無になったその時。
「北都様」
安寧は長く続かず、戸口から声が聞こえると目を開けた女性。
金色に光る瞳と、それを縁取る長い睫毛が瞬きすると外にいる者へ合図する。
すると戸が静かに開き、巫女のような姿をした女性が少しだけ中に入ると頭を深く下げた。
「お時間にございます」
「………分かった。すぐに行く」
そして北都と呼ばれた女性が立ち上がり、東屋から出て目の前に建つ寝殿造の邸宅を見れば小さく吐息。見慣れたこの風景でさえ彼女にとってはまるで殺伐としたものにしか見えず。
子供の時の記憶が微かに頭に浮かぶと、その中に立つ白い髪の少年の姿を思い出す。
「懐かしいな………。あれからもう十数年経つのか」
それでもすぐに思考から追いやり、彼女が『家』に戻ると待っていた執事のような格好をした初老の男が頭を下げた。
「お車の用意はできております」
「ありがとう」
その横を通りすぎ、次に巫女の姿をした別の女性が現れると差し出したのは二振りの刀。それを受け取り、何の躊躇いもなく玄関へ向かうと扉が開く。
「本日の行き先は呪術高専でございます」
そうして待機していた黒塗りのリムジンに乗ると運転手が告げ。静かに頷いた北都がシートベルトを装着すると、滑らかな動きで車が走り出す。
まずはこの広大な敷地を抜けることから始まり、庭園を抜けて規則的に並ぶ竹林の中を縫うよう進むとようやく外堀に到着。そこから一気に都心の風景が現れると北都が窓の外を見つめた。
その間彼女は喋ることなく。高層ビルが建ち並ぶその間を車が走り抜けて行くのを眺めていると聞こえた声。
「そう言えば、その学校には北都様がまだお小さかった頃にお会いになったあの方がいらっしゃるんですよね?」
それは運転手の男が話し掛けたもので、北都がピクリと反応すれば相手はバックミラー越しに微笑んでいて。
五十代半ばくらいの彼は北都が子供の時から運転手をしているのもあり、学校の名前を聞いて思い出したらしい。
「確か五条家のご子息だったと……」
「そうだ」
しかも何か含みのあるような言い方に、北都は短く答えると男が苦笑し。さして気に留めるほどのものでもないとばかりの反応を見るも、彼女の性格を知っているからこそ何も言わず。
「今は教師もしていらっしゃるそうですね」
「……………」
返事さえしなくなった女性を横目で見ると、逆に彼がフッと笑った。
それでも北都は前を見据え、背筋をピンと伸ばして座る姿は当主に相応しく。
若干18歳という若さで白鷺家の当主となり、世間や周りからの好奇な目さえものともせずに取り仕切ってきた彼女は、今や成熟した大人となった。
そんな女性とあの五条家の子供が出会ったのは二人が5歳と8歳の時。
古くから白鷺家と五条家は親交があり、北都の両親が彼らを招いたのが始まりだった。
その時の事は今でも鮮明に覚えていて。呪術界の中でも御三家と呼ばれる名門である五条家が、非術師の世界での白鷺家に訪れることさえ珍しいことである。
そもそも互いの存在自体が表と裏のようなものであり。たとえば呪力を持たない普通の人間の数が圧倒的に多いこの世界を表とするなら、呪力を持ち、人間が生まれながらにして持つ負の力───所謂『呪力』が形となって人間を呪い殺そうとするモノを、同じ力でもって滅する者がいる世界が裏。
そして表の存在である白鷺家と裏の存在である五条家が、どういった経緯で親交を深めていったのかを知る者は今や少なく。それでも現代に至るまで、両家の絆が続いている事が既に特別な結び付きからきているものだと理解するには十分だった。
そんな両家の子供二人、北都と五条家の子供である悟が両親によって引き会わされ。礼儀正しくもお辞儀をした北都を前に、白髪に碧眼の少年が挨拶もそこそこにいきなり手を握ったのが始まりか。
遊ぼう!と手を引っ張られ、止める暇もなく北都が連れ去られてしまったのを思い出すだけで可愛らしくもおかしくて。
「────顔がニヤケ過ぎだ」
そこで回想から引き戻されてハッとすると、北都からの痛い視線が突き刺さった。
「すみません、つい」
しかも軽くため息を吐いた北都がふいと顔を反らし、再び窓の外を眺めるとやはりあまり思い出したくないのか。
「北都様は悟様がお嫌いですか?」
長年見守ってきた存在だからこそこのような事を聞けることもあり。これが他の者であれば、主従関係を逸脱しているとされ白鷺家から追い出されていたところだ。
だから北都は特に咎めることもせず。
「嫌いも何も………私にとってはただ何回か遊びに来た子供でしかない」
二人が顔を合わせたことさえ両手だけで足りるものであり、進む学校も何もかもが違う彼らに共通することは殆んどなかったから。
「でも悟様は本当に北都様と会えるのを楽しみにしてましたよね」
遊びに来るたび弾けんばかりの笑顔で、北都の手を引いて庭園を駆け回っていたのを思い出すとなんとも懐かしく。
男がまた笑みを浮かべると、北都が突然車を止めろと言った。
「…………もしや?」
そこで車を道路脇に止め、北都が後部座席に置いていた普通の日本刀を手に取るとすぐに車から降り。
「私が連絡するまでここにいてくれ」
「承知しました。くれぐれもお気をつけて」
すぐに移動を始めた彼女を見送ると、自分はすぐに車に戻って携帯を取る。
そのままどこかに電話をかけ、向こうが出ると事の詳細を伝え。
「───はい、ですので少し遅れます。すみませんが………はい、宜しくお願いします」
通話を終わらせると、北都が消えた方を見つめた。
一方。
日本刀を手に北都が歩くこと暫く。
彼女の目には先程からどす黒いもやのようなものが見え、出所を探っているとその色が更に濃くなっていく。
しかし表の人間───非術師である北都に何故そのようなものが見えるのか?
金色の瞳は絶えずそのもやを捉え、目標がかなり近いことが分かると刀の柄に手を掛けつつ進み。
ビルとビルの間。そのちょっとした空間へと足を踏み入れた瞬間、北都がふわりと唇を開いた。
「そこまでだ」
その時。
ひっ!と情けない声を出したのはサラリーマンの男性で。尻餅をついていたのは、突然現れた北都に声を掛けられたからだ。
何故なら一般人からしてみれば呪力がなければ
更にこんな人気のない場所にひとりでいるとは、狙われるのも当たり前なのだが一般人からすると意味が分からないもので。
「な、な、何だお前は!?何でここに来たんだよ!」
その背後ではまるでエイリアンのような異形のモノが立ち、今にも男を喰らおうとしているが男に見えるはずもなく。
「動くな。じっとしててくれ」
刀の柄を静かに握った北都が、目にも止まらぬ速さで抜刀すると姿が消え。
「─────っ!!??」
男の目の前に現れた瞬間、視認することさえできなかったが斬撃を繰り出したように見えた。
「っ!」
が、女性が瞬時に上を見つめ。すぐに刀身を鞘に収めると男へ振り向く。
「早くここから去るといい。極力人が大勢いる場所を選べば大丈夫だ」
「は?だから何を言ってるのか────って、おい!」
それでも女性はすぐに走り出し、薄暗い路地の方へ消えてしまえば呆然とするしかなく。
「な、何なんだ………一体」
あと数秒遅かったら命を落としていたかもしれなかったなど、知る由もなかった。
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