万華鏡
遠くで誰かが泣いてる気がした。
辺りを見回し、気配を探す。
遠くに、ほのかに蒼く光っている小さな銀の万華鏡が見えた。後ろには、様々に色や形が変わる万華鏡の中のような模様が映し出されている。
ゆっくりと近づく。泣いてるように聞こえたのは万華鏡が回っている音だった。声のようなものもかすかに聞こえてくる。
しゃらん。「こんなもん、欲しいなんて言っとらん」
しゃらん。「普通にしとりたかっただけだ」
しゃらん。「俺をそんな目で見るな」
苦しげな、吐き出すように呟いてる低い声。万華鏡の回る音が泣いてるように聞こえてたんじゃなく、この声の主が泣いてるんだろうか?
少しだけ鼻にかかった、柔らかな聞き覚えのある声。でも、その時はもっと明るい声だった。
『…名千……さん…??』
万華鏡はひとりでに回っているのではなく、人の手の中で揺れているのだと分かった。
銀髪の幼子。年齢にそぐわない聡明さを秘めた蒼い瞳に涙を浮かべて、万華鏡を両手で握りしめている。
小さく幼い名千さんが、ぽつんと寂しげに佇んでいた。
しゃらん。「ぼくは“変“なの??」
しゃらん。「“いいな“っていうの。でも“ずるい“って。“気味が悪い“ってなあに??」
しゃらん。「みんなといっしょじゃないのは悪いことなの?」
大人の男性の低い声は、いつの間にか幼い男の子特有の高めの声に変わっていた。
しゃら、しゃら、しゃら。
幼子がきゅっと握るたびに万華鏡が揺れ、くるくると模様が変わっていく。曇った色の歪な模様。
ああ。覚えがある。
「何それ自慢?いいよねー何でも出来る人は」
「ずるいんだよ!お前なんか大した価値もないくせに」
「何であんただけそんな変わってんの?!ほんと気持ち悪い」
痛い。痛い痛い痛い。痛くて痛くて息ができない。
【言葉は刃】。いつか誰かが歌っていた。
うるせえ。黙れ。そんな【凶器】にやられてる暇は無えんだよ。
きつく目を閉じる。拳を握る。手のひらに爪が食い込んで血が滲むくらい強く。
大きく深呼吸をする。………よし。
小さな名千さんを怖がらせないように静かに屈んで目線を合わせ、ゆるゆると手招きをする。
『名千…ちゃん?こっちおいで』
急に知らない人に名前を呼ばれて驚いたのか、綺麗な蒼い瞳がちょっと大きくなる。(…逃げられちゃうかな?)っと思ったけれど怖い人じゃないと分かってくれたのか、おずおずと近づいてきて私の隣にちょこんと座った。可愛いな。
ふわふわの柔らかい銀の髪をそっと撫でる。最初だけ体が少し強張ったけれど、大人しくされるがままになっている。
『ひとりぼっちなの?』
なるべく優しく聴こえるように尋ねる。しばらく考えてるようだったけれどふるふると首を横に振る。
「かあさまもおばあちゃまもいるから」
『そっか』
こくん、と頷く。
「でも、ここ痛いの」
ぎゅっと握りしめた万華鏡を胸にあて哀しい表情でじっと見上げてくる。幼い瞳の奥から、どうしようもないある感情が流れてきて胸が締めつけられる。
しゃらしゃらと万華鏡の模様が変わる。相変わらず歪でくすんでて綺麗じゃない。
「ぼくがさわるとね、黒いもやもやが出てきて消えるの。でも、ぼくの中のもやもやは消えんの」
蒼い瞳に涙が浮かんでくる。
「とっても重たいの。これは、なあに?」
ぽろっと、涙が一粒こぼれた。
【孤独】
幼い子が抱えるには大きすぎる【孤独】が心に濃い影を落としている。【孤独】という言葉をまだ知らないから「もやもや」と言ってるんだろうと思う。もしかしたら「寂しい」ということは分かっているのかも知れないけれど、母や祖母がそばにいるのに「さみしい」なんて言ったら二人が悲しむと思って、言えないまま重く積もっていったのかもしれない。そこまで考えることができる、とても賢い優しい子だと感じる。
幼い名千さんが【孤独】を理解するのは難しいだろう。たとえ理解できたとしても、名千さんにとってはとても残酷なものになってしまう。……ただ。この子には理解できてしまえるだけの聡明さがある気がする。だからこそ伝えるのを躊躇う。
どうしよう。
「おねえちゃまも痛いの?」
どう伝えればいいか悩んでる表情が、痛いのを我慢してるように見えたのか心配そうに聞いてくる。名千さん、こんな幼い時から優しかったんだな……ん??お姉ちゃま??
驚いて顔を上げると、不安げに覗き込んでいる名千さんと目が合った。その瞳に映っていたのは名千さんよりは年上に見えるけれど、私の幼い頃によく似てる女の子だった…ってか、私だわ。中身はそのままで見た目だけ幼くなってしまったらしい。いつの間に??
いや、そんなこと考えてる場合じゃなかった。それに、今はこの姿の方が話をするのに都合がいい。
『おねえちゃんは痛くないから大丈夫だよ。優しいね、ありがと』
くしゃっと頭を撫でると、へへへっと照れたように笑ってくれた。やっと子供らしい表情が見られてほっとする。
にこにこと笑っている名千さんを見て心を決めた。
『んーとね、名千ちゃんが消してる黒いやつと、名千ちゃんの中にある重たいやつは、おんなじじゃないの』
「ちがうやつなの??」
『たぶん。だから名千ちゃんがいっしょうけんめい頑張っても消えてくれないんだと思う』
「ずっと重たいの、いや」
泣きそうな声で呟いて俯いてしまう。しゃらしゃらと万華鏡が震える。
『だからね』
俯いた顔を両手で包み、そっと私の方に向ける。涙をたたえた蒼い瞳は濁りのない宝石のようなのに、【孤独】が曇らせている。
『おねえちゃんに名千ちゃんのもやもやを少し分けてくれんかな?』
_____________________________________________
陰陽の“陽“が表に強く出れば出るほど、その裏の“陰“もまた色濃く深く沈んでいる。
どんなに周りに人がいても、どんなに必死に足掻いても、心の奥底にある【孤独】は消せるものではない。
それは嫌というほど知ってる。
でも。
せめてこの幼子の“陰“だけでも、私の持つ“陽“で照らしたいと思うのは烏滸がましいだろうか。
黒く、重く、消せない【孤独】を、ほんの少しだけでも欲しいと願うのは傲慢だろうか。
「おねえちゃまにもやもやをあげるの??そしたら重たくなくなる??」
私の言葉にきょとんとしていた名千さんの表情と声が明るくなる。
「あ、でもおねえちゃまが痛くなっちゃう……」
……ほんとに。この子は。
思わず頭を抱き寄せる。
『だいじょぶ。おねえちゃんは名千ちゃんより大きいから、痛くならんよ』
そっと、小さな手を握る。持っている万華鏡も一緒に包みこむ。
『おめめをつむって。おねえちゃんの手にもやもやを渡してくれる?』
「うん」
きゅっと目を閉じた名千さんが、一生懸命に手を握り返してくれる。
『ゆっくりでいいからね』
私も目を閉じる。
少しずつ、重く冷たいものが流れてくる。流れてくるたびに万華鏡の模様が目まぐるしく変わる。
歪んだ形。くすんだ色。
名千さんが受けた、黒い感情。
妬み、嫉み、僻み、哀れみ。怯え、そして、畏怖。
取り込んだ“それら“を自分の内で溶かしていく。
___そう。これが私の《チカラ》。
「禍祓い」で発揮された、名千さんの《触れたものを浄化(成仏?)させる力》は外に放出させているように見えたけれど、私の《チカラ》は内に入れて溶かして消すものだ。(紅音が<俺の瞳が紅いのは紫音の源にある炎の色だ>と教えてくれた)
小さな名千さんに負担が掛からないように、ゆっくりと慎重に溶かしていく。
「…おねえちゃま、あったかいねえ」
『あったかい?』
“溶かす“というのは比喩表現で、実際に炎が見えたり熱を感じることはないはずだ。
少し驚いて名千さんを見ると、どこか不安げで哀しそうだった声や表情が、本来の明るくて可愛らしいものに戻っていた。ふっくらした頬に赤みが差して、何だか心地良さげで楽しそうでさえある。
「うん。あったかくて気持ちいい」
その言葉に、なぜか泣きそうになってしまう。
良かった。ほんのちょっとだけでも、痛いのも重いのも取り除くことができたかも知れない。
ごめんね。
_____________________________________________
どれくらいの時間が経ったのだろう。
しゃらしゃらと万華鏡が揺れる音がした。名千さんがもぞもぞと動く気配がする。
「もうおめめ開けてもいい??」
『もう痛くない?』
「うん」
『重たいのもなくなった?』
「うん!」
『そっか。そしたら開けていいよ』
曇りのなくなった、綺麗な蒼い瞳。その瞳がぱあっと輝いた。
「わあ!きれい!」
名千さんの視線を追って振り向くと、さっきまでのくすんだ色や歪な形とはうって変わって、澄んだ蒼と紫の光が幾重にも重なって美しい八角形が映し出されていた。
しゃらしゃらしゃら。名千さんが万華鏡を揺らすたびに、きらきらと色が変わり八角形の大きさが変わる。
蒼が増えたり紫が強くなったり。小さな八角形が並んだかと思うと一つの大きな形になったり。
『綺麗だね…』
このまま、美しい模様のなかに留まっていられたら、どんなに安らかでいられるだろうと思う。
けれど、この美しく優しい籠はとても儚くて脆いことも知ってる。
くるくると模様が変わるのを無邪気に見ている名千さんの手をそっと離す。繋いでいた手を解かれた名千さんが不思議そうに見上げてくる。
「おねえちゃま?」
『そろそろ帰ろっか』
「どうして?もっとここにおるー」
子供らしい我儘にちょっと笑ってしまう。
『でも、呼んどるよ?』
かすかに聞こえる女性の声と、“てん…とん、とんっ…てん。“という音。
「かあさま??……ぼく、行かなかん」
そう言って声のする方へ走りかけた名千さんが、急に戻ってきた。やけに大人びた表情で見上げてくる。まるで、今の名千さんのようだ。
「またここに来てくれる?」
強い光を放った瞳で見つめられた。……やっぱり綺麗だな。
両手を包みこむように握って頷いてみせると、安心したような笑顔になった。
「いっしょにきれいなもようを見ようねっ」
小さな銀の万華鏡を振りながら駆けていく。遠く離れた姿は、徐々に頭を撫でるなんてできない185cmの名千さんに戻っていった。
________________________________________________
しゃらん。万華鏡が回る。色が変わる。模様が変わる。
しゃらん。少しでも痛みが和らぎますように。
しゃらん。少しでも“陰“が薄くなりますように。
【孤独】は消えることはないけれど。
しゃらん。少しでも長く、この儚く脆い、優しく美しい籠を守れますように。
【了】
辺りを見回し、気配を探す。
遠くに、ほのかに蒼く光っている小さな銀の万華鏡が見えた。後ろには、様々に色や形が変わる万華鏡の中のような模様が映し出されている。
ゆっくりと近づく。泣いてるように聞こえたのは万華鏡が回っている音だった。声のようなものもかすかに聞こえてくる。
しゃらん。「こんなもん、欲しいなんて言っとらん」
しゃらん。「普通にしとりたかっただけだ」
しゃらん。「俺をそんな目で見るな」
苦しげな、吐き出すように呟いてる低い声。万華鏡の回る音が泣いてるように聞こえてたんじゃなく、この声の主が泣いてるんだろうか?
少しだけ鼻にかかった、柔らかな聞き覚えのある声。でも、その時はもっと明るい声だった。
『…名千……さん…??』
万華鏡はひとりでに回っているのではなく、人の手の中で揺れているのだと分かった。
銀髪の幼子。年齢にそぐわない聡明さを秘めた蒼い瞳に涙を浮かべて、万華鏡を両手で握りしめている。
小さく幼い名千さんが、ぽつんと寂しげに佇んでいた。
しゃらん。「ぼくは“変“なの??」
しゃらん。「“いいな“っていうの。でも“ずるい“って。“気味が悪い“ってなあに??」
しゃらん。「みんなといっしょじゃないのは悪いことなの?」
大人の男性の低い声は、いつの間にか幼い男の子特有の高めの声に変わっていた。
しゃら、しゃら、しゃら。
幼子がきゅっと握るたびに万華鏡が揺れ、くるくると模様が変わっていく。曇った色の歪な模様。
ああ。覚えがある。
「何それ自慢?いいよねー何でも出来る人は」
「ずるいんだよ!お前なんか大した価値もないくせに」
「何であんただけそんな変わってんの?!ほんと気持ち悪い」
痛い。痛い痛い痛い。痛くて痛くて息ができない。
【言葉は刃】。いつか誰かが歌っていた。
うるせえ。黙れ。そんな【凶器】にやられてる暇は無えんだよ。
きつく目を閉じる。拳を握る。手のひらに爪が食い込んで血が滲むくらい強く。
大きく深呼吸をする。………よし。
小さな名千さんを怖がらせないように静かに屈んで目線を合わせ、ゆるゆると手招きをする。
『名千…ちゃん?こっちおいで』
急に知らない人に名前を呼ばれて驚いたのか、綺麗な蒼い瞳がちょっと大きくなる。(…逃げられちゃうかな?)っと思ったけれど怖い人じゃないと分かってくれたのか、おずおずと近づいてきて私の隣にちょこんと座った。可愛いな。
ふわふわの柔らかい銀の髪をそっと撫でる。最初だけ体が少し強張ったけれど、大人しくされるがままになっている。
『ひとりぼっちなの?』
なるべく優しく聴こえるように尋ねる。しばらく考えてるようだったけれどふるふると首を横に振る。
「かあさまもおばあちゃまもいるから」
『そっか』
こくん、と頷く。
「でも、ここ痛いの」
ぎゅっと握りしめた万華鏡を胸にあて哀しい表情でじっと見上げてくる。幼い瞳の奥から、どうしようもないある感情が流れてきて胸が締めつけられる。
しゃらしゃらと万華鏡の模様が変わる。相変わらず歪でくすんでて綺麗じゃない。
「ぼくがさわるとね、黒いもやもやが出てきて消えるの。でも、ぼくの中のもやもやは消えんの」
蒼い瞳に涙が浮かんでくる。
「とっても重たいの。これは、なあに?」
ぽろっと、涙が一粒こぼれた。
【孤独】
幼い子が抱えるには大きすぎる【孤独】が心に濃い影を落としている。【孤独】という言葉をまだ知らないから「もやもや」と言ってるんだろうと思う。もしかしたら「寂しい」ということは分かっているのかも知れないけれど、母や祖母がそばにいるのに「さみしい」なんて言ったら二人が悲しむと思って、言えないまま重く積もっていったのかもしれない。そこまで考えることができる、とても賢い優しい子だと感じる。
幼い名千さんが【孤独】を理解するのは難しいだろう。たとえ理解できたとしても、名千さんにとってはとても残酷なものになってしまう。……ただ。この子には理解できてしまえるだけの聡明さがある気がする。だからこそ伝えるのを躊躇う。
どうしよう。
「おねえちゃまも痛いの?」
どう伝えればいいか悩んでる表情が、痛いのを我慢してるように見えたのか心配そうに聞いてくる。名千さん、こんな幼い時から優しかったんだな……ん??お姉ちゃま??
驚いて顔を上げると、不安げに覗き込んでいる名千さんと目が合った。その瞳に映っていたのは名千さんよりは年上に見えるけれど、私の幼い頃によく似てる女の子だった…ってか、私だわ。中身はそのままで見た目だけ幼くなってしまったらしい。いつの間に??
いや、そんなこと考えてる場合じゃなかった。それに、今はこの姿の方が話をするのに都合がいい。
『おねえちゃんは痛くないから大丈夫だよ。優しいね、ありがと』
くしゃっと頭を撫でると、へへへっと照れたように笑ってくれた。やっと子供らしい表情が見られてほっとする。
にこにこと笑っている名千さんを見て心を決めた。
『んーとね、名千ちゃんが消してる黒いやつと、名千ちゃんの中にある重たいやつは、おんなじじゃないの』
「ちがうやつなの??」
『たぶん。だから名千ちゃんがいっしょうけんめい頑張っても消えてくれないんだと思う』
「ずっと重たいの、いや」
泣きそうな声で呟いて俯いてしまう。しゃらしゃらと万華鏡が震える。
『だからね』
俯いた顔を両手で包み、そっと私の方に向ける。涙をたたえた蒼い瞳は濁りのない宝石のようなのに、【孤独】が曇らせている。
『おねえちゃんに名千ちゃんのもやもやを少し分けてくれんかな?』
_____________________________________________
陰陽の“陽“が表に強く出れば出るほど、その裏の“陰“もまた色濃く深く沈んでいる。
どんなに周りに人がいても、どんなに必死に足掻いても、心の奥底にある【孤独】は消せるものではない。
それは嫌というほど知ってる。
でも。
せめてこの幼子の“陰“だけでも、私の持つ“陽“で照らしたいと思うのは烏滸がましいだろうか。
黒く、重く、消せない【孤独】を、ほんの少しだけでも欲しいと願うのは傲慢だろうか。
「おねえちゃまにもやもやをあげるの??そしたら重たくなくなる??」
私の言葉にきょとんとしていた名千さんの表情と声が明るくなる。
「あ、でもおねえちゃまが痛くなっちゃう……」
……ほんとに。この子は。
思わず頭を抱き寄せる。
『だいじょぶ。おねえちゃんは名千ちゃんより大きいから、痛くならんよ』
そっと、小さな手を握る。持っている万華鏡も一緒に包みこむ。
『おめめをつむって。おねえちゃんの手にもやもやを渡してくれる?』
「うん」
きゅっと目を閉じた名千さんが、一生懸命に手を握り返してくれる。
『ゆっくりでいいからね』
私も目を閉じる。
少しずつ、重く冷たいものが流れてくる。流れてくるたびに万華鏡の模様が目まぐるしく変わる。
歪んだ形。くすんだ色。
名千さんが受けた、黒い感情。
妬み、嫉み、僻み、哀れみ。怯え、そして、畏怖。
取り込んだ“それら“を自分の内で溶かしていく。
___そう。これが私の《チカラ》。
「禍祓い」で発揮された、名千さんの《触れたものを浄化(成仏?)させる力》は外に放出させているように見えたけれど、私の《チカラ》は内に入れて溶かして消すものだ。(紅音が<俺の瞳が紅いのは紫音の源にある炎の色だ>と教えてくれた)
小さな名千さんに負担が掛からないように、ゆっくりと慎重に溶かしていく。
「…おねえちゃま、あったかいねえ」
『あったかい?』
“溶かす“というのは比喩表現で、実際に炎が見えたり熱を感じることはないはずだ。
少し驚いて名千さんを見ると、どこか不安げで哀しそうだった声や表情が、本来の明るくて可愛らしいものに戻っていた。ふっくらした頬に赤みが差して、何だか心地良さげで楽しそうでさえある。
「うん。あったかくて気持ちいい」
その言葉に、なぜか泣きそうになってしまう。
良かった。ほんのちょっとだけでも、痛いのも重いのも取り除くことができたかも知れない。
ごめんね。
_____________________________________________
どれくらいの時間が経ったのだろう。
しゃらしゃらと万華鏡が揺れる音がした。名千さんがもぞもぞと動く気配がする。
「もうおめめ開けてもいい??」
『もう痛くない?』
「うん」
『重たいのもなくなった?』
「うん!」
『そっか。そしたら開けていいよ』
曇りのなくなった、綺麗な蒼い瞳。その瞳がぱあっと輝いた。
「わあ!きれい!」
名千さんの視線を追って振り向くと、さっきまでのくすんだ色や歪な形とはうって変わって、澄んだ蒼と紫の光が幾重にも重なって美しい八角形が映し出されていた。
しゃらしゃらしゃら。名千さんが万華鏡を揺らすたびに、きらきらと色が変わり八角形の大きさが変わる。
蒼が増えたり紫が強くなったり。小さな八角形が並んだかと思うと一つの大きな形になったり。
『綺麗だね…』
このまま、美しい模様のなかに留まっていられたら、どんなに安らかでいられるだろうと思う。
けれど、この美しく優しい籠はとても儚くて脆いことも知ってる。
くるくると模様が変わるのを無邪気に見ている名千さんの手をそっと離す。繋いでいた手を解かれた名千さんが不思議そうに見上げてくる。
「おねえちゃま?」
『そろそろ帰ろっか』
「どうして?もっとここにおるー」
子供らしい我儘にちょっと笑ってしまう。
『でも、呼んどるよ?』
かすかに聞こえる女性の声と、“てん…とん、とんっ…てん。“という音。
「かあさま??……ぼく、行かなかん」
そう言って声のする方へ走りかけた名千さんが、急に戻ってきた。やけに大人びた表情で見上げてくる。まるで、今の名千さんのようだ。
「またここに来てくれる?」
強い光を放った瞳で見つめられた。……やっぱり綺麗だな。
両手を包みこむように握って頷いてみせると、安心したような笑顔になった。
「いっしょにきれいなもようを見ようねっ」
小さな銀の万華鏡を振りながら駆けていく。遠く離れた姿は、徐々に頭を撫でるなんてできない185cmの名千さんに戻っていった。
________________________________________________
しゃらん。万華鏡が回る。色が変わる。模様が変わる。
しゃらん。少しでも痛みが和らぎますように。
しゃらん。少しでも“陰“が薄くなりますように。
【孤独】は消えることはないけれど。
しゃらん。少しでも長く、この儚く脆い、優しく美しい籠を守れますように。
【了】
1/1ページ
