白球とリフティングとモンゴル高原と

【アテンション】
 ※本作品には、公式未実装の競走馬をモデルにしたウマ娘と、作者による独自のキャラクター解釈・捏造が含まれますので、苦手な方はご注意ください。
 


 世界というものは、時に逃げ出したくなるほど不親切にできている。例えば、どんなに気持ちよく風を切って走っていても、途中で折り合いがつかなくなって失速したり、後続に一気に飲まれたり、あるいは次走の予定がいつまで経っても決まらなかったりする。

 春の柔らかな日差しが注ぐ河川敷で、メイショウタバルは土手に寝転がり、流れる雲を眺めていた。

 先日のGⅡレース。掛かってハナに立ち、そのまま大逃げを打ったものの、最後の直線で絵に描いたような惨敗を喫した。自分の不甲斐なさと、これからの身の振り方について考えると、どうしても溜息が漏れる。


「タバルさん、ちょっと良いですか」

 頭上から聞こえた上品な声に目を開けると、そこにはメジロマックイーンが立っていた。名門の令嬢にふさわしい美しい立ち姿――ただし、その右手にはなぜか、使い込まれた野球の革グローブが握られている。

「マックイーンさん? それは……」

「キャッチボールですわ。一緒に汗を流しませんか」

 タバルはすぐに察した。先輩なりの不器用な気遣いだ。自分がレースの敗戦で落ち込んでいると思って、気分転換に付き合おうとしてくれているのだ。別に野球が好きというわけではなかったが、その優しさが嬉しくて「あ、はい」と起き上がろうとした。


「よう。タバル、良かったらリフティングをやってみないか」

 別の方向から、擦れた声が飛んできた。ステイゴールドだ。両手でしっかりとサッカーボールを抱えている。

「あ……ステゴさん」

「なんだ、先約がいたのか」

 ステイゴールドは足を止めた。マックイーンがすかさずグローブを構え直し、静かな圧をかける。

「ステイゴールドさん。タバルさんは今、私と白球を追う約束をするところでしたの。タバルさんのあの圧倒的な身体能力……もし将来、ウマ娘によるプロ野球球団が設立された際、彼女は球界の歴史を変えるスラッガーになれる潜在能力を秘めています。いずれメジロ家が球団を所有した暁には、彼女はその象徴となるべき人材ですわ」

「おいおいマックイーン、話のスケールが急に資本主義的だな」

 ステイゴールドは苦笑いしながらボールを小突いた。

「いいかタバル。サッカーってのは言葉が要らないんだ。ボールが一つあってリフティングの小技の一つでも出来れば、たとえ言葉の通じない世界の果てへ旅に出たって、現地のやつらと一瞬で友人になれる。旅の護身術みたいなもんだ。覚えておいて損はないぞ」

「旅に出る予定は、今のところ無いのですが……」

「世界は広いんだぞタバル!」

 マックイーンの「将来のメジロ球団構想」と、ステイゴールドの「グローバル草サッカー理論」が河川敷で真っ向から衝突し、押し問答が始まった。タバルが途方に暮れかけたその時、第三の刺客が現れた。


「おー、待たせたなタバル! モンゴル相撲の特訓の時間だぞ!」

 やってきたゴールドシップは、明らかに日本の河川敷に存在してはいけない衣装――モンゴル相撲の伝統衣装風のベストとロンパンを身に纏っていた。タバルは目が点になった。

「え……ゴルシさん、それ何ですか?」

「何ですかじゃねえよ。お前が数日前、神妙なツラしてアタシに言ったんだろ。『やっぱり自分、モンゴル相撲でアヴァラガ(大横綱)を目指したいです』ってよ。……熱い決意表明だったぜ」

「……え? そんなこと言いましたっけ……?」

 タバルは本気で自分の記憶を疑い始めた。レースのショックで記憶の一部が飛んでしまったのだろうか。大逃げの反動でモンゴル相撲への情熱が芽生えてしまったのだろうか。

「タバルさん、騙されないでください!」

 マックイーンが鋭い声を張り上げた。

「この方は、さもあったかのように嘘をついているだけです! 彼女の脳内設定に付き合ってはいけません!」

「嘘じゃねえ! タバルの目を見ろ! 完全にモンゴル高原の風を感じてる目をしてるだろうが!」

「感じていませんわ!!」

 野球、サッカー、モンゴル相撲。三人の先輩がタバルという存在をダシにして、ぎゃーぎゃーと不毛な主張をぶつけ合っている。その光景はまるで、セールスマンたちが一つの物件を取り合っているかのようだった。

 ——逃げよう。

 タバルがそう決意した瞬間、河川敷の上の舗装道路を、一筋の風のように通り抜けていくシルエットが見えた。サイレンススズカだ。無駄のない、美しく滑らかなランニングフォーム。タバルは吸い寄せられるように土手を駆け上がり、彼女の後ろ姿を追った。


「スズカさん!」

 スズカは足を止め、ゆっくりと振り返った。少し息を整えながら、タバルの顔を静かに見つめる。

「……タバルさん」

「あ、すみません。走っているところを……」

「いいえ」スズカは首を振った。「……先日のレース、見ました」

 タバルの肩がキュッとすくむ。またあの失速の瞬間を思い出して胸が痛む。しかし、スズカの瞳に冷ややかな色は一切なかった。

「私もね、最初は上手くいかないことばかりだったの」

 スズカは遠くの景色を見つめながら、静かな声で言った。

「自分の走り方が分からなくて、力任せに走って、途中でバテて……たくさん失敗したわ。でもね、自分のやりたい走りを諦めなかったから、今の私があると思うの」

「スズカさん……」

「あなたは、逃げたんじゃないわ。前へ行こうとしたのよ。……あなたが本気で自分の走りを信じて前だけを見たら、世界中の誰よりも速いと、私は思うわ」

 その言葉は、どんな慰めよりも深く、まっすぐにタバルの胸に刺さった。河川敷に吹き抜ける春風が、先ほどまで重かった脚をすっと軽くしてくれる気がした。

「……僕、もう一回走ってみます。スズカさん、一緒に走らせてもらってもいいですか?」

「ええ、もちろん。行きましょう」

 二人は並んで、爽やかな春の風を切って走り出した。そこには迷いも、怪しいプロ球団の勧誘も、モンゴル相撲もなかった。ただ純粋な、疾走だけがあった。

   
 

 一方、土手の下では。

「いいかマックイーン! リフティングをしながらボールを落とさずに相手を投げ飛ばし、そのままホームベースを踏んだ奴が勝ちだ!」

「望むところですわ! メジロ家の意地にかけて、その理不尽な競技でトップに立ってみせます!」

「おいゴルシ、お前のその腰布、掴みづらいんだよ!」

「それがモンゴル相撲の極意だバカヤロー!」

 三人は、リフティングと格闘技と野球が奇跡の悪魔合体を遂げた『謎ゲーム』に夢中になり、砂ボコリを上げて暴れていた。自分たちが奪い合っていた肝心のメイショウタバルが、とっくに憧れの先輩と遠くへ走り去ってしまっていることに彼女らが気づくのは、それから一時間も後のことである。
          
  


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 本作は「ウマ娘 プリティーダービー」の二次創作小説です。ゴールドシップとサイレンススズカの二人が織りなす物語を綴っています。
※本作は公式とは一切関係のないファンによる非営利の創作物です。無断転載はお控えください。
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