熱帯の百物語・ナイト・エレクトリック
「いいか、よく聞け。夏という季節はな、そもそも『理不尽』と『蒸し暑さ』が密約を交わして作った巨大なオーブンなんだ。アタシたちは今、その中で焼かれる前の食パンのような扱いを受けているわけだ」
ゴールドシップは、扇風機の首振りを強制停止させ、己の顔面に風を直撃させながらそう言い放った。場所は、今回の夏合宿先である、とある地方のオンボロ旅館。創業何年だか知らないが、間違いなく昭和の香りどころか、明治の遺物が混ざっていそうな雰囲気がある。
何より致命的なのは、就寝時間の直前、この部屋のエアコンが「ヴゥゥン……」という死にかけの老人のような唸り声を上げたきり、冷気を吐き出すという重大業務を辞職したことだ。窓を全開にしても、外から入ってくるのは湿気を含んだ生温い夜風だけ。畳の上に、チームスピカの面々が、川の字になって雑魚寝をしている。
「……暑いですねぇ」
スペシャルウィークが、タオルケットを跳ね除けながらぼやいた。
「窓から入ってくる風さえ、なんかこう、誰かが口を開けて溜息をついてるみたいで」
「例えが具体的すぎて余計に暑いよ」
ダイワスカーレットが、手元の団扇を激しく仰ぐ。
「ていうか、本当にエアコン直らないの?トレーナーさんがさっき『直す!』って言ってから旅館を飛び出して、一時間は経ってるんだけど」
「どうせ今頃、自力で業者探そうと夜の山道に飛び出して、暗闇で迷子になってんじゃねえか?」
ウオッカがニヤニヤしながら言う。
「あるいは、機械に詳しい幽霊を説得中か」
「幽霊、か」
トウカイテイオーが、ガバッと上半身を起こした。
「ねえ、みんな。暑いときこそ、背筋が凍るような話をして涼むのが一番じゃない?夏の定番、怪談話大会!」
その言葉に、部屋の空気が一瞬だけピリリと凍りついた。いや、気温は下がらないが、気分的な温度が下がった気がした。
「怪談、か」
サイレンススズカが、横になったまま天井を見つめる。
「……いいですね。今の蒸し暑さを忘れられるなら、聞いてみたいです」
ゴルシは膝を抱え、ニヤリと笑った。
「面白そうじゃねえか。じゃあアタシからルールを決めるぞ。一番怖くない話をした奴は、明日の早朝トレーニングで、一番長い坂道を全力疾走する。どうだ?」
「受けて立つわ!」
ダイワスカーレットが即答した。
「あたしが最強の恐怖を見せてあげる」
こうして、灼熱のオンボロ旅館にて、無駄にハイテンションな怪談大会の火蓋が切って落とされた。
先手:スペシャルウィークの「境界線上の決断」
「じゃあ、私からいきますね」
スペシャルウィークが真面目な顔で正座した。懐中電灯の光を顔の下から当てている。白い光が彼女の顔を不気味に引き立てていた。
「あれは、ある日のトレーニングの後のことでした。その日は本当に、トレーナーさんが鬼に見えるくらいハードなメニューで、私、心も体もボロボロだったんです。それで、自分のカバンに忍ばせてあった『おにぎり』の存在を完全に忘れてしまっていたんですよ」
「おにぎり」とマックイーンが小さく復唱した。彼女のレーダーが食べ物に反応したらしい。
「それから数日後のことです。カバンを整理していた私は、見てしまったんです。銀色のアルミホイルに包まれた、見覚えのある球体を。それはまさに、あの『おにぎり』でした。私は恐怖しました。何日も放置したおにぎりですよ?その中身がどうなっているか、想像するだけで背筋が凍りました。私はそれをゴミ箱に捨てるべきか、それとも……」
「それとも?」とテイオーが訊く。
「——食べるべきか。私は決断を迫られました。アルミホイルを開けるとき……まるで時限爆弾のコードを切るような気分でした。もしも変な匂いがしたら、もしも酸っぱくなっていたら、私のお腹は……世界は……崩壊するのではないかと。私は目を閉じ、覚悟を決めて、そのおにぎりを口に放り込みました」
部屋が一瞬、静まり返る。
「……で?どうなったんだよ」ウオッカが促す。
「何ともなかったです!梅干しって本当に偉大ですね! 終わりです!」
スペシャルウィークは満面の笑みで締めくくった。ゴルシは静かに団扇で彼女の額を叩いた。
「おい、スペ。それのどこが怪談だ。ただの『賞味期限チャレンジ』だろうが。坂道ダッシュの一番手はお前で決まりだな」
「ええーっ?!怖かったんですよ!本当に怖かったんですから!」
二番手:サイレンススズカの「3分間の奇跡」
「次は私ですね」
スズカが静かに身を起こした。彼女のトーンはいつだって一定で、それが逆にサスペンス小説に出てくる、淡々とした暗殺者みたいな雰囲気を醸し出す。
「ある日、私はスーパーへ買い物に出かけたんです。日用品をいくつかカゴに入れて、レジに並んで、さあ会計という時に気づきました——財布がない、って」
「あー、それは焦るやつね」とスカーレットが頷く。
「心臓が跳ね上がりました。冷や汗が流れて、レジの店員さんの視線が、まるで鋭いナイフのように感じて……私はその瞬間、こう提案しようと思いました。『店員さん、私を信じてください。今から3分で寮まで往復ダッシュして戻ってきます。私の脚なら可能です』と」
「言いかねないのが怖いですわね」マックイーンが呟く。
「でも、その言葉を口にする直前、私の脳裏にある記憶がフラッシュバックしました。そのスーパーのポイントカードの存在です。私は震える手でスマホのアプリを開き、恐る恐るポイントの残高を確認しました。——もし足りなければ、私は3分間の限界ダッシュに身を投じるしかない。画面が表示されるまでの数秒間、私は人生で一番深い恐怖を味わいました」
スズカは一度言葉を切り、皆の顔を見回した。
「結果は——画面には、ちょうど会計分のポイントが残っていました。私はポイントで支払いを済ませ、何事もなかったかのように店を出ました。……怖かったです」
「どこがだよ!」ゴルシはすかさずツッコんだ。
「ただのポイ活の成果じゃねえか!スズカ、お前走りたいがためにわざとダッシュの言い訳作ろうとしてただろ?」
「そんなことありません。心からゾッとしたんですから」
スズカは涼しい顔でまた横になった。
三番手:トウカイテイオーの「冷徹なる笑みの裏側」
「ある日の放課後、ボクは生徒会室の会長を訪ねようとしたんだ。ドアの前まで行ったら、中から話し声が聞こえてね。覗いてみたら、会長が副会長のエアグルーヴと話をしていたんだ。ボクは『あ、また会長が変なダジャレを言って、エアグルーヴを困らせているのかな』って思って」
「日常茶飯事ですわね」マックイーンが溜息をつく。
「そう。でも違ったんだ。ドアの隙間から見えたエアグルーヴは……笑っていたんだよ。しかも、クスクス、とかじゃなくて、『ふふ、ふははははは!』って、謎のテンションで笑っていたんだよ。いつもの厳しいエアグルーヴじゃないみたいで、ボクは鳥肌が立ったよ。何かに取り憑かれているんじゃないかって。会長と別れた後、ボクは勇気を出して廊下でエアグルーヴに訊ねてみたんだ。『さっき、なんで笑っていたの?』って」
テイオーは声を潜め、おどろおどろしい口調を作る。
「そしたらエアグルーヴ、虚ろな目でボクを見てこう言ったんだ。『……実はここ数日、深刻な寝不足でな。その状態で会長のダジャレを聞いたら、脳の防衛本能が壊れたのか、謎のトランス状態に入って笑いが止まらなくなったのだ』って。……ね?寝不足って本当に怖いよね!」
「……エアグルーヴ可哀想に」
スズカが心底同情した様子でぽつりと呟いた。
ゴルシは天井を仰ぎながら言った。
「それ、一番怖いのは寝不足じゃなくてルドルフのダジャレの破壊力だろ。生徒会業務じゃなくて労災申請を出すべき事案だぞ」
「でもボクはあの笑い顔、夢に出そうなくらい怖かったんだもん!」テイオーは不満げに枕に顔を埋めた。
四番手:ウオッカの「マシーン・メタモルフォーゼ」
「俺の話は、俺の身に起きた不可解な事件だ」
ウオッカが腕を組んで、深刻な面持ちで語り出した。
「最近、妙なことがあったんだ。俺は元々、幽霊とか不思議な事象はあまり信じないタチなんだが……俺の所有するバイクのことだ。ほら、知り合いのバイク屋のオヤジから譲ってもらったやつ。いつか免許を取ったら、この相棒に跨ってどこまでも駆けていくんだっていう夢を抱きながら、俺は毎日、早朝トレーニングの前にそいつを磨くのを日課にしてるんだ」
「良い心がけね」とスカーレットが珍しく褒める。
「だが、ある朝のことだ。いつも通りバイク置き場に行って、カバーを外したんだ。そしたら……そこにバイクはなかった」
「ぬ、盗まれた!?」スペが叫ぶ。
「俺もそう思った。だが違うんだ。バイクがあったはずの場所、暗証番号が解除されたタイヤロックの輪の中に、佇んでいたんだよ。……バイクのタンクの光沢に、よーーく似た、一匹の『カブト虫』がな」
ゴルシは眉をひそめた。嫌な予感がする。
「俺は硬直した。そして考えたんだ。もしかして、俺が毎日毎日そいつを磨き、話しかけていくうちに、何かが起きたんじゃないかって。あのバイクは、実は何かの呪いで姿を変えられていて、俺の愛が限界突破した瞬間に呪いが解け、本当の姿を見せたんじゃないかって!」
ゴルシは冷ややかな視線をウオッカに送った。
「とりあえずその日は、脳の処理が追いつかなくて、一旦その場を離れてトレーニングに向かったんだ。で、戻ってきたら……バイクがまたそこにあったんだよ!カブト虫は消えてた!」
ウオッカは拳を握りしめる。
「俺は確信したね。あのカブト虫は間違いなく俺の相棒だ。……だが、現実的な『盗難および悪質な悪戯』の可能性も含めて、いま風紀委員に報告をしているところだ」
ゴルシは小さく息を吐き、言った。
「ウオッカ、それは……第一章の#13参照ってやつだな」
「なんて?」ウオッカが怪訝そうな顔をする。
「何でもない。ただの構成上の都合だ。次、マックイーン行け」
五番手:メジロマックイーンの「マウンド上の深淵」
「私の番ですわね」
マックイーンが上品に居住まいを正した。だが、その目はすでに怪談のそれではなく、完全にスタジアムの熱気に支配されていた。
「あれは、私の贔屓の野球チームの、個人的注目株である若手ピッチャーが、プロ初登板を果たした試合のことですわ。彼は素晴らしい立ち上がりを見せ、回を追うごとに相手打線を完璧に抑え込んでいきました。そして迎えた9回表、ツーアウト。あと一人抑えれば、プロ初登板にして『ノーヒットノーラン』という歴史的偉業を達成するか否かという、まさにその瞬間です!」
マックイーンの拳に力が入る。団扇が小刻みに震えている。
「私はテレビの前で、興奮と、そして底知れぬ恐怖を交えながら画面を見つめていました。もし実況のアナウンサーがうっかり『いよいよ大記録達成か!?』なんてフラグを立てる言葉を口にしてしまったら!?……案の定、それを口にした直後、初安打を打たれたあの瞬間……あれは実況席による呪いの類ですわ!まさにこれこそが真の『恐怖』……!」
「マックイーン」ゴルシは冷酷に遮った。
「怖くも何ともねえよ。ただの熱狂的なプロ野球ファンの心理描写だろ」
「何をおっしゃいますの!あの瞬間のファンの精神状態は、世界中のどのホラー映画よりもホラーですわよ!」
「主観が強すぎるんだよ!」
六番手:ゴールドシップの「密室のタイムリミット」
「よし、じゃあアタシの番だな」
ゴルシは不敵な笑みを浮かべた。全員の視線がゴルシに集まる。
「この合宿に来る少し前のことだ。アタシのルームメイトのステイゴールドがさ、久々に長い旅から帰ってきたんだよ。その時いくつかのお土産を持ってきた。その中に、ある高山性の植物の『種』があったんだ」
「植物の種?」スズカが少し興味を示した。
「そう。ステゴが言うには、そいつは正しく育てて花が咲いたら、それはそれは見事な、宇宙の真理を凝縮したような美しい花を見せるらしい。ただし、だ。育てるにはものすごくシビアな温度管理と光量が必要で、一分一秒でも適正温度から外れたら一瞬で枯れるっていう、ひどく繊細な代物だったんだよ。説明を終えると、ステゴは『じゃ、あとはよろしく』ってまた旅に出ちまった」
「無責任ですねぇ」とスペ。
「アタシはネットでいろいろと調べてさ、そいつのために必要な家電を揃えたんだ。部屋のエアコンを最新のやつに追加換装して、24時間フル稼働。さらに植物用の特殊LED照明を何機も設置して、毎日毎日、水温や湿度を管理して、その植物の開花を待ち侘びていたわけだ」
ゴルシはそこで、声を一段と低くした。部屋の生温い空気が、心なしか重くなる。
「そして……アタシはこの合宿を迎えた。このオンボロ旅館に着いて、エアコンがぶっ壊れて、みんなで『暑い暑い』って雑魚寝をしている今この瞬間に……アタシは気づいてしまったんだ」
「何を……?」テイオーが唾を飲む。
「アタシはこの合宿で『数日間、部屋を空ける』ってことをすっかり失念してたんだ。長期不在用の給水装置も組んでなけりゃ、タイマー設定もしてねえ」
部屋に沈黙が流れる。
「……それのどこが怪談なのよ」スカーレットが呆れたように言う。「ただの不始末じゃない」
「バカ言え!高出力のLED照明と業務用エアコンだけが、密室でフルパワー稼働し続けているんだぞ?合宿が終わってドアを開けた時、その高山植物が枯れ果てているのか、それとも熱と光で狂い咲いて部屋中が怪異なジャングルと化しているのか……帰ってドアを開けるのが、アタシは怖くてたまらんのだよ」
「それはただの自業自得よ!」スカーレットがピシャリと言い放った。「はい、ゴルシも坂道ダッシュ決定!」
七番手:ダイワスカーレットの「本物の怪異」、そして……
「もう!みんな、賞味期限切れのおにぎりだの、財布を忘れただの、まともな『怪談話』を一つもしてないじゃない!あたしが本当のお手本を見せてあげるわ!」
スカーレットがイライラした様子で立ち上がり、部屋の唯一の豆電球の紐を引っ張って完全に消した。部屋は窓から差し込む月光だけになり、一気に不気味な雰囲気が増す。
「これは、この旅館に古くから残っている日記に書かれていた話よ……」
スカーレットの声は、今までの誰よりも堂に入っていた。
「ある夏の日、この部屋に泊まったウマ娘が、夜中にふと目を覚ますと、天井の隅に、髪の長い女の人が張り付いていたの。その女の人は、ゆっくりと顔をこちらに向けて、血の涙を流しながら、何かを探すように部屋中を見回していたわ。ウマ娘は恐怖で身動きが取れず、ただ息を潜めていたの。すると、その女の人が、ゆっくりと天井を這いながら、彼女の真上までやってきて――」
スピカの面々が、今度こそ本気で身をすくめる。スペはスズカの背中に隠れ、ウオッカも無言で拳を握りしめている。
「そこで聞こえたの。その女の人の引き裂くような悲鳴が――」
「――キャアアアアアアアアアアアアアア!!!」
その瞬間、本当に、部屋のどこからか、甲高く不気味な女性の悲鳴らしきものが響き渡った。
「うわあああああああ!出たぁぁぁ!」テイオーが叫ぶ。
「いやあああ!本当に聞こえたじゃないのよ!」スカーレット自身が一番驚いて飛び上がった。
スズカとスペが抱き合ってパニックに陥る中、ゴルシは暗闇の中でポケットをごそごそと探った。
ピッ。
悲鳴がピタリと止まる。
「すまんすまん、これアタシのスマホのメッセージ着信音だわ。いやー、立体音響のクオリティが高くて臨場感あったな!」
ゴルシはケラケラと笑いながら部屋の電灯をつけた。部屋中に緊張の糸が切れ、マックイーンが般若のような顔でゴルシに詰め寄ってきた。
「ゴールドシップさん……悪戯にしては悪趣味が過ぎますわ。というか、そんな禍々しい着信音、一体誰からのメッセージですの?」
「いやいや、これは宇宙からの怪電波っていうか、冥王星の彼方からの知的生命体のささやき声で――」
「見せなさい!」
マックイーンがゴルシの手から素早くスマホをひったくった。
「ちょっと、マックイーン、プライバシーの侵害って言葉を知らな――」
画面を凝視したマックイーンの顔から、すうっと血の気が引いていくのが分かった。彼女の瞳が、文字通りホラー映画の登場人物のように見開かれる。
「……マックイーンさん?どうかしましたか?」スズカが怪訝そうに覗き込む。
「……風紀委員、フェノーメノさんからのメッセージですわ」
マックイーンは震える声で読み上げた。
「え?」ウオッカが反応する。マックイーンは冷たい汗を流しながら、続ける。
『ゴルシさん。以下の内容について、非常に重大な嫌疑がかけられております。合宿後、速やかに風紀委員室への出頭を命じます。
一、ウオッカさんのバイクの盗難届について(※現在、バイクから貴方の指紋が検出されております)
二、貴方の寮の部屋の電気使用量が、今月、学園全体の1割に匹敵する異常な数値を叩き出した事について
以上の点から、風紀委員会では、貴方が【バイクを窃盗し、部屋で高出力の違法植物を栽培・密造している】可能性が極めて高いと判断しました。言い訳は委員室で聞きます。なお、超過分の電気代は全額自己負担となりますのでご承知おきください』
部屋に、この日一番の、そしてエアコンの故障など目じゃないほどの圧倒的な「静寂」と「恐怖」が訪れた。
ウオッカがゆっくりとゴルシの方へ振り向く。その目は怒りの炎で赤く燃えていた。
「おい……ゴルシ、俺のバイク……カブト虫に変身したんじゃなくて、お前が盗んでたのかよおおおお!」
「ち、違うんだウオッカ!あれは第一章の#13、つまり『宇宙の真理を探すために一時的に借用した』という伏線でだな!」
「知るかアホンダラァ!」
掴みかからんばかりのウオッカに対し、それまで静観していたスズカが、そっと手を挙げた。
「……ウオッカさん。バイクの件については、後で私から詳しく補足します。……たぶん、私にも少し心当たりがあるので」
「えっ、スズカが!?」
ウオッカが毒気を抜かれたように目を丸くする。スカーレットが頭を抱えて深々と溜息をつく。
「バイクの件は百歩譲って解決したとして、問題はこっちよ!自室に業務用エアコンとLEDを持ち込んで風紀委員に違法栽培を疑われてるじゃないの!」
「だから怪しい草じゃないって言ってるだろ!アタシは純粋な園芸家だ!被害者はアタシだ!」
マックイーンが冷ややかな視線をスマホに向けたまま、静かに追撃を加える。
「……それよりゴールドシップさん。『超過分は全額自己負担』と書いてありますわよ。学園全体の1割の電気代……一体いくらになるのでしょうか?」
ゴルシの顔から、一瞬で血の気が引いた。寮の光熱費はタダだと思い込んでいたが、利用規約の第13条――『著しい超過分は実費徴収とする』という細かい特記事項を、今更思い出してしまったのだ。
「ひ、ひえええええ!違法栽培の疑いより請求書の方が百倍怖ええええ!」
「ゴールドシップさん。明日の早朝ダッシュは、あなたが一人で学園の風紀委員室まで走りなさい」
ゴルシは藁にもすがる思いで、隣のスズカの肩を掴んだ。
「スズカ!助けてくれ!一緒にこの無慈悲な重力と請求書を捻り潰してくれよ!」
ゴルシの必死の叫びに、スズカは困ったように眉を下げ、優しく、でもどこか申し訳なさそうにゴルシの手の上に自分の手を重ねた。
「……ゴルシ。助けてあげたいのですが、重力からは走って逃げられるかもしれないけれど、学園の規約と請求書からは逃げられないと思うので……私、風紀委員室まで、一緒に付き添ってダッシュしてあげることくらいしかできません」
「うう、優しいなぁ……って、お前は結局走りたいだけなんだろぉ!!」
生温い夜風が、オンボロ旅館の部屋を通り抜けていく。エアコンは直らなかったが、ゴルシの未来は見事なまでに絶対零度で凍りついた。
「誰か……地球の裏側のラッキーな奴……アタシの電気代払ってくれぇぇぇ!!」
ゴルシの悲鳴は、満点の星空へと虚しく消えていった。もちろん、誰も助けてはくれなかった。
——————————
本作は「ウマ娘 プリティーダービー」の二次創作小説です。ゴールドシップとサイレンススズカの二人が織りなす物語を綴っています。
※本作は公式とは一切関係のないファンによる非営利の創作物です。無断転載はお控えください。
ゴールドシップは、扇風機の首振りを強制停止させ、己の顔面に風を直撃させながらそう言い放った。場所は、今回の夏合宿先である、とある地方のオンボロ旅館。創業何年だか知らないが、間違いなく昭和の香りどころか、明治の遺物が混ざっていそうな雰囲気がある。
何より致命的なのは、就寝時間の直前、この部屋のエアコンが「ヴゥゥン……」という死にかけの老人のような唸り声を上げたきり、冷気を吐き出すという重大業務を辞職したことだ。窓を全開にしても、外から入ってくるのは湿気を含んだ生温い夜風だけ。畳の上に、チームスピカの面々が、川の字になって雑魚寝をしている。
「……暑いですねぇ」
スペシャルウィークが、タオルケットを跳ね除けながらぼやいた。
「窓から入ってくる風さえ、なんかこう、誰かが口を開けて溜息をついてるみたいで」
「例えが具体的すぎて余計に暑いよ」
ダイワスカーレットが、手元の団扇を激しく仰ぐ。
「ていうか、本当にエアコン直らないの?トレーナーさんがさっき『直す!』って言ってから旅館を飛び出して、一時間は経ってるんだけど」
「どうせ今頃、自力で業者探そうと夜の山道に飛び出して、暗闇で迷子になってんじゃねえか?」
ウオッカがニヤニヤしながら言う。
「あるいは、機械に詳しい幽霊を説得中か」
「幽霊、か」
トウカイテイオーが、ガバッと上半身を起こした。
「ねえ、みんな。暑いときこそ、背筋が凍るような話をして涼むのが一番じゃない?夏の定番、怪談話大会!」
その言葉に、部屋の空気が一瞬だけピリリと凍りついた。いや、気温は下がらないが、気分的な温度が下がった気がした。
「怪談、か」
サイレンススズカが、横になったまま天井を見つめる。
「……いいですね。今の蒸し暑さを忘れられるなら、聞いてみたいです」
ゴルシは膝を抱え、ニヤリと笑った。
「面白そうじゃねえか。じゃあアタシからルールを決めるぞ。一番怖くない話をした奴は、明日の早朝トレーニングで、一番長い坂道を全力疾走する。どうだ?」
「受けて立つわ!」
ダイワスカーレットが即答した。
「あたしが最強の恐怖を見せてあげる」
こうして、灼熱のオンボロ旅館にて、無駄にハイテンションな怪談大会の火蓋が切って落とされた。
先手:スペシャルウィークの「境界線上の決断」
「じゃあ、私からいきますね」
スペシャルウィークが真面目な顔で正座した。懐中電灯の光を顔の下から当てている。白い光が彼女の顔を不気味に引き立てていた。
「あれは、ある日のトレーニングの後のことでした。その日は本当に、トレーナーさんが鬼に見えるくらいハードなメニューで、私、心も体もボロボロだったんです。それで、自分のカバンに忍ばせてあった『おにぎり』の存在を完全に忘れてしまっていたんですよ」
「おにぎり」とマックイーンが小さく復唱した。彼女のレーダーが食べ物に反応したらしい。
「それから数日後のことです。カバンを整理していた私は、見てしまったんです。銀色のアルミホイルに包まれた、見覚えのある球体を。それはまさに、あの『おにぎり』でした。私は恐怖しました。何日も放置したおにぎりですよ?その中身がどうなっているか、想像するだけで背筋が凍りました。私はそれをゴミ箱に捨てるべきか、それとも……」
「それとも?」とテイオーが訊く。
「——食べるべきか。私は決断を迫られました。アルミホイルを開けるとき……まるで時限爆弾のコードを切るような気分でした。もしも変な匂いがしたら、もしも酸っぱくなっていたら、私のお腹は……世界は……崩壊するのではないかと。私は目を閉じ、覚悟を決めて、そのおにぎりを口に放り込みました」
部屋が一瞬、静まり返る。
「……で?どうなったんだよ」ウオッカが促す。
「何ともなかったです!梅干しって本当に偉大ですね! 終わりです!」
スペシャルウィークは満面の笑みで締めくくった。ゴルシは静かに団扇で彼女の額を叩いた。
「おい、スペ。それのどこが怪談だ。ただの『賞味期限チャレンジ』だろうが。坂道ダッシュの一番手はお前で決まりだな」
「ええーっ?!怖かったんですよ!本当に怖かったんですから!」
二番手:サイレンススズカの「3分間の奇跡」
「次は私ですね」
スズカが静かに身を起こした。彼女のトーンはいつだって一定で、それが逆にサスペンス小説に出てくる、淡々とした暗殺者みたいな雰囲気を醸し出す。
「ある日、私はスーパーへ買い物に出かけたんです。日用品をいくつかカゴに入れて、レジに並んで、さあ会計という時に気づきました——財布がない、って」
「あー、それは焦るやつね」とスカーレットが頷く。
「心臓が跳ね上がりました。冷や汗が流れて、レジの店員さんの視線が、まるで鋭いナイフのように感じて……私はその瞬間、こう提案しようと思いました。『店員さん、私を信じてください。今から3分で寮まで往復ダッシュして戻ってきます。私の脚なら可能です』と」
「言いかねないのが怖いですわね」マックイーンが呟く。
「でも、その言葉を口にする直前、私の脳裏にある記憶がフラッシュバックしました。そのスーパーのポイントカードの存在です。私は震える手でスマホのアプリを開き、恐る恐るポイントの残高を確認しました。——もし足りなければ、私は3分間の限界ダッシュに身を投じるしかない。画面が表示されるまでの数秒間、私は人生で一番深い恐怖を味わいました」
スズカは一度言葉を切り、皆の顔を見回した。
「結果は——画面には、ちょうど会計分のポイントが残っていました。私はポイントで支払いを済ませ、何事もなかったかのように店を出ました。……怖かったです」
「どこがだよ!」ゴルシはすかさずツッコんだ。
「ただのポイ活の成果じゃねえか!スズカ、お前走りたいがためにわざとダッシュの言い訳作ろうとしてただろ?」
「そんなことありません。心からゾッとしたんですから」
スズカは涼しい顔でまた横になった。
三番手:トウカイテイオーの「冷徹なる笑みの裏側」
「ある日の放課後、ボクは生徒会室の会長を訪ねようとしたんだ。ドアの前まで行ったら、中から話し声が聞こえてね。覗いてみたら、会長が副会長のエアグルーヴと話をしていたんだ。ボクは『あ、また会長が変なダジャレを言って、エアグルーヴを困らせているのかな』って思って」
「日常茶飯事ですわね」マックイーンが溜息をつく。
「そう。でも違ったんだ。ドアの隙間から見えたエアグルーヴは……笑っていたんだよ。しかも、クスクス、とかじゃなくて、『ふふ、ふははははは!』って、謎のテンションで笑っていたんだよ。いつもの厳しいエアグルーヴじゃないみたいで、ボクは鳥肌が立ったよ。何かに取り憑かれているんじゃないかって。会長と別れた後、ボクは勇気を出して廊下でエアグルーヴに訊ねてみたんだ。『さっき、なんで笑っていたの?』って」
テイオーは声を潜め、おどろおどろしい口調を作る。
「そしたらエアグルーヴ、虚ろな目でボクを見てこう言ったんだ。『……実はここ数日、深刻な寝不足でな。その状態で会長のダジャレを聞いたら、脳の防衛本能が壊れたのか、謎のトランス状態に入って笑いが止まらなくなったのだ』って。……ね?寝不足って本当に怖いよね!」
「……エアグルーヴ可哀想に」
スズカが心底同情した様子でぽつりと呟いた。
ゴルシは天井を仰ぎながら言った。
「それ、一番怖いのは寝不足じゃなくてルドルフのダジャレの破壊力だろ。生徒会業務じゃなくて労災申請を出すべき事案だぞ」
「でもボクはあの笑い顔、夢に出そうなくらい怖かったんだもん!」テイオーは不満げに枕に顔を埋めた。
四番手:ウオッカの「マシーン・メタモルフォーゼ」
「俺の話は、俺の身に起きた不可解な事件だ」
ウオッカが腕を組んで、深刻な面持ちで語り出した。
「最近、妙なことがあったんだ。俺は元々、幽霊とか不思議な事象はあまり信じないタチなんだが……俺の所有するバイクのことだ。ほら、知り合いのバイク屋のオヤジから譲ってもらったやつ。いつか免許を取ったら、この相棒に跨ってどこまでも駆けていくんだっていう夢を抱きながら、俺は毎日、早朝トレーニングの前にそいつを磨くのを日課にしてるんだ」
「良い心がけね」とスカーレットが珍しく褒める。
「だが、ある朝のことだ。いつも通りバイク置き場に行って、カバーを外したんだ。そしたら……そこにバイクはなかった」
「ぬ、盗まれた!?」スペが叫ぶ。
「俺もそう思った。だが違うんだ。バイクがあったはずの場所、暗証番号が解除されたタイヤロックの輪の中に、佇んでいたんだよ。……バイクのタンクの光沢に、よーーく似た、一匹の『カブト虫』がな」
ゴルシは眉をひそめた。嫌な予感がする。
「俺は硬直した。そして考えたんだ。もしかして、俺が毎日毎日そいつを磨き、話しかけていくうちに、何かが起きたんじゃないかって。あのバイクは、実は何かの呪いで姿を変えられていて、俺の愛が限界突破した瞬間に呪いが解け、本当の姿を見せたんじゃないかって!」
ゴルシは冷ややかな視線をウオッカに送った。
「とりあえずその日は、脳の処理が追いつかなくて、一旦その場を離れてトレーニングに向かったんだ。で、戻ってきたら……バイクがまたそこにあったんだよ!カブト虫は消えてた!」
ウオッカは拳を握りしめる。
「俺は確信したね。あのカブト虫は間違いなく俺の相棒だ。……だが、現実的な『盗難および悪質な悪戯』の可能性も含めて、いま風紀委員に報告をしているところだ」
ゴルシは小さく息を吐き、言った。
「ウオッカ、それは……第一章の#13参照ってやつだな」
「なんて?」ウオッカが怪訝そうな顔をする。
「何でもない。ただの構成上の都合だ。次、マックイーン行け」
五番手:メジロマックイーンの「マウンド上の深淵」
「私の番ですわね」
マックイーンが上品に居住まいを正した。だが、その目はすでに怪談のそれではなく、完全にスタジアムの熱気に支配されていた。
「あれは、私の贔屓の野球チームの、個人的注目株である若手ピッチャーが、プロ初登板を果たした試合のことですわ。彼は素晴らしい立ち上がりを見せ、回を追うごとに相手打線を完璧に抑え込んでいきました。そして迎えた9回表、ツーアウト。あと一人抑えれば、プロ初登板にして『ノーヒットノーラン』という歴史的偉業を達成するか否かという、まさにその瞬間です!」
マックイーンの拳に力が入る。団扇が小刻みに震えている。
「私はテレビの前で、興奮と、そして底知れぬ恐怖を交えながら画面を見つめていました。もし実況のアナウンサーがうっかり『いよいよ大記録達成か!?』なんてフラグを立てる言葉を口にしてしまったら!?……案の定、それを口にした直後、初安打を打たれたあの瞬間……あれは実況席による呪いの類ですわ!まさにこれこそが真の『恐怖』……!」
「マックイーン」ゴルシは冷酷に遮った。
「怖くも何ともねえよ。ただの熱狂的なプロ野球ファンの心理描写だろ」
「何をおっしゃいますの!あの瞬間のファンの精神状態は、世界中のどのホラー映画よりもホラーですわよ!」
「主観が強すぎるんだよ!」
六番手:ゴールドシップの「密室のタイムリミット」
「よし、じゃあアタシの番だな」
ゴルシは不敵な笑みを浮かべた。全員の視線がゴルシに集まる。
「この合宿に来る少し前のことだ。アタシのルームメイトのステイゴールドがさ、久々に長い旅から帰ってきたんだよ。その時いくつかのお土産を持ってきた。その中に、ある高山性の植物の『種』があったんだ」
「植物の種?」スズカが少し興味を示した。
「そう。ステゴが言うには、そいつは正しく育てて花が咲いたら、それはそれは見事な、宇宙の真理を凝縮したような美しい花を見せるらしい。ただし、だ。育てるにはものすごくシビアな温度管理と光量が必要で、一分一秒でも適正温度から外れたら一瞬で枯れるっていう、ひどく繊細な代物だったんだよ。説明を終えると、ステゴは『じゃ、あとはよろしく』ってまた旅に出ちまった」
「無責任ですねぇ」とスペ。
「アタシはネットでいろいろと調べてさ、そいつのために必要な家電を揃えたんだ。部屋のエアコンを最新のやつに追加換装して、24時間フル稼働。さらに植物用の特殊LED照明を何機も設置して、毎日毎日、水温や湿度を管理して、その植物の開花を待ち侘びていたわけだ」
ゴルシはそこで、声を一段と低くした。部屋の生温い空気が、心なしか重くなる。
「そして……アタシはこの合宿を迎えた。このオンボロ旅館に着いて、エアコンがぶっ壊れて、みんなで『暑い暑い』って雑魚寝をしている今この瞬間に……アタシは気づいてしまったんだ」
「何を……?」テイオーが唾を飲む。
「アタシはこの合宿で『数日間、部屋を空ける』ってことをすっかり失念してたんだ。長期不在用の給水装置も組んでなけりゃ、タイマー設定もしてねえ」
部屋に沈黙が流れる。
「……それのどこが怪談なのよ」スカーレットが呆れたように言う。「ただの不始末じゃない」
「バカ言え!高出力のLED照明と業務用エアコンだけが、密室でフルパワー稼働し続けているんだぞ?合宿が終わってドアを開けた時、その高山植物が枯れ果てているのか、それとも熱と光で狂い咲いて部屋中が怪異なジャングルと化しているのか……帰ってドアを開けるのが、アタシは怖くてたまらんのだよ」
「それはただの自業自得よ!」スカーレットがピシャリと言い放った。「はい、ゴルシも坂道ダッシュ決定!」
七番手:ダイワスカーレットの「本物の怪異」、そして……
「もう!みんな、賞味期限切れのおにぎりだの、財布を忘れただの、まともな『怪談話』を一つもしてないじゃない!あたしが本当のお手本を見せてあげるわ!」
スカーレットがイライラした様子で立ち上がり、部屋の唯一の豆電球の紐を引っ張って完全に消した。部屋は窓から差し込む月光だけになり、一気に不気味な雰囲気が増す。
「これは、この旅館に古くから残っている日記に書かれていた話よ……」
スカーレットの声は、今までの誰よりも堂に入っていた。
「ある夏の日、この部屋に泊まったウマ娘が、夜中にふと目を覚ますと、天井の隅に、髪の長い女の人が張り付いていたの。その女の人は、ゆっくりと顔をこちらに向けて、血の涙を流しながら、何かを探すように部屋中を見回していたわ。ウマ娘は恐怖で身動きが取れず、ただ息を潜めていたの。すると、その女の人が、ゆっくりと天井を這いながら、彼女の真上までやってきて――」
スピカの面々が、今度こそ本気で身をすくめる。スペはスズカの背中に隠れ、ウオッカも無言で拳を握りしめている。
「そこで聞こえたの。その女の人の引き裂くような悲鳴が――」
「――キャアアアアアアアアアアアアアア!!!」
その瞬間、本当に、部屋のどこからか、甲高く不気味な女性の悲鳴らしきものが響き渡った。
「うわあああああああ!出たぁぁぁ!」テイオーが叫ぶ。
「いやあああ!本当に聞こえたじゃないのよ!」スカーレット自身が一番驚いて飛び上がった。
スズカとスペが抱き合ってパニックに陥る中、ゴルシは暗闇の中でポケットをごそごそと探った。
ピッ。
悲鳴がピタリと止まる。
「すまんすまん、これアタシのスマホのメッセージ着信音だわ。いやー、立体音響のクオリティが高くて臨場感あったな!」
ゴルシはケラケラと笑いながら部屋の電灯をつけた。部屋中に緊張の糸が切れ、マックイーンが般若のような顔でゴルシに詰め寄ってきた。
「ゴールドシップさん……悪戯にしては悪趣味が過ぎますわ。というか、そんな禍々しい着信音、一体誰からのメッセージですの?」
「いやいや、これは宇宙からの怪電波っていうか、冥王星の彼方からの知的生命体のささやき声で――」
「見せなさい!」
マックイーンがゴルシの手から素早くスマホをひったくった。
「ちょっと、マックイーン、プライバシーの侵害って言葉を知らな――」
画面を凝視したマックイーンの顔から、すうっと血の気が引いていくのが分かった。彼女の瞳が、文字通りホラー映画の登場人物のように見開かれる。
「……マックイーンさん?どうかしましたか?」スズカが怪訝そうに覗き込む。
「……風紀委員、フェノーメノさんからのメッセージですわ」
マックイーンは震える声で読み上げた。
「え?」ウオッカが反応する。マックイーンは冷たい汗を流しながら、続ける。
『ゴルシさん。以下の内容について、非常に重大な嫌疑がかけられております。合宿後、速やかに風紀委員室への出頭を命じます。
一、ウオッカさんのバイクの盗難届について(※現在、バイクから貴方の指紋が検出されております)
二、貴方の寮の部屋の電気使用量が、今月、学園全体の1割に匹敵する異常な数値を叩き出した事について
以上の点から、風紀委員会では、貴方が【バイクを窃盗し、部屋で高出力の違法植物を栽培・密造している】可能性が極めて高いと判断しました。言い訳は委員室で聞きます。なお、超過分の電気代は全額自己負担となりますのでご承知おきください』
部屋に、この日一番の、そしてエアコンの故障など目じゃないほどの圧倒的な「静寂」と「恐怖」が訪れた。
ウオッカがゆっくりとゴルシの方へ振り向く。その目は怒りの炎で赤く燃えていた。
「おい……ゴルシ、俺のバイク……カブト虫に変身したんじゃなくて、お前が盗んでたのかよおおおお!」
「ち、違うんだウオッカ!あれは第一章の#13、つまり『宇宙の真理を探すために一時的に借用した』という伏線でだな!」
「知るかアホンダラァ!」
掴みかからんばかりのウオッカに対し、それまで静観していたスズカが、そっと手を挙げた。
「……ウオッカさん。バイクの件については、後で私から詳しく補足します。……たぶん、私にも少し心当たりがあるので」
「えっ、スズカが!?」
ウオッカが毒気を抜かれたように目を丸くする。スカーレットが頭を抱えて深々と溜息をつく。
「バイクの件は百歩譲って解決したとして、問題はこっちよ!自室に業務用エアコンとLEDを持ち込んで風紀委員に違法栽培を疑われてるじゃないの!」
「だから怪しい草じゃないって言ってるだろ!アタシは純粋な園芸家だ!被害者はアタシだ!」
マックイーンが冷ややかな視線をスマホに向けたまま、静かに追撃を加える。
「……それよりゴールドシップさん。『超過分は全額自己負担』と書いてありますわよ。学園全体の1割の電気代……一体いくらになるのでしょうか?」
ゴルシの顔から、一瞬で血の気が引いた。寮の光熱費はタダだと思い込んでいたが、利用規約の第13条――『著しい超過分は実費徴収とする』という細かい特記事項を、今更思い出してしまったのだ。
「ひ、ひえええええ!違法栽培の疑いより請求書の方が百倍怖ええええ!」
「ゴールドシップさん。明日の早朝ダッシュは、あなたが一人で学園の風紀委員室まで走りなさい」
ゴルシは藁にもすがる思いで、隣のスズカの肩を掴んだ。
「スズカ!助けてくれ!一緒にこの無慈悲な重力と請求書を捻り潰してくれよ!」
ゴルシの必死の叫びに、スズカは困ったように眉を下げ、優しく、でもどこか申し訳なさそうにゴルシの手の上に自分の手を重ねた。
「……ゴルシ。助けてあげたいのですが、重力からは走って逃げられるかもしれないけれど、学園の規約と請求書からは逃げられないと思うので……私、風紀委員室まで、一緒に付き添ってダッシュしてあげることくらいしかできません」
「うう、優しいなぁ……って、お前は結局走りたいだけなんだろぉ!!」
生温い夜風が、オンボロ旅館の部屋を通り抜けていく。エアコンは直らなかったが、ゴルシの未来は見事なまでに絶対零度で凍りついた。
「誰か……地球の裏側のラッキーな奴……アタシの電気代払ってくれぇぇぇ!!」
ゴルシの悲鳴は、満点の星空へと虚しく消えていった。もちろん、誰も助けてはくれなかった。
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本作は「ウマ娘 プリティーダービー」の二次創作小説です。ゴールドシップとサイレンススズカの二人が織りなす物語を綴っています。
※本作は公式とは一切関係のないファンによる非営利の創作物です。無断転載はお控えください。
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