第一章エピローグ:沈黙の二枚貝と、厳粛を塗り替える騒音

 世界を窮屈な静寂で満たすのは簡単だが、それを一瞬で爽快な日常に変えるのは、いつだって一握りの愉快な騒音である。

 トレセン学園が年に一度だけ開催する「特別功労者表彰式」。そこは、学園の理事や有力なスポンサーたちが一堂に会する、一年で最も「静粛と調和」が義務付けられる聖域である。奇跡的な復帰を果たしたサイレンススズカは、当然その主役として壇上に立つことになった。
 問題は、彼女の「リハビリ協力者」として、スペシャルウィークの他にゴールドシップの同行が義務付けられてしまったことだ。
 
 
 ——式典の数日前。
 
「いいか、ゴルシ。あそこは雑談マシーンのお前が足を踏み入れていい場所じゃない。原子レベルで静かにしてろ」
 
 トレーナーは、学園のパイプ椅子に彼女を縛り付けんばかりの勢いで詰め寄っていた。
 
「あぁ? なんだよ、お前は何も分かっちゃいねえな」
 
 ゴルシは椅子の背もたれにふんぞり返り、不満げに口を尖らせた。
 
「スズカが怪我から奇跡のカムバックを果たしたって、最高にめでてえ場だろ? だったらアタシがド派手なサンバカーニバルでも企画して、ブラジルのステップを踏みながらクラッカーを一万発くらいぶっ放して、学園中を紙吹雪で埋め尽くして祝ってやった方が、アイツも絶対に喜ぶに決まってんじゃねえか!」
 
「お前がやるとそれは祝いじゃなくてテロなんだよ! 今回は、学園の面ツもかかっているんだ。頼むから大人しくしてくれ!」
 
「ちぇっ、堅苦しいなあ……」
 
 ゴルシは、窓の外で自主トレに励むスズカの綺麗な横顔を、じっと見つめた。
 
(……ま、今回はスズカが主役のハレの舞台だからな。アタシがいつも通り大暴れして、あいつの晴れ舞台に泥を塗っちまうのだけは、さすがに御免だ。あの『静粛』とかいう退屈な空間で、スズカが気持ちよく主役を張れるってんなら、あいつの顔を立てるつもりで、ここは一歩引いてこの頼りないトレーナーの言う通りにしてやるのも、悪くはねえか)
 
「……へっ、分かったよ。そこまで言うなら、今回のところはスズカの顔を立てて、お前のその退屈な作戦に従っておいてやる。で、アタシにどうしろってんだよ」
 
「お、分かってくれたか!」
 
 トレーナーは、ゴルシの珍しい物分かりの良さに一瞬驚きつつも、すぐに真剣な表情に戻って身を乗り出した。
 
「いいか、今日からお前はゴールドシップじゃない。蛤(はまぐり)だ。殻を強固に閉ざし、砂の中に潜り、何を聞かれても無言で頷くか、最低限のテンプレだけで答えろ。分かったな?練習だ。すべて定型文で答えろ」
 
「イエス、アイムハマグリ。砂抜きは済ませてあるぜ」
 
「……出身は?」
 
「クジュークリハマ、ティバ(千葉)」
 
「趣味は?」
 
「特にナシ」
 
「学歴は?」
 
「特にナシ」
 
「志望動機は?」
 
「特にナシ」
 
「……よし、合格だ。その死んだ魚のような、いや、水質汚染を憂う貝のような瞳を維持しろ」
 
 その異様な光景を横で見ていたスペシャルウィークが、震える声で呟いた。
 
「……あの、トレーナーさん。それは『良い蛤』なんですか? あ、でも、仮に東大卒の蛤とかが来ても、式典の偉い人たちも困ると思いますけど……」
 
「スペ、黙っていろ。論点はそこじゃない。今は高学歴な貝よりも、徹底的に無口な貝が必要なんだ」

 
    
 式典当日。スズカが壇上で淀みなく完璧なスピーチをこなす中、最前列には「正装(しかしどこか着せられている感の強いスーツ姿)」に身を包んだゴールドシップが座っていた。
 
 彼女は驚くべきことに、トレーナーの教えを忠実に守っていた。背筋を伸ばし、一点を虚無の眼差しで見つめ、瞬きすら最小限。その姿は、確かに高級料亭の生簀に沈む立派な蛤のようだった。
 
 しかし、平穏は長くは続かない。式典後の懇親会。立食パーティーの穏やかな空気の中、学園関係者の重鎮の一人が、スズカの隣に立つ「無口でミステリアスな功労者」に興味を持ってしまったのだ。
 
「お若いのに、随分と落ち着いておられる。お名前は?」
 
「……ゴールドシップ」
 
「ほう、良い名だ。出身はどちらかな?」
 
「クジュークリハマ、ティバ」
 
 重鎮は首を傾げた。
「……北海道ではなく、千葉の海の方で?」
 
「イエス。アイムハマグリ」

 
    
 周囲の空気が、数度下がった。スズカは、持っていたにんじんジュースのグラスを粉砕しそうなほど強く握りしめた。
 しかし、重鎮は彼女の「あまりにも情報量の少ない、かつ意味不明な回答」を、逆に「底知れぬ大物の暗喩」と勘違いし、さらに踏み込んでしまった。
 
「……なるほど。自らを名もなき貝に例えるとは、謙虚な姿勢だ。趣味や、座右の銘などはあるかね?」
 
「特にナシ」
 
「……この学園を志した動機は?」
 
「特にナシ」
 
「……今の、ウマ娘レース界に必要なものは何だと思うかね?」
 
「特にナシ」
 
 ついに、周囲のスポンサーたちからヒソヒソ声が漏れ出した。
 
「……何だ、あのウマ娘は。全ての質問を虚無に帰しているぞ」
 
「もしや、拝金主義に傾きつつある現代社会への、強い批判を込めたパフォーマンスでは?」
 
「まさに『東大卒の蛤』より始末が悪い。無知なのではなく、意図的に知性を遮断して我々を試している……!」
 
 スズカは、隣で「蛤」になりきって小刻みに震えている(笑いを堪えているのか、殻の限界なのか不明な)彼女を見て、ついに己の限界を迎えた。彼女はゴルシの耳元で、静かに囁いた。
 
「……ゴルシ。もういいですから、一言だけ、あなたらしいことを言ってください」

    
 「蛤」の強固な封印が、カチリと音を立てて解かれた。ゴールドシップは重鎮に向かって、満面の笑みで言い放った。
 
「おっさん、悪いな! 今のアタシは、九十九里浜の荒波に揉まれて『志望動機』を砂浜に埋めてきたんだ! それより、ここの高そうなオードブルに焼きそばパンが一つもねえのは、行政の怠慢じゃねえのか!? 今すぐ炭水化物のカーニバルを開催しろ!」
 
 会場の空気が、物理的に凍りついた。トレーナーは壁際で天を仰いで頭を抱え、スペは「やっぱりこうなった……」と崩れ落ちるように床に座り込んだ。重鎮たちは、突然知性を爆発させた(ただし方向性は間違っている)蛤を前に、口をパクパクさせている。
 
 けれど、スズカだけは、お腹を抱えて笑っていた。
 
「……ふふ、あははっ! そうですね。やっぱり、あなたは貝の中に閉じこもっているより、そうやって『騒音』を撒き散らしている方が、ずっとあなたらしいし、素敵です」
 
 スズカの透き通るような笑い声が、静粛と建前で塗り固められた会場を、色鮮やかな日常へとあっけなく塗り替えていく。「蛤作戦」は完璧な大失敗に終わったが、ゴルシは「何がそんなに面白いんだ」という顔でスズカを見つめ、やがて釣られるように豪快に笑い出した。
 
 凍りついた会場の片隅で、二人分の笑い声だけが心地よく重なっていた。それが、どんな立派な祝辞よりも正直で、温かい「おめでとう」の言葉だったと、スズカは思った。​​​​​​​​​​​​​​​​



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 本作は「ウマ娘 プリティーダービー」の二次創作小説です。ゴールドシップとサイレンススズカの二人が織りなす物語を綴っています。
※本作は公式とは一切関係のないファンによる非営利の創作物です。無断転載はお控えください。
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