#17 千羽ギドラの不採用と、空白の両手について

 「面会謝絶」という四文字を前にした時、普通の人間が抱く感情は、おそらく「絶望」か「無力感」のどちらかだろう。だが、ゴールドシップという名の特殊なOSを搭載した個体は、その四文字を単なる「猶予期間(タイムリミット)」と解釈した。
 
「会えねえなら、想いを形にすればいい。それも、物理的な質量と、圧倒的な情報量を伴った形にな」
 
 彼女は病院の廊下を、まるで戦場から帰還する英雄のような足取りで去ると、真っ直ぐ駅前の文房具売り場へと向かった。面会が許可されるまで、あと三日。その七十二時間というリソースを、彼女は「折り紙」という、極めて平和的かつ狂気的な作業に全投入することを決意したのだ。

「いいか、よく聞け。世の中には『千羽鶴』というシステムがある。一羽一羽に祈りを込めて、千羽揃ったところで願いを叶えるという、アナログなクラウドファンディングみたいなもんだ。だがな、サイレンススズカという規格外の存在に対して、鶴(ツル)じゃあまりにパワー不足だろ。現代社会において、鶴一羽の戦闘力がどれほどのもんだ? 運が良くて魚を捕まえる程度だ。そんなもんを千羽集めたところで、あいつの脚に馴染むわけがねえ」
 
 誰も頼んでいないし、そもそも誰もそんな議論を吹っかけていない。だが、彼女の脳内にある「贈答品の論理システム」は、すでに一つの暴力的な結論を叩き出していた。
「快復祈願は、通過点に過ぎない。その先にある完全復活、さらには世界征服までを射程に入れるなら、ユニットを換装する必要がある。……導き出された解は、【キングギドラ】だ」
 
 首が三つ。羽が六枚。折り紙という、本来は子供の情緒を育むための遊戯の枠組みを根底から破壊する、禍々しき黄金の宇宙超怪獣。
 
「千羽鶴が『回復』という名のパッチ修正なら、千体分のキングギドラを束ねた【千羽ギドラ】は、もはや『神話』だ。因果律そのものを書き換える力がある」
 
 この理屈を理解できる者は、おそらく観測可能な宇宙の範囲内には一人もいなかったが、彼女は一切の迷いなく、棚にある「金色の折り紙」をすべて買い占め、レジへ叩きつけた。

 
 三日後。チームスピカの控室には、およそこの世のものとは思えない「異様な集積体」が鎮座していた。それは、もはや折り紙の集合体ではなかった。三つの首が互いを牽制するように複雑に絡み合い、六枚の羽が不吉な予言を囁くように幾重にも重なっている。金色の紙面は、窓から差し込む陽光を乱反射させ、部屋の中に奇妙な幾何学模様の影を落としていた。
 
「……ねえ。これ、何かの呪具? 触ったら私の銀行口座の残高とか消えたりしない?」
 
 ダイワスカーレットが、未知の生物――あるいは未確認飛行物体――を検分するような目で尋ねた。
 
「失礼なことを言うな。これはアタシの魂の結晶、名付けて『千羽ギドラ・プロトタイプ』だ」
 
「……千羽?」
 
 スペシャルウィークが、その純粋さゆえに、この状況における最大の矛盾を突いた。
 
「キングギドラを千体折ったんですか? 三日間で?」
 
「厳密には、千体分のパーツを生成し、一つの群体として再構築した。作業の途中で『数』という概念がゲシュタルト崩壊したがな。今の指先には、数字を数える機能が搭載されていねえ。ただ、『折る』という本能だけが残っている」
 
「……というか、キングギドラの単位って『羽』なんですか?」
 
 スペのさらなる問いに、ゴルシは「知らん! 響きがいいから採用した!」と一喝した。だが、周囲の評価は、あまりにも冷酷な、そして極めて正当なものだった。
 
「マジでいらない。というか、怖い」
 
「病室に置いたら、看護師さんが『特級呪物の持ち込みは禁止です』って泣きながら除霊しに来るわよ」
 
「スズカさん、これを見たら『あ、私、もう別の世界に連れて行かれるんだな』って悟りを開いちゃうと思う」
 
「そもそも快復祈願に破壊の象徴を持ってくるセンスが、数学的に言っても絶望的です」
 
 一斉に浴びせられる正論のナイフ。ゴルシは、その場にがっくりと膝をついた。
 
「……ダメか? 宇宙規模の快復力(リカバリー)だぞ?」
 
「「「「「ダメです!!!」」」」」
 
 満場一致。民主主義の完全勝利。彼女の不眠不休の努力は、一瞬にして「不法投棄予備軍」へと成り下がった。黄金の怪獣は、夕暮れの控室でどこか寂しげに光り輝いていた。
 
 
 
 結局。千羽ギドラ(※その後、誰にも知られず病院の裏手にある物置へと一時退避された)を処分したゴールドシップは、何も持たずに、サイレンススズカの病室の前に立っていた。いつものように場を掻き回すジョークも、誰かを煙に巻くための派手なアクションもない。ただ、清潔な白いドアがあるだけだ。
 
 (……結局、あいつに会う時は、これだよな)
 
 深呼吸を一つ。肺の奥に、少し冷たい病院の空気が入ってくる。余計な装飾をすべて剥ぎ取った、ただの「ゴールドシップ」という個体として、彼女は静かにドアを開けた。
 
 ベッドの横では、スペシャルウィークが甲斐甲斐しく水差しを取り替えていた。
 
「あ、ゴルシさん」
 
「……よ」
 
 ベッドの上に、彼女はいた。スズカはゆっくりと視線を向け、少しだけ意外そうに目を見開いたあと、穏やかな波のような微笑を浮かべた。
 
 一瞬、沈黙が空間を支配する。
 
 (……思ったより、ちゃんといるな)
 
 ゴルシの胸の奥が、氷を浮かべた冷水に浸されたように、ぎゅっと締まった。彼女は、何も失っていない。ただ、少しだけ「止まっている」だけだ。エンジンの回転数が落ち、システムがスタンバイモードに入っている。それだけのことだ。
 
 一方のスズカも、ゴルシを見て同じことを考えていた。

 (来てくれた。やっぱり、この人は。来ない理由をいくら並べられても、最後には必ず、予想外の扉から現れるんだ)
 
「……悪いな。もっと派手な、それこそ世界を震撼させるような、金ピカの土産を持ってくるつもりだったんだが。検閲に引っかかってよ」
 
 ゴルシが冗談混じりに言うと、スズカはクスクスと、鈴の音のような声を漏らした。
 
「……それで、いいです。今は、それが一番の贈り物ですから」
 
 スペシャルウィークは、その二人の間に流れる「完成された空気」を邪魔しないよう、なんとなく水差しの位置を三ミリほど動かしたり、窓の外にある何の変哲もない雲の流れを熱心に確認したりと、不器用に忙しく振る舞っていた。特に意味はない。ただ、そうしなければ、自分がその空気に飲み込まれてしまいそうだったからだ。
 
 ゴルシはベッドの横に立ち、自分の中に残った、混じり気のない本音を絞り出した。
 
「……走れなくても、生きてりゃそれでいい。景色が見えなきゃ、アタシが絵を描いて見せてやる」
 
 それは、普段の彼女からは想像もつかないほど、剥き出しの言葉だった。スズカは目を伏せ、長いまつ毛をわずかに揺らした。そして、まるで自分自身に言い聞かせるように、静かに答えた。
 
「……私、少しだけ。本当に、少しだけ、休みます。……走ること以外のこと、忘れていたみたいですから」
 
「……そりゃあ、いい。最高に有意義な寄り道だ」
 
 ゴルシは深く頷いた。走ることを呼吸と等価だと信じていた彼女が、初めて「休む」という言葉を、自分の辞書に書き加えた。それは敗北ではなく、新しい人生の余白を受け入れた、一人の表現者としての意志だった。
 
 スペシャルウィークは、窓の外を見つめたまま、ぼんやりと思った。
 (なんか……二人とも、すごくいい顔をしてますね。なんとなく…)

 
  
【余談:千羽ギドラのその後】
 
 その日の深夜。病院の裏手にある古びた物置から、黄金色の、それも尋常ではないほど禍々しい光が漏れていたという噂が、看護師たちの間でまことしやかに囁かれた。
 
 「夜中に三つの首がそれぞれ別々の方向に動いていた」とか、「月明かりを浴びて、今にも空へ飛び立ちそうだった」とか。挙げ句の果てには、「翌朝には物置から消えており、代わりにそこには一粒の『金の粉』だけが残っていた」という、もはや都市伝説のような尾ひれまでついた。
 
 数日後。少し体調の回復したスズカが、車椅子でその物置の横を通りかかった際、ゴルシにその噂について尋ねた。
 
「ねえ、ゴルシ。結局、あの『お土産』はどうしたんですか?」
 
 アタシは不覚にも、少しだけ顔を背けた。
 
「……ああ、あれか。宇宙に帰ったんだよ。あいつら、群れるのが嫌いみたいでな」
 
「ふふ、そうですか。……でも、見なくて、よかったかもしれませんね。そんなに凄いものなら、私の心拍数が、またレース中みたいに上がってしまったかもしれないから」
 
「……だろうな。編集長(アタシ)の校閲は、命に関わるからな」
 
 ゴルシは鼻を鳴らし、スズカの車椅子をゆっくりと押し始めた。
 
 千羽のギドラは、もうどこにもいない。けれど、あの黄金の輝きは、確かに彼女たちの時間の中に、消えないバグのように刻み込まれていた。
 
 病院の屋根の上では、本物の鶴ではない、ありふれたカラスが、退屈そうに羽を休めていた。世界は相変わらず、適当なルールと、少しの奇跡、そして数えきれないほどの「寄り道」で回っている。
 
「……で、次は何を折るつもり?」
 
「次はモスラだ。鱗粉(リンプン)の表現に、ラメ入りの粉を三キロ用意してある」
 
「……やっぱり、お断りします」
 
 笑い声が、午後の光の中に溶けていった。それは、どんな神話よりも美しく、何の意味もない、最高に贅沢な「明日」の始まりだった。​​​​​​​​​​​​​​​​
1/1ページ
いいね