#13 時速二百八十メートルの代車と、深夜の豆腐に関する考察

 世の中には、決して見誤ってはいけない三つの「限界突破」がある。
一つ目は、賞味期限を七日過ぎた牛乳のポテンシャル。二つ目は、スマートフォンのバッテリー残量1パーセントが耐え抜く、奇跡の稼働時間。そして三つ目は、「限界まで疲労を隠しているサイレンススズカの、危うい横顔」だ。


「大丈夫か? 今日はトレーニングを休むか?」

 トレーニング場に現れたスズカの顔には、誰の目にも明らかな疲労の色が浮かんでいた。しかし彼女は、トレーナーの気遣いを「やれます」という短い一言で淡々と切って捨て、いつものようにメニューをこなし始める。

 その背中を眺めながら、ゴールドシップは一つの懸念を抱いていた。

「おいスペ。スズカのやつ、まさかまた夜中に部屋を抜け出して、走り込みに行ってたりしないよな?」
 
「いえ、無いと思います。昨日も夜中に目が覚めたんですが、スズカさんはちゃんとベッドで寝てましたから」
 
 スペシャルウィークは呑気に答える。だが、怪しい。この純度一〇〇パーセントの後輩の眼球は、時として節穴と同義である。チームスピカのキャプテン(自称)として、ここは一つ、自らの足で裏付け調査を行う必要があるだろう。


 その日の深夜過ぎ。ゴルシは「スズカが深夜の静寂を隠れ蓑にし、誰にも説明のつかない不穏な暗躍に勤しんでいる」という一つの有力な仮説を立証すべく、クローゼットの奥から七変化シリーズの一つである『白バイ隊員風衣装』を引っ張り出した。

 次に向かうのは駐車スペース。ターゲットは、ウオッカが所有しているバイクである。もちろん、無断借用とはいえタダで乗っていくような野暮な真似はしない。ゴルシは持参した虫かごから、光沢の具合がバイクのタンクとよく似ている立派なカブト虫を取り出し、駐車スペースの真ん中にそっと置いた。

 (ウオッカのやつはどちらかというとクワガタ派だと思うが、今、代車として出せるのはこいつだけだ。最高時速二百八十メートル。大事に乗れよ)

 心の中でそう呟きながら、暗証番号を完全に把握しているタイヤロックを解除する。入手済みのスペアキーを差し込み、自前の赤色灯を取り付ければ、完璧な追跡車両の完成だ。

 エンジンを切り、暗闇で待ち伏せること十数分。寮の裏口から、周囲を用心深く伺いながら夜の街へ飛び出していくスズカの姿を確認した。ゴルシはバイクを押し歩きながら距離を取り、エンジン音に気づかれないよう、静かに追跡を開始する。

 国道をしばらく追走していたものの、深夜のトラックの群れに紛れ、うっかりターゲットを見失ってしまった。だが、焦る必要はない。この先のルートは峠道に繋がっており、行き先はほぼ一本道だ。ゴルシはスロットルを回し、夜の峠道を駆け上がっていく。


 しばらくして。

 対向車線の暗闇の奥から、規則的な足音と共に、一つの影が猛スピードで下ってきた。バイクのヘッドライトが捉えたその姿は、白いシャツに紺色の前掛けを締め、本来なら風になびいているはずの栗色の髪を高い位置でまとめている。それを真っ白な作業帽の中に几帳面なまでに収め、肩に大きな木製の容器を担いで疾走する、世にも奇妙なサイレンススズカであった。

「……は?」

 思わず声が漏れる。が、すぐに気を取り直し、ゴルシは赤色灯を激しく回転させた。

「そこのウマ娘! 左に寄ってとーまーれーー!!」

 暗闇に響き渡る拡声器越しの声に、スズカは分かりやすくビクッと飛び上がり、急ブレーキをかけてアスファルトにタイヤの――いや、靴底の摩擦音を響かせて静止した。

「ゴ、ゴルシ……?」

「お前……なんだその格好」


 道路の端に寄り、ヘルメットのシールドを上げたゴルシに、スズカは気まずそうに視線を泳がせる。

「は、話すと長くなるのですが……」

「まて」

 ゴルシは右手をスズカの顔の前に突き出し、名探偵の如く推理を披露し始めた。

「察するに……大方、この峠道で配達中の豆腐屋の車と、夜間走行中のお前がすれ違いざまに危うく事故になりかけた。豆腐屋の親父はその際にハンドルを切り損ねて負傷し、お詫びの印として、相手の治療が終わるまでお前が配達の代走を請け負った……違うか?」

 スズカの目が、限界まで見開かれた。
「なっ……!  見てたんですか!?」

(……当たりかよ。適当に言ったのに)

 ゴルシは内心で舌を巻く。深夜の峠道で、野生動物の飛び出しよろしくハイになっているウマ娘とすれ違えば、そりゃあ一般ドライバーはハンドルも切り損なう。

 負傷者が出てしまったのなら、真面目な彼女の性格上、誰にも言えずに一人で背負い込むのも無理はない。しかし、早朝までに峠の配達を終え、そこから学園に戻って通常のトレーニングと授業をこなすなど、いくらなんでもハードすぎる。

「よくわかった。でも皆心配しているんだぞ。お前、最近バ体重も減り続けてるぞ。さすがにまずいだろ」

「な、な……何で知っているんですか!?」

 再び動揺するスズカ。トレーナーが所有しているチームのデータを把握しておくのも、キャプテン(自称)の重要な務めである。

「細かいことはさて置いて、その豆腐を配達しなきゃいけねえんじゃねえか? アタシも手伝ってやるよ」

「え?  いえ、これは私の責任ですから、私がやります。……ゴルシは帰ってください」

「いーから、お前は少し休んどけ。豆腐をこっちに寄越しな」

 有無を言わせず、ゴルシはスズカの肩から木箱を奪い取ると、バイクの荷台に手早く括り付けた。スズカはやむなく従い、いくつかの配達先を伝える。


「終わったら、その住所の豆腐屋に戻ってきてください。この峠の先です」

「おっけー、任しとけ! お前はその辺の安全な場所で休むか、先に帰っても良いぞ」

 返事も待たずにアクセルをふかし、白バイ隊員(偽)は夜の峠道へと消えていく。スズカは豆腐屋の帽子を直しながら、まだ冷たさが残る夜風を感じながら、乱暴だけれど温かいその背中を静かに見送った。


 一時間ほど経過した頃。豆腐屋の店舗にバイクのエンジン音が近づき、ゴルシが戻ってきた。店先では、初老の主人がゴルシに深々と頭を下げている。怪我は大したことはなく、明日からはもう自分で運転できるようになったため、今回でスズカの代走は終わりで良いとのことだった。

 こちらが怪我のきっかけを作ってしまったというのに、主人からは「助かったよ」と、お礼に大量の豆腐やら油揚げ、がんもどきを押し付けられる始末だ。スズカは改めて何度もお詫びとお土産のお礼を告げ、ゴルシの後ろに跨って豆腐屋を後にした。


 学園へ向かう帰り道。最寄りのガソリンスタンドに寄った際、スズカは自販機で買った温かい缶コーヒーをゴルシに手渡した。

「おっ、悪いな」

「いえ……本当にありがとうございました」

「これに懲りたら、もう夜中に一人で抜け出すんじゃねえぞ。この前も千葉まで走りに行った時、あの後トレーナーにこってり絞られただろ」

「はい……。でも、ゴルシが来てくれて、安心しました」

 ヘルメットを脱いだスズカが、少しはにかむようにこちらを見つめてくる。その真っ直ぐな視線に、ゴルシは少し照れくさくなり、わざとらしく話題を変えた。

「これで卒業後のキャリアは決まったな。お前はあの豆腐屋を継ぐんだ。なかなか似合っていたぞ、あの前掛け」

「ふふ、考えておきます」


 缶コーヒーを開けながら、ゴルシはふと、根本的な疑問を思い出す。

「ところで、部屋を出る時にスペに気付かれなかったか? あいつ、一応お前のルームメイトだろ」

「今日までは気付かれていないみたいです。……この前、誕生日にゴルシがくれたクッションをベッドに寝かせて、布団を掛けてきましたから」

 スズカの誕生日。皆で遊びに行った遊園地のゲームコーナーで、ゴルシが乱獲してプレゼントした『巨大にんじんクッション』のことである。

「ははっ! スペのやつ、それに気付かないのか? あのにんじん、立派に影武者として活躍してるじゃねえか!」

「ええ。気付かな過ぎて、スペちゃんがちょっと心配ですけど……」

 純粋すぎる後輩の寝顔を想像し、二人は夜明け前のガソリンスタンドで声を上げて笑い合った。

すでに夜の帳は下り始め、街が動き出す早朝の気配が国道に漂っている。荷台に大量のがんもどきを積み込み、一台のバイクに乗った二人のウマ娘は、昇り始めた朝日に向かって急いで帰路についた。


 ——あの後、自分の駐車スペースで光り輝くカブト虫を発見したウオッカがどのような悲鳴を上げたかは、また別の物語である。



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 本作は「ウマ娘 プリティーダービー」の二次創作小説です。ゴールドシップとサイレンススズカの二人が織りなす物語を綴っています。
※本作は公式とは一切関係のないファンによる非営利の創作物です。無断転載はお控えください。
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