#12 暗殺計画と誕生日、あるいはホルマリン漬けの愛情について

「贈り物を選ぶという行為は、本質的に暗殺計画とよく似ている」

 いつか読んだスパイ小説の主人公はそう嘯いていた。ターゲットの行動パターンを分析し、警戒の網(すでに誰かが贈っているジャンル)をすり抜け、完全に油断している死角から一撃(サプライズ)を叩き込む。なるほど、理にかなっている。

 ある日の午後。ゴールドシップは、通りすがりの生徒たちの会話から、サイレンススズカの誕生日が二週間後に迫っているという機密情報を傍受した。

「アタシも何かくれてやるか」

 ゴルシは腕を組み、いつものように脳内の『面白おかしいモノ・ジェネレーター』を起動しようとした。
 しかし、どういうわけかエラーを吐く。いつもなら「純金製の知恵の輪」だの「マトリョーシカ構造のタバスコ」だの、くだらないアイデアが滝のように溢れてくるはずなのに、今日に限って思考のフィルターが極めて正常に働いてしまうのだ。

(おかしいな。アタシの天才的な発想力に、謎のリミッターがかかってやがる)

 首を傾げながらも、ゴルシは『他者との重複回避』という暗殺計画の基本フェーズへと移行した。
 聞き耳を立ててみると、チームメイトや友人たちの計画が次々と明らかになる。

「お揃いのシュシュがいいかな」「美味しいケーキのお店を予約したの」「新しいランニングシューズを」――アクセサリー、スイーツ、実用的なトレーニンググッズ。さらには「休日の写真映えスポット巡り」という体験型の贈り物まで。

(ダメだ。ジャンルというジャンルが、すでに先客で埋まりきったレッドオーシャンじゃねえか……!)

 ゴルシは頭を抱えた。
 思えば、これまでのプレゼント選びに「リサーチ」や「被りへの配慮」など存在しなかった。

 去年のメジロマックイーンへのプレゼントなんて、深夜のB級パニック映画を見て決めた、【謎の深海魚のホルマリン漬け風ソーダゼリー】だった。見た瞬間、マックイーンが絶叫し、駆けつけたメジロ家のじいやとテイオーによる、関節タッグ技を極められてしまった。思い出すだけで節々が痛む。

「こうなったら、足で稼ぐしかねえ」

 ゴルシは情報収集のため、廊下を通りかかる生徒を無差別に捕まえては壁ドンし、「おい。お前が今、一番欲しいプレゼントは何だ?」と尋問を開始した。

 しかし、数日後。学園内では『夕暮れの渡り廊下に現れる白い通り魔』という怪談が瞬く間に広まってしまった。

「目を合わせたら最後、『お前の欲深い願いを言ってみろ』ってカツアゲされるらしいよ……」
 という尾鰭までついた結果、風紀委員に呼び出されてこってりと絞られるハメになり、リサーチ作戦はあえなく頓挫である。

(……やはり、原点回帰か。再び北の大地へ赴き、新鮮な海の大物Part2を釣り上げてくるべきか?)

 ゴールドシップは、冬の気配が残る空を仰ぎ見て、独り言ちた。
 思考の海を回遊しても、これといった獲物が引っかからない。こうなれば、ターゲットの行動パターンを徹底的に分析し、本人が無意識に渇望している「モノ」を特定するしかない。スズカは回遊魚と同じだ。走っていない時の彼女を観察することこそが、本質への近道である。

 トレーニング場の隅、茂みの陰。ゴルシは野生動物を追うカメラマンのような執念で、スズカの「静」を観察し始めた。

 視線の先では、スズカがトレーナーと会話を交わしている。真面目に耳を傾け、アドバイスを咀嚼するように頷くと、彼女はすぐさまコースへと飛び出していく。
 走り終えた後のスズカは、まるで名画の修復が完了した後のような、清々しい笑顔を浮かべていた。

「ありがとうございます。今の感覚、すごく良かったです」

 そう言って笑う彼女の背中を、トレーナーが「バシッ」と激励の意を込めて叩く。

(……あ? なに勝手に触ってんだ、あの野郎)

 ゴルシは、胸の奥がチリチリとざわつく感覚を覚えた。自分のテリトリーに無断で足を踏み入れられたような、あるいは、自分だけが知っている隠し場所を暴かれた時のような、言いようのない不快感。

 ゴルシはその違和感を、持ち前の「都合の悪いことは加速して追い越す」精神で無理やり振り切り、観察を続行する。

 二人の会話はさらに弾んでいるようだ。内容は聞こえないが、スズカのあの柔らかな表情、あの弾むような声。
 それらすべてのピースをパズルの枠にはめ込んだ瞬間、ゴルシの脳内で一つの「誤った、しかし彼女の中では完璧な結論」が導き出された。

(そうか。……スズカ、あのトレーナーのことが……!)

 その瞬間、ゴルシはかつて味わったことのない、心に巨大な穴が空いたような喪失感に襲われる。時速120キロで駆け抜けていたエンジンの火が、急に消えたような、奇妙な静寂。

「……そっか。なら、贈り物はこれしかねえな」
 ゴルシは、絞り出すような声で呟いた。

「――トレーナーのホルマリン漬け」


 その日の夕暮れ。
 トレーニング場の片隅にあるベンチに座り込み、ゴルシはプレゼントの「搬入段取り」を計算していた。

「まず、この特注のズタ袋で背後から確保して、一時的に理科室へ連れ込む。いや待て、対象の抵抗を最小限に抑えるために、先に身体の拘束を完了させておくのがセオリーか……?」

 かなり不穏な、というか完全な犯罪計画をブツブツと独り言ちていると、不意に、死角から声がかかった。

「拘束? ……トレーナーさんがどうかしたんですか?」

「そりゃお前、スズカにトレーナーのホルマリン漬けをプレゼントするのに、相応の段取りってもんが……」

「プレゼント……?」

 そこには、サイレンススズカが怪訝そうな、あるいは純粋に「この人は何を言っているのかしら」という顔をして、いつの間にか隣に座っていた。

「んだあああっっ!?」

 ゴルシは、かつてないほどの最高到達点まで垂直跳びで飛び上がった。

「ゴルシ……トレーナーさんに何をしようとしているんですか? 何か、凄く嫌なことでもあったんですか?」

 本気で心配そうな目で覗き込んでくるスズカ。その澄んだ瞳に見つめられ、ゴルシは必死に誤魔化そうとしたが、最終的には観念して、自らの「暗殺……もとい、プレゼント計画」の全貌を話す。

「スズカの誕生日プレゼントに、トレーナーのホルマリン漬けが良いかなって思ってよ。……もしかして、剥製の方が保存性高くて良かったか?」

 スズカは、なぜゴルシがその狂気的な結論に至ったのか、その論理的な飛躍については一切理解できなかった。けれど、目の前のこの騒がしい友人が、自分のために死ぬほど必死に考えてくれたことだけは、すとんと胸に落ちた。

「……ゴルシ。もし良かったら、次の休みの日に誕生日のお祝いで、何人かで遊びに行くことになっているんです」

 スズカは、ベンチを少しだけ指で叩き、ゴルシに座るよう促す。

「あなたも、一緒に来て欲しいです。その時に、何か私に奢ってくれませんか?」

「………………」

 ゴルシは、(皆で。か……)と、わずかな残念さと、それ以上の大きな安堵が混ざり合った、複雑な溜息をついた。

 どうやらトレーナーを瓶詰めにする必要はなさそうだ。危うく、学園の歴史に消えない汚点を残すところだった。

「……しょうがねーな。お前の願いなら、何でも好きなもんを奢ってやるよ。あ、でも一つだけだぞ。アタシのサイフは、マリアナ海溝より深くねえんだからな」

「はい。楽しみにしています」

 スズカはそう言って、夕陽に照らされたコースを見つめながら、小さく、けれど本当に嬉しそうに笑った。


『世界は、正確な地図よりも、たった一人のデタラメなナビゲーターを必要としている時がある。』

 二人の間にあるのは、相変わらず噛み合わない理論と、それでもなぜか同じテンポで刻まれる脈拍。

 ゴルシは、ズタ袋をこっそりベンチの下に隠しながら、「次はもっと平和なサプライズを考えよう」と、自分でも驚くほど素直な気持ちで、春の空を見上げるのだった。
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