#11 沈黙するスピードと、饒舌な革ジャン
世の中には、宝くじに当たるよりも難しいことが三つある。
一つ目は、猫に「明日のゴミ出し」を頼むこと。二つ目は、絶対に絡まないイヤホンコードを開発すること。そして三つ目は、ゴールドシップとの平穏な将来を想像することだ。
その日の高等部一年生の教室は、授業の合間の休憩というよりも、さながら「過酷な現実との答え合わせ会場」と化していた。
「ねえねえ、もし付き合うならどんなタイプがいい?」
火蓋を切ったのは誰だったか。たいてい、こういう物語の引き金は、名前も思い出せないような誰かの、些細な一言から始まる。
最初は、モデルのような容姿だとか、少女漫画にありそうな、甘ったるい願望が賑やかに飛び交っていた。しかし、会話というものは不思議な重力を孕んでいる。空中に放り投げられた理想は、旋回するうちに少しずつ鮮やかさを失い、地面に着地する頃には「生活」という名の湿り気を帯びた形へと、急速にその姿を変えていった。
「やっぱり誠実さ。これに尽きるわ」
「安定した職。できれば公務員か、老舗企業の管理職がいいわね」
「将来設計をスライド資料で出せる人がいいな」
「てか、やっぱり年収という名の戦闘力は無視できないよね」
秒速で雪崩れ込む、あまりにもリアルな条件の数々。彼女たちは夢を見るウマ娘であると同時に、意外なほど地に足のついた「現実主義者」でもあった。恋愛とはロマンではなく、低リスク・高リターンを狙う投資信託のようなものらしい。
「で、スズカは?」
不意に、スポットライトが移動する。
「……え?」
サイレンススズカは、手に持っていたシャープペンシルを凝視したまま固まった。
“タイプ”という概念。彼女にとって、それは「内ラチ沿いを走るか、外から捲るか」といった戦術的な意味しか持たなかったからだ。
「優しくて、堅実で」
「きっとスズカさんには、知的なエリートがふさわしいよ」
「将来性抜群の、すごい人……」
周囲が勝手に積み上げていく「理想のスズカのパートナー像」は、まるで丁寧に磨かれた大理石の彫像のようだった。非の打ち所がなく、そして――ひどく冷たそうだった。
そこで、誰かが冗談のつもりで禁断のスイッチを押した。
「じゃあさ、もし“チームメイトが彼氏”だったら? ……例えば、スピカのゴールドシップとか」
一瞬の沈黙。
その後、教室の窓が震えるほどの爆笑が弾けた。
「無理無理無理! 宇宙人と同居する方がまだマシ!」
「恋人以前に、人としてカテゴリーが不明じゃない!」
「想像してよ、両親への挨拶。襖を開けたらあの人、革ジャンでギター持って立ってるかも知れないよ?」
『どうも初めまして。魂(ソウル)です』
誰かが真似したその台詞に、再び笑いの渦が巻く。
「即・実家出禁確定」「結婚式で誓いのキスの代わりにドロップキックしそう」「生活リズムが合うわけない」。
評価は散々だった。最悪、という言葉がこれほど似合うシチュエーションも珍しい。
だが、サイレンススズカだけは笑わなかった。
その頃、当のゴールドシップはといえば――
「やはりアタシにはロックの才能がある」
「魂(ソウル)を詰め込んだアルバムを作る」
という、三日前から温めていた(あるいは五秒前に思いついた)野望を叶えるべく、革ジャンを羽織って「バンドメンバー結成の旅(※サボり)」に出かけていた。
彼女の人生には、いつだって「計画性」という名のブレーキは搭載されていないのだ。
教室の笑い声を聞きながら、スズカは静かに思考を巡らせる。
確かに、皆が言うことは正しい。
革ジャン。ギター。魂。意味不明な言動のオンパレード。世間という名の物差しで測れば、彼女は間違いなく「規格外の不良品」に分類されるだろう。
(……でも)
スズカの脳裏には、別の方位磁針が指し示す「本当の景色」が浮かんでいた。
トレーニングが終わった後、皆が気づかないうちに、一番最後に残って全員の体調をチェックしている影。
誰かがスランプに陥っている時、わざと無茶苦茶な悪戯を仕掛けて、無理やりにでも笑顔を引き出そうとする不器用な優しさ。
そして、自分という「静かな孤独」を、否定もせずに隣で面白がってくれる温度。
あれは、この「恋バナ地獄」という名の法廷では、一切証拠として採用されていない。
「スズカ? どうしたの?」
声をかけられ、スズカはゆっくりと現実に戻ってきた。
「……ううん。なんでもないよ」
そう答えながら、スズカは自分の心にそっとメモを書き加えた。
【観測記録】
世間の「理想」と、私の「真実」は、光年単位でズレている。
現時点では、結論を保留とする。
夕方。
夕焼けに染まった学園の廊下に、調子外れの鼻歌と、革ジャンが擦れる音が響く。
「よお、スズカ! ギターの一弦が切れたから、代わりにお前の髪の毛一本くれねーか?」
相変わらずのデタラメを言いながら戻ってきたゴールドシップ。
スズカは何も答えず、ただじっと、その不思議な生き物を見つめた。
その視線が、昼間よりも少しだけ深くなっていることに ――ゴールドシップは、まだ気づいていない。
「ゴルシ。髪の毛の代わりに、アイスを奢ります。それで妥協してください」
「おう、話がわかるじゃねーか!」
スズカは前を向いたまま、少しだけ口角を上げた。
その表情が何を意味するのか、隣を歩くゴールドシップは、まだ知らない。