第二章 二面性
週末休みが明け、誰もが気怠い月曜日を迎えていた、ヒルカリオの地下鉄駅構内。
乗り換えのために、次のホームへと移動していたナオトと鞠絵は、前方に見慣れたスーツ姿の背中を発見した。より正確に言うなれば、両太腿のガンホルスターで判別したに等しいが…。
「琉一先生ぇ、おっはよーございますっ」
「おはようございます、琉一さん」
「鈴ヶ原ドクター、鞠絵さん、おはようございます」
鞠絵が挨拶をしながら、丁寧に腰を折る。ナオトは気持ちばかりの会釈で済ませたが、…この辺りは、例え二人が兄妹とはいえ、社会的な立場の差だろう。現に琉一は気にも留めていない、むしろ当然の態度であるとばかりに受け取り、自身も鈴ヶ原兄妹へと挨拶の言葉を返す。
軍事士官のように背筋を伸ばして立っている琉一を見ながら、ナオトはいつもと変わらぬ穏やかな笑顔で、彼に問うた。
「琉一さんが、地下鉄のホームで乗り換えとは、珍しいですね。
貴方は確か、本土の入島検閲所から直行で出ている、特急便で出勤していると伺っておりますが…」
ナオトの疑問点は「ごもっとも」とでも言うべきである。だが、その着眼点や発想、果ては本人に直接問い質すという担力は、やはりナオトが実力確かな医者である、という証左でしかない。その一方で、きょとん?、としている鞠絵のことは一旦、横に置いていくようなカタチになるものの、琉一はナオトからの質問にきちんと答え始める。
「肯定します。自分は検閲所の駅から、本社に一番近い駅まで列車を、年間指定席で取っていますが…、今朝、急にその特急便の全てが運行停止になったらしく、こうして鈍行便に切り替えている次第です」
「あらあら、それは大変でしたね。何かトラブルでもあったのでしょうか。詳細は、ご存知ですか?」
「否定します。自分が此処に来るまでに見聞きした列車内及び、駅構内のアナウンスでは、然したる情報は得られませんでした」
琉一とナオトが会話をしている間、鞠絵は、ふと、ホームの内側に軽い人だかりが出来ているのを見つけた。何やら、二人の男性が軽めの言い合いをしているようで、それを周囲の人間たちが仲裁しようと試みている。鞠絵は、すぐにナオトの服の袖を引っ張りながら、口を開いた。
「兄貴、兄貴。あそこで大人同士が喧嘩してるっぽい。止めた方が良さげじゃね?しかも両方とも男だから、もし殴る蹴るとかになったらヤバイよ?」
「おや、今朝は何だか、穏やかではありませんね」
そんな短いやり取りをしている僅かな間にも、喧騒が酷くなりそうな気配が漂ってくる。かつての経験則から、良くない空気を感じ取ったナオトは、即座に隣の琉一へ声を掛けた。
「琉一さん、お願いしてもよろしいでしょうか。僕はただの医者ですし、見ての通り、もやし体型ですので、腕力に自信は全くありません」
「肯定します。ですが、万が一の怪我人への対応、または会話による興奮した人間の精神の抑制が必要になる場合が想定されますので、鈴ヶ原ドクターにも、ご同行頂きます」
「なるほど。そういうことでしたら、喜んでお手伝いしましょう。…では、マリーは此処で待っていてくださいね」
鞠絵をその場で待機させてから、琉一とナオトは、喧騒の中心へと近付いていく。二人の気配に気が付いた周囲が、只者の風格ではない、と本能的に察知したのか、無言で道を開けた。
言い争っている様子の男二人も、水を差されたような面持ちで、琉一とナオトに対して、揃って視線を向ける。琉一が冷静な声で、告げた。
「通りすがりの弁護士です。双方のお話、言い訳、理由、その他、このような騒ぎに繋がったとされる説明等に該当する証言は、全て平等に伺います。なので、どうぞ一旦、お静かに」
弁護士という琉一の肩書きは、彼がスーツの襟元に着けているバッジが証明している。…だが、やはり。太腿に装備された二挺拳銃が、妙な威圧感を放っているのが現実で、それを受けた群衆たちは、おず…、と言った風に一歩二歩と、下がり始めた。
「ただの意見の相違であるなら、それは個人間の勝手です。しかし、地下鉄の駅構内、そして人が多く行き交う通勤時間帯に、余計な混乱を招くような行為に発展させるのは、よろしくありません。
それで、まずは向かって右の御方、貴方からのご意見を伺いましょう。何故、どうして、貴方は眼の前の御方と、言い争っていたのでしょうか?」
琉一が持つ独特の威圧感はさておき、その口調は至って真面目な仕事人のそれである。弁護士としての仕事の実績は優秀、という評価の裏付けとも言えた。実際、琉一の言葉を受けたことで、彼の台詞にあった通り、一旦、冷静さを取り戻したらしい男二人の内、まずは指名された方が、証言を始める。
「え、と、それは、その…、こいつが歩きスマホしてて、ふらふらと歩いてたから、危ないぞって注意しようとしただけで…!そうしたら、急に逆ギレしてきたから…!思わず言い返して、そこから喧嘩になってしまって…」
琉一が仲裁を始めた場を、ナオトは冷静に観察していた。男の証言は、しどろもどろではあるうえ、断片的極まりないものの、きちんと内容は掴み取れる。何処かくたびれた背広姿の風体ではあるが、仕事一筋、会社に忠誠心を捧げるタイプの人間という印象。このご時世、歩きスマホをする人間など珍しくないというのに、それを見咎めて、注意をする。という行為に及べる。故に「つい、カッとなる」のは人間として当然の心理であるからにして、それもまた珍しくはない。ただ、少々。全身から疲労感というオーラが滲み出すぎているような気もした。仕事熱心で、世間のありふれた間違いに「No.」が言える気概の持ち主。正当な評価も、不当なる逆境も、その身に浴びてきたのだろうか…。
ナオトがそこまで脳内で予測文を組み立てていたとき。証言をしていた背広の男ではない、もう一人の男、―――正確に判別するならば、若者、とでも言うべきだろうか。彼が、琉一の采配を待たずに、自分の主張を言い始めた。
「お、俺はちゃんと前を見てたし!それに、ちょうど動画が良い所だったのに、「おい!よそ見すんな馬鹿!」とか言われて、邪魔されたから…!それで、つい、カッとなっただけだって…!」
若者。シンプルな分野に一括りにするのは、実に簡単である。しかし、人間の一個性を重んじることをせず、何をカテゴライズすると言うのか。この若者とて、一人の生きている人間だ。歩きスマホをしてまで夢中になるほど、好きな動画がある。所謂、タイパ・コスパを最重視する年頃でもあるが、そうであっても彼が身に着けているモノから、日頃、自分の財布事情と相談したうえで、このヒルカリオを歩くために恥ずかしくない恰好を心掛けているのが分かる。髪も爪も手入れが行き届いているのは、彼自身の性格か、或いは、親元の教育の賜物か。もしパートナー的存在が居るならば、そちらが関係している可能性だってある。…どれにせよ、「最近の若者は~云々」で、十把一絡げにしてはいけない。
だが、あくまでこの場の仲裁は琉一が担っている。若者は彼の指示を待たずして、勝手に発言した。それは「まあ、まだ若いから…」と片付けても良いだろう。
少々興奮している様子を見せる若者に対して、琉一が、今一度、落ち着くように諫めてから、改めて、両者の言い分を整理しようとしたときだった。
「どう見たって俺は悪くないだろーが?!てか、注意すんなら、もうちょい言い方ってモンがあるんじゃねーの?!いきなり馬鹿呼ばわりは無いだろッ?!これが会社ならパワハラってヤツじゃねーのかよ?!俺、今のバ先ですら、あんな怒り方されたことねーよ!!マジありえねー!!」
若者の方が、突然、今までに無かった声量で、怒鳴り上げる。弁護士である以前に戦士として有能であるが故、一瞬だけ、身構えることに傾倒してまった琉一が、口を閉ざした。が、それが『隙』になってしまった。あっという間に、背広の男と若者が、再び相対して、吠え始める。
「おいおい待てよ!!俺は別に本気で馬鹿とか思ってないって!!人に注意するとき、咄嗟に荒い口調に変わるなんて、誰でもあるだろ?!会社とかバイト先とか、今は関係の無い話にすり替えるな!!
お前こそ、歩きスマホのせいで、ホームの下に転がり落ちても良かったってことか?!列車が来てたらどうなってたと思ってんだ!?なじるより先に、むしろ感謝するべきだろう?!」
「んだよ?!俺は前を見てたって言ったじゃん?!てか、俺は注意の仕方を考えろって言ったのに、今度は「危ないから注意してやった」的な善意の押し付けかよ?!誰もお前に「歩きスマホの注意喚起をして回れ」だなんて頼んでねーだろーがッ?!勝手に正義ぶってんじゃねーし!!」
「今度は俺が悪者扱いか?!というか、お前、俺がパワハラ上司だって言いたいのか?!そんなこと今の会社に勤めてから言われたことは無いぞ!!若いからって何でも言って良いと思うな!!たかだか学生バイトを少しやっただけで、社会経験積んだ気になるんじゃない!!」
「ふッざけんな!!この老害社畜野郎!!俺たち若者の少ない給料から搾取した血税で、自分たちの老後の年金が保証されてるだけのくせに、調子乗ってんじゃねーっつーの!!」
「なんだと?!このクソガキめ!!お前たち若いモンが、やれ現代は多様性だの、やれこの国は時代錯誤だの何だのと、大きな声で謳うから!!俺たち先人がせっかく血涙流して築いてきたこの美しい社会構造が、今や滅茶苦茶になってるんだぞ!!調子に乗ってるのはどっちだ?!」
秒速でヒートアップした双方の大喧嘩に、遂に、「我関せず」と「怖いもの見たさ」の狭間で中途半端に動いていた周囲の人間たちが、完全に野次馬と化す。我先にとスマートフォンやタブレット端末を取り出し、動画の撮影を始めた。
その周囲の行動を見たナオトは、まずい、と即座に判断し、琉一とアイコンタクトを取った後、喧嘩の中心から出来るだけ迅速に離れる。…更生プログラム中のナオトが、民間人の撮影した動画に映りこみ、万が一、無加工状態でSNSにでも晒されたら…。更生プログラム運営は、間違いなく、余計な横槍を入れてくる。
何より。ナオトが前科を背負う理由になった『オーロラの魔女事件』は、確かにセンセーショナルな話題として、SNSではあることないこと勝手に騒がれたものの。結局、それが、瞬く間に自然鎮火したのは、主犯の綺子が再起不能になったせいで、全く表に出て来れなかったからこそである。要するに、『一番の悪役が謝罪しなかった』、『影も形も無く、消えてしまった』ことで、民衆の野次馬根性が勝手に冷めて、萎えていっただけだ。
つまり、此処でナオトの顔が余計な動画や、情報の流布の影響で、民衆に広まりでもしたら。…ほぼ間違いなく、彼らは忘れていたはずの『オーロラの魔女事件』を蒸し返すだろう。そして、表舞台から完全に消えた綺子の代わりに、根の深い関係者として前科を負っているナオトを、無差別に攻撃してくる。…悲しい世の中だ。
判断が早かったおかげで、野次馬の山が出来上がる前に、ナオトは何とか現場から距離を取ることに成功した。
たった数メートルとはいえ、瞬間的に走ったことで、乱れた呼吸を整えていると。下を向いたナオトの視界に、鞠絵が履いている、バレエコアのスニーカーが入り込んできた。…かと思えば、そのまま視界の外へ出て行ってしまう。より正確に言えば、野次馬が集まる、あの喧嘩の方角へ。
先ほどのものとは全く別ベクトルでの「まずい」で脳裏が支配されたナオトが、身体ごと後ろに向けたときだった。
「――――うっせぇぇわぁぁぁぁああ!!!!どいつもこいつもうっせぇぇわぁぁぁぁああッッ!!!!」
地下鉄駅のホームに響き渡る、鞠絵の雄叫び。
なんだなんだ?!と野次馬はおろか、喧嘩の中心だった男二人、おまけに琉一も。皆が一斉に、鞠絵に注目する。だが彼女は臆するどころか、前に進み出す勢いで、声を上げ始めた。
「まずおっさん!そう!背広のおっさん!アンタ、駄目!ぜんっぜん駄目!!何が駄目って?!
良いかよ?「大人の自分が、危ないことしてる若いモンを注意したろう」あたりまでは正当性マックス!でも、それが押しつけになってる時点で、もうNG!「イマドキの若者」ってのは、大人から、てゆーか、アンタらくらいの年の頃の男社会育ちの大人から、アレコレ頭ごなしに言われるの大っ嫌いなワケ!!古い価値観のままで、現代社会の流れにアップデートしないまま社会人を終えていくつもりで勝手に詰むな!!次世代の道を作れとまでは言わないけどさ!せめて最新の社会情勢に合わせたマニュアルの、その型紙だけでも良いから!そこまでは作っておいてから世代交代するつもりでいなよ!!
それもしないで、「やれ多様性だの、時代錯誤だの謳ったせいで、俺たちの美しい社会構造が滅茶苦茶になってる」だぁ?!その社会構造が滅茶苦茶になるのを察した時点で、何で自分たちの価値観がもう古いってことに気が付かなかったんだって話!!
―――はい!次ィィ!!」
鞠絵の慟哭は終わらない。それどころか、今度は、「次」ということで。彼女の視線が若者の方へと向く。
「若者!いや、ウチから見たら、全然アンタの方が年上だけど!でも敢えて言わせろ!そこの若者!アンタも、地雷!最早、歩く現代産自走地雷!!何処が地雷って?!
良く聞けよ?「いきなり馬鹿呼ばわりされたからキレた」までは分かる!ウチだって急に「馬鹿」なんて言われたら怒るわ!でも、そこから先の対応がマジで間違ってる!推し動画に夢中になってホーム下に落っこちるかもしんない危ない歩き方してたアンタのこと、注意することで止めてくれたおっさんに向かって「老害」呼ばわりは無いわ!確かにさ、この現代社会のあちこち、まだまだ旧時代の価値観ごろごろ転がりまくってるし、一向にそれから抜け出そうともしないヤツらは居る!めっちゃ居る!ウチのバ先でもウヨウヨ歩いてる!
でも考えてみなよ?アンタが老害呼ばわりしたそのおっさんたちの世代が、この滅茶苦茶になった世界の中で、今も必死に「社会」のカタチを保とうとしてくれているわけ!!ウチらは、そんな大人たちのおかげで、「若者」をやっていけてるんだよ!!
それを理解せずに、「俺たちから搾取した血税で、老後が保証されているだけのくせに」だってぇ?!現代の大人たちに搾取されてます被害者ってアピールする前に、まず対面してるおっさんが自分の命を救ってくれたっていう前提条件を忘れんなって話!!
―――はい!此処までの結論!!」
鞠絵が、ダァン!、とバレエコアのスニーカーの底で、ホームの地面を叩く。
「おっさん!若者の命を救ってやった大人の自分に対して!
そして、若者!大人からの理不尽で押しつぶされている自分に対して!
酔うな!悦に浸るな!自分が正しいと思いたいからと、勝手に潰し合うな!!相手を殴るための手と声があるなら、その手で握手し合って、その声で感謝と尊敬の言葉を言い合え!!人生の先輩と、人生の後輩が、それぞれの立場から!お互いに優しくなれ!!
もういい加減、人類皆仲良くしろーーーーッッ!!!!」
――――……………。
鞠絵の心の叫びは、地下鉄駅のホーム内に蔓延った静寂の中に消えていく、…と思いきや、にわかにその空気全体に浸透していった。
誰から始めたか、小さな拍手が大きくなり、やがてそこに鞠絵を称賛する声が付け加えられて。
「ナニコレ!すごすぎじゃね!?」
「驚きだ!将来性あるぜ、この子!」
「こんなにしっかりした若い子が居るなんて!」
「まだまだ世の中、捨てたもんじゃねーよ!」
「オールドメディアの下手なバラエティーより感動した!」
「推せる!めっちゃ推せる!!」
「いいぞーお嬢ちゃーん!この先の未来はお前たちに任せたぞー!!」
「どうしよッ、フツーに泣けてきた…ッ!」
先ほどまで喧嘩を冷やかすだけの野次馬だった群衆は、今度は鞠絵の勇姿を鼓舞するモノたちへと立場を変えて、彼女に熱狂した視線と声を浴びせ続けた。だが、鞠絵はそんなこと浮つくほど、頭の軽い少女では無い。見た目こそ、ギャルメイクとファッション盛り沢山の現役女子高生とて、彼女はナオトの妹であり、バイト先はROG. COMPANY本社の社長室である。手放しで鞠絵を褒めちぎる群衆たちからは隠された真実こそが、彼女の真価を語るのだ。
鞠絵は、自分に熱狂する人間たちに向かって、「もう手遅れだけど、これ以上は仕事も学校も遅れまくりんぐってば!」、「遅延証明書ってヤツは後でネットから発行できるかんな!駅員さんを困らせんなよ!」、「ほら!解散!かいさーん!」と声を掛けながら、冷静さを取り戻させつつ、徐々にその場からはけさせていった。
そして、残るは。
「…。」
「…。」
事の発端。全ての元凶になった、あの二人の男。
野次馬が消えて行った中でも、未だ無言で見詰め合うこと、数秒。
「…、なんか、大人として恥ずかしい気分で一杯だ…。良い歳して、年下の男と喧嘩するだなんて…。俺も焼きが回ったのかもしれない…。会社ではそれなりの肩書きがあっても、此処では一人の人間だったよ…」
「…、あ、いや、…俺も、相手が社会人だってのに、リスペクトせずに、言いたい放題で…。「歩きスマホは危ないからやめて」って、恋人からも最近、注意されたばっかだったのに…」
もにょもにょと、お互いの胸の内を零す、背広の男と、若い男。そして。
「あー、うん、その、なんだ…」
「えと、あー、うー、その…」
二人して、今一度、言い淀んだ後。
「「ごめんなさい!」」
社会の酸いも甘いも経験した大人と、若いながらもバイト先で揉まれた若人が。腰を綺麗に折って、指先を揃えて、頭を下げる。
それから、二人して顔を上げたあと、恥ずかし気に笑い合って。かたや大人は背広の懐から板ガムを、かたや若人はパーカーのポケットからミントタブレットのケースを、それぞれ取り出して、互いに交換し合う。
「え?板ガム?初めて見た!ネットの写真よりレトロ感あって、マジスゲー!」
「そうだろう?実はな、今でも取り扱ってるショップがあるんだよー。…そのミントタブレット、この前、娘がアニメとコラボしたとかで買い漁ってたな…」
「あ!それなら、穴場のコンビニがあるんすよ!シェアするから、娘さんに教えてあげてほしい!売り上げ貢献して!俺の推しとのコラボなんだ!」
「え?良いのか?それは赤丸チェックだな!」
「赤丸チェック?ナニソレ!もう語録じゃん!おもろ!」
生まれた時代こそすれ違っただけの男二人は、争いの後に芽生えた小さな会話を、大切に育て始めた。
それを見届けた鞠絵は、自分の隣に来たナオトの腕に縋るようにして。ナオトは、大切な妹が、大人すら怖がるような勇気を振り絞ったことを、文字通り、寄り添ってあげることで全面的に肯定した。
…。
そして、結果的には。己の弁護士という仕事も能力も必要が無かったカタチで、事態が収束した琉一は。
一人、皆とは全く違う方向へと、静かに、静かに、視線を投げていた。
優先エレベーターが設置されている傍の柱の陰から、始終、こちらを見ていたキャットは。琉一と、きっちり、五秒間は見詰めってから。その猫耳を模したヘアスタイルを跳ねさせるかのように、すんっ、と身を翻して、琉一の視界から消えて行く。
追うことはしない。先の週末、ヒルカリオで起こったおかしな騒ぎの現場に、幸福劇場のノアの姿が確認されたのは。その場を平定したソラ本人より、既に情報が共有されていたからだ。同じ幸福劇場のメンバーであるキャットが、今の騒動を眺めていたということは、…やはり、これも『アンチ・アグリー』とやらと、何かしら関係の在る事柄なのかもしれない。
得も言われぬ不快感と、正体不明の嫌悪感を抱く。しかし、琉一にとって、それは懐かしささえ覚える感覚である。
―――戦場にだけ吹く、ひりつく風。
命の奪い合いと、武器の向け合い。誰もが、自分が明日も生きていることを証明するために、血と泥に塗れて戦う。
虚無の勝利と、それを安全圏から讃えるだけの無能な人間たちだけなら、琉一は傭兵時代に、飽きるほど見てきた。故に、本土の政治家たちに対して、琉一は幸福劇場への抑止力を期待してなどいない。ソラは『ルカの不在に付け入れられたこと』に関して、酷く動揺していたようだったが…(…ソラ自身は冷静に振る舞っていたが、簡単に見抜けた。伊達に天才同士で、親友はしていない)。
では、自分は、自分の出来ることをさせて貰うとしよう。
琉一はそう胸に決意したと同時に。右手の指先で、ユースティティアのグリップを軽く撫でた。
to be continued...
乗り換えのために、次のホームへと移動していたナオトと鞠絵は、前方に見慣れたスーツ姿の背中を発見した。より正確に言うなれば、両太腿のガンホルスターで判別したに等しいが…。
「琉一先生ぇ、おっはよーございますっ」
「おはようございます、琉一さん」
「鈴ヶ原ドクター、鞠絵さん、おはようございます」
鞠絵が挨拶をしながら、丁寧に腰を折る。ナオトは気持ちばかりの会釈で済ませたが、…この辺りは、例え二人が兄妹とはいえ、社会的な立場の差だろう。現に琉一は気にも留めていない、むしろ当然の態度であるとばかりに受け取り、自身も鈴ヶ原兄妹へと挨拶の言葉を返す。
軍事士官のように背筋を伸ばして立っている琉一を見ながら、ナオトはいつもと変わらぬ穏やかな笑顔で、彼に問うた。
「琉一さんが、地下鉄のホームで乗り換えとは、珍しいですね。
貴方は確か、本土の入島検閲所から直行で出ている、特急便で出勤していると伺っておりますが…」
ナオトの疑問点は「ごもっとも」とでも言うべきである。だが、その着眼点や発想、果ては本人に直接問い質すという担力は、やはりナオトが実力確かな医者である、という証左でしかない。その一方で、きょとん?、としている鞠絵のことは一旦、横に置いていくようなカタチになるものの、琉一はナオトからの質問にきちんと答え始める。
「肯定します。自分は検閲所の駅から、本社に一番近い駅まで列車を、年間指定席で取っていますが…、今朝、急にその特急便の全てが運行停止になったらしく、こうして鈍行便に切り替えている次第です」
「あらあら、それは大変でしたね。何かトラブルでもあったのでしょうか。詳細は、ご存知ですか?」
「否定します。自分が此処に来るまでに見聞きした列車内及び、駅構内のアナウンスでは、然したる情報は得られませんでした」
琉一とナオトが会話をしている間、鞠絵は、ふと、ホームの内側に軽い人だかりが出来ているのを見つけた。何やら、二人の男性が軽めの言い合いをしているようで、それを周囲の人間たちが仲裁しようと試みている。鞠絵は、すぐにナオトの服の袖を引っ張りながら、口を開いた。
「兄貴、兄貴。あそこで大人同士が喧嘩してるっぽい。止めた方が良さげじゃね?しかも両方とも男だから、もし殴る蹴るとかになったらヤバイよ?」
「おや、今朝は何だか、穏やかではありませんね」
そんな短いやり取りをしている僅かな間にも、喧騒が酷くなりそうな気配が漂ってくる。かつての経験則から、良くない空気を感じ取ったナオトは、即座に隣の琉一へ声を掛けた。
「琉一さん、お願いしてもよろしいでしょうか。僕はただの医者ですし、見ての通り、もやし体型ですので、腕力に自信は全くありません」
「肯定します。ですが、万が一の怪我人への対応、または会話による興奮した人間の精神の抑制が必要になる場合が想定されますので、鈴ヶ原ドクターにも、ご同行頂きます」
「なるほど。そういうことでしたら、喜んでお手伝いしましょう。…では、マリーは此処で待っていてくださいね」
鞠絵をその場で待機させてから、琉一とナオトは、喧騒の中心へと近付いていく。二人の気配に気が付いた周囲が、只者の風格ではない、と本能的に察知したのか、無言で道を開けた。
言い争っている様子の男二人も、水を差されたような面持ちで、琉一とナオトに対して、揃って視線を向ける。琉一が冷静な声で、告げた。
「通りすがりの弁護士です。双方のお話、言い訳、理由、その他、このような騒ぎに繋がったとされる説明等に該当する証言は、全て平等に伺います。なので、どうぞ一旦、お静かに」
弁護士という琉一の肩書きは、彼がスーツの襟元に着けているバッジが証明している。…だが、やはり。太腿に装備された二挺拳銃が、妙な威圧感を放っているのが現実で、それを受けた群衆たちは、おず…、と言った風に一歩二歩と、下がり始めた。
「ただの意見の相違であるなら、それは個人間の勝手です。しかし、地下鉄の駅構内、そして人が多く行き交う通勤時間帯に、余計な混乱を招くような行為に発展させるのは、よろしくありません。
それで、まずは向かって右の御方、貴方からのご意見を伺いましょう。何故、どうして、貴方は眼の前の御方と、言い争っていたのでしょうか?」
琉一が持つ独特の威圧感はさておき、その口調は至って真面目な仕事人のそれである。弁護士としての仕事の実績は優秀、という評価の裏付けとも言えた。実際、琉一の言葉を受けたことで、彼の台詞にあった通り、一旦、冷静さを取り戻したらしい男二人の内、まずは指名された方が、証言を始める。
「え、と、それは、その…、こいつが歩きスマホしてて、ふらふらと歩いてたから、危ないぞって注意しようとしただけで…!そうしたら、急に逆ギレしてきたから…!思わず言い返して、そこから喧嘩になってしまって…」
琉一が仲裁を始めた場を、ナオトは冷静に観察していた。男の証言は、しどろもどろではあるうえ、断片的極まりないものの、きちんと内容は掴み取れる。何処かくたびれた背広姿の風体ではあるが、仕事一筋、会社に忠誠心を捧げるタイプの人間という印象。このご時世、歩きスマホをする人間など珍しくないというのに、それを見咎めて、注意をする。という行為に及べる。故に「つい、カッとなる」のは人間として当然の心理であるからにして、それもまた珍しくはない。ただ、少々。全身から疲労感というオーラが滲み出すぎているような気もした。仕事熱心で、世間のありふれた間違いに「No.」が言える気概の持ち主。正当な評価も、不当なる逆境も、その身に浴びてきたのだろうか…。
ナオトがそこまで脳内で予測文を組み立てていたとき。証言をしていた背広の男ではない、もう一人の男、―――正確に判別するならば、若者、とでも言うべきだろうか。彼が、琉一の采配を待たずに、自分の主張を言い始めた。
「お、俺はちゃんと前を見てたし!それに、ちょうど動画が良い所だったのに、「おい!よそ見すんな馬鹿!」とか言われて、邪魔されたから…!それで、つい、カッとなっただけだって…!」
若者。シンプルな分野に一括りにするのは、実に簡単である。しかし、人間の一個性を重んじることをせず、何をカテゴライズすると言うのか。この若者とて、一人の生きている人間だ。歩きスマホをしてまで夢中になるほど、好きな動画がある。所謂、タイパ・コスパを最重視する年頃でもあるが、そうであっても彼が身に着けているモノから、日頃、自分の財布事情と相談したうえで、このヒルカリオを歩くために恥ずかしくない恰好を心掛けているのが分かる。髪も爪も手入れが行き届いているのは、彼自身の性格か、或いは、親元の教育の賜物か。もしパートナー的存在が居るならば、そちらが関係している可能性だってある。…どれにせよ、「最近の若者は~云々」で、十把一絡げにしてはいけない。
だが、あくまでこの場の仲裁は琉一が担っている。若者は彼の指示を待たずして、勝手に発言した。それは「まあ、まだ若いから…」と片付けても良いだろう。
少々興奮している様子を見せる若者に対して、琉一が、今一度、落ち着くように諫めてから、改めて、両者の言い分を整理しようとしたときだった。
「どう見たって俺は悪くないだろーが?!てか、注意すんなら、もうちょい言い方ってモンがあるんじゃねーの?!いきなり馬鹿呼ばわりは無いだろッ?!これが会社ならパワハラってヤツじゃねーのかよ?!俺、今のバ先ですら、あんな怒り方されたことねーよ!!マジありえねー!!」
若者の方が、突然、今までに無かった声量で、怒鳴り上げる。弁護士である以前に戦士として有能であるが故、一瞬だけ、身構えることに傾倒してまった琉一が、口を閉ざした。が、それが『隙』になってしまった。あっという間に、背広の男と若者が、再び相対して、吠え始める。
「おいおい待てよ!!俺は別に本気で馬鹿とか思ってないって!!人に注意するとき、咄嗟に荒い口調に変わるなんて、誰でもあるだろ?!会社とかバイト先とか、今は関係の無い話にすり替えるな!!
お前こそ、歩きスマホのせいで、ホームの下に転がり落ちても良かったってことか?!列車が来てたらどうなってたと思ってんだ!?なじるより先に、むしろ感謝するべきだろう?!」
「んだよ?!俺は前を見てたって言ったじゃん?!てか、俺は注意の仕方を考えろって言ったのに、今度は「危ないから注意してやった」的な善意の押し付けかよ?!誰もお前に「歩きスマホの注意喚起をして回れ」だなんて頼んでねーだろーがッ?!勝手に正義ぶってんじゃねーし!!」
「今度は俺が悪者扱いか?!というか、お前、俺がパワハラ上司だって言いたいのか?!そんなこと今の会社に勤めてから言われたことは無いぞ!!若いからって何でも言って良いと思うな!!たかだか学生バイトを少しやっただけで、社会経験積んだ気になるんじゃない!!」
「ふッざけんな!!この老害社畜野郎!!俺たち若者の少ない給料から搾取した血税で、自分たちの老後の年金が保証されてるだけのくせに、調子乗ってんじゃねーっつーの!!」
「なんだと?!このクソガキめ!!お前たち若いモンが、やれ現代は多様性だの、やれこの国は時代錯誤だの何だのと、大きな声で謳うから!!俺たち先人がせっかく血涙流して築いてきたこの美しい社会構造が、今や滅茶苦茶になってるんだぞ!!調子に乗ってるのはどっちだ?!」
秒速でヒートアップした双方の大喧嘩に、遂に、「我関せず」と「怖いもの見たさ」の狭間で中途半端に動いていた周囲の人間たちが、完全に野次馬と化す。我先にとスマートフォンやタブレット端末を取り出し、動画の撮影を始めた。
その周囲の行動を見たナオトは、まずい、と即座に判断し、琉一とアイコンタクトを取った後、喧嘩の中心から出来るだけ迅速に離れる。…更生プログラム中のナオトが、民間人の撮影した動画に映りこみ、万が一、無加工状態でSNSにでも晒されたら…。更生プログラム運営は、間違いなく、余計な横槍を入れてくる。
何より。ナオトが前科を背負う理由になった『オーロラの魔女事件』は、確かにセンセーショナルな話題として、SNSではあることないこと勝手に騒がれたものの。結局、それが、瞬く間に自然鎮火したのは、主犯の綺子が再起不能になったせいで、全く表に出て来れなかったからこそである。要するに、『一番の悪役が謝罪しなかった』、『影も形も無く、消えてしまった』ことで、民衆の野次馬根性が勝手に冷めて、萎えていっただけだ。
つまり、此処でナオトの顔が余計な動画や、情報の流布の影響で、民衆に広まりでもしたら。…ほぼ間違いなく、彼らは忘れていたはずの『オーロラの魔女事件』を蒸し返すだろう。そして、表舞台から完全に消えた綺子の代わりに、根の深い関係者として前科を負っているナオトを、無差別に攻撃してくる。…悲しい世の中だ。
判断が早かったおかげで、野次馬の山が出来上がる前に、ナオトは何とか現場から距離を取ることに成功した。
たった数メートルとはいえ、瞬間的に走ったことで、乱れた呼吸を整えていると。下を向いたナオトの視界に、鞠絵が履いている、バレエコアのスニーカーが入り込んできた。…かと思えば、そのまま視界の外へ出て行ってしまう。より正確に言えば、野次馬が集まる、あの喧嘩の方角へ。
先ほどのものとは全く別ベクトルでの「まずい」で脳裏が支配されたナオトが、身体ごと後ろに向けたときだった。
「――――うっせぇぇわぁぁぁぁああ!!!!どいつもこいつもうっせぇぇわぁぁぁぁああッッ!!!!」
地下鉄駅のホームに響き渡る、鞠絵の雄叫び。
なんだなんだ?!と野次馬はおろか、喧嘩の中心だった男二人、おまけに琉一も。皆が一斉に、鞠絵に注目する。だが彼女は臆するどころか、前に進み出す勢いで、声を上げ始めた。
「まずおっさん!そう!背広のおっさん!アンタ、駄目!ぜんっぜん駄目!!何が駄目って?!
良いかよ?「大人の自分が、危ないことしてる若いモンを注意したろう」あたりまでは正当性マックス!でも、それが押しつけになってる時点で、もうNG!「イマドキの若者」ってのは、大人から、てゆーか、アンタらくらいの年の頃の男社会育ちの大人から、アレコレ頭ごなしに言われるの大っ嫌いなワケ!!古い価値観のままで、現代社会の流れにアップデートしないまま社会人を終えていくつもりで勝手に詰むな!!次世代の道を作れとまでは言わないけどさ!せめて最新の社会情勢に合わせたマニュアルの、その型紙だけでも良いから!そこまでは作っておいてから世代交代するつもりでいなよ!!
それもしないで、「やれ多様性だの、時代錯誤だの謳ったせいで、俺たちの美しい社会構造が滅茶苦茶になってる」だぁ?!その社会構造が滅茶苦茶になるのを察した時点で、何で自分たちの価値観がもう古いってことに気が付かなかったんだって話!!
―――はい!次ィィ!!」
鞠絵の慟哭は終わらない。それどころか、今度は、「次」ということで。彼女の視線が若者の方へと向く。
「若者!いや、ウチから見たら、全然アンタの方が年上だけど!でも敢えて言わせろ!そこの若者!アンタも、地雷!最早、歩く現代産自走地雷!!何処が地雷って?!
良く聞けよ?「いきなり馬鹿呼ばわりされたからキレた」までは分かる!ウチだって急に「馬鹿」なんて言われたら怒るわ!でも、そこから先の対応がマジで間違ってる!推し動画に夢中になってホーム下に落っこちるかもしんない危ない歩き方してたアンタのこと、注意することで止めてくれたおっさんに向かって「老害」呼ばわりは無いわ!確かにさ、この現代社会のあちこち、まだまだ旧時代の価値観ごろごろ転がりまくってるし、一向にそれから抜け出そうともしないヤツらは居る!めっちゃ居る!ウチのバ先でもウヨウヨ歩いてる!
でも考えてみなよ?アンタが老害呼ばわりしたそのおっさんたちの世代が、この滅茶苦茶になった世界の中で、今も必死に「社会」のカタチを保とうとしてくれているわけ!!ウチらは、そんな大人たちのおかげで、「若者」をやっていけてるんだよ!!
それを理解せずに、「俺たちから搾取した血税で、老後が保証されているだけのくせに」だってぇ?!現代の大人たちに搾取されてます被害者ってアピールする前に、まず対面してるおっさんが自分の命を救ってくれたっていう前提条件を忘れんなって話!!
―――はい!此処までの結論!!」
鞠絵が、ダァン!、とバレエコアのスニーカーの底で、ホームの地面を叩く。
「おっさん!若者の命を救ってやった大人の自分に対して!
そして、若者!大人からの理不尽で押しつぶされている自分に対して!
酔うな!悦に浸るな!自分が正しいと思いたいからと、勝手に潰し合うな!!相手を殴るための手と声があるなら、その手で握手し合って、その声で感謝と尊敬の言葉を言い合え!!人生の先輩と、人生の後輩が、それぞれの立場から!お互いに優しくなれ!!
もういい加減、人類皆仲良くしろーーーーッッ!!!!」
――――……………。
鞠絵の心の叫びは、地下鉄駅のホーム内に蔓延った静寂の中に消えていく、…と思いきや、にわかにその空気全体に浸透していった。
誰から始めたか、小さな拍手が大きくなり、やがてそこに鞠絵を称賛する声が付け加えられて。
「ナニコレ!すごすぎじゃね!?」
「驚きだ!将来性あるぜ、この子!」
「こんなにしっかりした若い子が居るなんて!」
「まだまだ世の中、捨てたもんじゃねーよ!」
「オールドメディアの下手なバラエティーより感動した!」
「推せる!めっちゃ推せる!!」
「いいぞーお嬢ちゃーん!この先の未来はお前たちに任せたぞー!!」
「どうしよッ、フツーに泣けてきた…ッ!」
先ほどまで喧嘩を冷やかすだけの野次馬だった群衆は、今度は鞠絵の勇姿を鼓舞するモノたちへと立場を変えて、彼女に熱狂した視線と声を浴びせ続けた。だが、鞠絵はそんなこと浮つくほど、頭の軽い少女では無い。見た目こそ、ギャルメイクとファッション盛り沢山の現役女子高生とて、彼女はナオトの妹であり、バイト先はROG. COMPANY本社の社長室である。手放しで鞠絵を褒めちぎる群衆たちからは隠された真実こそが、彼女の真価を語るのだ。
鞠絵は、自分に熱狂する人間たちに向かって、「もう手遅れだけど、これ以上は仕事も学校も遅れまくりんぐってば!」、「遅延証明書ってヤツは後でネットから発行できるかんな!駅員さんを困らせんなよ!」、「ほら!解散!かいさーん!」と声を掛けながら、冷静さを取り戻させつつ、徐々にその場からはけさせていった。
そして、残るは。
「…。」
「…。」
事の発端。全ての元凶になった、あの二人の男。
野次馬が消えて行った中でも、未だ無言で見詰め合うこと、数秒。
「…、なんか、大人として恥ずかしい気分で一杯だ…。良い歳して、年下の男と喧嘩するだなんて…。俺も焼きが回ったのかもしれない…。会社ではそれなりの肩書きがあっても、此処では一人の人間だったよ…」
「…、あ、いや、…俺も、相手が社会人だってのに、リスペクトせずに、言いたい放題で…。「歩きスマホは危ないからやめて」って、恋人からも最近、注意されたばっかだったのに…」
もにょもにょと、お互いの胸の内を零す、背広の男と、若い男。そして。
「あー、うん、その、なんだ…」
「えと、あー、うー、その…」
二人して、今一度、言い淀んだ後。
「「ごめんなさい!」」
社会の酸いも甘いも経験した大人と、若いながらもバイト先で揉まれた若人が。腰を綺麗に折って、指先を揃えて、頭を下げる。
それから、二人して顔を上げたあと、恥ずかし気に笑い合って。かたや大人は背広の懐から板ガムを、かたや若人はパーカーのポケットからミントタブレットのケースを、それぞれ取り出して、互いに交換し合う。
「え?板ガム?初めて見た!ネットの写真よりレトロ感あって、マジスゲー!」
「そうだろう?実はな、今でも取り扱ってるショップがあるんだよー。…そのミントタブレット、この前、娘がアニメとコラボしたとかで買い漁ってたな…」
「あ!それなら、穴場のコンビニがあるんすよ!シェアするから、娘さんに教えてあげてほしい!売り上げ貢献して!俺の推しとのコラボなんだ!」
「え?良いのか?それは赤丸チェックだな!」
「赤丸チェック?ナニソレ!もう語録じゃん!おもろ!」
生まれた時代こそすれ違っただけの男二人は、争いの後に芽生えた小さな会話を、大切に育て始めた。
それを見届けた鞠絵は、自分の隣に来たナオトの腕に縋るようにして。ナオトは、大切な妹が、大人すら怖がるような勇気を振り絞ったことを、文字通り、寄り添ってあげることで全面的に肯定した。
…。
そして、結果的には。己の弁護士という仕事も能力も必要が無かったカタチで、事態が収束した琉一は。
一人、皆とは全く違う方向へと、静かに、静かに、視線を投げていた。
優先エレベーターが設置されている傍の柱の陰から、始終、こちらを見ていたキャットは。琉一と、きっちり、五秒間は見詰めってから。その猫耳を模したヘアスタイルを跳ねさせるかのように、すんっ、と身を翻して、琉一の視界から消えて行く。
追うことはしない。先の週末、ヒルカリオで起こったおかしな騒ぎの現場に、幸福劇場のノアの姿が確認されたのは。その場を平定したソラ本人より、既に情報が共有されていたからだ。同じ幸福劇場のメンバーであるキャットが、今の騒動を眺めていたということは、…やはり、これも『アンチ・アグリー』とやらと、何かしら関係の在る事柄なのかもしれない。
得も言われぬ不快感と、正体不明の嫌悪感を抱く。しかし、琉一にとって、それは懐かしささえ覚える感覚である。
―――戦場にだけ吹く、ひりつく風。
命の奪い合いと、武器の向け合い。誰もが、自分が明日も生きていることを証明するために、血と泥に塗れて戦う。
虚無の勝利と、それを安全圏から讃えるだけの無能な人間たちだけなら、琉一は傭兵時代に、飽きるほど見てきた。故に、本土の政治家たちに対して、琉一は幸福劇場への抑止力を期待してなどいない。ソラは『ルカの不在に付け入れられたこと』に関して、酷く動揺していたようだったが…(…ソラ自身は冷静に振る舞っていたが、簡単に見抜けた。伊達に天才同士で、親友はしていない)。
では、自分は、自分の出来ることをさせて貰うとしよう。
琉一はそう胸に決意したと同時に。右手の指先で、ユースティティアのグリップを軽く撫でた。
to be continued...
