第二章 二面性
週末を迎えたヒルカリオは、いつもより賑わう。
普段は島の住人と、本土から仕事や学業のために入島してくるモノしかいないが。週末休みとなると、いつもはヒルカリオに関係の無い生活圏の人間も、ヒルカリオに在る娯楽を求めて、この島へとやってくるからだ。
そんな賑やかな週末のヒルカリオの、商業区域へと足を踏み入れたソラは。久しぶりに、完全おひとり様モードに入ったこの休日に、大通りを闊歩していた。
ソラの美貌は人目を惹くうえに、惜しげも無く晒された太腿に、鍛え抜かれた腹筋がチラ見せされるような、大胆な、しかし、いやらしさのないファッションが、余計に彼の持つオーラを際立たせる。…会社ではスーツ一択であるソラは、プライベートの私服となると、割と解放的なデザインへと切り替わる傾向があった。果たしてそれが反動なのか、それとも単に個人の趣味なのかは、実は言明されていない。まあ、似合っているし…。と、周りがだんまりを決め込んでいるのも、ある種の正解だろう。
行き交う人々の視線を、ことごとく奪うかのようなソラに向かって、臨時で出しているらしい屋台から、景気の良い声が飛んできた。
「そこの綺麗なお兄さ~ん!この週末だけの限定フラッペはどう~?トッピングのジンジャークッキー、オマケしちゃうから~!」
「不要だ。それに、ヒルカリオの商業区域内では、客引き目的の声掛けをするのは、島全体の条例違反だ。しょっぴかれても知らんぞ?」
「…は~い、良い一日を~…」
ソラの毅然とした態度に、店主はまるで怒られた幼子のように、しょーん…、としていたが。直後に、店主自身が先ほど発した「限定フラッペ」の単語に釣られたらしい、若い女子のグループがやってきたことで、店主はあっという間にそちらへの対応に切り替える。
ヒルカリオの大通り、しかも商業区域内にて、臨時で屋台を出店するのは、決して簡単なことではない。出店に必要な臨時の許可証一枚を取得するためには、何枚もの書類を正確に書き込み、提出することは勿論。本土の保健所が手配した正式な職員の指導のもと、ヒルカリオのルール下で制定された衛生管理の仕組みを徹底的に学ばされ、更にペーパーテストが課される。そのテストで合格点を出して、初めて、屋台の店主に、臨時の出店許可証が降りるのだ。…あのフラッペ屋の店主とて、ソラに向かって、無意味な声掛けこそしてしまったものの。このヒルカリオに臨時で出店したいと思い、それを叶えた実力が在るということである。
――――…。
洋服、靴、化粧品、本屋、その他嗜好品の店を巡り、最初から目当てだったモノから、その場で『目が合った』モノまで、幅広く買い物をしたソラは。買った商品そのものは、各店舗にて、ソラの自宅であるアヴァロンタワーβの最上階の住所に送るよう、確かに手配をした後。ソラは自分の小腹を満たすためと買い求めたホットドックを、ブラックコーヒーと共にぺろりと平らげた。
隙あらばソラをナンパしたいと欲張る外野の視線には、文字通り、眼もくれずに。ソラが(次の目的地は何処にしようか…)、とポケットからスマートフォンを取り出したとき。
「お、そのロックバンド、オレも知ってる。わざわざ壁紙にするとか、結構、イイ趣味してんじゃーん?」
真横から聞こえてきた軽薄極まりない声、―――だが、自分の上司に良く似ているその声を聴いた途端。ソラの左手が、真下から相手の顎を狙った。が、相手は身軽に避けた後、きゃらきゃらと笑いながら、態勢を整える。大振りの三つ編みヘアースタイルは、巨躯の獣の尾にも見えるか。―――…間違いない。ノアだ。
「お前か…。悪いが、今の俺は休暇中だ。ルカも訳あって、すぐにお前たちの対応は出来ない状態に在る。
用事があるのなら、週末明けに、Room ELまで来てからにしろ」
ソラの冷たい言葉に関しては、全くノーダメージらしいノアは、片手に持ったドリンク専用のプラカップに刺さったピンク色のストローを咥えて、中身を吸い込む。そして嚥下した後、灰水色のリップが塗られた唇から、自分の主張を紡ぎ始めた。
「うーん?でも、週末休みって概念、幸福劇場には無いからさー。悪いんだけど、まー、一応、話だけでも聞いてよ。てか、むしろ、今はオレの話を聞いた方が良さげかもよ?だって、そっちは全然、現状に気が付いて無いんじゃないの?」
ノアの含みのある言い方に、ソラはすぐさま反応を示す。この得体の知れない幸福劇場の一端を相手にしては、些細な見逃しは許されないだろう。
「…、現状とは?」
「あれ?案外と冷静だったね。オレはてっきり「幸福劇場の計画は本土のモノであって、ヒルカリオには関係の無いモノだ」的な答えが返ってくるもんだとばかり…。うーん、この賭けは、キャットの勝ちだったかあ」
「くだらん身内話をする暇があるなら、さっさと本題を言え。遊びに来ただけなら、さっさと拠点へ帰れ」
「ちょっとー、すぐに怒っちゃイヤだよ?せっかくのフラッペの味が、分かんなくなっちゃうじゃーん」
警戒心を高めるソラに対して、ノアは変わらずの軽薄な口調で返答しながら。持っていたドリンクのカップを、ソラに見せつけるかのようにした。カップには大きなラベルが貼られている。手書き風なのか、或いは、本当に手書きなのか。味のある字体で、店名を示すロゴがデザイン化されていた。―――…、ソラに声掛けをしてきた結果、諌められたカタチになった、あの店主が構えているフラッペ屋の名前。
――――…ソラの背筋に、何か良からぬ悪寒が駆け巡る。正体不明の、悪い予感。
「幸福劇場は既に第一脚本の演出を始めてるよ。きみも告知を聞いたよね?脚本名、『アンチ・アグリー』―――…、って、アレ?ちょっと?何処行くのー?オレの話は未だ終わってないけどーー?!」
ノアの言葉の最後を待つことなく、ソラはその場から駆け出していた。背後から聞こえる彼の声は、もう丸ごと無視する。というか、呑気に聞いている猶予が無いことを、誰よりも何よりも、ソラ自身の本能が警告しているからだ。
かつて強豪サッカー部の主将だった経歴も、現在進行形で鍛え上げられ維持されている体力も脚力も決して伊達ではなく。その成果として、ソラはものの十数分という記録で、あのフラッペ屋が在る場所まで辿り着いた。
―――そこに広がっていたのは、異様な光景。
まず、フラッペ屋の前に出来た人だかり、…というか、真っ向から対立している人間たちのグループが、二つ。お互いの主張を、まるで怒鳴り合うかのように、ぶつけ合っている。そして、肝心の店主は、…自分の屋台の端っこで、真っ青な顔をして、頭を抱えて蹲りながら、わんわんと泣いているではないか。
その店主の姿を見たソラは、真っ先に彼の方へと向かっていった。
「大丈夫か?何があった?」
「あ、あ、あああ…ッッ!!店が、俺の店が…!!やっと此処まで来たのに…!!なんでこんなことに…!?ああああッッ!!」
ソラの声を聞いた店主が、彼に縋って、おいおいと泣き叫ぶ。完全にパニック状態に陥っているのが分かった。店の前で、言い争いが起こっている経緯も分からない。ソラ一人では、この現場を収めることは不可能だ。そもそも、何故、このような騒動になっていながら、警察が来ていない?
「俺の店!俺の店ぇぇ!!ああああああッッ!!!!もう嫌だああああ!!!!」
「落ち着け、深呼吸しろ。今、警察と救急隊を呼ぶ。それまでは俺がお前を守ると約束する」
店主のパニック症状が酷くなっていく。それを見たソラは、即座にスマートフォンを起動して、専用の電話番号に繋ぐ。
「―――Room ELのソラだ!このスマートフォンの位置情報に、救急車、警察、機動隊、動かせるものは全て寄越せ!…なに?!無理だと?!何故だ!?
…待て!!ちゃんと説明しろ!!切るんじゃない、…ッ!切りやがった…!あの狗共!後で正式に抗議文を送りつけてやる…!覚悟していろ…!」
ソラが電話を掛けた先は、Room EL専属のエマージェンシーコール(緊急連絡先)だ。それなのに、通信役はソラが掛けたと分かっていたはずのうえで、何故か理由を教えないまま、一方的に通信を断ち切った。通信役に対して、怒りを隠すこともしなかったソラだが。自分に縋りついて泣き叫ぶ店主の声を聞いて、ハッと我に返る。―――そうだ。今は、眼の前のことに集中しなくてはならない…!
ソラは店主の身体を抱き締めつつ、その背中をさすりながら、店の前で言い争うグループに向かって、声を上げる。
「お前たち!!一体どうして、この店の前で言い争っている?!経緯を正確に説明しろ!!
理由なき喧嘩は、ただの暴力だ!!此処の店主が怯えているのが、分からないか?!」
すると、わあわあと言い合っていた二つのグループが。その両陣営の視線が、幾数個もの瞳が、一斉にソラへと向けられた。
―――…刹那。沈黙が訪れる。
それまで喧騒に塗れていた屋台の前に、無機質、且つ、不自然な静けさが生まれた。だが、一斉に向けられた視線の中にだけ、嵐のような荒々しい感情が渦巻いている。
その威圧感に圧倒されないよう、努めて冷静さを保っているソラは。皆が沈黙したこの隙に、改めて事情を聞くつもりで、口を開こうとした。が、次の瞬間。グループを成していた人間たちが一斉に、ソラを睨みつけながら、我先にと怒鳴り始める。
「アンチ・アグリーだよ!?知らねーのか?!」
「はいはい「イマドキSNSやってません」とかいう逆張り出たーー!!」
「情弱め!!これだからリア充は!!」
「アンチ・アグリー?分かるか??アンチ・アグリー!!『醜さの排除』だよ!!」
「リピートアフタミー??ほら!アンチ・アグリー!!ほら!さっさと言いなさいよ!!」
「どーせコイツも幸福劇場のアンチやってんだろ?!」
「そうだ!そうに違いないわ!この店主みたいに!!」
「アンチを潰せ!醜さを排除しろ!!アンチ・アグリー!!」
「アンチ・アグリー!!」
「アンチ・アグリー!!」
「アンチ・アグリー!!」
「アンチ・アグリー!!」
―――なんだ?この地獄絵図は?―――
ソラは震える。
これは幸福劇場の脚本のせい?脚本名『アンチ・アグリー』=『醜さの排除』とは?それが此処までの暴走をもたらしていると?
いいや、待て。本当に、此処まで、の話なのか?
此処は、ヒルカリオ。本土とは切り離された、楽園都市。その実態は、ルカという軍事兵器を閉じ込めるための、監獄の島だ。
本土を中心に動いているはずの、幸福劇場が提唱したサウザンド・メガロポリス計画。その第一脚本の影響が、―――もう、ヒルカリオにまで届いている、と…?
ルカの知らないうちに?ソラにも知らされていないうちに?
否、違う。―――ルカは、今、『不在』なのだ。
あの軍事兵器は故障しており、現在、然るべき修理と調整、その他改善を施されている真っ最中である。
今、ルカは、居ない。
今、ルカは、この事象を観測していない可能性が高い。
今、ルカは、助けに来てくれない。
今のルカは、幸福劇場の脚本を、堰き止められない。
―――それならば、誰がやるべき…?―――
「何か言えよゴラァ!!」
「テメエも論破してからSNSに晒してやんよ!!」
「かかってこいや情弱!!」
「ほら名乗れよ!!ちゃんと顔見せろよタコ!!」
「何処の弱小企業で働いてんだぁ?!」
「こんな雑魚を庇う時点で無職に決まってる!!」
「ニート野郎が!!」
「社会貢献ゼロの愚民が正義のヒーローぶってんじゃねえよ!!」
「そんな小綺麗な恰好しやがって!!どーせ生活保護でも貰って、能天気にニートライフしてんだろ?!」
プツン、…と、ナニかが切れるような音がした。ソラの脳内で。彼の中だけで。…群れを成した人間たちの、有象無象の怒鳴り声が、一瞬だけ遠くなっていく。しかし、またすぐに、近くなり、それらは再び、ソラの鼓膜を揺らし始めた。―――彼の中の闘牙と共に。
ソラが視線を上げた。グループの人間たち全員を見渡すように、見る。その翡翠の瞳に宿るのは、絶対零度の冷たさ。真冬の氷の如き。
ヒッ…!、と誰かが、もしくは皆が、小さく悲鳴を上げたと同時に、群れは一斉に黙り込んだ。
ソラは震える店主の身体を今一度、強く抱き締めた後。その腕を解いて、ゆらり、と立ち上がる。
氷のような冷たい眼のままで、しかし、口調にはしかと修羅を携え、彼は宣戦布告をするかのように、告げた。
「俺は、ソラ。ROG. COMPANY本社の特殊対応室にてサブリーダーを務めている、ソラ秘書官だ。
ちなみにソラというは法的通名だ。本名が知りたければ、いくらでもSNSで漁るなり、特定班を雇うなり煽るなりとすれば良い。別に本気で隠している情報では無いから、俺の本名と出身地の情報を提供してくれる愚か者は、貴様たちが猿のように騒げば、一匹くらいは釣れるかもしれないぞ?
……ただし、その情報が貴様たちの手元に届く頃に…、貴様たち自身が、そのちっぽけなSNSを堂々と眺めていられる立場に居られるならば、の話だ…!」
ソラがそこまで言い切ったとき。不意に、屋台の前を覆うようにしていたグループたちの背後を、更に覆うように囲った影たちが現れる。
―――…グレイス隊だ。一見、平凡な街中とて、この忠実なロボット兵士たちは、何時でも何処でも指揮官であるソラの命令と指示、そして彼の立場を汲み取り、適切に配置につく。
急に出現したグレイス隊兵たちに、にわかに怯え始めた人間たちは、先ほどまでの威勢が嘘のように、あっという間に委縮し始めた。それこそ、謂れなき罵倒を飛ばしていたはずのソラを相手に、命乞いに等しい視線を投げて、寄越す始末。
それこそ、弱者であることの確定事項だ。ソラが強者であると知った途端に、媚びに走る。自分が弱いと知っているからこそ、更に下の立場を痛めつける。そして、自分より強い者が平定に来ると、命だけは…!と、言い訳を並べ立てるのだ。
だがしかし。そんな恩情など、今のソラは持ち合わせていない。覚悟を決めた二千年に一人の天才は、この汚い世界に向かって、はっきりと線引きをする。
「現時点で、俺はアンチ・アグリーの詳細は勿論、貴様たちがそれらの何に充てられて、このような不当な騒ぎを起こしているのかは、…俺は知らん。全く知らん!
だが、一つだけ断言出来ることがある!…―――それは貴様たちが、この店主の心を踏み躙り、彼の店という夢を壊し、己らが正義ぶって、また次のターゲットを見つけ次第、壊そうとする下衆共であることだ!
それどころか、俺の話を聞くこともせず、俺のことをロクに知ろうともしないで、よくもまあアレコレと勝手なことを言えたものだ!
貴様ら全員、恥を知れ!!知る気が無いなら、今すぐ思い知れ!!それすら出来ないと言うなら、―――俺が直接、その脳天に叩き込んでやるッ!!」
ソラの怒号は、悪鬼も震えあがるほどのモノだった。現に、怒鳴られた人間たちは、鬼にも及ばない存在であるからにして、惨めに怯え切っている。
間も無く。
グレイス隊に連行されていく人間たちが、専用のバンに押し込められ、その車体が然るべき道を走り去ったのを見届けたソラは。仮設された簡易的な隔離エリア内で、衛生役のロボット兵士から介抱を受けている店主が、茫然自失としているのを確認した。―――胸の痛む思いは、今だけは、やり過ごす。
被害を受けた店主の屋台には、当然、ヒルカリオに適応した臨時出店の許可証が在った。そこから店主の身元を割り出したうえで、最近、彼の周辺で、不審人物が居なかったどうかの調査をする予定だ。…とはいえ、騒動の引き金になったのは、間違いなく、幸福劇場のアンチ・アグリー。その実態を知ることも、必要不可欠だ。…SNSの中に転がる膨大な情報を探るための人材の確保と、その情報の精査をする役割が…、…。
(………、…頭が、痛い…)
そう思ったのは、比喩なのか。はたまた、事実なのか。
ソラが右指でこめかみを、ぐりぐりと押していると。―――…不意に、視界の端に入り込んできた人影。
不意に?…否、違う。わざと、だ。
睨むソラの視線を受け止めたノアは、実に愉快そうに笑うと。そのまま、身を翻すかのように背を向けて、雑踏の中へと消えて行った。
綺麗さっぱりとばかりに消えたノアの背中と気配を、それ以上に追うことはせず。ソラは思考を続ける。
(幸福劇場め…。政治的な話が絡んでいる以上、弊社からの干渉は避けるべきと思っていたが。…こうも過激な影響力が在るのだと知ってしまったら…、これから先は、どうにかしないと…。
あちら側が、…幸福劇場が、あくまで『ルカが不在であること』に付け入る気ならば。…せめて、ルカに匹敵する存在感か、或いは、国家機関に直接的な影響力の在る人物の配置を考えるべきか…)
ソラはそこまで考えてから。…とうとう、本格的な溜め息を吐いた。
≪ソラさまの体調不安を確認しました。お水はいかがですか?≫
付近を警備していたグレイス隊兵が、すぐさまソラの体調を心配する言葉を述べた後。民間人への救護用として持っているミネラルウォーターのペットボトルを差し出してくる。ソラは柔くそれを受け流してから、引き続き任務に当たるよう、簡潔に命じた。
それから、足早に簡易テントを出たソラは。ヒルカリオの上に広がる、雲一つない青空を見上げてから、―――…これからの戦いに捧げるべき覚悟を、今一度、己の胸中で確かめたのである。
to be continued...
普段は島の住人と、本土から仕事や学業のために入島してくるモノしかいないが。週末休みとなると、いつもはヒルカリオに関係の無い生活圏の人間も、ヒルカリオに在る娯楽を求めて、この島へとやってくるからだ。
そんな賑やかな週末のヒルカリオの、商業区域へと足を踏み入れたソラは。久しぶりに、完全おひとり様モードに入ったこの休日に、大通りを闊歩していた。
ソラの美貌は人目を惹くうえに、惜しげも無く晒された太腿に、鍛え抜かれた腹筋がチラ見せされるような、大胆な、しかし、いやらしさのないファッションが、余計に彼の持つオーラを際立たせる。…会社ではスーツ一択であるソラは、プライベートの私服となると、割と解放的なデザインへと切り替わる傾向があった。果たしてそれが反動なのか、それとも単に個人の趣味なのかは、実は言明されていない。まあ、似合っているし…。と、周りがだんまりを決め込んでいるのも、ある種の正解だろう。
行き交う人々の視線を、ことごとく奪うかのようなソラに向かって、臨時で出しているらしい屋台から、景気の良い声が飛んできた。
「そこの綺麗なお兄さ~ん!この週末だけの限定フラッペはどう~?トッピングのジンジャークッキー、オマケしちゃうから~!」
「不要だ。それに、ヒルカリオの商業区域内では、客引き目的の声掛けをするのは、島全体の条例違反だ。しょっぴかれても知らんぞ?」
「…は~い、良い一日を~…」
ソラの毅然とした態度に、店主はまるで怒られた幼子のように、しょーん…、としていたが。直後に、店主自身が先ほど発した「限定フラッペ」の単語に釣られたらしい、若い女子のグループがやってきたことで、店主はあっという間にそちらへの対応に切り替える。
ヒルカリオの大通り、しかも商業区域内にて、臨時で屋台を出店するのは、決して簡単なことではない。出店に必要な臨時の許可証一枚を取得するためには、何枚もの書類を正確に書き込み、提出することは勿論。本土の保健所が手配した正式な職員の指導のもと、ヒルカリオのルール下で制定された衛生管理の仕組みを徹底的に学ばされ、更にペーパーテストが課される。そのテストで合格点を出して、初めて、屋台の店主に、臨時の出店許可証が降りるのだ。…あのフラッペ屋の店主とて、ソラに向かって、無意味な声掛けこそしてしまったものの。このヒルカリオに臨時で出店したいと思い、それを叶えた実力が在るということである。
――――…。
洋服、靴、化粧品、本屋、その他嗜好品の店を巡り、最初から目当てだったモノから、その場で『目が合った』モノまで、幅広く買い物をしたソラは。買った商品そのものは、各店舗にて、ソラの自宅であるアヴァロンタワーβの最上階の住所に送るよう、確かに手配をした後。ソラは自分の小腹を満たすためと買い求めたホットドックを、ブラックコーヒーと共にぺろりと平らげた。
隙あらばソラをナンパしたいと欲張る外野の視線には、文字通り、眼もくれずに。ソラが(次の目的地は何処にしようか…)、とポケットからスマートフォンを取り出したとき。
「お、そのロックバンド、オレも知ってる。わざわざ壁紙にするとか、結構、イイ趣味してんじゃーん?」
真横から聞こえてきた軽薄極まりない声、―――だが、自分の上司に良く似ているその声を聴いた途端。ソラの左手が、真下から相手の顎を狙った。が、相手は身軽に避けた後、きゃらきゃらと笑いながら、態勢を整える。大振りの三つ編みヘアースタイルは、巨躯の獣の尾にも見えるか。―――…間違いない。ノアだ。
「お前か…。悪いが、今の俺は休暇中だ。ルカも訳あって、すぐにお前たちの対応は出来ない状態に在る。
用事があるのなら、週末明けに、Room ELまで来てからにしろ」
ソラの冷たい言葉に関しては、全くノーダメージらしいノアは、片手に持ったドリンク専用のプラカップに刺さったピンク色のストローを咥えて、中身を吸い込む。そして嚥下した後、灰水色のリップが塗られた唇から、自分の主張を紡ぎ始めた。
「うーん?でも、週末休みって概念、幸福劇場には無いからさー。悪いんだけど、まー、一応、話だけでも聞いてよ。てか、むしろ、今はオレの話を聞いた方が良さげかもよ?だって、そっちは全然、現状に気が付いて無いんじゃないの?」
ノアの含みのある言い方に、ソラはすぐさま反応を示す。この得体の知れない幸福劇場の一端を相手にしては、些細な見逃しは許されないだろう。
「…、現状とは?」
「あれ?案外と冷静だったね。オレはてっきり「幸福劇場の計画は本土のモノであって、ヒルカリオには関係の無いモノだ」的な答えが返ってくるもんだとばかり…。うーん、この賭けは、キャットの勝ちだったかあ」
「くだらん身内話をする暇があるなら、さっさと本題を言え。遊びに来ただけなら、さっさと拠点へ帰れ」
「ちょっとー、すぐに怒っちゃイヤだよ?せっかくのフラッペの味が、分かんなくなっちゃうじゃーん」
警戒心を高めるソラに対して、ノアは変わらずの軽薄な口調で返答しながら。持っていたドリンクのカップを、ソラに見せつけるかのようにした。カップには大きなラベルが貼られている。手書き風なのか、或いは、本当に手書きなのか。味のある字体で、店名を示すロゴがデザイン化されていた。―――…、ソラに声掛けをしてきた結果、諌められたカタチになった、あの店主が構えているフラッペ屋の名前。
――――…ソラの背筋に、何か良からぬ悪寒が駆け巡る。正体不明の、悪い予感。
「幸福劇場は既に第一脚本の演出を始めてるよ。きみも告知を聞いたよね?脚本名、『アンチ・アグリー』―――…、って、アレ?ちょっと?何処行くのー?オレの話は未だ終わってないけどーー?!」
ノアの言葉の最後を待つことなく、ソラはその場から駆け出していた。背後から聞こえる彼の声は、もう丸ごと無視する。というか、呑気に聞いている猶予が無いことを、誰よりも何よりも、ソラ自身の本能が警告しているからだ。
かつて強豪サッカー部の主将だった経歴も、現在進行形で鍛え上げられ維持されている体力も脚力も決して伊達ではなく。その成果として、ソラはものの十数分という記録で、あのフラッペ屋が在る場所まで辿り着いた。
―――そこに広がっていたのは、異様な光景。
まず、フラッペ屋の前に出来た人だかり、…というか、真っ向から対立している人間たちのグループが、二つ。お互いの主張を、まるで怒鳴り合うかのように、ぶつけ合っている。そして、肝心の店主は、…自分の屋台の端っこで、真っ青な顔をして、頭を抱えて蹲りながら、わんわんと泣いているではないか。
その店主の姿を見たソラは、真っ先に彼の方へと向かっていった。
「大丈夫か?何があった?」
「あ、あ、あああ…ッッ!!店が、俺の店が…!!やっと此処まで来たのに…!!なんでこんなことに…!?ああああッッ!!」
ソラの声を聞いた店主が、彼に縋って、おいおいと泣き叫ぶ。完全にパニック状態に陥っているのが分かった。店の前で、言い争いが起こっている経緯も分からない。ソラ一人では、この現場を収めることは不可能だ。そもそも、何故、このような騒動になっていながら、警察が来ていない?
「俺の店!俺の店ぇぇ!!ああああああッッ!!!!もう嫌だああああ!!!!」
「落ち着け、深呼吸しろ。今、警察と救急隊を呼ぶ。それまでは俺がお前を守ると約束する」
店主のパニック症状が酷くなっていく。それを見たソラは、即座にスマートフォンを起動して、専用の電話番号に繋ぐ。
「―――Room ELのソラだ!このスマートフォンの位置情報に、救急車、警察、機動隊、動かせるものは全て寄越せ!…なに?!無理だと?!何故だ!?
…待て!!ちゃんと説明しろ!!切るんじゃない、…ッ!切りやがった…!あの狗共!後で正式に抗議文を送りつけてやる…!覚悟していろ…!」
ソラが電話を掛けた先は、Room EL専属のエマージェンシーコール(緊急連絡先)だ。それなのに、通信役はソラが掛けたと分かっていたはずのうえで、何故か理由を教えないまま、一方的に通信を断ち切った。通信役に対して、怒りを隠すこともしなかったソラだが。自分に縋りついて泣き叫ぶ店主の声を聞いて、ハッと我に返る。―――そうだ。今は、眼の前のことに集中しなくてはならない…!
ソラは店主の身体を抱き締めつつ、その背中をさすりながら、店の前で言い争うグループに向かって、声を上げる。
「お前たち!!一体どうして、この店の前で言い争っている?!経緯を正確に説明しろ!!
理由なき喧嘩は、ただの暴力だ!!此処の店主が怯えているのが、分からないか?!」
すると、わあわあと言い合っていた二つのグループが。その両陣営の視線が、幾数個もの瞳が、一斉にソラへと向けられた。
―――…刹那。沈黙が訪れる。
それまで喧騒に塗れていた屋台の前に、無機質、且つ、不自然な静けさが生まれた。だが、一斉に向けられた視線の中にだけ、嵐のような荒々しい感情が渦巻いている。
その威圧感に圧倒されないよう、努めて冷静さを保っているソラは。皆が沈黙したこの隙に、改めて事情を聞くつもりで、口を開こうとした。が、次の瞬間。グループを成していた人間たちが一斉に、ソラを睨みつけながら、我先にと怒鳴り始める。
「アンチ・アグリーだよ!?知らねーのか?!」
「はいはい「イマドキSNSやってません」とかいう逆張り出たーー!!」
「情弱め!!これだからリア充は!!」
「アンチ・アグリー?分かるか??アンチ・アグリー!!『醜さの排除』だよ!!」
「リピートアフタミー??ほら!アンチ・アグリー!!ほら!さっさと言いなさいよ!!」
「どーせコイツも幸福劇場のアンチやってんだろ?!」
「そうだ!そうに違いないわ!この店主みたいに!!」
「アンチを潰せ!醜さを排除しろ!!アンチ・アグリー!!」
「アンチ・アグリー!!」
「アンチ・アグリー!!」
「アンチ・アグリー!!」
「アンチ・アグリー!!」
―――なんだ?この地獄絵図は?―――
ソラは震える。
これは幸福劇場の脚本のせい?脚本名『アンチ・アグリー』=『醜さの排除』とは?それが此処までの暴走をもたらしていると?
いいや、待て。本当に、此処まで、の話なのか?
此処は、ヒルカリオ。本土とは切り離された、楽園都市。その実態は、ルカという軍事兵器を閉じ込めるための、監獄の島だ。
本土を中心に動いているはずの、幸福劇場が提唱したサウザンド・メガロポリス計画。その第一脚本の影響が、―――もう、ヒルカリオにまで届いている、と…?
ルカの知らないうちに?ソラにも知らされていないうちに?
否、違う。―――ルカは、今、『不在』なのだ。
あの軍事兵器は故障しており、現在、然るべき修理と調整、その他改善を施されている真っ最中である。
今、ルカは、居ない。
今、ルカは、この事象を観測していない可能性が高い。
今、ルカは、助けに来てくれない。
今のルカは、幸福劇場の脚本を、堰き止められない。
―――それならば、誰がやるべき…?―――
「何か言えよゴラァ!!」
「テメエも論破してからSNSに晒してやんよ!!」
「かかってこいや情弱!!」
「ほら名乗れよ!!ちゃんと顔見せろよタコ!!」
「何処の弱小企業で働いてんだぁ?!」
「こんな雑魚を庇う時点で無職に決まってる!!」
「ニート野郎が!!」
「社会貢献ゼロの愚民が正義のヒーローぶってんじゃねえよ!!」
「そんな小綺麗な恰好しやがって!!どーせ生活保護でも貰って、能天気にニートライフしてんだろ?!」
プツン、…と、ナニかが切れるような音がした。ソラの脳内で。彼の中だけで。…群れを成した人間たちの、有象無象の怒鳴り声が、一瞬だけ遠くなっていく。しかし、またすぐに、近くなり、それらは再び、ソラの鼓膜を揺らし始めた。―――彼の中の闘牙と共に。
ソラが視線を上げた。グループの人間たち全員を見渡すように、見る。その翡翠の瞳に宿るのは、絶対零度の冷たさ。真冬の氷の如き。
ヒッ…!、と誰かが、もしくは皆が、小さく悲鳴を上げたと同時に、群れは一斉に黙り込んだ。
ソラは震える店主の身体を今一度、強く抱き締めた後。その腕を解いて、ゆらり、と立ち上がる。
氷のような冷たい眼のままで、しかし、口調にはしかと修羅を携え、彼は宣戦布告をするかのように、告げた。
「俺は、ソラ。ROG. COMPANY本社の特殊対応室にてサブリーダーを務めている、ソラ秘書官だ。
ちなみにソラというは法的通名だ。本名が知りたければ、いくらでもSNSで漁るなり、特定班を雇うなり煽るなりとすれば良い。別に本気で隠している情報では無いから、俺の本名と出身地の情報を提供してくれる愚か者は、貴様たちが猿のように騒げば、一匹くらいは釣れるかもしれないぞ?
……ただし、その情報が貴様たちの手元に届く頃に…、貴様たち自身が、そのちっぽけなSNSを堂々と眺めていられる立場に居られるならば、の話だ…!」
ソラがそこまで言い切ったとき。不意に、屋台の前を覆うようにしていたグループたちの背後を、更に覆うように囲った影たちが現れる。
―――…グレイス隊だ。一見、平凡な街中とて、この忠実なロボット兵士たちは、何時でも何処でも指揮官であるソラの命令と指示、そして彼の立場を汲み取り、適切に配置につく。
急に出現したグレイス隊兵たちに、にわかに怯え始めた人間たちは、先ほどまでの威勢が嘘のように、あっという間に委縮し始めた。それこそ、謂れなき罵倒を飛ばしていたはずのソラを相手に、命乞いに等しい視線を投げて、寄越す始末。
それこそ、弱者であることの確定事項だ。ソラが強者であると知った途端に、媚びに走る。自分が弱いと知っているからこそ、更に下の立場を痛めつける。そして、自分より強い者が平定に来ると、命だけは…!と、言い訳を並べ立てるのだ。
だがしかし。そんな恩情など、今のソラは持ち合わせていない。覚悟を決めた二千年に一人の天才は、この汚い世界に向かって、はっきりと線引きをする。
「現時点で、俺はアンチ・アグリーの詳細は勿論、貴様たちがそれらの何に充てられて、このような不当な騒ぎを起こしているのかは、…俺は知らん。全く知らん!
だが、一つだけ断言出来ることがある!…―――それは貴様たちが、この店主の心を踏み躙り、彼の店という夢を壊し、己らが正義ぶって、また次のターゲットを見つけ次第、壊そうとする下衆共であることだ!
それどころか、俺の話を聞くこともせず、俺のことをロクに知ろうともしないで、よくもまあアレコレと勝手なことを言えたものだ!
貴様ら全員、恥を知れ!!知る気が無いなら、今すぐ思い知れ!!それすら出来ないと言うなら、―――俺が直接、その脳天に叩き込んでやるッ!!」
ソラの怒号は、悪鬼も震えあがるほどのモノだった。現に、怒鳴られた人間たちは、鬼にも及ばない存在であるからにして、惨めに怯え切っている。
間も無く。
グレイス隊に連行されていく人間たちが、専用のバンに押し込められ、その車体が然るべき道を走り去ったのを見届けたソラは。仮設された簡易的な隔離エリア内で、衛生役のロボット兵士から介抱を受けている店主が、茫然自失としているのを確認した。―――胸の痛む思いは、今だけは、やり過ごす。
被害を受けた店主の屋台には、当然、ヒルカリオに適応した臨時出店の許可証が在った。そこから店主の身元を割り出したうえで、最近、彼の周辺で、不審人物が居なかったどうかの調査をする予定だ。…とはいえ、騒動の引き金になったのは、間違いなく、幸福劇場のアンチ・アグリー。その実態を知ることも、必要不可欠だ。…SNSの中に転がる膨大な情報を探るための人材の確保と、その情報の精査をする役割が…、…。
(………、…頭が、痛い…)
そう思ったのは、比喩なのか。はたまた、事実なのか。
ソラが右指でこめかみを、ぐりぐりと押していると。―――…不意に、視界の端に入り込んできた人影。
不意に?…否、違う。わざと、だ。
睨むソラの視線を受け止めたノアは、実に愉快そうに笑うと。そのまま、身を翻すかのように背を向けて、雑踏の中へと消えて行った。
綺麗さっぱりとばかりに消えたノアの背中と気配を、それ以上に追うことはせず。ソラは思考を続ける。
(幸福劇場め…。政治的な話が絡んでいる以上、弊社からの干渉は避けるべきと思っていたが。…こうも過激な影響力が在るのだと知ってしまったら…、これから先は、どうにかしないと…。
あちら側が、…幸福劇場が、あくまで『ルカが不在であること』に付け入る気ならば。…せめて、ルカに匹敵する存在感か、或いは、国家機関に直接的な影響力の在る人物の配置を考えるべきか…)
ソラはそこまで考えてから。…とうとう、本格的な溜め息を吐いた。
≪ソラさまの体調不安を確認しました。お水はいかがですか?≫
付近を警備していたグレイス隊兵が、すぐさまソラの体調を心配する言葉を述べた後。民間人への救護用として持っているミネラルウォーターのペットボトルを差し出してくる。ソラは柔くそれを受け流してから、引き続き任務に当たるよう、簡潔に命じた。
それから、足早に簡易テントを出たソラは。ヒルカリオの上に広がる、雲一つない青空を見上げてから、―――…これからの戦いに捧げるべき覚悟を、今一度、己の胸中で確かめたのである。
to be continued...
