第二章 二面性
【トルバドール・セキュリティー 本社ビル内】
ルカの故障が発覚し、彼が専用施設であるKALASへ収容された、その数日後。
トルバドール・セキュリティーの仮眠室で、簡易ベッドへ突っ伏すように眠りこけている輝の姿が在った。騎士服は上着だけを脱いで、ハンガーにきっちりと掛けられており、雷翅はすぐに手が伸びる位置に立てかけられている。
そのとき。仮眠室の扉が、静かに開いた。ひょっこりと室内を顔だけで覗き込み、輝の姿を見止めたのは、―――案の定、とでも言うべきか。八槻であった。
八槻は片手にビニール袋を持った状態で仮眠室へと入り、眠りこける輝の傍まで歩み寄って、出来るだけ刺激の少ない起こし方をしようとして―――、
「―――、あ…。おはよ~う?輝くん?」
「…、…。足音はともかく…、せめて呼吸の音くらいは、消して貰っても良いんですよ…?」
八槻が朗らかな笑顔で誤魔化そうとするものの…、明らかに寝不足・休憩不足の症状が見える輝は、十六歳という年相応の不機嫌そうな声と表情を隠しもしなかった。だが、これも相手が八槻だからこそ許される行為であることは、輝自身、百も承知である。
八槻は、その辺に適当に置いてあったパイプ椅子を引っ張り、輝が突っ伏している簡易ベッドの傍に座った。そして「用事があるなら、早く言え」と視線だけで訴えてくる輝のことを、その広い度量で受け流しながら、大仰に溜め息を吐いて見せる。
「あまり無茶を言わないでくれると助かるよ…。まあ確かに、僕は僕なりに戦士としての素養はあるかもしれないけれど…、僕自身はあくまで俳優でありたいんだから。
…そういう意味では、僕は、天性の戦士である輝くんと、現場叩き上げのバルドラ様や琉一くんの、足元にも及ばないのさ」
「…、…おなかすいた…」
「あれ?会話を繋げるエネルギーも無かったんだ。…じゃあ、やっぱり、コレを持って来て正解だったわけだね」
最早、不機嫌隠さずを通り越して、素の状態に戻ってしまっているらしい輝の反応を見た八槻は。やれやれと言う表情は、文字通り、表面だけで。その手に握っていたビニール袋から、テイクアウト専用のプラパック類を次々と取り出す。…それらは、仮眠室を訪れる前の八槻が、デリバリーサービスで手配した食事類であった。
この仮眠室に机は設置されていないため、八槻はまたしても適当に引っ張ってきたパイプ椅子の上に、プラパックを次々と並べていく。特盛の牛丼、きつね色の衣をした鶏の唐揚げ、塩がかかったポテトフライ、出汁の利いた厚焼き卵のサンドイッチ、グリーンリーフとコーンのサラダ。そして、特大サイズのオレンジジュース。
どれもこれも、オーソドックス…というか、庶民的まっしぐらな顔ぶれではあるものの。空腹状態の十六歳の少年の胃袋には持ってこいのメニュー。輝は突っ伏していたシーツの上から身体を起こして、八槻に促されるまま、…そして何より、枯渇寸前である自分の英気を養うために、食事に手を付け始めたのだった。
…。小一時間後。
腹を満たしたことで、疲れ果てていた輝の眼に生気が戻ったのを確認した八槻は。本題とも言えることを、彼に向かって口に出す。
「快適な自宅へ帰る時間を惜しみ、会社の仮眠室で死んだように眠ってしまうなんて…。リーグスティ会長、…きみのお母様は、大変心配なさっていたよ?
やっぱり、ショックが大きかったのかい?あのルカ三級高等幹部の故障を追及する羽目になったことが…」
八槻の言葉は、表現こそストレートだったが、声色は彼本来の優しさが目一杯に出てきているモノだ。その柔らかさに背中を押された輝は、素直に白状することを決めてから、今度は自分なりの言葉を紡ぎ出す。
「…『ルカさんなら、国会議事堂のテロ事件を未然に防げたはずなのに、どうしてそれが出来なかったのか?』…、俺があのとき、ルカさんに問いかけたかったのは、本当にそこだけだったんです。でも、俺が求めていた答えとは違う、…というより、斜め上…、想定外な答え、…『あのルカさんが故障している』という衝撃すぎる事実が、…本当に、エグくて…。
…それに対応するツバサさんの冷静な態度も、ちょっと怖かったし…。勿論、ホルダーの責任の重さは耳にタコが出来るくらい、聞かされていたことだったけど。…実際の現場を見たら、…もう想像の何千倍も重たすぎて…」
輝が素直に紡いでいく言葉の端々には、彼の持つ誠実さと正義、そして少年らしい、ある種の純粋な感情が宿っていた。八槻が短い相槌だけを打ちながら、柔く続きを促せば、輝は更に深層に秘めた本音を吐き出していく。
「八槻さん、俺がテロ事件を制圧した後、…紫雨先生に反抗したこと、覚えていますか?」
「ああ、覚えているさ。敢えて訂正させて貰うなら、あのときの輝くんの態度は『反抗』というより『指摘』だったと、僕は思うけどね。…それで?それが、何か心に引っ掛かっているのかい?」
輝の問いかけに、八槻が正直に答えたうえで、更に大人としての意見を加えた台詞を放つと。輝の目尻に、とうとう涙が溜まり始めた。決壊寸前にまで膨らんだ雫の玉をそのままに、たった十六歳の少年が、とうとう胸の内を告解する。
「あの事件は、確かに俺が制圧しました。国会議事堂のセキュリティー担当の方々が、油断していたのも事実です。…でも、それを笠に、俺は間違った言葉を、彼らに言ってしまった気がして…、ずっと、後悔してるんです…。
紫雨先生は暗殺の対象になったにも関わらず、その後も現場に留まって、責任問題に怯える警備スタッフたちをずっと労わっていたのに…、…それなのに、俺は…、『貴女が優しい言葉を掛けられるのは、テロ事件で犠牲者が出なかったからだ』と、……こんな酷い言葉、何で言っちゃったんだろう…?って…。
…俺、きっと、驕っていたんだって。…こんな子ども一人に制圧されるような事件一つすら、こんな大人たちは何も抑制できないのか?って…。あのときの俺は、…戦士としての初心どころか、人間としての良心が無かった……。一丁前に武器を扱えるからって、調子に乗ってただけだった……」
そこまで言ってから、輝は自分の前髪を、他でもない己の左手で、ぐしゃり、と乱雑に握り締める。それと同時に、俯いてしまった表情も、八槻からは見えなくなってしまう。だが、輝からの言葉は続いた。
「…………謝りたい…………」
たった一言。されど、その一言が含んだ重みが、静かに仮眠室内へと浸透していく。八槻の心に刺さるのも、充分すぎる理由になった。
八槻の掌が、俯いた輝の頭を、撫でる。八槻が柔らかい声で、話し始めた。
「紫雨先生とのアポイントメントは、僕が取るよ。万が一、僕が無理でも、リーグスティ会長なら、彼女とは複数回の会食も行った仲だ。数分だけだろうけれど、先生と輝くんが対面で話す時間くらいは取ってくれると思う。
謝罪の場には、僕も同席するよ。次期社長候補の相談役として、あのテロ事件の現場に立ち会った者として、…何より、きみの友だちとして、ね」
そう言う八槻は、輝が百合花と対面が叶うように努力することを約束はしたが、しかし、その結果、輝の謝罪の言葉が百合花の心まで通るかどうかまでの保証はしなかった。…大人としての狡猾な自分を恥じる思いを抱えると同時に、八槻は、眼の前の少年が正しい方向へ成長して欲しいと、祈るばかりであった。
…間も無く、輝の咽び泣く声が、小さく小さく、仮眠室の中で、響き始める。
そこには、自分の過ちの大きさを抱えきれなくなっただけの十六歳の子どもと、その子どもを支える成熟し切った大人が。たった二人で、向かい合っているだけだ。
【Room EL】
定時はとうに過ぎ去った時刻だが、ツバサは未だに自分のデスクから離れていない。残業の申告は、午前中に済ませてある。とはいえ、それも定時から二時間もオーバーしてしまえば、心配する者は出てくるわけで…。
「…、姉ちゃん?」
「…もうちょっと」
「十分前に同じこと聞いた…」
ツバサのデスクの真横、すなわち、本来ならナオトの席である、そこに腰かけていたレイジが。帰り支度を済ませた状態で、彼女の傍についていた。レイジは社長として、ツバサの残業の申告に関して、許可を降ろした。…確かに許可はしたが、定時から一時間を過ぎたあたりで、Room ELの打刻機の履歴が更新されていないことに気が付き、何か嫌な予感を覚えて。自分の残業は、明日に持ち越せる分以外を片付けてから、帰り支度をして、此処を訪ねてきた。―――そうすれば、この有り様ではないか。
「レイは待てが出来ないタイプ?…女の子に嫌われちゃうよ?」
「俺は、嫌われる相手は自分で選べるから…」
「…マジレス乙」
「プリテトヴィラン推しなら、これくらいのマインドはいるだろ…、同志よ…」
レイジとジョークの飛ばし合いをしながらも、ツバサの眼はパソコンの画面から離れることはなく、キーボードを打つ手も止まらない。
ツバサが残業をしてまで進めているのは、KALASとのやり取りだった。
故障したルカがKALASへと収容されてから、彼の修理、調整の進捗に加えて、その他改善が必要な項目などが、次々と挙がってくる。…本来なら、いくらルカのホルダーとはいえ、ツバサ自身に、ルカ本体に関する事柄への干渉をする権限は、無いに等しい。ホルダーとは、『軍事兵器・ルカへの絶対的な命令権を保持している存在』に過ぎないのだ。それ以外となると、精々、先日、輝に頼まれてルカの行動履歴を見せた、…あの程度である。
しかし、現に。ツバサはルカに関係する情報を整理することを止めないし、周囲もそれを制止する気配が無い。…というより、止める言葉を掛けられない、というのが正解だ。
「やめろ」と言うのは、実に簡単だ。口先だけで、言葉にすれば良い。しかし、それで本人が納得したうえで、止めさせなければ、組織内では大なり小なりの軋轢を生む。特に、今回の案件は、あの『ルカ』だ。―――ツバサが「ルカに故障をしている事実を突きつけた責任」を負っているのが分かるからこそ、…周りは彼女に安易な言葉…―――「やめろ」を言うことが出来ない。
しかし、その『周囲』とは?誰のことだろうか?
ツバサが配属されているのは、Room EL。正式名称、特殊対応室である。
要するに、同じ部署内のメンバーが、ツバサの意思を重んじる余り、彼女の強く意見が出来ないのだ。それならば、解決策はとうに見えている。
今、ツバサの隣で、彼女を「姉」と呼び慕う、この男。前岩田レイジ。…誰と見紛うことか。ROG. COMPANYの社長だ。
「…あ」
ツバサが自分のパソコン画面に、突然出てきた文字列に、小さな声を上げる。
―――『本日の業務時間は終了しました。十分以内に、必要なデータを保存したうえで、当室の全てのパソコンの電源を切ってください。』
「…レイ」
「ある程度の権力って、便利だよなー…。特に、自分がテッペンやってる本社内においては、さ…」
「…、…。」
ツバサの虚ろな緑眼が、僅かにレイジを責めるかのように睨むが。当のレイジはあっけらかんとした風に返事をするだけ。…彼の育ての親がルカである以上、この対応の仕方もまた然り、とでも言うべきか。
「帰ろーよ、姉ちゃん。姉ちゃん一人が急いだって、ルカ兄が戻ってくる予定日時が早くなることは無い…。ちょい厳しめの表現使うけどさ、……アレはそういう風に管理されるしかないんだって…」
「…、分かった…」
レイジの言葉と対応に、ついに折れたカタチで、ツバサは帰り支度を始めた。
そして。きっちり、十分後。
ツバサは打刻機に、社員カードを通した。そして、Room ELの全ての照明が、落とされる。
非常用照明しか点いていない廊下を、二人分の靴音が去って行く音が、響いては消えて行った。
to be continued...
ルカの故障が発覚し、彼が専用施設であるKALASへ収容された、その数日後。
トルバドール・セキュリティーの仮眠室で、簡易ベッドへ突っ伏すように眠りこけている輝の姿が在った。騎士服は上着だけを脱いで、ハンガーにきっちりと掛けられており、雷翅はすぐに手が伸びる位置に立てかけられている。
そのとき。仮眠室の扉が、静かに開いた。ひょっこりと室内を顔だけで覗き込み、輝の姿を見止めたのは、―――案の定、とでも言うべきか。八槻であった。
八槻は片手にビニール袋を持った状態で仮眠室へと入り、眠りこける輝の傍まで歩み寄って、出来るだけ刺激の少ない起こし方をしようとして―――、
「―――、あ…。おはよ~う?輝くん?」
「…、…。足音はともかく…、せめて呼吸の音くらいは、消して貰っても良いんですよ…?」
八槻が朗らかな笑顔で誤魔化そうとするものの…、明らかに寝不足・休憩不足の症状が見える輝は、十六歳という年相応の不機嫌そうな声と表情を隠しもしなかった。だが、これも相手が八槻だからこそ許される行為であることは、輝自身、百も承知である。
八槻は、その辺に適当に置いてあったパイプ椅子を引っ張り、輝が突っ伏している簡易ベッドの傍に座った。そして「用事があるなら、早く言え」と視線だけで訴えてくる輝のことを、その広い度量で受け流しながら、大仰に溜め息を吐いて見せる。
「あまり無茶を言わないでくれると助かるよ…。まあ確かに、僕は僕なりに戦士としての素養はあるかもしれないけれど…、僕自身はあくまで俳優でありたいんだから。
…そういう意味では、僕は、天性の戦士である輝くんと、現場叩き上げのバルドラ様や琉一くんの、足元にも及ばないのさ」
「…、…おなかすいた…」
「あれ?会話を繋げるエネルギーも無かったんだ。…じゃあ、やっぱり、コレを持って来て正解だったわけだね」
最早、不機嫌隠さずを通り越して、素の状態に戻ってしまっているらしい輝の反応を見た八槻は。やれやれと言う表情は、文字通り、表面だけで。その手に握っていたビニール袋から、テイクアウト専用のプラパック類を次々と取り出す。…それらは、仮眠室を訪れる前の八槻が、デリバリーサービスで手配した食事類であった。
この仮眠室に机は設置されていないため、八槻はまたしても適当に引っ張ってきたパイプ椅子の上に、プラパックを次々と並べていく。特盛の牛丼、きつね色の衣をした鶏の唐揚げ、塩がかかったポテトフライ、出汁の利いた厚焼き卵のサンドイッチ、グリーンリーフとコーンのサラダ。そして、特大サイズのオレンジジュース。
どれもこれも、オーソドックス…というか、庶民的まっしぐらな顔ぶれではあるものの。空腹状態の十六歳の少年の胃袋には持ってこいのメニュー。輝は突っ伏していたシーツの上から身体を起こして、八槻に促されるまま、…そして何より、枯渇寸前である自分の英気を養うために、食事に手を付け始めたのだった。
…。小一時間後。
腹を満たしたことで、疲れ果てていた輝の眼に生気が戻ったのを確認した八槻は。本題とも言えることを、彼に向かって口に出す。
「快適な自宅へ帰る時間を惜しみ、会社の仮眠室で死んだように眠ってしまうなんて…。リーグスティ会長、…きみのお母様は、大変心配なさっていたよ?
やっぱり、ショックが大きかったのかい?あのルカ三級高等幹部の故障を追及する羽目になったことが…」
八槻の言葉は、表現こそストレートだったが、声色は彼本来の優しさが目一杯に出てきているモノだ。その柔らかさに背中を押された輝は、素直に白状することを決めてから、今度は自分なりの言葉を紡ぎ出す。
「…『ルカさんなら、国会議事堂のテロ事件を未然に防げたはずなのに、どうしてそれが出来なかったのか?』…、俺があのとき、ルカさんに問いかけたかったのは、本当にそこだけだったんです。でも、俺が求めていた答えとは違う、…というより、斜め上…、想定外な答え、…『あのルカさんが故障している』という衝撃すぎる事実が、…本当に、エグくて…。
…それに対応するツバサさんの冷静な態度も、ちょっと怖かったし…。勿論、ホルダーの責任の重さは耳にタコが出来るくらい、聞かされていたことだったけど。…実際の現場を見たら、…もう想像の何千倍も重たすぎて…」
輝が素直に紡いでいく言葉の端々には、彼の持つ誠実さと正義、そして少年らしい、ある種の純粋な感情が宿っていた。八槻が短い相槌だけを打ちながら、柔く続きを促せば、輝は更に深層に秘めた本音を吐き出していく。
「八槻さん、俺がテロ事件を制圧した後、…紫雨先生に反抗したこと、覚えていますか?」
「ああ、覚えているさ。敢えて訂正させて貰うなら、あのときの輝くんの態度は『反抗』というより『指摘』だったと、僕は思うけどね。…それで?それが、何か心に引っ掛かっているのかい?」
輝の問いかけに、八槻が正直に答えたうえで、更に大人としての意見を加えた台詞を放つと。輝の目尻に、とうとう涙が溜まり始めた。決壊寸前にまで膨らんだ雫の玉をそのままに、たった十六歳の少年が、とうとう胸の内を告解する。
「あの事件は、確かに俺が制圧しました。国会議事堂のセキュリティー担当の方々が、油断していたのも事実です。…でも、それを笠に、俺は間違った言葉を、彼らに言ってしまった気がして…、ずっと、後悔してるんです…。
紫雨先生は暗殺の対象になったにも関わらず、その後も現場に留まって、責任問題に怯える警備スタッフたちをずっと労わっていたのに…、…それなのに、俺は…、『貴女が優しい言葉を掛けられるのは、テロ事件で犠牲者が出なかったからだ』と、……こんな酷い言葉、何で言っちゃったんだろう…?って…。
…俺、きっと、驕っていたんだって。…こんな子ども一人に制圧されるような事件一つすら、こんな大人たちは何も抑制できないのか?って…。あのときの俺は、…戦士としての初心どころか、人間としての良心が無かった……。一丁前に武器を扱えるからって、調子に乗ってただけだった……」
そこまで言ってから、輝は自分の前髪を、他でもない己の左手で、ぐしゃり、と乱雑に握り締める。それと同時に、俯いてしまった表情も、八槻からは見えなくなってしまう。だが、輝からの言葉は続いた。
「…………謝りたい…………」
たった一言。されど、その一言が含んだ重みが、静かに仮眠室内へと浸透していく。八槻の心に刺さるのも、充分すぎる理由になった。
八槻の掌が、俯いた輝の頭を、撫でる。八槻が柔らかい声で、話し始めた。
「紫雨先生とのアポイントメントは、僕が取るよ。万が一、僕が無理でも、リーグスティ会長なら、彼女とは複数回の会食も行った仲だ。数分だけだろうけれど、先生と輝くんが対面で話す時間くらいは取ってくれると思う。
謝罪の場には、僕も同席するよ。次期社長候補の相談役として、あのテロ事件の現場に立ち会った者として、…何より、きみの友だちとして、ね」
そう言う八槻は、輝が百合花と対面が叶うように努力することを約束はしたが、しかし、その結果、輝の謝罪の言葉が百合花の心まで通るかどうかまでの保証はしなかった。…大人としての狡猾な自分を恥じる思いを抱えると同時に、八槻は、眼の前の少年が正しい方向へ成長して欲しいと、祈るばかりであった。
…間も無く、輝の咽び泣く声が、小さく小さく、仮眠室の中で、響き始める。
そこには、自分の過ちの大きさを抱えきれなくなっただけの十六歳の子どもと、その子どもを支える成熟し切った大人が。たった二人で、向かい合っているだけだ。
【Room EL】
定時はとうに過ぎ去った時刻だが、ツバサは未だに自分のデスクから離れていない。残業の申告は、午前中に済ませてある。とはいえ、それも定時から二時間もオーバーしてしまえば、心配する者は出てくるわけで…。
「…、姉ちゃん?」
「…もうちょっと」
「十分前に同じこと聞いた…」
ツバサのデスクの真横、すなわち、本来ならナオトの席である、そこに腰かけていたレイジが。帰り支度を済ませた状態で、彼女の傍についていた。レイジは社長として、ツバサの残業の申告に関して、許可を降ろした。…確かに許可はしたが、定時から一時間を過ぎたあたりで、Room ELの打刻機の履歴が更新されていないことに気が付き、何か嫌な予感を覚えて。自分の残業は、明日に持ち越せる分以外を片付けてから、帰り支度をして、此処を訪ねてきた。―――そうすれば、この有り様ではないか。
「レイは待てが出来ないタイプ?…女の子に嫌われちゃうよ?」
「俺は、嫌われる相手は自分で選べるから…」
「…マジレス乙」
「プリテトヴィラン推しなら、これくらいのマインドはいるだろ…、同志よ…」
レイジとジョークの飛ばし合いをしながらも、ツバサの眼はパソコンの画面から離れることはなく、キーボードを打つ手も止まらない。
ツバサが残業をしてまで進めているのは、KALASとのやり取りだった。
故障したルカがKALASへと収容されてから、彼の修理、調整の進捗に加えて、その他改善が必要な項目などが、次々と挙がってくる。…本来なら、いくらルカのホルダーとはいえ、ツバサ自身に、ルカ本体に関する事柄への干渉をする権限は、無いに等しい。ホルダーとは、『軍事兵器・ルカへの絶対的な命令権を保持している存在』に過ぎないのだ。それ以外となると、精々、先日、輝に頼まれてルカの行動履歴を見せた、…あの程度である。
しかし、現に。ツバサはルカに関係する情報を整理することを止めないし、周囲もそれを制止する気配が無い。…というより、止める言葉を掛けられない、というのが正解だ。
「やめろ」と言うのは、実に簡単だ。口先だけで、言葉にすれば良い。しかし、それで本人が納得したうえで、止めさせなければ、組織内では大なり小なりの軋轢を生む。特に、今回の案件は、あの『ルカ』だ。―――ツバサが「ルカに故障をしている事実を突きつけた責任」を負っているのが分かるからこそ、…周りは彼女に安易な言葉…―――「やめろ」を言うことが出来ない。
しかし、その『周囲』とは?誰のことだろうか?
ツバサが配属されているのは、Room EL。正式名称、特殊対応室である。
要するに、同じ部署内のメンバーが、ツバサの意思を重んじる余り、彼女の強く意見が出来ないのだ。それならば、解決策はとうに見えている。
今、ツバサの隣で、彼女を「姉」と呼び慕う、この男。前岩田レイジ。…誰と見紛うことか。ROG. COMPANYの社長だ。
「…あ」
ツバサが自分のパソコン画面に、突然出てきた文字列に、小さな声を上げる。
―――『本日の業務時間は終了しました。十分以内に、必要なデータを保存したうえで、当室の全てのパソコンの電源を切ってください。』
「…レイ」
「ある程度の権力って、便利だよなー…。特に、自分がテッペンやってる本社内においては、さ…」
「…、…。」
ツバサの虚ろな緑眼が、僅かにレイジを責めるかのように睨むが。当のレイジはあっけらかんとした風に返事をするだけ。…彼の育ての親がルカである以上、この対応の仕方もまた然り、とでも言うべきか。
「帰ろーよ、姉ちゃん。姉ちゃん一人が急いだって、ルカ兄が戻ってくる予定日時が早くなることは無い…。ちょい厳しめの表現使うけどさ、……アレはそういう風に管理されるしかないんだって…」
「…、分かった…」
レイジの言葉と対応に、ついに折れたカタチで、ツバサは帰り支度を始めた。
そして。きっちり、十分後。
ツバサは打刻機に、社員カードを通した。そして、Room ELの全ての照明が、落とされる。
非常用照明しか点いていない廊下を、二人分の靴音が去って行く音が、響いては消えて行った。
to be continued...
