第一章 メガロポリスの徒
【本土 国会議事堂内】
二日後。
百合花は、今日の国会が開かれる第五議場に向かって、廊下を歩いていた。前後左右に彼女を固めた警備たちは、この一過程にすら警戒を解かない。それは、要人が襲われた瞬間という過去の事案には「移動時間の際に…」という理由が、数多と列挙しているからだ。
そして、百合花自身はと言うと。今から赴く第五議場で、サウザンド・メガロポリス計画のスタートを宣言するためのスピーチ原稿の反芻を、繰り返し、脳内で行っている。自分がこうして仕事に集中が出来るのは、こうしてこの身を厳しく守ってくれている警護のスタッフが居てこそだ。なので百合花は、今日の仕事が終わったら、議事堂のセキュリティールームへ労いの言葉を掛けに行く予定を、しっかりと組み込んでいる。
止めどないスピーチの予行演習に休憩を挟む形で、百合花は何気なく、己を固める警備列の外を見やった。すると。黒や紺など、基本的にシックな色味の装いが多い警備スタッフたちの集まりの中に、白色の騎士服が紛れ込んでいるのが分かった。一際目立つものの、悪い印象は無い。むしろ、見慣れたはずの現場に、良い意味合いの緊張をもたらしてくれるまでもある気がした。
間違いない。百合花が、先日の答弁の場で目撃した、あの金髪の少年―――…まだ百合花は名を知らないでいるが、間違いなく、輝である。彼の隣には、あのときと同じく八槻も立っているので確定事項だ。そうか。今日も警備に来てくれたのか。
(……せめて、一言だけでも…―――)
―――百合花が、そう思ったときには、もう遅く。警備に合わせていた歩みは止まることを知らず、そのまま廊下を往き続けて。あっという間に、白い騎士服姿の少年を横目にと、通りすぎてしまう。
そう。この歩みは、簡単な理由で止めて良いモノでは無い。そう。警備スタッフに混じっているだけの、あの少年に心の隅を奪われていた、などと言う、そんな簡単な言い訳如きでは…。
国会が開かれる時間が間近であることを告げるベルが、鳴る。
――――…。
【国会議事堂 第五議場内】
「―――以上を持ちまして、劇場型幸福舞台演出隊列、通称・幸福劇場の皆さまが、無事に我が国へとお越しくださったことの証明とさせて頂きます。
特に、マルギット特務将軍に於きましては、会食に同席した総理から「大変高尚な思考をお持ちの、素晴らしい御方です」とのコメントを頂いております。現に私も、たった数分という短い時間ではございましたが、直接の対面を致しまして、そのオーラには圧倒される思いでありました。
…ですが、いくら幸福劇場の御三方が素晴らしい御仁であると言えども、我々がそこに対して、全面的に甘えることは許されません。我々も共に研鑽し、共生し、時に議論を交わすのです。そうすることで初めて、幸福劇場をご招待した意義が見えてくるでしょう」
百合花の弁論が、議場内に響いている。声の張り方、感情の乗せ方、トーンの使い分け…、どれもこれも完璧だ。
警備隊の列から少し外れた場所に立っている八槻は、思わずと言った風に、隣に居る輝に向かって、小声で囁く。
「大した演説だよ。あの若さで此処まで昇り詰めるだけのことはある。そう思わないかい?
…輝くん?どうしたんだい?」
返事の無い輝に対して、八槻が違和感を覚え、思わず隣へと視線を移す。すると、輝の眼の色が変わっているのが分かった。本能が告げる。「戦士のスイッチが入っている」と。
輝が八槻にしか聞こえない声量で、呟き始める。
「天井の監視カメラの数がおかしい。聞いていた設置数より多い。それに、……近くから、想定外の火薬の気配がする」
その輝の言葉を聞いた八槻の全身に、緊張が走った。彼の直感を信じるならば、…否、信じる以外はあり得ない。
すると、議場内に百合花の声が、更に大きく響く。
「さあ、私と志を同じくする皆さま!この国の政治を守る議員の同志たる皆さま!共に立ち上がりましょう!
今こそ、私は此処に宣言します!幸福劇場が掲げる、サウザンド・メガロポリス計画の始まりを!」
百合花の演説が最高潮に達したことと、そして議場内の議員たちの熱狂的な拍手が沸き上がったこと。それらと全く同じタイミングで、輝と八槻は走り出した。
警備列の中に居た制服姿の二人の男女が、ハンドガンを取り出したのを見据える。発砲させるわけにはいかない。輝は飛び蹴りで男の横っ面を叩きのめし、八槻は残った女の方の鳩尾に強烈なパンチを捻じ込んだ。だが、輝も八槻もこれで終わるとは思っていない。
輝は剣型になっていた雷翅を腰から引き抜くと同時に、飛び上がる。そのまま輝は議員席の背もたれという、ほんの僅かな板を蹴ってジャンプしながら移動しつつ、雷翅を剣から、弓型に変形させた。途端、雷翅がエネルギーボウを生成する。
激しくざわつく議場内を尻目に、輝は天井目掛けて、雷翅を構えて、エネルギーボウを引く。
「―――射抜け!翠燕!」
輝がそう咆哮すると同時に、エネルギーボウが放たれる。翠色の電磁を帯びた矢は、細かな複数本に分かれて、天井に設置されていた監視カメラの、―――否、カメラに擬態していた爆発物を正確に撃ち落とした。だが、予測した数を考えるならば、未だ残っているはず。輝がもう一度、翠燕を放とうとしたときだった。
天井から、僅かに点滅する小さなライトが見えた瞬間、輝は瞬時に叫んだ。
「皆!!伏せてッ!!」
輝の警告を聞いた議員たちは、わあわあと混乱した悲鳴を上げながらも、咄嗟に頭を両手で抱えたり、机の中に潜り込もうとしたりする。次の瞬間、残っていた天井の爆発物が、遂に爆発した。全員が絶望を感じた中で、輝だけが冷静に雷翅を上部へと掲げて、トリガーボタンを押す。
すると、自分を含む議員席側に居た人間たちを纏めて覆うほどの、広範囲の高圧シールドが広がった。音色の絡新婦に搭載されているモノの姉妹品であり、上位互換とも言える装備だ。
輝が張った高圧シールドが爆発で落ちてくる瓦礫と、その熱波を完全に防ぐ。同時に土煙が上がり、議員席の様子は完全に見えなくなった。
答弁の場に立っていた百合花は、異変と共に袖から飛んできた警備たちに押し倒される形で、頑丈に護られていたが。その光景はしかと眼にしており。故に、震えが止まらないでいた。
「すぐに避難しましょう。紫雨先生、こちらに」
「え、ええ…!」
警備たちが百合花を立ち上がらせて、緊急避難口へと誘導しようとする。…が、その一番後ろ。すなわち、百合花の背中を護る位置についていた警備役の女が、服の袖口からナイフを取り出し、彼女のがら空きの背中に向かって、音も無く刃を突き立てようと―――
「―――燕の眼には見えているぞ!!」
「「「―――?!!!」」」
頭上から降ってきた輝の声に向かって、女は勿論、百合花も、正式な警備たちも驚愕の表情で見上げる。そこには高圧シールドの外側を足場としてジャンプした輝が、空中で雷翅を構えている姿があった。誰かが何かを発する前に、エネルギーボウが放たれる。それはナイフを持っていた女の肩を、正確に射抜いた。肩から血が噴き出し、悲鳴を上げて倒れる女を、他の警備たちが瞬時に抑え込む。
だが、全身はおろか、思考回路さえも硬直した百合花が真っ直ぐに眼にしたのは、―――空中から落ちてきた輝が、副議長席の机のフチに、靴底の先だけで着地する勇姿だった。白色の騎士服。煌めく金髪。その手に携えた、機械仕掛けの弓。凛と張り詰めたその横顔は、狙った獲物を逃がさず、且つ、護るべき対象を護り抜く信条を宿している。
百合花は己の胸の中で、彼女自身がこれまでの人生で聞いたことない音が、小さく響いたのを、しかと感じた。
――――…。
およそ、二時間後。
第五議場で起こった一連の騒動は、テロ行為と見なされた。輝と八槻に制圧された偽物の警備だった男一人、女二人の計三人が、早々に白状したからである。その結果、国会議事堂のセキュリティールーム内にも、二人の内通者が居たことが発覚し、その場で取り押さえられた。だが、よりによって、警備の心臓部にテロリストのスパイが潜り込んでいたという事実がもたらした衝撃は非常に重たいモノであり、これにより百合花を始め、議員たちの間にも、酷い動揺が走っている。
しかし、精神的に参ってしまった他の議員たちが、心身憔悴だったり、半狂乱状態に陥っては、その端から救急車に乗せられて、搬送されていくのを、合花は横目に見ながら。彼女自身は、未だに現場に留まっている。何故なら百合花は、混乱している国会議事堂の警備グループたちへと労わりの言葉を掛けているからだ。自分たちが敷いていたセキュリティーの包囲網を破られたショックでくずおれた彼ら彼女らに対して、百合花は「防げなかった襲撃に対して、悔やむことはありません」、「今回の反省点は、後ほど必ず出てくるはずです」、「今は警察と救急機関の指示に従い、余計なことを考えるのは止めましょう」等…。持て得る限りの誠意を出して、百合花は落胆する警備たちに優しい声を掛け続ける。
するとそこへ、不意に現れた、白い影。―――輝だ。雷翅を剣型に戻して、腰から提げている彼の表情は、…異様に険しい。幼い印象が残る顔立ちには似つかわしくない鋭い視線が、警備スタッフたちに向けられているのを見た百合花は、途轍もない嫌な予感を覚えた。だが、彼女が待ったを掛ける間も無く、輝が口を開く。
「今回のことは、国会議事堂の警備の全てを担っているはずの貴方たちが犯して良い失敗では無いはず!一体全体、何を護っているつもりですか?!
貴方たちが寄ってたかって包囲していたはずの警備網が破られていた挙句、僕一人がテロを制圧したというこの結果が…、何を意味するのか分からないとは言わせない!」
輝の怒号は、鶴の一声なんぞ霞に等しい、最早、天からの轟命だった。百合花の激励で緊張が解け始めていたはずの皆が、一気に震え上がる。百合花は慌てて、輝の前に立ちはだかり、彼の叱責の的になった警備スタッフたちを庇うかのようにして、反論を試みた。
「ちょっと…!お待ちなさい!民間人が何を仰っているつもり?!それに彼らは今、傷付いているのですよ?!そんな状態の人間を追い詰めるような発言は許しません!!」
だが、百合花の言葉を聞いた輝は、更に語気を強めて、畳み掛ける。
「僕は正式に武装が許可されている者として、当然の意見を申し上げているに過ぎません!それに、僕が民間人であることが気に食わないと仰るのであれば、そちらがプロフェッショナルとしてのプライドを見せて頂きたい!
貴女こそ、失敗した警備スタッフたちへ、こんな状況でも優しい言葉を掛けている姿は、確かに尊敬に値します。…ですが、それは先ほどのテロ事件に、一切の犠牲者が出なかったからだッ!!」
「―――……ッッ!!!!」
その輝の雷の如き怒声は、一瞬で、百合花の脊髄を痺れさせた。途端に彼女は、自分の頭のてっぺんから氷水を浴びせられたかのような感覚に陥り、次いで、皮膚の表面から骨の髄まで、ことごとく、真冬の吹雪の中で感じるような厳しい寒気に似たナニかを覚える。
だが、百合花は負けたくなかった。此処で引き下がることを、彼女は良しとしたくなかった。故に、百合花は。ほぼ同じ高さに在る輝の怒れる視線に向かって、自身のそれを交叉させる。両者の間に、火花が散ったように見えた。…そのとき。
「まあまあ、落ち着きたまえ、輝くん。君の言いたいことは僕だって大いに分かるけれど、…女性に向かって頭ごなしに叱りつけるのは、少なくとも、紳士的とは言い難い」
百合花の死角から現れた八槻がそう言いながら、輝の肩をぽんぽんと優しく叩く。どうやら仲裁役になってくれるようだ。現に、八槻の声を聴いた輝の瞳には僅かな冷静さが戻ると同時に、第三者の登場という場面転換により、百合花の昂った神経もまた、少しだけ鎮まった。
睨み合っていた二人の感情に揺らぎが出たことを察知した八槻が、すぐさま口を開く。
「弊社の次期社長候補が、大変失礼を致しました。ですが、彼は重要なポストに就いているとはいえ、見ての通り、年齢も経験も未だ浅い子です。
どうぞ、この雪坂八槻の顔に免じて、この場はお許しをくださいませんか?紫雨百合花先生?」
「……次期社長候補、ですって…?」
八槻の台詞の中に、百合花は大いに気になる単語を拾い上げた。すると、八槻は何処か演技めいた、仰々しい所作で、自分の隣に立つ輝を紹介する。
「こちらにおわす御方こそ、トルバドール・セキュリティーの次期社長候補、輝・リーグスティ殿です。
この度は、彼が社長に成るための実績を積む一環として、国会議事堂の警備列に臨時枠として参加していた次第です」
―――…『輝・リーグスティ』…!?
その名前を聞いた百合花は、もう何度目かも分からぬ衝撃を、その身に受ける羽目となった。
かつて『シンデレラ女帝』という通り名で、社交界はおろか、時に政治界にも少なからず影響を及ぼすほどの権力と名声と手腕を持ち合わせていた、ミセス・リーグスティこと、イヴェット・リーグスティの顔が。百合花の脳裏にハッキリと浮かぶ。
そう言えば、ミセス・リーグスティには双子の子どもが居る、という話を、何度か耳にしたことがあるが。…まさか、まさか。
(あのミセスリーグスティの…、息子…?!そうだとしたら…!!)
百合花は最早、自分が悪い夢でも見ている気分になっていく。
だが、この国の政治を護る国会議員としてのプライドが、彼女の震える唇を動かした。
「……そうですか。トルバドール・セキュリティーのリーグスティ元社長には、私も、随分とお世話になりましたわ。
その…、失礼ではありますが…、輝さん、貴方は今、おいくつでして?」
その質問をしながらも。百合花は、心の奥で願っていた。「どうか、自分の勘違いであってくれ」と。強く、強く、願っていた。…しかし。
「僕は、十六歳です。
それはそうと、紫雨先生は僕の母をご存知でしたか。それならば、イヴェット・リーグスティの息子として、お母様の代わりにお礼を申し上げます」
返ってきた輝の言葉を受けた百合花は、今度こそ、緊張で鼓動がはち切れんばかりに高鳴った。
十六歳で、次期社長候補。
十六歳で、国家警備の臨時枠。
十六歳で、テロ事件を鎮圧。
十六歳で、あの大喝一声。
十六歳で、このオーラ。
ぐるぐると回る思考の中、抑えきれないほどの眩暈を起こした百合花は、―――とうとう、その場で倒れてしまった。
周囲の喧騒と世界が遠くなる真っ只中で、意識を手放した彼女の細身を支えた腕の持ち主は、誰でもない。百合花と真っ向から対面していた、輝のモノであった。
*****
【本土 某所】
滞在先として用意された某高級ホテルの、ロイヤルスイートルームにて。
マルギットは食事とシャワーを終えた後、ノアから上がってきた報告書データに目を通していた。
どうやら本日午後の間、国会議事堂がテロ行為に晒されたとのことで。それが起きたのは、百合花がサウザンド・メガロポリス計画の宣言をスタートするスピーチの真っ最中。最終的にテロを鎮圧したのは、議事堂に配備されていた正式な警備ではなく、そこに実習訓練として混じっていた民間人に等しい兵士だった。
…という要点だけを、マルギットは掻い摘んで、読み込んだ。
こうなることは、予想に容易かった。
新時代の風を吹かせる、というのは実に綺麗な言葉であり、そこには耳障りの良い意味合いも含まれている。だが、新しいモノを取り入れるとき、人間という生き物たちは必ず、賛否で両断される。他の誰でもない。人間そのものが積み上げてきた歴史が、そう語っているではないか。
故に、マルギットにとって。サウザンド・メガロポリス計画の始まる時点ないし、それを宣言する頃合いに、必ず、反乱分子が横槍を入れてくることは。先述の通り、『予想に容易かった』。
百合花に怪我が無かったのは、不幸中の幸いと片付けても良い。例え、大なり小なり外傷を負っていたとしても。この幸福劇場の招致を実現した百合花ならば、怪我をしたというネガティブイメージすら前進するパワーに変えて、マルギットたちの支援に回ってくれていただろう。
まあ、それはもう良い。
実際の現場に後始末が入ったモノに関して、マルギットがアレコレと考える必要性は無いからだ。
報告書データを閉じたマルギットは、次いで、サウザンド・メガロポリス計画のデータを開く。
真っ先に表示されたデータのタイトル欄に書かれていたのは。
―――『サウザンド・メガロポリス計画 第一脚本 アンチ・アグリー』―――
画面をスワイプしていくと、最後のページに空白の署名欄が現れる。
それを見たマルギットは、その空白の署名欄に、指先で自分のサインを書き込んだ。すると。
画面が僅かにチカチカと明滅したかと思えば、次に軽いノイズパターンが入り、それが晴れると。真っ白になった画面に、無機質なフォントの文字が表示された。
――『第一脚本を承認しました。演出を開始します。』
さあ、この世界の人間たちよ。
我が都市が用意した、幸福極まる脚本を享受するときが、今ここにやってきたぞ―――…。
――fin.
二日後。
百合花は、今日の国会が開かれる第五議場に向かって、廊下を歩いていた。前後左右に彼女を固めた警備たちは、この一過程にすら警戒を解かない。それは、要人が襲われた瞬間という過去の事案には「移動時間の際に…」という理由が、数多と列挙しているからだ。
そして、百合花自身はと言うと。今から赴く第五議場で、サウザンド・メガロポリス計画のスタートを宣言するためのスピーチ原稿の反芻を、繰り返し、脳内で行っている。自分がこうして仕事に集中が出来るのは、こうしてこの身を厳しく守ってくれている警護のスタッフが居てこそだ。なので百合花は、今日の仕事が終わったら、議事堂のセキュリティールームへ労いの言葉を掛けに行く予定を、しっかりと組み込んでいる。
止めどないスピーチの予行演習に休憩を挟む形で、百合花は何気なく、己を固める警備列の外を見やった。すると。黒や紺など、基本的にシックな色味の装いが多い警備スタッフたちの集まりの中に、白色の騎士服が紛れ込んでいるのが分かった。一際目立つものの、悪い印象は無い。むしろ、見慣れたはずの現場に、良い意味合いの緊張をもたらしてくれるまでもある気がした。
間違いない。百合花が、先日の答弁の場で目撃した、あの金髪の少年―――…まだ百合花は名を知らないでいるが、間違いなく、輝である。彼の隣には、あのときと同じく八槻も立っているので確定事項だ。そうか。今日も警備に来てくれたのか。
(……せめて、一言だけでも…―――)
―――百合花が、そう思ったときには、もう遅く。警備に合わせていた歩みは止まることを知らず、そのまま廊下を往き続けて。あっという間に、白い騎士服姿の少年を横目にと、通りすぎてしまう。
そう。この歩みは、簡単な理由で止めて良いモノでは無い。そう。警備スタッフに混じっているだけの、あの少年に心の隅を奪われていた、などと言う、そんな簡単な言い訳如きでは…。
国会が開かれる時間が間近であることを告げるベルが、鳴る。
――――…。
【国会議事堂 第五議場内】
「―――以上を持ちまして、劇場型幸福舞台演出隊列、通称・幸福劇場の皆さまが、無事に我が国へとお越しくださったことの証明とさせて頂きます。
特に、マルギット特務将軍に於きましては、会食に同席した総理から「大変高尚な思考をお持ちの、素晴らしい御方です」とのコメントを頂いております。現に私も、たった数分という短い時間ではございましたが、直接の対面を致しまして、そのオーラには圧倒される思いでありました。
…ですが、いくら幸福劇場の御三方が素晴らしい御仁であると言えども、我々がそこに対して、全面的に甘えることは許されません。我々も共に研鑽し、共生し、時に議論を交わすのです。そうすることで初めて、幸福劇場をご招待した意義が見えてくるでしょう」
百合花の弁論が、議場内に響いている。声の張り方、感情の乗せ方、トーンの使い分け…、どれもこれも完璧だ。
警備隊の列から少し外れた場所に立っている八槻は、思わずと言った風に、隣に居る輝に向かって、小声で囁く。
「大した演説だよ。あの若さで此処まで昇り詰めるだけのことはある。そう思わないかい?
…輝くん?どうしたんだい?」
返事の無い輝に対して、八槻が違和感を覚え、思わず隣へと視線を移す。すると、輝の眼の色が変わっているのが分かった。本能が告げる。「戦士のスイッチが入っている」と。
輝が八槻にしか聞こえない声量で、呟き始める。
「天井の監視カメラの数がおかしい。聞いていた設置数より多い。それに、……近くから、想定外の火薬の気配がする」
その輝の言葉を聞いた八槻の全身に、緊張が走った。彼の直感を信じるならば、…否、信じる以外はあり得ない。
すると、議場内に百合花の声が、更に大きく響く。
「さあ、私と志を同じくする皆さま!この国の政治を守る議員の同志たる皆さま!共に立ち上がりましょう!
今こそ、私は此処に宣言します!幸福劇場が掲げる、サウザンド・メガロポリス計画の始まりを!」
百合花の演説が最高潮に達したことと、そして議場内の議員たちの熱狂的な拍手が沸き上がったこと。それらと全く同じタイミングで、輝と八槻は走り出した。
警備列の中に居た制服姿の二人の男女が、ハンドガンを取り出したのを見据える。発砲させるわけにはいかない。輝は飛び蹴りで男の横っ面を叩きのめし、八槻は残った女の方の鳩尾に強烈なパンチを捻じ込んだ。だが、輝も八槻もこれで終わるとは思っていない。
輝は剣型になっていた雷翅を腰から引き抜くと同時に、飛び上がる。そのまま輝は議員席の背もたれという、ほんの僅かな板を蹴ってジャンプしながら移動しつつ、雷翅を剣から、弓型に変形させた。途端、雷翅がエネルギーボウを生成する。
激しくざわつく議場内を尻目に、輝は天井目掛けて、雷翅を構えて、エネルギーボウを引く。
「―――射抜け!翠燕!」
輝がそう咆哮すると同時に、エネルギーボウが放たれる。翠色の電磁を帯びた矢は、細かな複数本に分かれて、天井に設置されていた監視カメラの、―――否、カメラに擬態していた爆発物を正確に撃ち落とした。だが、予測した数を考えるならば、未だ残っているはず。輝がもう一度、翠燕を放とうとしたときだった。
天井から、僅かに点滅する小さなライトが見えた瞬間、輝は瞬時に叫んだ。
「皆!!伏せてッ!!」
輝の警告を聞いた議員たちは、わあわあと混乱した悲鳴を上げながらも、咄嗟に頭を両手で抱えたり、机の中に潜り込もうとしたりする。次の瞬間、残っていた天井の爆発物が、遂に爆発した。全員が絶望を感じた中で、輝だけが冷静に雷翅を上部へと掲げて、トリガーボタンを押す。
すると、自分を含む議員席側に居た人間たちを纏めて覆うほどの、広範囲の高圧シールドが広がった。音色の絡新婦に搭載されているモノの姉妹品であり、上位互換とも言える装備だ。
輝が張った高圧シールドが爆発で落ちてくる瓦礫と、その熱波を完全に防ぐ。同時に土煙が上がり、議員席の様子は完全に見えなくなった。
答弁の場に立っていた百合花は、異変と共に袖から飛んできた警備たちに押し倒される形で、頑丈に護られていたが。その光景はしかと眼にしており。故に、震えが止まらないでいた。
「すぐに避難しましょう。紫雨先生、こちらに」
「え、ええ…!」
警備たちが百合花を立ち上がらせて、緊急避難口へと誘導しようとする。…が、その一番後ろ。すなわち、百合花の背中を護る位置についていた警備役の女が、服の袖口からナイフを取り出し、彼女のがら空きの背中に向かって、音も無く刃を突き立てようと―――
「―――燕の眼には見えているぞ!!」
「「「―――?!!!」」」
頭上から降ってきた輝の声に向かって、女は勿論、百合花も、正式な警備たちも驚愕の表情で見上げる。そこには高圧シールドの外側を足場としてジャンプした輝が、空中で雷翅を構えている姿があった。誰かが何かを発する前に、エネルギーボウが放たれる。それはナイフを持っていた女の肩を、正確に射抜いた。肩から血が噴き出し、悲鳴を上げて倒れる女を、他の警備たちが瞬時に抑え込む。
だが、全身はおろか、思考回路さえも硬直した百合花が真っ直ぐに眼にしたのは、―――空中から落ちてきた輝が、副議長席の机のフチに、靴底の先だけで着地する勇姿だった。白色の騎士服。煌めく金髪。その手に携えた、機械仕掛けの弓。凛と張り詰めたその横顔は、狙った獲物を逃がさず、且つ、護るべき対象を護り抜く信条を宿している。
百合花は己の胸の中で、彼女自身がこれまでの人生で聞いたことない音が、小さく響いたのを、しかと感じた。
――――…。
およそ、二時間後。
第五議場で起こった一連の騒動は、テロ行為と見なされた。輝と八槻に制圧された偽物の警備だった男一人、女二人の計三人が、早々に白状したからである。その結果、国会議事堂のセキュリティールーム内にも、二人の内通者が居たことが発覚し、その場で取り押さえられた。だが、よりによって、警備の心臓部にテロリストのスパイが潜り込んでいたという事実がもたらした衝撃は非常に重たいモノであり、これにより百合花を始め、議員たちの間にも、酷い動揺が走っている。
しかし、精神的に参ってしまった他の議員たちが、心身憔悴だったり、半狂乱状態に陥っては、その端から救急車に乗せられて、搬送されていくのを、合花は横目に見ながら。彼女自身は、未だに現場に留まっている。何故なら百合花は、混乱している国会議事堂の警備グループたちへと労わりの言葉を掛けているからだ。自分たちが敷いていたセキュリティーの包囲網を破られたショックでくずおれた彼ら彼女らに対して、百合花は「防げなかった襲撃に対して、悔やむことはありません」、「今回の反省点は、後ほど必ず出てくるはずです」、「今は警察と救急機関の指示に従い、余計なことを考えるのは止めましょう」等…。持て得る限りの誠意を出して、百合花は落胆する警備たちに優しい声を掛け続ける。
するとそこへ、不意に現れた、白い影。―――輝だ。雷翅を剣型に戻して、腰から提げている彼の表情は、…異様に険しい。幼い印象が残る顔立ちには似つかわしくない鋭い視線が、警備スタッフたちに向けられているのを見た百合花は、途轍もない嫌な予感を覚えた。だが、彼女が待ったを掛ける間も無く、輝が口を開く。
「今回のことは、国会議事堂の警備の全てを担っているはずの貴方たちが犯して良い失敗では無いはず!一体全体、何を護っているつもりですか?!
貴方たちが寄ってたかって包囲していたはずの警備網が破られていた挙句、僕一人がテロを制圧したというこの結果が…、何を意味するのか分からないとは言わせない!」
輝の怒号は、鶴の一声なんぞ霞に等しい、最早、天からの轟命だった。百合花の激励で緊張が解け始めていたはずの皆が、一気に震え上がる。百合花は慌てて、輝の前に立ちはだかり、彼の叱責の的になった警備スタッフたちを庇うかのようにして、反論を試みた。
「ちょっと…!お待ちなさい!民間人が何を仰っているつもり?!それに彼らは今、傷付いているのですよ?!そんな状態の人間を追い詰めるような発言は許しません!!」
だが、百合花の言葉を聞いた輝は、更に語気を強めて、畳み掛ける。
「僕は正式に武装が許可されている者として、当然の意見を申し上げているに過ぎません!それに、僕が民間人であることが気に食わないと仰るのであれば、そちらがプロフェッショナルとしてのプライドを見せて頂きたい!
貴女こそ、失敗した警備スタッフたちへ、こんな状況でも優しい言葉を掛けている姿は、確かに尊敬に値します。…ですが、それは先ほどのテロ事件に、一切の犠牲者が出なかったからだッ!!」
「―――……ッッ!!!!」
その輝の雷の如き怒声は、一瞬で、百合花の脊髄を痺れさせた。途端に彼女は、自分の頭のてっぺんから氷水を浴びせられたかのような感覚に陥り、次いで、皮膚の表面から骨の髄まで、ことごとく、真冬の吹雪の中で感じるような厳しい寒気に似たナニかを覚える。
だが、百合花は負けたくなかった。此処で引き下がることを、彼女は良しとしたくなかった。故に、百合花は。ほぼ同じ高さに在る輝の怒れる視線に向かって、自身のそれを交叉させる。両者の間に、火花が散ったように見えた。…そのとき。
「まあまあ、落ち着きたまえ、輝くん。君の言いたいことは僕だって大いに分かるけれど、…女性に向かって頭ごなしに叱りつけるのは、少なくとも、紳士的とは言い難い」
百合花の死角から現れた八槻がそう言いながら、輝の肩をぽんぽんと優しく叩く。どうやら仲裁役になってくれるようだ。現に、八槻の声を聴いた輝の瞳には僅かな冷静さが戻ると同時に、第三者の登場という場面転換により、百合花の昂った神経もまた、少しだけ鎮まった。
睨み合っていた二人の感情に揺らぎが出たことを察知した八槻が、すぐさま口を開く。
「弊社の次期社長候補が、大変失礼を致しました。ですが、彼は重要なポストに就いているとはいえ、見ての通り、年齢も経験も未だ浅い子です。
どうぞ、この雪坂八槻の顔に免じて、この場はお許しをくださいませんか?紫雨百合花先生?」
「……次期社長候補、ですって…?」
八槻の台詞の中に、百合花は大いに気になる単語を拾い上げた。すると、八槻は何処か演技めいた、仰々しい所作で、自分の隣に立つ輝を紹介する。
「こちらにおわす御方こそ、トルバドール・セキュリティーの次期社長候補、輝・リーグスティ殿です。
この度は、彼が社長に成るための実績を積む一環として、国会議事堂の警備列に臨時枠として参加していた次第です」
―――…『輝・リーグスティ』…!?
その名前を聞いた百合花は、もう何度目かも分からぬ衝撃を、その身に受ける羽目となった。
かつて『シンデレラ女帝』という通り名で、社交界はおろか、時に政治界にも少なからず影響を及ぼすほどの権力と名声と手腕を持ち合わせていた、ミセス・リーグスティこと、イヴェット・リーグスティの顔が。百合花の脳裏にハッキリと浮かぶ。
そう言えば、ミセス・リーグスティには双子の子どもが居る、という話を、何度か耳にしたことがあるが。…まさか、まさか。
(あのミセスリーグスティの…、息子…?!そうだとしたら…!!)
百合花は最早、自分が悪い夢でも見ている気分になっていく。
だが、この国の政治を護る国会議員としてのプライドが、彼女の震える唇を動かした。
「……そうですか。トルバドール・セキュリティーのリーグスティ元社長には、私も、随分とお世話になりましたわ。
その…、失礼ではありますが…、輝さん、貴方は今、おいくつでして?」
その質問をしながらも。百合花は、心の奥で願っていた。「どうか、自分の勘違いであってくれ」と。強く、強く、願っていた。…しかし。
「僕は、十六歳です。
それはそうと、紫雨先生は僕の母をご存知でしたか。それならば、イヴェット・リーグスティの息子として、お母様の代わりにお礼を申し上げます」
返ってきた輝の言葉を受けた百合花は、今度こそ、緊張で鼓動がはち切れんばかりに高鳴った。
十六歳で、次期社長候補。
十六歳で、国家警備の臨時枠。
十六歳で、テロ事件を鎮圧。
十六歳で、あの大喝一声。
十六歳で、このオーラ。
ぐるぐると回る思考の中、抑えきれないほどの眩暈を起こした百合花は、―――とうとう、その場で倒れてしまった。
周囲の喧騒と世界が遠くなる真っ只中で、意識を手放した彼女の細身を支えた腕の持ち主は、誰でもない。百合花と真っ向から対面していた、輝のモノであった。
*****
【本土 某所】
滞在先として用意された某高級ホテルの、ロイヤルスイートルームにて。
マルギットは食事とシャワーを終えた後、ノアから上がってきた報告書データに目を通していた。
どうやら本日午後の間、国会議事堂がテロ行為に晒されたとのことで。それが起きたのは、百合花がサウザンド・メガロポリス計画の宣言をスタートするスピーチの真っ最中。最終的にテロを鎮圧したのは、議事堂に配備されていた正式な警備ではなく、そこに実習訓練として混じっていた民間人に等しい兵士だった。
…という要点だけを、マルギットは掻い摘んで、読み込んだ。
こうなることは、予想に容易かった。
新時代の風を吹かせる、というのは実に綺麗な言葉であり、そこには耳障りの良い意味合いも含まれている。だが、新しいモノを取り入れるとき、人間という生き物たちは必ず、賛否で両断される。他の誰でもない。人間そのものが積み上げてきた歴史が、そう語っているではないか。
故に、マルギットにとって。サウザンド・メガロポリス計画の始まる時点ないし、それを宣言する頃合いに、必ず、反乱分子が横槍を入れてくることは。先述の通り、『予想に容易かった』。
百合花に怪我が無かったのは、不幸中の幸いと片付けても良い。例え、大なり小なり外傷を負っていたとしても。この幸福劇場の招致を実現した百合花ならば、怪我をしたというネガティブイメージすら前進するパワーに変えて、マルギットたちの支援に回ってくれていただろう。
まあ、それはもう良い。
実際の現場に後始末が入ったモノに関して、マルギットがアレコレと考える必要性は無いからだ。
報告書データを閉じたマルギットは、次いで、サウザンド・メガロポリス計画のデータを開く。
真っ先に表示されたデータのタイトル欄に書かれていたのは。
―――『サウザンド・メガロポリス計画 第一脚本 アンチ・アグリー』―――
画面をスワイプしていくと、最後のページに空白の署名欄が現れる。
それを見たマルギットは、その空白の署名欄に、指先で自分のサインを書き込んだ。すると。
画面が僅かにチカチカと明滅したかと思えば、次に軽いノイズパターンが入り、それが晴れると。真っ白になった画面に、無機質なフォントの文字が表示された。
――『第一脚本を承認しました。演出を開始します。』
さあ、この世界の人間たちよ。
我が都市が用意した、幸福極まる脚本を享受するときが、今ここにやってきたぞ―――…。
――fin.
