第一章 メガロポリスの徒

【本土 紫水党本部内 応接室】

マルギットから『ルカの読了のサイン』が入ったデータを受け取った百合花は、内心の奥底でざわつかせていた負の感情を、鎮めることに成功した。むしろ、ルカのサインの無いまっさらな状態で渡されてしまった暁には、我を忘れて、眼の前に座る別世界の使者たちへ怒鳴っていたかもしれない。それほどまで、マルギットたちが本土の政治家たち、その中でも、此処に至るまで常に最善を尽くしてきた百合花を蔑ろにし、真っ先にルカへと挨拶をしに行ったという行動は、彼女にとって看過することが出来ないモノなのである。

この使者たちに、こちらの世界の常識、マナー、ルール、あるいは道理等の一切が通じないことを理解した百合花は。瞬時に頭の回転を切り替えて、サウザンド・メガロポリス計画のデータを眺めながら、手始めに…、と会話をスタートさせる。

「それでは…、予定通り、明後日の国会で、私から正式に、このサウザンド・メガロポリス計画のスタートを宣言させて頂きます。
 予算、人材、資材、情報、その他必要だとされたモノ…、事前にそちらから注文や提案がありましたものは、こちらで全て揃えております。どうぞ、ご自由にお使いください」

百合花のその言葉に反応したのは、ノアだった。

「それ、ほんと?こっちの暗号化をロクに解けないほどの端末も用意してなかったのに?」

ノアのからかうような口調は、百合花の神経を逆撫でしたそうにしている。だが、彼女はグッと堪えて、毅然と返答した。

「…、幸福劇場の皆さまが、非常に高度な技術をお持ちであることは重々承知しておりました。ですが、私は我が国の科学者・技術者・職人・文官…、あらゆる分野における『縁の下の力持ち』の底力を、信じておりましたし、彼ら彼女らは、このデータを解析するための準備も入念にしておりました。
 むしろ、そちらが、あの軍事兵器の性能を試したかったのでは?…それとも、このルカ三級高等幹部殿の読了のサインは、まさか、彼の意思にそぐわぬ形で捺されたものなのですか?」
「…いいや。ルカに関しては、オレたちの負け。そこは認めてあげてもいーよ」
「そうですか。では、幸福劇場に関係しないような無意味な発言は、今後は控えて頂きますよう、お願い申し上げます」
「はいはーい」

百合花の言うことを納得したのかどうかはさておき。ノアは軽薄な口調で、了承の返事を投げておいた。とりあえず百合花は、今のノアとのやり取りの中から、「ルカが、この幸福劇場の三人衆を、精神面から叩きのめしたらしい」という情報のみを、正しくサルベージしておくだけに留める。これ以上の会話が、最早、時間の無駄そのものだと判断した。この三人は、『こちらから正式に招いた客ではある』ものの、『賓客として特別待遇をし続けると、もれなく付け上がる可能性が高い』と、百合花は胸中で静かに帰結する。
…ただし、その高いリスクを負ってでも、この国に新しい風を吹かせるために、彼らを呼んだのは。間違いなく、百合花自身だ。ならば、己が手ずから、使者たるこの三人のフォローをして回り、時には傷を負おうとも軌道修正を行う、ぐらいの気概もまた背負わなければなるまい。

「…では、サウザンド・メガロポリス計画のデータを頂戴致しましたので、今夜はこれにて失礼いたします。
 マルギット将軍は、この後、総理と会食だと伺っておりますが…?」
「ええ、間違いございません…。こちらの世界のお料理が、一体どのような味なのか、とても楽しみです」
「是非、我が国が誇る文化と美食をご堪能ください」

百合花がそこまで言うと、形ばかりの『初会合』はあっという間に終わったのであった。


――――…。

【本土 百合花邸】

使者たちとの会合を切り上げ、総理であるユナにデータの引き継ぎを行い、秘書たちに予定の確認をして、…それから、帰宅したものの。一人で住まう豪邸は、余りにも寂しい空間を以て、百合花を迎え入れた。勿論、数多のお手伝いさんは居る。そういうことではない。お手伝いさんは所詮、従者。家族では無い。
相続税対策が半分、百合花が議員に当選した誉としての贈り物が半分、という名目で、彼女が両親から頂戴した、この豪邸は。…権威としては最高の出で立ちをしているが、百合花の日々の疲れを癒してくれるような空間には、なってはくれないでいる。

それでも。シェフたちが心を込めて作ってくれる料理は非常に美味であり、激務をこなす百合花が日々の食事で飽きないように、あれこれと手を尽くしてくれているのが分かる。
朝晩の風呂と身支度を手伝うメイドたちは、朝の百合花が仕事へ行くことを鼓舞するかのように、丁寧に彼女を飾り付け。夜は仕事で疲れた百合花が少しでも気を楽にしてくれるようにと、繊細な手付きで、彼女の身体の隅々まで洗い清めてくれる。
そうして、一日を終えた百合花が寝室に入れば、もう後は、彼女が呼びつけない限り。この屋敷の従者は誰一人として、百合花の完璧なプライベートゾーンへと足を踏み入れることをしないのである。

百合花が寝室の扉を完全に閉め切ったとき、壁に掛けたアンティーク時計の短針は「10」を示していた。それを見て、彼女は思う。「今夜は割と早く一日が済んだわ」と。同時に、「あのような想定外が起きたにも拘わらず…」とも。その脳裏には、能面めいた無表情のマルギット、人を食ったような笑みを浮かべたノア、血に飢えた狩人の眼付きをしたキャットが、しっかりと浮かんでいる。
しかし、百合花は、小さくかぶりを振ってから、すぐさま気持ちを切り替えた。寝室にまで仕事のことを持ち込むのは、彼女の主義では無い。

百合花が大きなベッドへとダイブする。ふかふかに整えられたシーツの海に身を沈めてから、ふーっ、と小さく、長く、息を吐く。そして、彼女は、ベッドサイドテーブルの上に、充電ケーブルに繋がれた状態で鎮座していたゲーム機を手に取った。去年、我が国のゲーム会社からは発売された、老若男女問わず、人気と流行の最前線を走る、最新型のゲームハードである。
ベッドにうつ伏せになりつつ、大きな枕をクッション代わりに胸と腕の下に敷いてから、百合花はゲーム機の電源を入れた。高画質な液晶画面に、セーブデータが記録されているゲームソフトのタイトルが、ずらり、と並ぶ。どれもこれも、女性向けの恋愛シミュレーションゲーム、通称・乙女ゲームのタイトルたちだった。

そう。百合花は、大の乙女ゲーム好きである。これに関しては、オタクと称しても過言でないと自負している節すらあった。関連グッズを集める趣味こそ持ち合わせていないものの、世に在る乙女ゲームのあらゆるタイトルを遊び、楽しむ時間こそ、百合花にとって、この上ない幸せな世界。そして当然、仕事中は勿論、職場や出先でゲーム機を弄る真似はするような百合花ではない故、彼女が愛する乙女ゲームに没入するのは決まって、一日の終わりと共に迎える、夜の寝室の中となる。
これではまるで他人の視線からコソコソと隠れて趣味を楽しんでいるかのように見えてしまうが…、百合花に関しては、政治家という自身の職務上、どうしても公言するのは憚れるだけで。その結果、周囲にも堂々と乙女ゲームが趣味である情報をカミングアウトする機会が無い、というのが現状にして正解だ。

そんな百合花が、いま進めている乙女ゲームは、オフィスラブをテーマにした作品。購入したのは、およそ二週間前。今夜はちょうど、三人目の攻略対象キャラクターとのエンディングを迎える頃合いである。此処まで、ハッピーエンドの条件を満たす選択肢を間違えては来なかったし、ステータス画面に表示されているキャラクターの好感度は、既にMAXだ。
仄かな灯りが色付く寝室内で、百合花が無心でゲーム機をつつく時間が流れていく。

小一時間後。
ゲーム画面内の攻略キャラクターからの熱烈な愛の告白を受けたことで、ストーリーが終わり、エンドロールが流れ始めた。

パッケージに描かれているキャラクター内で、残る攻略対象は、あと二人。だが、この乙女ゲームには、隠しキャラが居ることを、百合花は既に知っていた。彼女の今回の本命は、『それ』である。その隠しキャラを解放するには、残りの二人のルートでハッピーエンドを迎えることが、絶対の条件だ。勿論、百合花はそこまでの家庭を『作業』にするつもりは毛頭ない。彼女は、隠しキャラルートの解放を目指しつつも、表で広告されている攻略対象たちのルートも、しっかりと楽しんでいる真っ最中だ。
…だが、楽しいからと言って、のめり込み過ぎるのは良くない。
百合花は時計を見て、日付が変わりそうになっているのを確認してから。遊んでいた乙女ゲームのセーブデータをしっかりと記録し、ゲーム機の電源を落とす。それから本体を充電ケーブルへと繋いでから、専用のスタンドへと立てかけた。…画面に付着した僅かな指紋と、ボタンの皮脂汚れが気になる。次の週末休みには、しっかりと手入れをしなければなるまい。

タンブラーの中の常温水を飲み、お手洗いへと立ってから、百合花はベッドへもそもそと潜り込む。明日の朝が来ることを思い描きながら、百合花は静かに眠りの中へと落ちて行った。


*****


【ヒルカリオ アヴァロンタワーα 十六階 1601号室】

スマートフォンのリマインダーアプリから鳴った通知音を聞いた輝は、もうそんな時間か…、と思いながら。広げている専門書や、ノート、コピーに失敗した裏紙などが散らばった机から、顔を上げた。手に持っていたシャーペンを置くと、握っていた反動で、僅かな痺れがやってくる。そのまま、椅子の背もたれに体重を預けて、輝は思いっきり伸びをした。八槻に強く勧められたことが理由で買い求めた、このゲーミングチェアは、中々に快適な環境を輝に与えてくれている。他にも、リビングに置いてあるソファーも、八槻が選んでくれたものだ。
曰く、「勉強と趣味に使う部屋には、良い椅子を置くべきだ」とのこと。その心は?と問えば、八槻は爽やかに笑って答えてくれた。――「一日という二十四時間の中で、最も有意義且つ、快適にするべきなのは、自宅で座っている時間だ」と。…そのとき、イマイチ真意が掴めなかった輝は、正直に「解釈が難しいです」と伝えたところ。八槻は更に笑いながら、「まあまあ、まずは試してみようじゃないか」と言いながら、自前のスマートフォンから通販サイトにアクセスして、このゲーミングチェアと、リビングに在るソファーを注文したのであった。
そしてその結果は、…この通り。輝は平日の夜に集中が高まる勉強部屋兼寝室を手に入れ、休日にはゆったりと寛げるリビングルームが待っているという、『最高の自宅』という環境を手に入れた。勿論、八槻には既に報告済みにして、しっかりとお礼の言葉も述べている。

そんなことをつらつらと思い出しながら、輝は散らかしていた机の上を綺麗に片付けていく。日々勉強に励むのは喜ばしいことだが、早く成長したいからと、根を詰めるのは逆効果である。現役高校生だった頃に受けていた定期試験に対抗するための一夜漬けとは、全く訳が違うのだから。
トルバドール・セキュリティーの次期社長の座に就ける未来を勝ち取るために、そしてヒルカリオに住む一人の戦士として、更に邁進する輝に必要不可欠なのは、――しっかりと区切りをつけて休むこと、である。

「さて、直近の予定は…、…明日は会社で内勤、…明後日は、国会議事堂の警備か…。雷翅の手入れと動作確認を怠らないようにしないと。武器屋の次期社長候補が持った武器が、いざというときに動かないとか、想像するだけでしんどすぎる」

輝は自分のスケジュールを確認し、言い聞かせるように復唱しながらも、…その口からは欠伸が漏れ出てきていた。

綺麗に片付けた机の上に、明日の出勤時に持って行くための鞄を置いてから。輝はベッドに入り込んで、室内を照らしていた照明の全てを落とす。
間も無く、暗闇に包まれた輝の寝室に、彼の健やかな寝息が溶けて行った。



to be continued...
1/4ページ
スキ