第六章 カーテンコール
ユナが『彼ら』の前に現れたのは、何年前のことだっただろうか…。
二百年も遡る過去で、ルカがヒルタス湾にもたらした災厄級の一撃により、殉職した数多の人間たちの。…その筆頭格として、名を挙げられてる、『紫雨潤二朗帝国将軍閣下』。―――その一族の末裔の一人として、若き紫雨ユナは、社交界にデビューした。
当時のユナは、それはそれは、もてはやされた。
ユナ本人から早々に「政治家を目指している」という発言があったことで。彼女を囲もうとする人間たちは、やれ「次代の新リーダー像」だの、やれ「我が国の至宝」だの、やれ「太古からの贈り物」だのと、……それはそれは、何ともチープな美辞麗句を並べ立てたものである。
だがしかし、当のユナ本人は。そんな甘い言葉に惑わされるような人間ではなかった。―――少なくとも、『総理』という椅子に座るまでは…―――。
…と、言うのも。この紫雨ユナという女性は、紫雨一族の一人というだけで、実態は、全くの世間知らずも甚だしい人物であったのだ。
一番最初に声を掛けたのは、ユキサカ製薬の社長を継いだばかりの、若き玄一と。戦場から帰ってきて早々、命懸けの傭兵業故に発生した莫大な報奨金を種に、平和な我が国で事業を起こそうとしていた、バルドラであった。…ちなみにこの時代から既に、玄一とバルドラがつるんでいたのは、若き男同士、これからの互いのビジネスワールドについて、意気投合していたからである。
話を戻す。―――社交界の隅っこで、誰にも悩みを打ち明けられず、困り果てていたユナを見つけて、声を掛けたのは、若き玄一とバルドラだった。
それから、二年ほどのラグを経て。その三人の輪の中に、イヴェット・リーグスティ、―――今ではミセス・リーグスティと呼ばれる彼女が、加わってきた。
聡明な紳士である玄一と、野性は溢れるが豪傑そのもののバルドラ、身一つで成り上がった経験と知略の女王・ミセス・リーグスティは、ユナの良き友人となった。
選挙運動はさほど苦労を感じなかったというのに、…肝心の政治家になった瞬間、次々と未知の仕事と苦悩と恐怖を味わう羽目になったユナに、この三人の友人は、度々、手を貸した。
一般的な世間の事情や、社会経験の一つさえ知らないユナは、国民たちが今どんな生活をしていて、今どんなことを考えているのかさえ分からない。だから玄一は、ユナと、彼女の理解が及ばない市井の人間たちの間に立った視点で、彼女へ最大限の助言をしてきた。
政治家の武器は、弁術である。だが、時にそれが及ばない武器が必要になってくる場面があった。ユナを手酷く傷つけようとする輩の影が見え隠れしたとき、バルドラはその不埒な者を、更なる闇の奥へと引きずり込んでいった。
政治家としてはある程度の成熟を経たものの、『女性の政治家』として名を売りたいのであれば、それに沿ったマーケティングや知恵、立ち居振る舞いが必要である。ミセス・リーグスティは、ユナがぼんやりとしか掴んでいなかった『女性視点』を言語化したうえで、彼女のなかで冬眠寸前だった政治的目標を、より立像的に仕上げていく手伝いをした。
だが、転機が静かに、実に静かに、訪れた。
ユナが政治家として名を挙げ始めた頃である。社交界に、一人の少女が、父親に手を引かれた状態で、やってきた。
―――紫雨百合花である。
『紫雨潤二朗帝国将軍閣下』の、正当なる、直系の末裔の少女。
当時は、未だ幼い少女の域を出ていなかった百合花だったが、……凛とした瞳と立ち姿、生まれながらに高貴な者としての風格が、彼女には既に備わっていた。
途端。社交界の風向きは、変化する。
「本物の後継者が来た!」、「この時代を象徴するべき、真のリーダーが現れた!」と。
当初、幼い百合花は、大人たちの我欲に塗れた視線にたじろいだ。だがしかし、百合花は強かった。欲に穢れた周囲の声を見聞きしたからこそ、彼女はその小さな胸の内に秘めた『紫雨一族直系の人間』の誇りと、在るべき姿を確立させていく。
最早、それは、天与の美とも言えるモノ。百合花の周りを囲む人間が、身勝手な話を積み上げていけばいくほど、百合花本人は「そんなことにはならない」と決意して、己の中の清らかさと正しさを、より固く結実させていった。
対して、まさに理想の象徴化であり、誰にも穢されない高嶺の花となっていく百合花を目の当たりにしたユナは、―――…地を這うような己の努力が、酷く無価値なモノに思えてきた。
同じ血統の末裔であることに変わりないはずなのに。末端(ユナ)か、直系(百合花)か。たったそれだけの違いで。ユナに我が国の未来を託していたはずの人間たちは、手の平を軽く返して、百合花に興味を移していく。
だが、百合花は。決して、周りに流されなかったし、持って生まれた才覚に胡坐をかくこともなかった。
周囲の理想の姿で在ろうとしながらも、決してその欲望の視線に酔わない百合花の立ち姿は、ユナには眩しすぎて、残酷が過ぎた。
『何も知らない立場』から始まったこそ、ユナは周りの友人たち―――玄一、バルドラ、ミセス・リーグスティから、助けを得て、此処まで昇ってきた。
それなのに、―――家の格が上だからと。少し才能と美に恵まれているからと。―――だったそれだけの幸運に恵まれていただけで、何故、後から出てきた姪っ子に、自分の立場がひっくり返されるような危機を抱かなければならないというのか?
それからユナは、より一層、がむしゃらに努力を重ね、研鑽を積んだ。結果、予定していた頃合いよりも、大きく遅れを取ったものの、見事、彼女は、総理大臣の椅子を掴み取った。その際、各メディアからは、盛大な謳い文句が飛び出す。
――『新総理は、あの紫雨潤二朗帝国将軍閣下の末裔!遂に、現代社会のリーダーは新時代のスタイルへ!』
努力をすれば、必ず、いつかは報われる。
その言葉を胸に、ユナは拍手喝采と、鳴り響く囃子と、一握りの軋轢と共に、我が国の新しいトップとして走り出した。
そうだ。自分が総理の椅子を掴み取れたのは、努力の結果であり、決して、この身に流れる血統に依存したものではない。ユナは、心からそう思った。そう思えたからこそ、より職務に邁進しようとした。―――…それなのに。
数年と経たず、世論の風向きが、またしてもユナに向かい風を吹かせる。
そう。百合花が、国会議員を志し始めたのだ。
裏では個人的に百合花のことを快く思っていなくても、……表では『親族』として、何より紫水党から百合花が立候補したため、党首ならびに総理大臣として、ユナはその援護をしなければならず。
ユナは自分の本当の気持ちが何処にあるのかが、己自身にも不明瞭なまま、選挙運動をする百合花の隣に立っては。しかし、貼り付けた笑顔と、心にも思ってもいないスピーチを口から紡ぐことに、激しい嫌悪感を抱いていた。―――そう。嫌悪していた。百合花のことを、ユナは腹の奥底から、嫌っていた。
案の定。世論から輝かしいほどの支持を得た百合花は、誰にも文句を付けられないほどの得票数を以て、当選した。
各メディアは、こぞって美辞麗句を並べ立てる。
――『紫雨潤二朗帝国将軍閣下の直系が、政治の最前線へ!新進気鋭の女性政治家は、麗しの白百合!』
かつて、ユナのことを賛美したメディアたちは。今度は、百合花の写真を使い、その横に寒々しい文句をつけて、市井へと売りに出す。
このとき、ユナは壊れそうになっていた。
血筋でも、努力でも、社会的地位でも。どれだけ成果を積み上げていっても、後から百合花が全てを搔っ攫っていく、現状。惨すぎる、現実。
しかも、百合花が『真っ当な人格者』だったことが、皮肉にも、ユナの傷口をより抉っていく。
百合花は汚職に染まる愚者でもなければ、余計な金品や感情に振り回される浅慮な娘でもない。おまけも、ユナのことを、総理大臣として以前に、『たった一人の伯母』として大切に扱ってくれる。
その百合花の清廉潔白な性格と振る舞いこそが、尚更、ユナの心に巣食う闇と病みを、どす黒いモノへと変貌させていき、更にユナの思考回路を錆びつかせていくのだ。
ユナは、とある深夜の寝室で、声を殺して、嘆いた。
もう誰も私を見てくれない。この身に流れる血筋も、此処まで積んできた努力も、いま座っている総理大臣としても。もうなんでもいい。誰でも良いから、この『紫雨ユナ』という、たった一人の人間を、見て―――…!
そのときだった。心身の多忙が過ぎて、充電すら忘れ、バッテリー切れを起こしていたはずのスマートフォンが、勝手に起動した。照明を落とした寝室内で、唐突に光り始めたそれを見たユナは恐怖の悲鳴を上げる。だが、スマートフォンはそんなことは知らないとばかりに、勝手に画面を白黒に明滅させながら、ジジジッ、ジジッ、と不規則なノイズを発しているだけ。ユナは浅くなる呼吸と、激しくなる動悸のまま、ただただ、その光景を見つめた。部屋の外で、使用人の声が聞こえる。ユナの悲鳴を聞いて、駆け付けたのだろう。だが、彼女はそれに応じなかった。
間も無く。スマートフォンの明滅とノイズが途切れたかと思うと、その画面に、老人が映り込んだ。妙に灰色がかった肌に、深い皺を刻んだ男。だがその眼には、隠しきれぬ激情と、一抹の孤独が垣間見える。ユナは、そろり…、とスマートフォンを手に取り、「ど、どちら様ですか…?」と、枯れた声で問うた。
『やっと繋がったか…。何という技術の格差だ…。
…さて。そちら、その国の王たる人物と見受ける。私のことは、大師と呼べ。そちらの世界とは時空を違えた、謂わば、マルチバースの宇宙に君臨する、強大な国の指導者だ』
「お、王ではなく、総理大臣です…。ただの政治家に過ぎません…。あの、状況の説明を求めます…。た、大師様…?」
老人、すなわち、大師が答えると、ユナはすかさず訂正と質問を飛ばす。だが内心、「王」と呼ばれたことに、妙な高揚感を覚えていた。大師が続ける。
『お前の国は、私に選ばれた。そして、その国の頂点であるお前こそ、私が認めるに相応しい人間だ』
「―――…!」
大師から掛けられた言葉に、ユナは打ち震えた。「選ばれた」、「認める」、「相応しい」。―――長年、ユナが飢えていた欲求の底を、大師はたった数個の単語で満たしきるではないか。
ユナは無意識に、表情を変えていた。あくまで、ユナは無意識である。だが、それを眺めている大師の側から見れば、彼女の表情の変化をありありと目の当たりにすることが出来た。大師の言葉を受けたユナの失意に溺れていた両眼は爛々と輝き始め、乾き切った唇の両端が上がり、流されていた涙の跡だけが残る頬は上気していく。……最早、ユナの心を掴むことに、何の小細工も必要がないと判断するには、充分であった。その確信を得た大師は、続ける。
『断片的ではあるが、お前の国の政治や治安、自然環境のレベルなどを観測させて貰っていた。…良い国だ。お前のような実力者が統治しているだけのことはある。故に、我が国民たちを、是非とも受け入れては貰えないか?』
「そ、それは、移民ということですか?!…、我が国には移民を受け入れる条件が非常に厳しく―――」
ユナは即時、弁明しようとした。政治家としての人生が長い彼女のクセだ。しかし、大師がぴしゃりと遮る。
『―――誤魔化さなくても良い。世間から隠されている『軍事兵器』が居るのだろう?
圧倒的な武力は、惑星を同じくした他国に脅威を与えると共に、その攻撃性を高め、無用な侵略行為を生み出しかねない。その為、お前たちは軍事兵器を秘匿するのに、膨大なエネルギーを要し、その長い歴史上、無理難題ばかりの苦労を強いられてきた。
…挙句、現在進行形で、その軍事兵器が常時観測しきれない余剰な数の異国人が渡航してくるのさえ、瀬戸際で堰き止める必要がある。それでお前の国は、常に神経を張り詰めさせている。…そうであろう?』
大師の台詞を聞いたユナは、またしても身の内から震えた。全てを見抜かれている。この男には、こちらの事情が筒抜けだ。あの忌々しい軍事兵器――ールカのことさえ。しかも大師は、どれだけルカが人類の、この国の中心に近しい人間たちの苦痛の種として在りながら、自身は今ものうのうと暮らしているのかを、知っている…?
ユナは、ふと思い至った。
そうだ。ルカさえ居なければ良かったのでは…?
そもそも、ルカはヒルタス湾の海底から掘り起こされた。その時点で、彼は兵器としての素質を持っていたらしい。そして本格的に軍事兵器として調整を施された後、ルカは初出撃の日を迎える。―――ヒルタス湾に跋扈していた海賊船の、一斉拿捕。
だが、現実は上手く行かなかった。どころか、多大な犠牲を出した。
ルカが放った一発の攻撃が、拿捕するべき海賊船は元より、彼の後方支援として出撃していた我が国の旧軍の艦艇を根こそぎ消し去ったのだ。
その中に、ルカ初出撃の作戦を指揮するため、そして、己が最後の任務として。戦場の一番前に立っていた将校こそ、―――かの英霊。ユナの先祖にして、忌まわしき現代のレッテル、紫雨潤二郎なのだ。
艦艇を見送った後。その帰還を待っていたが為に残された、本土の人間たちは。海の藻屑と消えていった同志たちの悲劇の死を目の当たりにする羽目になり、結果、ルカの存在を秘匿することにした。
そして、ルカが起こした悲劇で散って行った者たちを慰めるためと、ヒルタス湾の最東端には慰霊碑が建てられる。鎮魂の石板の一番上に刻まれた、紫雨潤二郎の名前は。危険な作戦に身を投じた勇気と共に、最も誉れ高い死を迎えたとして、『帝国将軍閣下』という唯一無二の階級を与えられ、今も尚、歴史の上で語り継がれている。―――…ユナの身に流れる彼の血筋も、またその語り部の一節と言えよう。それなのに、ユナは分家筋で、百合花は直系という看板が、いとも容易く、ユナの価値を下げた。
ルカのせいだ。百合花さえ出しゃばってこなければ。ルカが大昔にあんなおおごとをしでかさなければ。百合花が直系になんて生まれてこなければ。
―――…私は何も悪くない…!!悪いのはお前たちじゃないか…!!ルカを秘匿という形で庇い立てをするこの国と、血筋で私の価値を左右する市井そのものだ…!!―――
とうとう。ユナの脳内は、激高で支配された。
―――人間如きでは、ルカには対抗が出来ない。人間である以上、生まれた家系と血筋に背くことは出来ない。それがこの世の摂理だというのに、何故、それに苦しめられる必要があると?!生まれた命は等しく同じ人権を与えられるべき存在だと定められているのに、どうして、自分だけがこのような逆境に晒されるのか?!―――
再び大師を見たユナの両眼は、燃えていた。理不尽と憎しみと嫌悪と怒り。『総理大臣』という、一つの国の政治的頂点が抱くには相応しくない個人的な感情が、今の彼女の全身から迸っている。
烈火の如き双眸から、同時に複雑極まる激情の涙すらも零すユナを、静かな表情で見詰めた大師は、口を開く。
『お前の国を、私の国へ渡せ。私の国の民たちの、新しい楽園となれ。そうすれば、私はお前に『選ばれた人間』として、この銀河で一番の栄誉を与えよう。
…私の国は、深刻な環境汚染で、もう長くは持たない。民たちを死なせるわけにはいかない。我々には、新しい国と、汚れていない土と空が必要なのだ。
決断せよ、ユナ。―――お前は、その国の王に等しい地位の人間として、私にどのような答えを聞かせる?』
大師の言葉を聞いたユナの脳裏に、たくさんの顔ぶれが流れていった。―――…幼かった頃の百合花。玄一。バルドラ。ミセス・リーグスティ。……そしてもう一度。今度は、成長した今の姿をした百合花が、こちらを見て微笑んでいて―――。
瞬間、ばちん!!、とユナは、己の両頬を挟むようなカタチで、チカラの限り、叩いた。全ての幻想を振り払うために、迷いも惑いも、置いていくために。
ユナは、激しいノイズパターンの向こうに映り、こちらを見据えて返答を待っている大師へと、……今度こそ、答えた。
「…かしこまりました。大師様の、仰せのままに」
ユナはそう言った。しかと、言った。もう取り消せない言葉と知ってか知らずかは、もう何者にも分からないままに。
こうして『真のサウザンド・メガロポリス計画』は、この瞬間。音も息も心も無く、動き出したのであった。
to be continued...
二百年も遡る過去で、ルカがヒルタス湾にもたらした災厄級の一撃により、殉職した数多の人間たちの。…その筆頭格として、名を挙げられてる、『紫雨潤二朗帝国将軍閣下』。―――その一族の末裔の一人として、若き紫雨ユナは、社交界にデビューした。
当時のユナは、それはそれは、もてはやされた。
ユナ本人から早々に「政治家を目指している」という発言があったことで。彼女を囲もうとする人間たちは、やれ「次代の新リーダー像」だの、やれ「我が国の至宝」だの、やれ「太古からの贈り物」だのと、……それはそれは、何ともチープな美辞麗句を並べ立てたものである。
だがしかし、当のユナ本人は。そんな甘い言葉に惑わされるような人間ではなかった。―――少なくとも、『総理』という椅子に座るまでは…―――。
…と、言うのも。この紫雨ユナという女性は、紫雨一族の一人というだけで、実態は、全くの世間知らずも甚だしい人物であったのだ。
一番最初に声を掛けたのは、ユキサカ製薬の社長を継いだばかりの、若き玄一と。戦場から帰ってきて早々、命懸けの傭兵業故に発生した莫大な報奨金を種に、平和な我が国で事業を起こそうとしていた、バルドラであった。…ちなみにこの時代から既に、玄一とバルドラがつるんでいたのは、若き男同士、これからの互いのビジネスワールドについて、意気投合していたからである。
話を戻す。―――社交界の隅っこで、誰にも悩みを打ち明けられず、困り果てていたユナを見つけて、声を掛けたのは、若き玄一とバルドラだった。
それから、二年ほどのラグを経て。その三人の輪の中に、イヴェット・リーグスティ、―――今ではミセス・リーグスティと呼ばれる彼女が、加わってきた。
聡明な紳士である玄一と、野性は溢れるが豪傑そのもののバルドラ、身一つで成り上がった経験と知略の女王・ミセス・リーグスティは、ユナの良き友人となった。
選挙運動はさほど苦労を感じなかったというのに、…肝心の政治家になった瞬間、次々と未知の仕事と苦悩と恐怖を味わう羽目になったユナに、この三人の友人は、度々、手を貸した。
一般的な世間の事情や、社会経験の一つさえ知らないユナは、国民たちが今どんな生活をしていて、今どんなことを考えているのかさえ分からない。だから玄一は、ユナと、彼女の理解が及ばない市井の人間たちの間に立った視点で、彼女へ最大限の助言をしてきた。
政治家の武器は、弁術である。だが、時にそれが及ばない武器が必要になってくる場面があった。ユナを手酷く傷つけようとする輩の影が見え隠れしたとき、バルドラはその不埒な者を、更なる闇の奥へと引きずり込んでいった。
政治家としてはある程度の成熟を経たものの、『女性の政治家』として名を売りたいのであれば、それに沿ったマーケティングや知恵、立ち居振る舞いが必要である。ミセス・リーグスティは、ユナがぼんやりとしか掴んでいなかった『女性視点』を言語化したうえで、彼女のなかで冬眠寸前だった政治的目標を、より立像的に仕上げていく手伝いをした。
だが、転機が静かに、実に静かに、訪れた。
ユナが政治家として名を挙げ始めた頃である。社交界に、一人の少女が、父親に手を引かれた状態で、やってきた。
―――紫雨百合花である。
『紫雨潤二朗帝国将軍閣下』の、正当なる、直系の末裔の少女。
当時は、未だ幼い少女の域を出ていなかった百合花だったが、……凛とした瞳と立ち姿、生まれながらに高貴な者としての風格が、彼女には既に備わっていた。
途端。社交界の風向きは、変化する。
「本物の後継者が来た!」、「この時代を象徴するべき、真のリーダーが現れた!」と。
当初、幼い百合花は、大人たちの我欲に塗れた視線にたじろいだ。だがしかし、百合花は強かった。欲に穢れた周囲の声を見聞きしたからこそ、彼女はその小さな胸の内に秘めた『紫雨一族直系の人間』の誇りと、在るべき姿を確立させていく。
最早、それは、天与の美とも言えるモノ。百合花の周りを囲む人間が、身勝手な話を積み上げていけばいくほど、百合花本人は「そんなことにはならない」と決意して、己の中の清らかさと正しさを、より固く結実させていった。
対して、まさに理想の象徴化であり、誰にも穢されない高嶺の花となっていく百合花を目の当たりにしたユナは、―――…地を這うような己の努力が、酷く無価値なモノに思えてきた。
同じ血統の末裔であることに変わりないはずなのに。末端(ユナ)か、直系(百合花)か。たったそれだけの違いで。ユナに我が国の未来を託していたはずの人間たちは、手の平を軽く返して、百合花に興味を移していく。
だが、百合花は。決して、周りに流されなかったし、持って生まれた才覚に胡坐をかくこともなかった。
周囲の理想の姿で在ろうとしながらも、決してその欲望の視線に酔わない百合花の立ち姿は、ユナには眩しすぎて、残酷が過ぎた。
『何も知らない立場』から始まったこそ、ユナは周りの友人たち―――玄一、バルドラ、ミセス・リーグスティから、助けを得て、此処まで昇ってきた。
それなのに、―――家の格が上だからと。少し才能と美に恵まれているからと。―――だったそれだけの幸運に恵まれていただけで、何故、後から出てきた姪っ子に、自分の立場がひっくり返されるような危機を抱かなければならないというのか?
それからユナは、より一層、がむしゃらに努力を重ね、研鑽を積んだ。結果、予定していた頃合いよりも、大きく遅れを取ったものの、見事、彼女は、総理大臣の椅子を掴み取った。その際、各メディアからは、盛大な謳い文句が飛び出す。
――『新総理は、あの紫雨潤二朗帝国将軍閣下の末裔!遂に、現代社会のリーダーは新時代のスタイルへ!』
努力をすれば、必ず、いつかは報われる。
その言葉を胸に、ユナは拍手喝采と、鳴り響く囃子と、一握りの軋轢と共に、我が国の新しいトップとして走り出した。
そうだ。自分が総理の椅子を掴み取れたのは、努力の結果であり、決して、この身に流れる血統に依存したものではない。ユナは、心からそう思った。そう思えたからこそ、より職務に邁進しようとした。―――…それなのに。
数年と経たず、世論の風向きが、またしてもユナに向かい風を吹かせる。
そう。百合花が、国会議員を志し始めたのだ。
裏では個人的に百合花のことを快く思っていなくても、……表では『親族』として、何より紫水党から百合花が立候補したため、党首ならびに総理大臣として、ユナはその援護をしなければならず。
ユナは自分の本当の気持ちが何処にあるのかが、己自身にも不明瞭なまま、選挙運動をする百合花の隣に立っては。しかし、貼り付けた笑顔と、心にも思ってもいないスピーチを口から紡ぐことに、激しい嫌悪感を抱いていた。―――そう。嫌悪していた。百合花のことを、ユナは腹の奥底から、嫌っていた。
案の定。世論から輝かしいほどの支持を得た百合花は、誰にも文句を付けられないほどの得票数を以て、当選した。
各メディアは、こぞって美辞麗句を並べ立てる。
――『紫雨潤二朗帝国将軍閣下の直系が、政治の最前線へ!新進気鋭の女性政治家は、麗しの白百合!』
かつて、ユナのことを賛美したメディアたちは。今度は、百合花の写真を使い、その横に寒々しい文句をつけて、市井へと売りに出す。
このとき、ユナは壊れそうになっていた。
血筋でも、努力でも、社会的地位でも。どれだけ成果を積み上げていっても、後から百合花が全てを搔っ攫っていく、現状。惨すぎる、現実。
しかも、百合花が『真っ当な人格者』だったことが、皮肉にも、ユナの傷口をより抉っていく。
百合花は汚職に染まる愚者でもなければ、余計な金品や感情に振り回される浅慮な娘でもない。おまけも、ユナのことを、総理大臣として以前に、『たった一人の伯母』として大切に扱ってくれる。
その百合花の清廉潔白な性格と振る舞いこそが、尚更、ユナの心に巣食う闇と病みを、どす黒いモノへと変貌させていき、更にユナの思考回路を錆びつかせていくのだ。
ユナは、とある深夜の寝室で、声を殺して、嘆いた。
もう誰も私を見てくれない。この身に流れる血筋も、此処まで積んできた努力も、いま座っている総理大臣としても。もうなんでもいい。誰でも良いから、この『紫雨ユナ』という、たった一人の人間を、見て―――…!
そのときだった。心身の多忙が過ぎて、充電すら忘れ、バッテリー切れを起こしていたはずのスマートフォンが、勝手に起動した。照明を落とした寝室内で、唐突に光り始めたそれを見たユナは恐怖の悲鳴を上げる。だが、スマートフォンはそんなことは知らないとばかりに、勝手に画面を白黒に明滅させながら、ジジジッ、ジジッ、と不規則なノイズを発しているだけ。ユナは浅くなる呼吸と、激しくなる動悸のまま、ただただ、その光景を見つめた。部屋の外で、使用人の声が聞こえる。ユナの悲鳴を聞いて、駆け付けたのだろう。だが、彼女はそれに応じなかった。
間も無く。スマートフォンの明滅とノイズが途切れたかと思うと、その画面に、老人が映り込んだ。妙に灰色がかった肌に、深い皺を刻んだ男。だがその眼には、隠しきれぬ激情と、一抹の孤独が垣間見える。ユナは、そろり…、とスマートフォンを手に取り、「ど、どちら様ですか…?」と、枯れた声で問うた。
『やっと繋がったか…。何という技術の格差だ…。
…さて。そちら、その国の王たる人物と見受ける。私のことは、大師と呼べ。そちらの世界とは時空を違えた、謂わば、マルチバースの宇宙に君臨する、強大な国の指導者だ』
「お、王ではなく、総理大臣です…。ただの政治家に過ぎません…。あの、状況の説明を求めます…。た、大師様…?」
老人、すなわち、大師が答えると、ユナはすかさず訂正と質問を飛ばす。だが内心、「王」と呼ばれたことに、妙な高揚感を覚えていた。大師が続ける。
『お前の国は、私に選ばれた。そして、その国の頂点であるお前こそ、私が認めるに相応しい人間だ』
「―――…!」
大師から掛けられた言葉に、ユナは打ち震えた。「選ばれた」、「認める」、「相応しい」。―――長年、ユナが飢えていた欲求の底を、大師はたった数個の単語で満たしきるではないか。
ユナは無意識に、表情を変えていた。あくまで、ユナは無意識である。だが、それを眺めている大師の側から見れば、彼女の表情の変化をありありと目の当たりにすることが出来た。大師の言葉を受けたユナの失意に溺れていた両眼は爛々と輝き始め、乾き切った唇の両端が上がり、流されていた涙の跡だけが残る頬は上気していく。……最早、ユナの心を掴むことに、何の小細工も必要がないと判断するには、充分であった。その確信を得た大師は、続ける。
『断片的ではあるが、お前の国の政治や治安、自然環境のレベルなどを観測させて貰っていた。…良い国だ。お前のような実力者が統治しているだけのことはある。故に、我が国民たちを、是非とも受け入れては貰えないか?』
「そ、それは、移民ということですか?!…、我が国には移民を受け入れる条件が非常に厳しく―――」
ユナは即時、弁明しようとした。政治家としての人生が長い彼女のクセだ。しかし、大師がぴしゃりと遮る。
『―――誤魔化さなくても良い。世間から隠されている『軍事兵器』が居るのだろう?
圧倒的な武力は、惑星を同じくした他国に脅威を与えると共に、その攻撃性を高め、無用な侵略行為を生み出しかねない。その為、お前たちは軍事兵器を秘匿するのに、膨大なエネルギーを要し、その長い歴史上、無理難題ばかりの苦労を強いられてきた。
…挙句、現在進行形で、その軍事兵器が常時観測しきれない余剰な数の異国人が渡航してくるのさえ、瀬戸際で堰き止める必要がある。それでお前の国は、常に神経を張り詰めさせている。…そうであろう?』
大師の台詞を聞いたユナは、またしても身の内から震えた。全てを見抜かれている。この男には、こちらの事情が筒抜けだ。あの忌々しい軍事兵器――ールカのことさえ。しかも大師は、どれだけルカが人類の、この国の中心に近しい人間たちの苦痛の種として在りながら、自身は今ものうのうと暮らしているのかを、知っている…?
ユナは、ふと思い至った。
そうだ。ルカさえ居なければ良かったのでは…?
そもそも、ルカはヒルタス湾の海底から掘り起こされた。その時点で、彼は兵器としての素質を持っていたらしい。そして本格的に軍事兵器として調整を施された後、ルカは初出撃の日を迎える。―――ヒルタス湾に跋扈していた海賊船の、一斉拿捕。
だが、現実は上手く行かなかった。どころか、多大な犠牲を出した。
ルカが放った一発の攻撃が、拿捕するべき海賊船は元より、彼の後方支援として出撃していた我が国の旧軍の艦艇を根こそぎ消し去ったのだ。
その中に、ルカ初出撃の作戦を指揮するため、そして、己が最後の任務として。戦場の一番前に立っていた将校こそ、―――かの英霊。ユナの先祖にして、忌まわしき現代のレッテル、紫雨潤二郎なのだ。
艦艇を見送った後。その帰還を待っていたが為に残された、本土の人間たちは。海の藻屑と消えていった同志たちの悲劇の死を目の当たりにする羽目になり、結果、ルカの存在を秘匿することにした。
そして、ルカが起こした悲劇で散って行った者たちを慰めるためと、ヒルタス湾の最東端には慰霊碑が建てられる。鎮魂の石板の一番上に刻まれた、紫雨潤二郎の名前は。危険な作戦に身を投じた勇気と共に、最も誉れ高い死を迎えたとして、『帝国将軍閣下』という唯一無二の階級を与えられ、今も尚、歴史の上で語り継がれている。―――…ユナの身に流れる彼の血筋も、またその語り部の一節と言えよう。それなのに、ユナは分家筋で、百合花は直系という看板が、いとも容易く、ユナの価値を下げた。
ルカのせいだ。百合花さえ出しゃばってこなければ。ルカが大昔にあんなおおごとをしでかさなければ。百合花が直系になんて生まれてこなければ。
―――…私は何も悪くない…!!悪いのはお前たちじゃないか…!!ルカを秘匿という形で庇い立てをするこの国と、血筋で私の価値を左右する市井そのものだ…!!―――
とうとう。ユナの脳内は、激高で支配された。
―――人間如きでは、ルカには対抗が出来ない。人間である以上、生まれた家系と血筋に背くことは出来ない。それがこの世の摂理だというのに、何故、それに苦しめられる必要があると?!生まれた命は等しく同じ人権を与えられるべき存在だと定められているのに、どうして、自分だけがこのような逆境に晒されるのか?!―――
再び大師を見たユナの両眼は、燃えていた。理不尽と憎しみと嫌悪と怒り。『総理大臣』という、一つの国の政治的頂点が抱くには相応しくない個人的な感情が、今の彼女の全身から迸っている。
烈火の如き双眸から、同時に複雑極まる激情の涙すらも零すユナを、静かな表情で見詰めた大師は、口を開く。
『お前の国を、私の国へ渡せ。私の国の民たちの、新しい楽園となれ。そうすれば、私はお前に『選ばれた人間』として、この銀河で一番の栄誉を与えよう。
…私の国は、深刻な環境汚染で、もう長くは持たない。民たちを死なせるわけにはいかない。我々には、新しい国と、汚れていない土と空が必要なのだ。
決断せよ、ユナ。―――お前は、その国の王に等しい地位の人間として、私にどのような答えを聞かせる?』
大師の言葉を聞いたユナの脳裏に、たくさんの顔ぶれが流れていった。―――…幼かった頃の百合花。玄一。バルドラ。ミセス・リーグスティ。……そしてもう一度。今度は、成長した今の姿をした百合花が、こちらを見て微笑んでいて―――。
瞬間、ばちん!!、とユナは、己の両頬を挟むようなカタチで、チカラの限り、叩いた。全ての幻想を振り払うために、迷いも惑いも、置いていくために。
ユナは、激しいノイズパターンの向こうに映り、こちらを見据えて返答を待っている大師へと、……今度こそ、答えた。
「…かしこまりました。大師様の、仰せのままに」
ユナはそう言った。しかと、言った。もう取り消せない言葉と知ってか知らずかは、もう何者にも分からないままに。
こうして『真のサウザンド・メガロポリス計画』は、この瞬間。音も息も心も無く、動き出したのであった。
to be continued...
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