第五章 哂納通牒
百合花が私用のスマートフォンで、わたわたと店を検索し始めている様子を、ユナは微笑ましいと言った表情で見つめていた。…あくまで、見つめているだけであり、その胸中は全くの正反対のことを考えている。
手っ取り早くスキャンダルを狙うのであれば、やはり男女関係の匂わせが良い。特に、百合花は何処かの対談インタビューで「この人生に於いて、恋人を持ったことがない」と公に発言している。それは真実にせよ、『恋愛』というモノは、一番の色眼鏡だ。今まで色恋沙汰の情報が無かったはずの百合花が、年下の男と二人で食事に行った…―――。この一報さえ、SNS上に投げ込まれれば、たちまち、百合花へのヘイト感情は臨界点に達するであろう。しかもその相手は、トルバドール・セキュリティーの跡取り息子で、未成年。おまけに美貌まで持ち合わせているときた。格好の餌食、否、誘導のための的として、非常に相応しい。
(ちょうどいいわ。民間企業の分際で、我が国の軍備関係にトルバドール・セキュリティーが幅を利かせているのにも鬱陶しいことだったし…。あの薄汚い庶民出身のミセス・リーグスティも目障りだったし…、ついでに跡取り息子も潰せれば…。
政府がトルバドール・セキュリティー本社そのもの召し上げる形で、その隠された技術も、あのルカの情報も、まとめて接収することが出来る…!)
ユナはそう考えながら、緩みそうになる口元を結び、あくまで『姪っ子を見守る叔母の微笑み』だけを形作る。
すると、何も知らない百合花が、輝にスマートフォンの画面を見せながら、何処かぎこちない口調で喋り始めた。
「輝さん、お肉はお好きかしら?あ、あの、こちらの肉バルはとても味が宜しいですし、過去に数回ほど友人も招いたことがあります。完全個室ですから、周囲の眼も気になりませんよ。い、いかが?」
そうだ。それでいい。男慣れしていない初々しい女の言動。見ていて、非常に愉快だ。あと、店のチョイスは、やはり光るモノがある。いくら訓練された戦士とて、輝は十六歳の少年だ。食べ盛りの男子が『お肉』のワードを聞いて、釣られないわけがない。
「あら、素敵ね。私なら、ステーキ三百グラムは食べてしまいそうだわ」
ユナは背中を押すように、言葉を紡いだ。だが実際は、具体的な数字を出して、輝を誘導するためである。本物の戦いを知る男というのは、現実主義が多いから…。―――…そう思った瞬間。ほんの一瞬だけ。…ユナの脳裏に、とある男たちの顔がチラついた。しかしその幻影は、すぐさま振りほどく。
このまま、百合花と輝を二人きりの食事に行かせて、既に雇っているパパラッチに適当な写真を撮らせて、これもまた雇っているフリーライターにそれらしい記事を書かせてしまえば…―――、あっという間にスキャンダルは完成する。百合花が失脚の兆しを見せれば、間違いなく、あの幸福劇場はユナへ連絡を入れてくるだろう。
とにかく、ルカがヒルカリオを不在にしている今。この瞬間を、逃すわけにはいかない。
あの軍事兵器の介入だけは勘弁願いたい。いつ、どのタイミングで、ルカが修理と調整から戻ってくるのかが不明瞭である以上、―――このチャンスを逃してはいけないのだ。
そのとき。輝が「お食事の件ですが…」と、百合花に返事をしようとするのが聞こえた。―――…来た。遂に、百合花失脚のチャンスを―――
「―――お店の夜間の営業時間の開始が、午後七時になっています。
申し訳ございません。僕は未成年ですので、保護者や監督者にあたる人間がいない以上、夜間の単独外出は、国の条例違反です。
本来なら矢槻さんが保護者代わりなのですが…、今日は私用で不在ですし…。せっかくのお誘いですが、ご遠慮させていただきます」
――――……は……?
ユナは思わず、ぽかん、とした。声に出さなかっただけで立派と褒めて欲しいくらいだ。
「た、確かに…!わ、私としたことが条例違反を推奨するだなんて…!
ご、ごめんなさい、いいえ、ありがとうございます、輝さん…!この紫雨百合花、政治家としての責任を、無意識に放棄してしまうところでしたわ…!」
「感謝はともかく、謝罪は不要でしょう。…僕も、夜間外出で補導されたとか、シャレにならない事態は避けたかったですし。こういうときの教育係というか、お仕置き係が、実は控えているんですけど…、…いや、あの…、めっちゃ怖くて…、いやほんと怖くて…!」
「まあ…、教育係が…。輝さんのような方がそこまで恐れるだなんて…、余程、高い実力の持ち主なのね…」
「…冗談抜きで、本気で叱られたら、大陸一枚分は焦土と化すと思いますね…」
「な、なんですって…?!」
百合花と輝の会話は、正常であり、健全なモノであった。些か引っかかる単語がいくつかあったものの…、まあ、この輝を鍛えるべくして揃えた人材が裏に控えているのであれば、それもまた『あの男たち』のやり方か…、とさえ思えてくる。…いけない、また過去の幻影に引っ張られるところだった。ユナは気持ちを切り替える。
「まあ、お若い騎士様は、随分と身持ちが固い御方ね。
関心、関心。貴方のようなひとが、我が国の一番の宝ですわ。…ええ、それはもう、大切に扱わなければなりません」
ユナはそう言いながら、右手を軽く振った。途端、輝が腰の雷翅に手を伸ばして、――――…すぐに止める。その眼は、ユナのSPたちがこちらに向けてきている銃口を見ていた。
百合花が小さく悲鳴を上げて、思わずソファーから腰を浮かしかけるものの。その肩を優しく押して制したのは、彼女の背後に立ったままの、輝だった。言外に「下手に動いたら、二人纏めて、殺される」と告げている。
「何の真似ですか?僕が誰かを知らない貴女では無いでしょう?総理?」
輝はすぐさま、ユナに厳しい視線と言葉を投げた。だが、ユナは怯むどころか、不敵に笑ってみせる。
「口の利き方に気を付けなさい。卑しい極貧の庶民の血が流れているくせに…」
ユナの口調は、相手を見下すのがさも当然とばかりのそれだ。…だが同時に、彼女の脳裏に、輝の母親である、あのイヴェット・リーグスティの影がチラついた。あのシンデレラ女帝の狡猾さは、一度でも目の当たりにすれば、なかなか忘れることは出来ない。―――…その記憶が、ユナの神経を逆撫でして、勝手に、眼の前の輝への怒りに変換される。
ユナの中に渦巻いた身勝手な感情による言葉が、輝へと紡がれた。
「本当に嫌になるわ。少し才能があるからとチヤホヤされて…。でも所詮、貴方の出自は、ただの成金の息子でしかない。だから、親の七光りさえ失えば、その権威は簡単に失墜する。
…せめて、これから上げる大きな花火のための、小さな火種になって貰いましょう。それが駒としての幸せというものよ」
ユナがそう言うや否や、輝が彼女から目線を逸らす。刹那、輝が向けた双眸の先から飛んできた麻酔矢が、コンマ前まで彼の居た場所の、更に後ろの壁に突き刺さる。
身軽に麻酔矢を避けた輝の動きについていけなかったSPたちは混乱し、彼が百合花を抱えると同時に、彼女が座っていたソファーの座面を蹴って飛び上がり、ユナの眼前にまで詰め寄る、という神業の阻止が出来なかった。
輝は回避行動と共にブーツの中から取り出していた、コンバットナイフの刃先を、震える百合花の肩を抱いていない方の手で持ち、ユナの首筋へと差し向ける。
「……、恐ろしい子…。あの男たちが手塩にかけただけのことは、あるわ。
素直に褒めてあげましょう。素晴らしい。…でも、本当に今の戦況がひっくり返っていると思っているの?輝くん?」
ユナの不敵な笑みは崩れなかった。そのうえ、輝の顔色も決して良いとは言えない。むしろ苦々しい気持ちが滲んでいるまである。だがしかし、輝は黙ることを止めなかった。
「俺の背後に誰が居るのかを知っているのか?そっちに用事があるなら、さっさと俺を餌に炙り出せばいいだろう?こんな手間ばかりの見苦しいやり方ばかりして、一体、何が目的なんだ?
そもそも、百合花先生は、貴女の姪っ子で、謂わば家族のはず…。それなのに、彼女をこんな危ない眼に合わせる理由が、一体、何処にある?」
輝は既に言葉遣いも態度も、素の状態にしている。もうユナに払うべき敬意は無いし、持ちかけるべき取引や駆け引きも無いと、彼個人が判断したのだ。
「何も知らないお馬鹿さんは見ていて飽きないけれど…。まあ、良いでしょう。教えてあげるわ。どうせ、あなたたちはお終いなのだから…」
ユナはそう言うと、憎らしげな感情を瞳の乗せて、百合花を睨み始める。ただでさえ震えていた百合花は、小さく悲鳴を上げて、輝の方へと身体を寄せた。ユナが続ける。
「私の目的は、百合花の政治家としての失脚。そして、人間としての社会的抹殺。…―――徹底的にやってやるわ。
輝くんは、そのための駒でしかない。貴方がイケメンで、子どもで、戦士だったこと、今になって感謝しておくわ。百合花とのスキャンダルさえでっち上げれば、百合花はもとより、輝くんの人生も終わり。
…ああ、そうだ。ついでに、トルバドール・セキュリティーも接収という形で、頂いておくわね。あそこの最深部のサーバーには、この国のトップである私にすら握らせても貰えない、ルカの情報が眠っている…。あの荒唐無稽な軍事兵器のことは、全て、そしていち早く、我が国のトップたる私が掌握しておかねば…!」
遂に、ユナの仮面が剥がれ落ちた。
今まで、情報と存在感だけで市井の事件を操り、黒幕を気取って。挙句、『国のトップ』と『支配者』を混同していたユナは、―――この瞬間、『個人の感情を持った化け物』へと、変貌したのである。
輝はナイフの先は動かさず、そして叔母の変貌ぶりに怯える百合花のことを安心させたい気持ちを込めて、彼女の肩を軽くさすった。そして、ユナには侮蔑の視線を向けて、口を開く。
「なるほど、貴女は余程、ルカさんが怖いのか。
まあ、そうだろうな。俺だって、例えルカさんにその気が無かろうと、『制御されているフリをしている史上最強の軍事兵器が、いつどこで、自分の悪巧みごと、この首を狙いに来るか分からない』…だなんて状況と、その可能性は、一刻も早く、潰しておきたい。
そのために、俺と百合花先生を、さっさと捕まえたいわけだ。…真相を知った俺たちに、今更、何をさせたいのかは知らないけど」
輝は半分とぼけながら、そう言った。ユナの真意は見えている。彼女の目的が『百合花の失脚』であり、それを達成するために輝が必要。故に、スキャンダル捏造を行いたくて、先ほど、ユナが百合花に「輝と食事に行け」と誘導したのだ。
輝から見た百合花は『純粋』と言えば聞こえは良いし、『仕事一筋』と称せば美しくも映る。だが、何処か世俗的常識に疎い女性であると、輝は薄らと思っていた。それが此処に至って、あろうことか、ユナに利用されかけるとは…。条例違反のことを思い出して阻止したのは本当に偶然だったにせよ、あの瞬間、少しでも輝の方にも隙が生まれていたとしたら、……今頃、二人はユナによって転落の道を歩かされていたことになる。寒気を覚える話だ。
輝がそこまで考えたとき。ユナがせせら笑うかのような表情で、彼の双眸を見据え、言葉を紡ぐ。
「何をさせたいか知らない?…まあ、そうでしょう。別に知らなくても良いわ。どうせ我に返ったとき、すぐに思い知ることになるのだから」
瞬間。輝の脚に、ちくっ!、とした鋭い痛み。しまったと思ったときには既に遅く、全身のチカラが抜けた輝は、その場にくずおれる。取り落としたサバイバルナイフが、無機質な音を立てて、ユナのパンプスのすぐ傍の床に転がり落ちた。
「輝さん!輝さん!しっかりして!
叔母さま!このひとを傷付けてはいけません!輝さんは誇り高い戦士であり、一人の立派な国民です!我々を守る立場にして、我々が守るべき立場のひとでもあるのです!」
床に倒れて、苦痛で呻く輝の身体に縋りつくように、そして守るかのように腕を回した百合花は。この状況を冷たく笑いながら見下ろすユナに向かって、心からの懇願をする。
「もうやめて!私の失脚がお望みならば、この椅子は幸福劇場のサウザンド・メガロポリス計画が終わり次第、自ら捨てましょう!社会から消えろと仰るのであれば、全ての責任を果たした後で、誰にも近付けさせない山奥にて隠居いたします!
だからお願いします…!!輝さんを傷付けないでください…!!こんなことは今すぐやめて…!!叔母さま…!!」
百合花の必死の訴えは、ユナには届かなかった。その証拠に、輝が制圧されたことによって動けるようになったユナのSPたち、…より正確に言うなら、彼女に袖の下を渡されて言うことを聞いている、ただの黒服たちが、銃口を向けながら、百合花と輝を取り囲む。
黒服の一人が、スイッチを入れたスタンガンを、百合花に向けて構えたのを見たとき。百合花は、両眼から静かに涙を零しながら、既に気を失った輝の手を取り、祈るかのように握り締めた。
そして、バチッ!、という音と、自分の首に衝撃を感じたのを最後に、――――百合花の意識は、暗転した―――…。
to be continued...
手っ取り早くスキャンダルを狙うのであれば、やはり男女関係の匂わせが良い。特に、百合花は何処かの対談インタビューで「この人生に於いて、恋人を持ったことがない」と公に発言している。それは真実にせよ、『恋愛』というモノは、一番の色眼鏡だ。今まで色恋沙汰の情報が無かったはずの百合花が、年下の男と二人で食事に行った…―――。この一報さえ、SNS上に投げ込まれれば、たちまち、百合花へのヘイト感情は臨界点に達するであろう。しかもその相手は、トルバドール・セキュリティーの跡取り息子で、未成年。おまけに美貌まで持ち合わせているときた。格好の餌食、否、誘導のための的として、非常に相応しい。
(ちょうどいいわ。民間企業の分際で、我が国の軍備関係にトルバドール・セキュリティーが幅を利かせているのにも鬱陶しいことだったし…。あの薄汚い庶民出身のミセス・リーグスティも目障りだったし…、ついでに跡取り息子も潰せれば…。
政府がトルバドール・セキュリティー本社そのもの召し上げる形で、その隠された技術も、あのルカの情報も、まとめて接収することが出来る…!)
ユナはそう考えながら、緩みそうになる口元を結び、あくまで『姪っ子を見守る叔母の微笑み』だけを形作る。
すると、何も知らない百合花が、輝にスマートフォンの画面を見せながら、何処かぎこちない口調で喋り始めた。
「輝さん、お肉はお好きかしら?あ、あの、こちらの肉バルはとても味が宜しいですし、過去に数回ほど友人も招いたことがあります。完全個室ですから、周囲の眼も気になりませんよ。い、いかが?」
そうだ。それでいい。男慣れしていない初々しい女の言動。見ていて、非常に愉快だ。あと、店のチョイスは、やはり光るモノがある。いくら訓練された戦士とて、輝は十六歳の少年だ。食べ盛りの男子が『お肉』のワードを聞いて、釣られないわけがない。
「あら、素敵ね。私なら、ステーキ三百グラムは食べてしまいそうだわ」
ユナは背中を押すように、言葉を紡いだ。だが実際は、具体的な数字を出して、輝を誘導するためである。本物の戦いを知る男というのは、現実主義が多いから…。―――…そう思った瞬間。ほんの一瞬だけ。…ユナの脳裏に、とある男たちの顔がチラついた。しかしその幻影は、すぐさま振りほどく。
このまま、百合花と輝を二人きりの食事に行かせて、既に雇っているパパラッチに適当な写真を撮らせて、これもまた雇っているフリーライターにそれらしい記事を書かせてしまえば…―――、あっという間にスキャンダルは完成する。百合花が失脚の兆しを見せれば、間違いなく、あの幸福劇場はユナへ連絡を入れてくるだろう。
とにかく、ルカがヒルカリオを不在にしている今。この瞬間を、逃すわけにはいかない。
あの軍事兵器の介入だけは勘弁願いたい。いつ、どのタイミングで、ルカが修理と調整から戻ってくるのかが不明瞭である以上、―――このチャンスを逃してはいけないのだ。
そのとき。輝が「お食事の件ですが…」と、百合花に返事をしようとするのが聞こえた。―――…来た。遂に、百合花失脚のチャンスを―――
「―――お店の夜間の営業時間の開始が、午後七時になっています。
申し訳ございません。僕は未成年ですので、保護者や監督者にあたる人間がいない以上、夜間の単独外出は、国の条例違反です。
本来なら矢槻さんが保護者代わりなのですが…、今日は私用で不在ですし…。せっかくのお誘いですが、ご遠慮させていただきます」
――――……は……?
ユナは思わず、ぽかん、とした。声に出さなかっただけで立派と褒めて欲しいくらいだ。
「た、確かに…!わ、私としたことが条例違反を推奨するだなんて…!
ご、ごめんなさい、いいえ、ありがとうございます、輝さん…!この紫雨百合花、政治家としての責任を、無意識に放棄してしまうところでしたわ…!」
「感謝はともかく、謝罪は不要でしょう。…僕も、夜間外出で補導されたとか、シャレにならない事態は避けたかったですし。こういうときの教育係というか、お仕置き係が、実は控えているんですけど…、…いや、あの…、めっちゃ怖くて…、いやほんと怖くて…!」
「まあ…、教育係が…。輝さんのような方がそこまで恐れるだなんて…、余程、高い実力の持ち主なのね…」
「…冗談抜きで、本気で叱られたら、大陸一枚分は焦土と化すと思いますね…」
「な、なんですって…?!」
百合花と輝の会話は、正常であり、健全なモノであった。些か引っかかる単語がいくつかあったものの…、まあ、この輝を鍛えるべくして揃えた人材が裏に控えているのであれば、それもまた『あの男たち』のやり方か…、とさえ思えてくる。…いけない、また過去の幻影に引っ張られるところだった。ユナは気持ちを切り替える。
「まあ、お若い騎士様は、随分と身持ちが固い御方ね。
関心、関心。貴方のようなひとが、我が国の一番の宝ですわ。…ええ、それはもう、大切に扱わなければなりません」
ユナはそう言いながら、右手を軽く振った。途端、輝が腰の雷翅に手を伸ばして、――――…すぐに止める。その眼は、ユナのSPたちがこちらに向けてきている銃口を見ていた。
百合花が小さく悲鳴を上げて、思わずソファーから腰を浮かしかけるものの。その肩を優しく押して制したのは、彼女の背後に立ったままの、輝だった。言外に「下手に動いたら、二人纏めて、殺される」と告げている。
「何の真似ですか?僕が誰かを知らない貴女では無いでしょう?総理?」
輝はすぐさま、ユナに厳しい視線と言葉を投げた。だが、ユナは怯むどころか、不敵に笑ってみせる。
「口の利き方に気を付けなさい。卑しい極貧の庶民の血が流れているくせに…」
ユナの口調は、相手を見下すのがさも当然とばかりのそれだ。…だが同時に、彼女の脳裏に、輝の母親である、あのイヴェット・リーグスティの影がチラついた。あのシンデレラ女帝の狡猾さは、一度でも目の当たりにすれば、なかなか忘れることは出来ない。―――…その記憶が、ユナの神経を逆撫でして、勝手に、眼の前の輝への怒りに変換される。
ユナの中に渦巻いた身勝手な感情による言葉が、輝へと紡がれた。
「本当に嫌になるわ。少し才能があるからとチヤホヤされて…。でも所詮、貴方の出自は、ただの成金の息子でしかない。だから、親の七光りさえ失えば、その権威は簡単に失墜する。
…せめて、これから上げる大きな花火のための、小さな火種になって貰いましょう。それが駒としての幸せというものよ」
ユナがそう言うや否や、輝が彼女から目線を逸らす。刹那、輝が向けた双眸の先から飛んできた麻酔矢が、コンマ前まで彼の居た場所の、更に後ろの壁に突き刺さる。
身軽に麻酔矢を避けた輝の動きについていけなかったSPたちは混乱し、彼が百合花を抱えると同時に、彼女が座っていたソファーの座面を蹴って飛び上がり、ユナの眼前にまで詰め寄る、という神業の阻止が出来なかった。
輝は回避行動と共にブーツの中から取り出していた、コンバットナイフの刃先を、震える百合花の肩を抱いていない方の手で持ち、ユナの首筋へと差し向ける。
「……、恐ろしい子…。あの男たちが手塩にかけただけのことは、あるわ。
素直に褒めてあげましょう。素晴らしい。…でも、本当に今の戦況がひっくり返っていると思っているの?輝くん?」
ユナの不敵な笑みは崩れなかった。そのうえ、輝の顔色も決して良いとは言えない。むしろ苦々しい気持ちが滲んでいるまである。だがしかし、輝は黙ることを止めなかった。
「俺の背後に誰が居るのかを知っているのか?そっちに用事があるなら、さっさと俺を餌に炙り出せばいいだろう?こんな手間ばかりの見苦しいやり方ばかりして、一体、何が目的なんだ?
そもそも、百合花先生は、貴女の姪っ子で、謂わば家族のはず…。それなのに、彼女をこんな危ない眼に合わせる理由が、一体、何処にある?」
輝は既に言葉遣いも態度も、素の状態にしている。もうユナに払うべき敬意は無いし、持ちかけるべき取引や駆け引きも無いと、彼個人が判断したのだ。
「何も知らないお馬鹿さんは見ていて飽きないけれど…。まあ、良いでしょう。教えてあげるわ。どうせ、あなたたちはお終いなのだから…」
ユナはそう言うと、憎らしげな感情を瞳の乗せて、百合花を睨み始める。ただでさえ震えていた百合花は、小さく悲鳴を上げて、輝の方へと身体を寄せた。ユナが続ける。
「私の目的は、百合花の政治家としての失脚。そして、人間としての社会的抹殺。…―――徹底的にやってやるわ。
輝くんは、そのための駒でしかない。貴方がイケメンで、子どもで、戦士だったこと、今になって感謝しておくわ。百合花とのスキャンダルさえでっち上げれば、百合花はもとより、輝くんの人生も終わり。
…ああ、そうだ。ついでに、トルバドール・セキュリティーも接収という形で、頂いておくわね。あそこの最深部のサーバーには、この国のトップである私にすら握らせても貰えない、ルカの情報が眠っている…。あの荒唐無稽な軍事兵器のことは、全て、そしていち早く、我が国のトップたる私が掌握しておかねば…!」
遂に、ユナの仮面が剥がれ落ちた。
今まで、情報と存在感だけで市井の事件を操り、黒幕を気取って。挙句、『国のトップ』と『支配者』を混同していたユナは、―――この瞬間、『個人の感情を持った化け物』へと、変貌したのである。
輝はナイフの先は動かさず、そして叔母の変貌ぶりに怯える百合花のことを安心させたい気持ちを込めて、彼女の肩を軽くさすった。そして、ユナには侮蔑の視線を向けて、口を開く。
「なるほど、貴女は余程、ルカさんが怖いのか。
まあ、そうだろうな。俺だって、例えルカさんにその気が無かろうと、『制御されているフリをしている史上最強の軍事兵器が、いつどこで、自分の悪巧みごと、この首を狙いに来るか分からない』…だなんて状況と、その可能性は、一刻も早く、潰しておきたい。
そのために、俺と百合花先生を、さっさと捕まえたいわけだ。…真相を知った俺たちに、今更、何をさせたいのかは知らないけど」
輝は半分とぼけながら、そう言った。ユナの真意は見えている。彼女の目的が『百合花の失脚』であり、それを達成するために輝が必要。故に、スキャンダル捏造を行いたくて、先ほど、ユナが百合花に「輝と食事に行け」と誘導したのだ。
輝から見た百合花は『純粋』と言えば聞こえは良いし、『仕事一筋』と称せば美しくも映る。だが、何処か世俗的常識に疎い女性であると、輝は薄らと思っていた。それが此処に至って、あろうことか、ユナに利用されかけるとは…。条例違反のことを思い出して阻止したのは本当に偶然だったにせよ、あの瞬間、少しでも輝の方にも隙が生まれていたとしたら、……今頃、二人はユナによって転落の道を歩かされていたことになる。寒気を覚える話だ。
輝がそこまで考えたとき。ユナがせせら笑うかのような表情で、彼の双眸を見据え、言葉を紡ぐ。
「何をさせたいか知らない?…まあ、そうでしょう。別に知らなくても良いわ。どうせ我に返ったとき、すぐに思い知ることになるのだから」
瞬間。輝の脚に、ちくっ!、とした鋭い痛み。しまったと思ったときには既に遅く、全身のチカラが抜けた輝は、その場にくずおれる。取り落としたサバイバルナイフが、無機質な音を立てて、ユナのパンプスのすぐ傍の床に転がり落ちた。
「輝さん!輝さん!しっかりして!
叔母さま!このひとを傷付けてはいけません!輝さんは誇り高い戦士であり、一人の立派な国民です!我々を守る立場にして、我々が守るべき立場のひとでもあるのです!」
床に倒れて、苦痛で呻く輝の身体に縋りつくように、そして守るかのように腕を回した百合花は。この状況を冷たく笑いながら見下ろすユナに向かって、心からの懇願をする。
「もうやめて!私の失脚がお望みならば、この椅子は幸福劇場のサウザンド・メガロポリス計画が終わり次第、自ら捨てましょう!社会から消えろと仰るのであれば、全ての責任を果たした後で、誰にも近付けさせない山奥にて隠居いたします!
だからお願いします…!!輝さんを傷付けないでください…!!こんなことは今すぐやめて…!!叔母さま…!!」
百合花の必死の訴えは、ユナには届かなかった。その証拠に、輝が制圧されたことによって動けるようになったユナのSPたち、…より正確に言うなら、彼女に袖の下を渡されて言うことを聞いている、ただの黒服たちが、銃口を向けながら、百合花と輝を取り囲む。
黒服の一人が、スイッチを入れたスタンガンを、百合花に向けて構えたのを見たとき。百合花は、両眼から静かに涙を零しながら、既に気を失った輝の手を取り、祈るかのように握り締めた。
そして、バチッ!、という音と、自分の首に衝撃を感じたのを最後に、――――百合花の意識は、暗転した―――…。
to be continued...
